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リアクション
【八 ウィルス】
その場に居た誰もが、事件は解決したと思った。
OSであるカレーニナのエイコさんが理性を取り戻したのである。当然といえば、当然であったろう。だが当のエイコさんの口からは、コントラクター達が望んだような結論は出てこなかった。
「まずは礼をいおう……だが、事態はまだ収束していない」
曰く、エイコさんから自由を奪い、ログインしたコントラクター達をこの世界に縛りつけていた真の黒幕が存在するのだという。
「ね、それってもしかして、この波形と何か関係ある?」
ルカルカが光一郎の持つHCのLCDコンソールを指差して問いかけると、エイコさんは大きく頷いた。
「それは、君達の脳波ログデータだ。私を暴走させ、君達をこの世界に縛りつけていた者が本当に欲していたのは、君達が戦闘の際に発するその脳波ログデータだったのだよ」
「でも、一体何の為に?」
イランダが幼い顔に困惑の表情で身を乗り出してくる。傍らで北斗も、全く訳が分からないといった様子で首を傾げていた。
エイコさんはこの時初めて、鉄面皮と思われたその顔に渋い色を浮かべた。
「ウィルスだよ……コンピュータウィルス。それも、人間の脳波をベースに作り上げた、極めて複雑な行動パターンを持つ攻撃特性に優れたウィルスの生成だ」
人間の思考や感情といった精神波が、脳細胞内を駆け巡る電流パターンであることは既に解明されている。
だが、その精神波パターンの組み合わせは何億、何兆、或いは何京ともいわれおり、余りに複雑過ぎてカテゴライズには至っていないのが実情である。
無論余りにも複雑過ぎる為、人工的に生成するなど夢のまた夢だ。
が、最初からログデータとして採取すれば、どうであろう。
得られた脳波をそのままパッケージングすれば、それだけでひとつのデータとして活用出来るのである。しかも、その極めて複雑でパターン数が無限に近いといわれる脳波をもとに、ウィルスを生成したとしたら、一体どうなるであろう。
その場に居る全員が、思わずごくりと喉を鳴らした。
「……現行のウィルス対策ソフトでは、とてもじゃないけど、捌き切れない、よね」
イランダの推論に、エイコさんは再び大きく頷いた。
「脳波パターンが生み出す複雑怪奇な特性を、ウィルスの攻撃力に付与すれば威力は絶大だ。それが、コントラクターによる技や魔法を駆使する際の脳波パターンともなれば、ほぼ無敵だろう」
つまり。
光一郎のHCが検出した波形の行き先は、ウィルス生成サーバーだったのである。
どうやらマーヴェラス・デベロップメント社は、既に内部調査でこのウィルス生成サーバーを持つ下請け会社について対抗手段を講じようとしていたらしいのだが、結局は徒労に終わったようである。
何故なら、このプログラムを仕込んだ組織は現時点では跡形も無く消失しており、連絡先に残っていたのは、ダミー会社だけとなっていたというのである。
「単なるバグだと思っていたが……まさか、最初から仕組まれた罠だったとはな」
孝明の悔しそうな声が、全員の思いを代弁していた。
更にエイコさんはいう。
フィクショナルが築造したこの電脳過去世界内に存在する全ての人々は、単なるデータとしての人格などではなく、実在した過去の人間の魂魄が、そのまま電子空間内でオブジェクト化され、電脳過去世界の中の住人と化していたのである、と。
つまり、泰輔の推論は見事に的中していたのである。
通常であれば、如何にコントラクターの優れた技術力をもってしても不可能といわざるを得ないテクノロジーだが、これを可能にする方法が、確かに存在した。
先に泰輔が、この世界で見かける全ての人々が妙に人間臭く、とてもデータの塊、プログラムが創り出した人造人格とは思えないと感じたのはひとえに、実際に彼らが過去に存在した本物の人間であり、フィクショナル内のシステムに連結された死霊降術によって現在に召還した後、それら霊波動をデータとしてコピーし、電子オブジェクトとしてパッキングしていたからに他ならない。
既に死亡した者の霊魂を自社製品内に取り込むこと自体は、法律では制限されていないだろう。だがしかし、倫理的には大いに問題がある。
