|
|
リアクション
まだ明けきらない夜明け。藍と乳白に染まる林のなかをリース・エンデルフィア(りーす・えんでるふぃあ)とマーガレット・アップルリング(まーがれっと・あっぷるりんぐ)は西に向かって進んでいた。
「ま、マーガレット、気をつけてくださいね。ど、どこからくるか、分かりません、から…」
マーガレットは今、蒼空学園の制服を着ていた。今回の作戦を話した際、ハリールから借りた服だ。残念ながらマーガレットはあの炎のような髪の色とは対称的な、春の日差しでできたようなやわらかな金色で、こればかりはごまかせないからマントフードを目深にかぶっている。そのせいで視界が制限されてしまっていた。
「ま、まだ、どこにもそ、それらしい気配は、ありません、けど」
マーガレットの分までと、きょろきょろせわしなく周囲に目配りしながら、どこにあるかも分からない聞き耳を用心してひそひそ声でささやく。
先ほどまでは平坦な草原を歩いていた。低めのしげみはあっても、人が登って隠れることができたりといった木々はなく、視界は開けていて暗くても安全だった。しかし今は違う。林立した林のなかは、襲撃に適している。
しかも、ワイルドペガサスに騎乗して上空から見守ってくれているはずのセリーナ・ペクテイリス(せりーな・ぺくていりす)が、彼らの姿を見失わないまでもいざというとき初動が遅れる可能性があった。
(そうなったら、わ、私がマーガレットを守らなくては…!)
ガチガチに緊張しているリースの背中からそれと読み取って、マーガレットはふうと息を吐く。
「あたしは平気だから。ナディムだってどこかで警戒してくれてるはずだし。
リースこそ、アガデへの道を迷わないように気をつけてね」
「だ、大丈夫、です…っ」
(そのわりには、分かれ道にさしかかるたびにきょどきょどしているのよね)
とはいえ、マーガレットは全く道に明るくないからリースに頼るしかない。
隊を離れてそろそろ1時間は経ったか。もう敵は自分たちがアガデへ向かっていることに察しはついただろうか?
「お優しいと評判の領主なら、きっとあたしの話を聞いてくれて、助けてくれるわ」
マーガレットは念のため、ほんの少し大きめの声で言ってみた。もし敵の偵察がどこかにひそんでいるとしたら、これで疑惑は確実になっただろう。
(来るなら来なさい。さっさとね!)
2人は慎重に、周囲を警戒することを怠らず、しかし歩く速度は落とさずに進んで行った。
やがて、先行して前方を歩いていたセリーナの賢狼レラがぴたりと足を止めた。ぴんと伸ばした前足のまま体勢を低くして、ヴヴーーッと威嚇のうなりを発する。
「レラちゃん?」
「しっ。リース、集中して」
マーガレットがそちらへそれかけたリースの注意を鋭く引き戻した。
(どこ? レラは何に反応したの?)
その手が無意識に腰へとすべり、己の剣を探す。しかしマーガレットはハリールに変装する際、ダンシングエッジははずしてしまっていた。
そしてそのことで、自らの役割を思い出した。
これは陽動。戦うことが主目的ではない。
(だめね。ついいつもの調子で迎え討とうとしちゃう)
自身をたしなめていると、ざざざと葉擦れの音がして、すぐ横の木の枝にナディム・ガーランド(なでぃむ・がーらんど)が降ってきた。彼はイナンナの加護を用いて離れた場所から広角的な視野で敵の探索にあたっていたのだ。
「北西の方角、忍者が6人だ」
「9人よ」
すぐ真上まで降下してきていたセリーナがすぐさま訂正した。
「3人があっちからも来てるわ。はさみ打ちにするつもりだと思う」
と、南西の方角を指差す。リースはうなずいた。
「で、でで、では、作戦を開始します。わた、私とナディムさんが、逃げながら敵を引きつけます。マーガレットは全力で逃走してください。ハリールさんは身軽ですから、ひ、人並み以上に速くても、全然おかしくないと思います」
「OK!」
「せ、セリーナさんは、上空からマーガレットのフォローを、お、お願いしますっ」
「うん。分かった。まかせて」
4人がリースのたてた作戦どおりの行動に移って数分後、彼らは忍者部隊と接触した。
「きたぞ!」
岩や木を足場に跳躍し、他方向から同時攻撃を仕掛けてくる敵に向かい、ナディムは描天我弓をかまえた。サイドワインダーを駆使して矢を放つ。リースはどこをとってもやわからそうなほんわかした外見そのもの、戦闘に特化しているとは言いがたい、腕力より知性で勝負の頭脳派だが、それでも勇気を振り絞り、懸命にマジックブラストや歴戦の防御術を用いてナディムを補助し、敵の足止めに力を尽くした。
「い、行ってください!」
(2人とも、がんばって!)
