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水着とカレーと、大食いと。

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水着とカレーと、大食いと。

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5/甘くて、おいしいカレーとは?

「……で、ここがその辛くないカレーを出してるキッチン、と」

 なんとなく、その場所をカノンたちとともに訪れた翠の声音には『期待外れ』といったような色が濃く混じり込んでいた。
「ほんとに、大丈夫なの? どっかでやってたみたいにただただものすごーく甘いカレーとかじゃあ」
「うーん……」
 エースに教えられたそこは、ビーチのほぼ、外れ。会場の最外周といっていい位置にあった。
 そういった、場所の事情もあるせいか。今までまわってきたどのキッチンよりその周囲には人影と呼ぶべきものは少なく、それゆえ翠の呟いた感想も、無理もないものに一行の目には映る。

「でも、食べてみないことにはわかりませんし、ね?」
「それはそーだけど」

 そんな意見を宥めるように、加夜がベアトリーチェとともに、もらってきたカレーの器を彩夜へ、翠へ、そしてカノンへと差し出す。
 三者は三様にそれを受け取り、スプーンを手にして。

「それじゃあ……せーので」
「うん」
「はい」

 恐る恐る、口に運んでいく。

「「「いただきます」」」

 同時に、三人頬張って。加夜や美羽、ミリアやスノゥがそれをじっと見守る。……数秒ほど、沈黙の時間が流れていく。

「あ……おい、しい」

 最初に感想の口火を切ったのは、目を丸くした彩夜のひと言。

「辛くない……カレーなのに甘くって、でもカレー。辛くないし、甘いだけじゃない」

 カノンも目をぱちくりさせて不思議そうにしながらもまたひと口、もうひと口とごく当たり前のように口と器との間にスプーンを行き来させていく。

「おいしい! おいしいよ、これー! でもなんだろう、カレーだけどカレーじゃないみたい! おもしろくって、おいしい!」

 先ほどまでの不安げな様子とは打って変わって、翠もまたカレーをひたすらにぱくついていた。

「そ、そんなになの?」
 三人の、すごくおいしそうに食べる様子に──それでいて不思議な感想に、美羽と加夜は顔を見合わせる。
「もうひとつ、もらってきましたよ?」
「……ごくり」
 じゃあ、みんなで食べてみようか。言外に、他の皆の中にも、意見が一致していた。
 多少行儀が悪いことはわかっていつつも、スプーンが何本もカレーに向かい伸びて。それを皆が一様に頬張っていく。

「ほ、ほんとだわ。なにこれ、すごい」
「なんだか、カレーというよりデザートみたいな……」

 ミリアが、加夜が口々に驚きの声をあげ、美羽たちは箸ならぬスプーンが止まらなくなっている。
 なるほど、たしかに辛くない。甘いカレーだ。
 これぞカレー、かといわれれば首を傾げるし、厳密にはカレーではないような気もするけれど、アリかナシかといわれればまったくもって「アリ」。おいしいし、甘い。新感覚のカレーだ。

「そういう味になるように、作っているから」
「あ」

 おかわりのカレーが満たされた器を持って、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)が一同の前に立つ。しかも、大盛り。

「どのみちもうすぐ集計終了でお開きになるのだから、好きなだけ食べてくれていいわよ」
「ほんと!?」

 やったあ。ベアトリーチェと頷きあって、猛然と美羽が甘くておいしいそのカレーに向かっていく。

「せっかく作ったカレー、残ってしまっては勿体ないですから。うんと食べてくださいな」

 アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)も皆の食べっぷりに満足げな表情を浮かべて、テーブルの上に水のグラスを置いていく。

「まあ、流石に変化球すぎたかしら……ね。なかなか、人も来てくれなかったから。今からじゃあ食べさせた数で上位と競うことも無理だろうし、そうやっておいしそうに食べてくれるのが一番だわ」
「すっごくこれ、おいしいもん。そりゃあおいしく食べさせていただきますって」
 言いながら、翠はまた一杯。さゆみとアデリーヌが、目を細めて微笑む。
「っと、ここか」
「んお? お客さんだねー」
 いらっしゃーい、と自分のキッチンでもないのに手を振って招く美羽。
 某が、綾耶の手を引いて、パンフレットの見取り図と照らし合わせて場所を確認していた。
 彼らもどうやら、辛くないカレーを求めてここまできたようだ。

「彩夜さん、みなさん」
「こちら、空いてます。よかったらどうぞ」

 甘くって、おいしいカレーがいっぱいですよ。
 彩夜の招きに、ふたりが一行と同じテーブルへ着席して。
 同じように、舌鼓を打つ。驚き交じりの感嘆を、漏らしていく。そして──やがて。