このシステムを開発したマーヴェラス・デベロップメント社は果たして、世論を敵に回す可能性を一切考慮していなかったということになるのだろうか。
いや、さすがにそれは考えづらい。では一体、誰がこのような企みを講じたというのであろう。
結論はひとつ。
ウィルス生成サーバーを用意し、コントラクター達の脳波ログデータを採取しようとしていた組織が、マーヴェラス・デベロップメント社には内々で仕込んでいたと考えるべきであった。
元々は、ウィルス生成サーバーが脳波データ採取の対象としていたのが、死霊降術を利用して取り込んだ過去の人々の脳波であったが、一般人に過ぎない彼らの脳波では、ろくなウィルスパターンが生成出来なかったらしい。
ところが、その取り込むべき脳波をコントラクターのものに置き換えた瞬間、極めて強力な攻撃力を持つ特殊なウィルスが出来上がった。
それも、通常生活の中で発生する脳波ではなく、技や魔法を駆使している際の脳波であれば、より強力なウィルスパターンの生成が可能になるというのであれば、策を弄してひとりでも多くのコントラクターを電脳過去世界に呼び込み、そこで次々に戦闘を仕掛ければ、まさに濡れ手に粟の如く、貴重な脳波ログデータが大量に採取出来るという寸法であった。
* * *
『もうあんまり時間おまへんな』
ビリーさんが宙空で腕を組みながら、渋い顔で警告の言葉を発した。
曰く、ウィルス生成サーバーがもう間も無く、次なる戦闘オブジェクトを生成して、この電脳過去世界に送り込んでくるだろうという話であった。
ウィルス生成サーバーはとにかく、ログインしている全てのコントラクター達に戦闘を仕掛け続けて、ウィルス生成のソースとなる脳波ログデータを採取し続けなければならないのだ。
カレーニナのエイコさんが戦闘行為を止めてしまった以上、新たな攻撃手段を作成して、コントラクター達を襲わせなければ、ウィルス生成サーバーの目的は達せられないのである。
次なる戦闘オブジェクトが電脳過去世界に投入されるのは、最早時間の問題であった。
『カレーニナのエイコさんは何やかんやいうて、メインルーチンが内部でブレーキをかけてくれてたから、あの程度の攻撃で済んでたけど、今度はそうはいかんやろな』
ウィルス生成サーバー製の戦闘オブジェクトは、ただひたすら戦って戦って戦い倒し、コントラクター全員から戦闘時の脳波を搾り出すことだけを目的とするであろう。
であれば、手加減などしてくれる筈も無い。
その時、ふとシズルが、白塔方面に続く遊歩道を凝視した。その端整な面に、緊張の色が走る。
「もう……来たみたいよ」
シズルの低い声音に、つかさが思わず小さな悲鳴をあげて、シズルの腕に抱きついてきた。
3メートル近い、まさに巨人とも呼ぶべき長大な影が、そこに佇んでいた。
『あれは……見たことあるでぇ』
ビリーさんの声にも緊張の色が含まれていた。
『学習型強襲ウィルスマネージャー……確か、名前はマーダーブレインとかいうやっちゃな』
* * *
鈍い黒光りを放つ鋼糸製の三度笠を目深に被り、同じく鋼糸製の蓑でほぼ全身を覆っている巨躯が、そこにあった。
鉤爪が伸びる大きな掌と、丸太のような豪腕が蓑の隙間から突き出しているが、その表面を覆う皮膚はことごとく焼け爛れているかのようにケロイド状となっており、場所によっては肉が崩れている。
大地を踏みしめる両の足は、矢張り大きな鉤爪が指先に伸びているのだが、網目状の足袋のような履物を装着しており、ケロイド状の皮膚は部分的にしか見えない。
そして、誰もが息を呑んだのは、その容貌である。
幅の広い頭骨は亀とも蛙ともいえるような形状だが、何よりもインパクトが強かったのは、乱杭歯が並ぶ大きな顎と、顔面のほぼ中央に位置する握り拳大の単眼、即ち、巨大なひとつ目であった。
ケロイド状に焼け爛れた顔面の中で爛々と輝く単眼には、しかし感情らしい感情は一切見受けられず、ただただ単純に、無機質なまでの攻撃の意図だけが鮮明に映し出されている。
これが学習型強襲ウィルスマネージャー『マーダーブレイン』の、異様過ぎる程に異様な外観であった。
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