マーガレットはリースの元に残りたい衝動を押し殺して、2人に背を向け走り出す。
「レラちゃん、リースちゃんたちをお願いねっ」
リースを標的にした敵に向け、虹色の舞を放つと、セリーナはマーガレットを追ってワイルドペガサスを操った。
木々の間を抜けていくマーガレットを守って、一生懸命攻撃魔法を放つ。
しかし彼らの力は到底及ばなかった。
敵の数は9どころではなかったのだ。ゆうに20を越える手練れたち、そして彼らの側についたコントラクターの強大な力が無情にも彼らを襲い、わずかな時間で反撃の余地なく圧倒した。
「健気なものだ。たった4人で私たちをどうにかできると思うなんて」
捕縛され、足元に転がったリースとナディアを見下ろして、ツインテールの少女大樹佐和子(毒島 大佐(ぶすじま・たいさ))は豪胆な笑みを浮かべる。
「せめて10は揃えるべきだったな」
それでも結果は同じだろうが。言外にその意を過分に含んだ言葉は、あながち誤りではなかった。ポイントシフトを巧みに使用した速攻はナディムを翻弄し、一矢も報いることができず倒されてしまったのだから。
そこに、式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)の操るガーゴイルが帰ってきた。足元にできた影を見てそれを気付いた佐和子が頭上を見上げると、広目天王が気絶したマーガレットを脇に抱いている。彼は無表情にマーガレットをリースたちの横へ投げ落とした。
「……ううっ」
「マーガレット!」
「無事か!? おいっ」
「けがはしていませんよ。まあ少々あきらめが悪かったものですから、多少痛いめにはあってもらいましたが」
高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)が進み出て答える。
「きさま…っ!」
牙をむくナディムを見下ろして、ふうと息を吐いた。
「そこはむしろ感謝するべきでは? 標的のハリールに変装していたのです、殺されていてもおかしくなかったんですよ」
もし今が夜だったら。変装が完璧だったら。マーガレットは即座に殺されていただろう。しかしその不十分な変装が襲撃した彼らに遠目からも偽者と気付かせ、捕縛という手段を選択させたのだった。
「あいにくとワイルドペガサスに乗った人魚には逃げられてしまいましたがね」
彼らによって地に引き倒され、捕縛されたマーガレットを見て、もはや救出は不可能と悟ったセリーナは逃走に切り替えた。色彩豊かな花びら型の刃物を散らして敵をけん制するや、ワイルドペガサスを全力で駆る。
ティアン・メイ(てぃあん・めい)がスパロウを用いて追っているが、おそらく追いつけないだろう。位置関係からして、かなり距離があった。
「彼女がどう動くか…」
「かまわない」
玄秀のつぶやきに答えたのはセテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)扮するヤグルシ・マイムールだった。全身を黒衣に包み、青灰色の目だけを露出させている。
「仲間を捕らえている。アガデへ向かえばこの3人がどうなるか、彼女も承知しているだろう」
ヤグルシは3人を見下ろし、何の感情もこもっていない声でそう言うと、玄秀へと向き直った。
「戻ったのか」
何を言わんとしているのか十分察して、玄秀は肩をすくめて見せる。
「僕はあなたに雇われているわけではないので。よくよく考えてみれば、僕たちに信用があるわけがないんですよ。僕たちはただ、同じ目的なら利用するのが得策と、一緒にいるにすぎない。標的を前にすれば出し抜こうとするのは当然。警戒を怠った僕のミスというだけです。
いい勉強になりました。そのことを感謝こそすれ、遺恨はありません」
「そうか」
うなずくと、ヤグルシは彼に背を向け、再びリースたちを見た。
「――で? こいつらどうする?」
しゃがみこみ、つまらなそうにほおづえをついた白津 竜造(しらつ・りゅうぞう)が問う。
「連れ歩くわけにもいかねーぜ」
「そうだな…。この近くに廃村があったはずだ。そこの空き家にでも監禁するか。
カイ、見張りを3名ほどつけてくれ」
ヤグルシの言葉に、彼の副官カイ・イスファハーンはうなずくと選定に入る。
竜造の横で彼らのやりとりをうかがっていた松岡 徹雄(まつおか・てつお)が、ヤグルシが1人になったのを見計らって近付いた。
「けがをしているよ」
ほら、と見せるようにヤグルシの右腕を掴み、軽く持ち上げる。袖がほころび、二の腕に矢がかすめた擦過傷があった。