 会場の各所に立てられた時計が、午後六時の鐘を一斉に鳴らす。
 それは、制限時間の終了した合図。直後、ビーチ全体にディミーアの、エクスのアナウンスが響き渡る。

『午後六時となりました! 初夏を彩る浜辺のカレー大喰わせ大会、これにてタイムアップです!』

 どこからともなく、起こる拍手と歓声。
 果たして、最も多くのカレーを来場者たちへと提供し、食べさせたキッチンは。



 それは少なくともうちではないと、九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)シン・クーリッジ(しん・くーりっじ)は思っている。

「もちろん、ウチに決まってるじゃないか」

 真逆の意見を自信満々に呟く、斑目 カンナ(まだらめ・かんな)には悪いが。それだけは絶対に、ない。

 試食段階でとはいえあんなもん食わされて──思えるか。
 カンナが作った、というか生み出したのは、カレーというのもおこがましいダークマター。
 喰わされたローズは、その場に散った。口にしたものは、ローズを経て大地に還っていった。
 洟から垂れたモノが、重力に引かれて落ちていくようにそれは、ある種自然の摂理であったと言っていい。その一部始終は、冬月 学人(ふゆつき・がくと)が回し続けているデジカム……ビデオカメラの中に未だ、残っている。多分、そのままあとで消去することになるだろうけれども。

「……で、どうなの。あれこれいじってたけど、多少マシにはなったの?」
「やれるだけのことはやったが……あくまで『食えるモノにした』程度だ。つーか、それが限界」

 当然、そんなもの客に出せるわけもなく。
 カンナの目を盗み、どうにかシンが味を再構築していったが。優勝なんて、とてもじゃないけれど無理に決まっている。
 なにしろ他の参加者たちに比べてこっちは圧倒的にマイナスからのスタートなんだから。ハンデ、ありすぎである。

「被害者がうちらだけで済んだことを、よしとしようや」
「……それもそうね」

 呼び込みを続けるカンナを横目に、ふたりは深々と溜め息を吐いたのだった。

 同様に、また。

「これは……個性的な外見ですねえ」

 レポーターの、気を遣ったコメントを空々しく耳にしながら、やっぱりウチの優勝も絶対にない、という想いを抱く者は彼らの他にもいた。
 クレア・ラントレット(くれあ・らんとれっと)。彼女のパートナーが作り出した……味よりなにより、見た目が独創的すぎるカレーは食べ物の外見としてあんまりにもあんまりな姿かたちを、していたから。

「そーでしょ、そーでしょ。すごいっしょ?」

 なんでそんなに自信満々なのだろう。からからと笑うレオーナ・ニムラヴス(れおーな・にむらゔす)に対し、思う。
 そのカレーは、ハート型のカタを使い成形された、淡いピンク色のライスとともに供されていた。
 方向で言えば、ハートは逆さ。つまり、戯画化された桃のようなかたち。ピンク色も薄く、淡く。まさに体温を帯びた肌の色のように。
 その、ハートのくぼみ部分。つまるところ桃の、割れ目の部分から溢れ出てくるように絶妙に、どろりとした黄色のルーが盛りつけられている。
 まあ、言うなれば。

 うっかりすれば放送禁止用語でも出てきてしまいそうな、カレーを食べるときには禁句の、アレのような形状で、器の中にそれらは置かれているのである。
 だから、クレアは神経を尖らせ、擦り減らせる。
 万一にも、レポーターのふたりがうっかりを、してしまわないように。
 そうなったとき、敏感に察知してそれが電波に乗ってしまうことを、防がなくてはならないから。
 今ここでそれに集中することができるのは自分だけなのだと、クレアは強く自負していた。



「えー!? 集計、できてないってどういうこと!?」
「どういうことも、なにも」

 ひとしきり会場をまわって、カレーを堪能して。キッチンへと戻ってきて素っ頓狂な声を上げた郁乃に、揺花と荀灌は、「そりゃそうだろう」という思いとともに思わず、肩を竦める。

「まあ、誰も数える人、いませんでしたしねえ」

 にこやかに、能天気に言う桃花と対照的に、郁乃は愕然としている。
 セルフサービスということで放置していたカレーは、思っていた以上によく消費されていた。これならばなかなかいい線にいけるのではないかと、彼女ならずとも多少、思えるほどに。
 だが──それも一体何杯、どれだけの人間がもらっていったか集計する人間がその場に残っていればこそ。

「仕方ないじゃないですか。あれだけカレーを堪能したんだから、割り切りましょうよ」
「うー……納得いかん」
    
 なんだか、不戦敗みたいで。
 唇を尖らす郁乃を三人、なだめすかす。

 そう、各々が様々なカレーを楽しんでいる。

 佳奈子の夏野菜カレーに、セルファとフレンディスが舌鼓を打ち。
 幸祐とローデリヒの三種類の本格派カレーを優雅に、エースが食す。
 ひと泳ぎしてお腹を空かせたセレンフィリティにとって、和風キーマカレーはまさしくご馳走で。

 いよいよ、結果が発表される。