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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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 ほぼ同刻。
 島の別の場所では、グラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が死にかけていた。
 ――というのは大げさかもしれないが、ある意味、今の彼の状態は死ぬよりひどい目に合っている、と表しても過言ではない。スカーの背中に乗って、ゆらゆら揺れながら坂道を上って行くグラキエスを、アウレウス・アルゲンテウス(あうれうす・あるげんてうす)ロア・キープセイク(ろあ・きーぷせいく)は内心はらはらする思いで――でも表情に出せばグラキエスにさらなる気遣いをさせてしまうから――見守りつつ後ろをついて行く。
 しかしグラキエスは船を降りてからいろいろと聞いて歩いていたせいか、かなり疲れていて、顔は青ざめているのを通り越して今や紙のように白い。
「主、どこかでご休憩をとられてはいかがでしょうか?」
 見かねて、アウレウスが進言をした。
「この地についてもう2時間にはなります。ずっとそうして動き続けられて、さぞお疲れになったでしょう。これ以上はお体に響きます。まだ旅は始まったばかりです。知らない土地では何があるか分かりません、どうかご自愛ください」
「ん? もうそんなになるのか?」
 グラキエスは振り返り、2人を見る。
 3人は、適当に目についたカフェのオープン席に落ち着くことにした。
「大丈夫ですか? エンド」
 スカーを降りて、椅子に崩れ落ちるようにして座ったグラキエスに、ロアが訊く。
「ああ。うん。心配をかけてすまない。たしかにおまえたちの言うとおり、無茶をしすぎたようだ。
 だけど、気分はいいんだ」
 顔を上に、のどを伸び切らせて、大きく深呼吸をする。
「すごく楽しい」
 グラキエスは考古学的なことに興味があった。知らない土地で、そこの歴史文化や風習、住む人々の生活様式を知り、直接触れることにとても意義を感じる。だから、この初めて訪れる未知なる場所浮遊島は、彼にとって冒険心や探究心といったものをすごく刺激される場所なのだった。
 それはロアもアウレウスもよく知っている。だから、多少無茶をしてもしかたないと思って、寛大な心で接するように努めていた。なにより、グラキエスが満足して、充実を感じてくれることが今は大事だ。
 今、グラキエスは1日のほとんどの時間を不調で過ごしている。たび重なる吐血からも分かるように、肉体の限界を無理矢理引き延ばしている状態だ。現状、魔力に蝕まれていく病状への適した治療法が見つからず、完治が望めない以上、気力だけが唯一の薬と言えた。
 1日1日。今日を楽しかったと、明日も生きていたいと、少しでも思って、グラキエスが生きる気力を得てくれさえすればいい。
 だから無謀とも思えるこの長期旅行についても反対せず、黙ってついて来た。
 そして今、グラキエスが何気なくつぶやいた言葉は、ロアとアウレウスの胸を痛いほど締めつけると同時に、やはりここへ来たのは間違いでなかったと思った。
 自分も同じ思いだと訴えるように、人々を驚かせないよう黒騎士の形態をとっていたガディが、アウレウスの腕に肩を押しつける。
「ああ、そうだな、ガディよ。主がお喜びになると此方の心も至福に満ちる。おまえもそうだろう」
 ここは未知なる地。グラキエスにとっては知的好奇心を揺さぶられる場所でも、アウレウスにしてみれば何が起きるか見当もつかない土地である。グラキエスの楽しみを損なわせないためにも、今まで以上にグラキエスを守らなくては、と使命に燃えて、ドラグーンとして培ってきた経験や勘を働かせ、周囲で何か不穏な気配はないかといっそう警戒を働かせる。
 ロアが、おしぼりに冷水を染み込ませ、グラキエスの面に浮かんだ汗を拭きとった。
「ああ、すまない」
 冷たいおしぼりが気持ちいいのか、グラキエスはそちらに顔を向け、ふーっと息を吐き出す。その姿に、感じるものがあったのだろう、そのとき別の席についていた女性が立ち上がり、彼らへと近づいてきた。
「すみません。少しよろしいでしょうか」
 アウレウスが即座に反応したが、相手が女性であること、そして手には救急箱しか持っていないことで、ロアが制するように視線を投げた。
「はい。何のご用でしょう」
「私は希新 閻魔といいます女医です。あちらの席で先から拝見させていただいていたのですが、どうやらそちらの方は具合が良くないようですね。よろしければ診させてもらえないでしょうか」
(あーらら)
 その様子を見て、ローザ・シェーントイフェル(ろーざ・しぇーんといふぇる)は唇にはさんだストローをクルクルっと回す。
(燕馬ちゃんってば、ついさっき「ここで診療許可はもらえるでしょうか」なんて気にしてたくせに)
 ローザは希新 閻魔の正体がヒミツの補正下着とフェイクバストで女装した新風 燕馬(にいかぜ・えんま)であると知る、数少ない者の1人だった。もちろん本人から直接聞いたわけではないが、女子力が半端なく高いスーパーお色気お姉さんのローザから見れば、あの体がつくられた偽物であることは一目瞭然。
(ほんと、水くさいんだから。シャンバラ王国に内緒のバイトだからって、私たちにまで秘密にする事はないでしょうに……)
 そう思いつつも、一応黙って気づいていないフリを続けている。
(ま、相手の人もシャンバラ人みたいだし。現地の人を治療してるわけじゃないから、いいのかな?)
