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リアクション
【六 仮想戦闘】
泰輔の推論をビリーさん経由で伝え聞いたレティシアは、思わず我が耳を疑った。
「えっ? 何ですってぇ? もう一度、いってくれますかぁ?」
『いやぁ、わても正直、びっくりしてまんねんけどな』
宙空に浮かぶビリーさんも、禿げ上がった頭をぺたぺたと叩いて困惑の表情を浮かべている。
ここはルナパーク内の、真澄池ほとりに建つ八角形の音楽堂。
官憲隊の捕縛からシズル達を救い、全員まとめてここまで誘導してきたのが、レティシアとミスティだったのだが、到着するなり、ビリーさんからとんでもない報告を聞かされる破目になったのだ。
レティシアが腕を組んでうんうん唸っているその傍らで、ミスティも神妙な表情を見せて沈黙している。
この電脳過去世界内の全ての住民は、過去に生きていた人々の霊魂もしくは人格をそっくりコピーし、そのままデータ化して封じ込めている。
実に恐るべき内容であった。
泰輔の推論はこの場に居る者達だけに限らず、ログインしているコントラクター全員に対して、ビリーさん経由で瞬く間に伝えられていた。
つい先ほど、シズル達と合流を果たして大喜びしていた美羽や、他に理沙、セレスティア、美晴といった面々も、あまりに衝撃的なその報告に、一瞬我を忘れる有様であった。
「しかし、ウォッチドッグプログラムの貴殿が知らぬとは、妙な話ではあるな」
武尊の容赦無い突っ込みに、ビリーさんは申し訳無さそうにしょぼくれた表情を浮かべて、がっくりと肩を落とした。
『いやぁ正直いいますとなぁ、わてもこのシステムの全部が全部を理解してる訳ちゃいますねん』
マーヴェラス・デベロップメント社がリリースした最新の仮想構成界築造エンジン『フィクショナル』。
このシステムはマーヴェラス・デベロップメント社が単独で開発した訳ではなく、多くのソフトハウスと、下請けという形で契約を結び、それぞれの会社からモジュール提供を受けて完成させたという経緯がある。
つまり全部が全部、マーヴェラス・デベロップメント社のプロパー技術者の手によるものではなく、むしろ大半が別会社の開発モジュールで構成されているといって良い。
その中に於いて、OSであるカレーニナのエイコさんとウォッチドッグシステムのビリーさんは、数少ないプロパー開発モジュールだった。
そしてこの大正2年という電脳過去世界も、フィクショナルによって築造された仮想構成界のひとつに過ぎないのである。
泰輔の恐るべき推論、そしてフィクショナルという謎の多いシステム。
誰もが言葉を失い、音楽堂に重苦しい空気が垂れ込めようとしていた、その時。
「お、おい……あれは!」
孝明が、真澄池の湖面上を指差して叫んだ。全員がその方向に視線を泳がせる。
風に揺られて細波が走る水面上に、全身総金属製のドラゴニュートが、黙然と佇んでいた。
その直後、天空の色が漆黒に変じた。夜になった訳ではない。音楽堂の周囲は依然として陽光に包まれた明るさの中にある。
だが、空の色だけが黒色に変化していた。明らかに、異常な光景であった。
* * *
「セレン……こ、これは!」
ルナパークの別の場所で、セレアナが漆黒の昼天を凝視して唸った。
さすがにこの突然の変化を受けては、セレンフィリティもこれまでのような楽観的な表情を浮かべてはいないようだったが、しかし相変わらず、その表情に焦りの色は無い。
「あ〜あ。こりゃもう、駄目かもね」
余りに呑気なセレンフィリティのそのひとことに、セレアナは面を硬くして詰め寄った。
「いい加減にして、セレン。もう遊んでいられる場合じゃないの。分かるでしょ? ひょっとしたら私達、このまま帰れなくなるかも知れないのよ?」
だがそれでも、セレンフィリティには相変わらず余裕めいた色が見て取れる。その理由を、セレンフィリティは何気ない表情でさらっと口にした。
「……ま、そうなった時はその時じゃない? 仮に元の世界に帰れなくても、ひとりじゃないから、あたしは全然平気。だって、ここにはセレアナが居るんだもの……ね、一緒に居てくれるよね?」
思わず、セレアナは口の中であっと小さな叫びを漏らしそうになった。
それまで考えたことも無かった、セレンフィリティの余裕に満ちた態度の理由。そこに、セレアナ自身が大きく関与していたなどとは、夢にも思って見なかったのである。
さすがに、それ以上は何もいう気にはなれなかったが、セレアナは僅かに苦笑を浮かべ、やれやれといわんばかりに小さくかぶりを振った。
「……しょうがないわね、セレン」
この時になって初めてセレアナは、何が起きても動じるものかと腹を括る気分になった。
* * *
そしてまた、恐怖館の前では、これから入館しようとしていたあうらとノートルドが、天空に生じた突然の怪異に思わず足を止めて、ぎょっとした表情で仰ぎ見ていた。
「なんともはや……恐ろしい光景でござるのう」