「ああ。これくらいなら大丈夫だ」
「運が良かっただけだよ。毒矢だったら今ごろあの世行きだ。でなくても利き腕のけがは動きが制限されて、以後の活動に支障が出る。まあ、あなたほどの剣士なら、なんとでもするかもしれないけどねえ」
なぜそんことを言い出したのか。怪訝そうに見るヤグルシに、徹雄はポケットから絆のアミュレットを取り出すと顔の前でぷらぷらさせた。
「俺は回復魔法は使えないし。お守り。俺より、あなたに必要そうだから」
他意はないというように人好きのする顔でにっこり笑って、それをヤグルシの手に乗せる。そして、いたわるようにぽんぽんと肩をたたくとひょこひょこ竜造の元へ帰って行った。
「――徹雄、だったか」
「んっ?」
「ありがとう」
「いや」
振り返り、手を振ってくる彼に、ヤグルシは言葉を続ける。
「すまないが、きみたちに頼みがある。この3名を廃村まで運んでくれないか? 場所は彼らが案内する」
徹雄は首を傾げて竜造を見た。
応えるように竜造は肩をすくめて見せ、立ち上がる。子どもの使いのようだが、ほかにしたいことがあるでなし。彼らのあとをついて歩いてクサっているよりはほんの少しマシだろう。
「しゃーねえ。行くぞ、徹雄」
くいっとしゃくってリースたちを立ち上がらせようとする。それを佐和子が止めた。
「まあ待て。少し離れていろ」
竜造たちを下がらせた佐和子は毒入り試験管の口を押し開け、3人に向かって中身を振りまいた。
「何? これ…?」
「ううっ…」
「リース!? ――ああっ…」
気化した液体を吸い込んだ瞬間、3人は気管が焼けただれるような激しい痛みを感じてその場に転がる。
「あ……ああ…っ」
「リー…」
2人はしゃがれた声でリースを呼ぶも、リースはぎゅっと目をつぶり、脂汗を流しながら激痛にひくひく体をけいれんさせているだけだ。
「さあ、もう近寄ってもいいぞ」
「殺したのか?」
毒殺は好かない。竜造は眉をしかめて苦しむ3人を見下ろす。
「死にやしない。ただちょっと死ぬほど苦しいだけさ。彼らもコントラクターだからね、用心するにこしたことはない。これぐらいでちょうどいいだろう」
毒に侵された3人を抱えて、竜造と徹雄はカイたちとともに廃村へと向かう。
もらった絆のアミュレットをポンポン手の上でもて遊んでいたヤグルシは、ふと玄秀へと視線を移した。玄秀は思ったとおり1人で戻ってきたティアンからの報告を聞いている。
「高月」
「なんです?」
振り返った彼に向け、絆のアミュレットを放った。
「これは?」
反射的、受け止めたそれを見て訊く。
「きみにやろう。もらい物だが、受け取ってくれ。きみたちの国の神の物だ、考えるに、やはりきみたちが持ってこそ加護は発揮されるだろう」
「ですが――」
「俺にはこれがある」
ヤグルシは服の下から何か紐のようなものを指にひっかけて引っ張り出した。かつてリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)から贈られた想い集うお守りだ。
「俺の身を案じてくれる女性の想いがこもっている物だ。ありがたみがあると思わないか?」
どこかおどけたような、軽い口調でそう言うと片目をつぶって見せてくるヤグルシに、玄秀はぐっと言葉を飲み込んだ。
受け取らない理由はいくらも考えつくが、それをしては機嫌を損ね、よけいな疑いを与えてしまうかもしれない。まだそれは避けるべきか。
「――では、いただきます。ありがとうございます」
ヤグルシは玄秀がそれを腰に下げるのを見て、満足そうにうなずいた。
「さあ行こう。アタシュルクから申し渡されている期限は今日中だ」
等間隔で散って周囲を警戒していた配下の黒装束たちに合図を出し、率いて離れて行くヤグルシを、玄秀は無言で見送る。彼に対する感情は完璧に抑制され、視線ひとつにすらわずかも漏れてはいなかったが、そうしてぴくとも動かない姿こそが玄秀の今の状態を発露していることには気づけていないようだった。
「シュウ…」
長くともにいるティアンだけが、ぴんと張られた無言の背中に走るかすかな緊張を感じ取っていた。ためらいつつも、そろそろとその背に手を伸ばす。しかし指先が触れる前に玄秀が歩き出してしまった。
「僕たちも行くぞ」
玄秀にそのつもりはなかったのだと思う。気付いてもいなかったのだろう。そう思う反面、ティアンは無言の拒絶のように感じられてならなかった。
手を引き戻し、力なく下ろす。
「……ええ」
ティアンはのろのろと彼のあとについて歩き出した。