 少し距離があるため会話はほとんど聞き取れなかったが、一応診察はさせてもらえるようになったらしい。閻魔はグラキエスに2、3質問をすると、難しそうな、真剣な表情でうなずき、閻魔印のファーストエイドキットから何かを取り出して与えていた。
(鎮痛剤? かしらね?)
 すると、そのやりとりを見たのだろう。
「まああああ!」
 突然脇からでっぷりとした体格の良い中年女性が頓狂な声を発して寄ってきた。
「具合が悪いんですの? まあ大変!
 そうだわ、これをお飲みになって!」
 と、中年女性はやにわに自分の席へとって返し、今運ばれてきたばかりの飲み物をひったくるように持ってきて、グラキエスへと差し出す。
「……いや、ご厚意はありがたいのですがこれは――」
 断ろうとしたロアの声に、中年男性の声がかぶさった。
「なんだ、おまえ。どうしたね?」
「ああ、あなた。こちらの旅行者の方がね、具合がよろしくないんですって」
「そりゃいかんね。今日はいい陽気だ。きっと太陽にやられたんだろう。島の太陽は強いからね。
 水分をたくさんとりなさい。ほれ、わたしの分もあげよう」
「え? いや、そうでなく――」
「なんだなんだ? どうした?」
「いや、こちらの旅行者さんがね――」
 わらわらと周囲から中年女性や中年男性が寄ってきて、まるで伝言ゲームのように話が伝わっていく。われもわれもと差し出されるグラスやら、はては精がつく食べ物と、カポナータ(野菜の煮込み)やらカンノーロ(チーズを巻いたパイ)、タラッリ(揚げ菓子)といった食べ物が乗った皿を持ち寄られてしまう。
 困惑しているロアたちをよそに、グラキエスは少し休んで体力が回復したのか好奇心に目を輝かせながら、反対にその料理について質問を投げる。
「ああそうさ。これはこの島で採れた新鮮野菜だよ」
「こっちはティエッラといって、今朝水揚げされた新鮮な魚とジャガイモを使って作った物なんだ。精がつくよ」
 いつの間にかグラキエスたちのテーブルにはたくさんの人が集まって、それぞれ持ち寄った皿をつまみながら、島の特産品やら何やらについての話で花が咲いていた。
 鎮痛剤が効いてきたのか、グラキエスのほおに色が戻ってきているのを見て、閻魔はローザたちの待つ席へと戻る。
「お待たせしました。さあ行きましょう」
 椅子にかけていた荷物を持ち上げる閻魔を、サツキ・シャルフリヒター(さつき・しゃるふりひたー)が射抜くような強い視線でじーっと見つめた。
「……何か?」
「私はアナタをお守りするように、燕馬から頼まれました。そう言いましたね」
「はい……?」
「ですが、あのように断りなく勝手に動かれてはそれができません。アナタは守られている立場なのだと、きちんと自覚しているのでしょうか」
「あ、はい。すみません」
「以後、このようなことがないようにお願いします」
 淡々と、必要なことを述べたサツキは「それでは行きましょう」と席を立った。
「目的地は行政府ですね?」
「はい。浮遊島で医療行為を行う許可を得たいと思っているのです」
「分かりました」
(……なんだろ、この状況)
 無言で前を行くサツキと閻魔を見て、ローザはその奇妙さに首を傾げる。
 2人の間には、いつもならあり得ない、妙な緊迫感というか、緊張感があった。
(これってやっぱり、閻魔が燕馬ちゃんだって気づいてないから、よね。燕馬ちゃん、そのことに気づいてるかどうか知らないけど)
 そもそも最初に燕馬が「浮遊島へ向かう知人を自分の代わりに護衛してほしい」なんて言ったりするから悪いのだ。それで閻魔の格好で待ち合わせ場所へ現れて
『燕馬君と久しぶりに2人で出かけたかったのだけど……忙しいのでは仕方ないですね』
 なんて、さらにややこしいことを言ったりするから、よけいこじれてしまった。
『……へぇ、『久しぶりに』『2人』で。それはさぞ残念でしょうねぇ』
 あ、これは完璧誤解したな、とそっち方面に勘の冴えるローザは悟った。
 以降ずっと、このギスギスとしたムードが続いている。すっかり浮遊島に意識の大半を奪われてしまっている燕馬が、サツキのまるで大氷河期並のものすごい無表情に気づいているかはあやしいが。
 しかし一番キツいのは、間に挟まれているのはローザの方だ。
(全部燕馬ちゃんが悪いんだし。もうバラしちゃお)
「あのねサツキちゃん、その人と私たち、初対面じゃなくて――」
「これが初対面です」
「ソウデスネ」
 ローザの言葉を封じてまでドきっぱり言う閻魔と反対方向を向いて答えるサツキ。まったくとりつくしまもない。
(もう勝手にして)
 ローザはさじを投げた。


 訪れた行政府で、閻魔はシャンバラに限らず地球の治療術の知識が豊富であることをアピールし、島の保健管理を担当する職員の説得に努めたが、残念ながら島での医療行為の許可は降りなかった。
 熱意は十分伝わっていたが、シャンバラでの医師免許を提示できなかったのだから、ある意味これは当然の結果と言えよう。
 期待どおりにいかず、少し気落ちしたものの、完全に落胆してはいなかった。
 唯一気にしていた医療水準は、シャンバラとそう変わらないようだし。
 どうせシャンバラでも闇医者として活動していた身だ、こちらでも同じように闇医者・閻魔として動けばいいだけだった。