骨右衛門がその外観からは想像も出来ない程に、怯えた様子の声音で、小さく呟いた。その様が却って滑稽に映ったらしく、この非常事態に於いても尚、志保が小さく肩を揺すって笑いを堪えていた。
「ねぇ、あうら……大丈夫、かな……?」
「う、うん……そうだね、さすがにちょっと、やばい、かな……?」
如何にあうらといえども、これ程の異様な光景を見せつけられては、ノートルドにいつもの如く『大丈夫!』とはいい切ってやれなかった。
実際のところ、あうら自身も相当に不安な思いに駆られていたのである。
その時、突如として爆音が響いた。真澄池の方角からだった。
* * *
カレーニナのエイコさんとの、二度目となる激突の幕が切って落とされた。
天空の変化と同時に、周囲に居た人々の姿が忽然と消えていたのは多少気になるところではあったが、寧ろその方が下手な被害を出さずに済むという安堵感が、戦っている当事者達には強く感じられた。
接近戦を挑んでいるのは、八卦掌を駆使する和麻、蹴り技を得意とする美羽、肉弾戦に自信を持つ北斗、そして愛用の太刀を自在に操るシズルといった面々であった。
「んもう! エイコさんの暴走って、どうやったら止められるの!?」
誰に問いかけるともなく叫んだ美羽だったが、意外にも、答える者が居た。
「電化製品なんてな、ぶん殴りゃあ直るってもんさ!」
爆音を聞きつけて急行したエヴァルトであった。
要するに、叩いて叩いて叩きまくって、ぐうの音も出ないぐらいに殴り倒せばどうにかなる、というのが彼の主張であるらしい。
一見とんでもなく乱暴な理論だが、この場に於いてはそれが唯一無二の方法であるように思われるのだから、不思議なものである。
「叩くだけじゃ芸が無いな! 出来れば投げの一発もかましてやろうか!」
和麻が叫ぶ。実際、彼の操る八卦掌には、投げ技も多く含まれている。
八卦掌とはいうまでもなく、中国武術の一派にして、太極拳や形意拳と並んで内家拳の代表格であるとされる拳法である。
その名の通り、八卦に基づいた技術理論から構成され、また一般的な他の流派とは異なり、掌を多用するところに特色がある。
八卦掌の美しく舞い踊るような動作は流輪を基本形とし、円動作の流れるような連続回転の中から、次々と多様な技が繰り出されるのが最大の特徴といって良い。
実際、和麻の繰り出す技のひとつひとつは、実に優雅な舞いのような動きを見せていた。
のみならず、その歩法も極めて特徴的であり、大地を音も無く滑っていくかの如き素早さと優雅さとを見せつけていた。
八卦掌の歩法は実に独特である。この拳法は、数多くの門派に枝分かれしているのも有名な話だが、基本歩型である擺歩、扣歩、沚泥歩を用いて円周上を歩く走圏を土台とし、様々な歩法の習得に重点が置かれているのはどの門派でも同じであった。
以下更に余談となるが、歩型を習得後に学ぶ八卦掌の基本構成はというと、走圏、換掌式、八種類の走圏(定勢八掌)、対応する八種類の掌法(八母掌)、そして八種類の掌法の変化(八母掌の直線・旋転変化)という具合に繋げてゆくのであるが、それらの名称・動作・要求は門派によって大きく異なっているらしい。
これは創始者・董海川から各弟子への伝承時期(初期の弟子と後期の弟子では内容が大きく異なっている)による場合と、伝承者が八卦掌を学ぶ以前に修めていた武術技法を加味した為であるといわれている。
「やぁー!」
2メートルを越えるエイコさんの巨躯の前で、美羽の小柄な体躯がゴム鞠のように跳ねた。
と思った瞬間には、宙空で半円月の弧を描くようにして、美羽の蹴り足が大気を裂いた。
仮想世界に於いて残像を見せる程の速さである。驚嘆すべき技量といわねばならない。エイコさんに美羽の蹴りをかわす退避速度は無かったらしく、その一撃をまともに浴びてしまった。
上体がぐらりと揺れたのは、確実なるダメージが、エイコさんの側頭部に叩き込まれたことの証であろう。
美羽の蹴りは、射抜くような直線の破壊力が極めて重い。
廻し蹴りの場合、雑巾を絞るイメージで、自身の肉体を内側にねじるのが基本中の基本である。このねじる動作で腰を回転させ、その威力を蹴り足に伝えるのである。これは打撃点がハイであろうがローであろうが、或いはミドルであろうが変わらない。
後ろ廻し蹴りでは踏み込む軸足での回転とバランスが、精度の全てを握る。
この軸足での回転が少しでも足りなかったり、或いは前後左右に中心がぶれたりすると、もうそれだけでほとんど威力は半分以下に落ち込んでしまう。軸足での基本さえしっかり出来ていれば、蹴り足は単純に、ジャックナイフのように跳ね上げるだけで打撃力を十分に伝えることが出来る。
美羽は、これらの基礎を完璧に修めている。決して武術に限った話ではないが、達人と称される人々が何よりも重要視し、且つ完璧に修得するのは、こういった数々の基礎であるといって良い。
美羽の蹴りが一撃、二撃とエイコさんに有効打を加えていけるのも、全てはこれら多くの基礎を、体に染み込ませているからに他ならなかった。
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