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リアクション
第2章 それぞれの決断
福の報告を聞いたエレインは、愕然となった。
魔法が全てを司るこの世界において、魔法協会は絶対的な存在である。権力のトップであると同時に、住民の生活に溶け込み、密接な関係を築いてきた。一部、疑問を抱く者があったとしても、住民から襲われるなど長い歴史の中で一度としてなかったはずだ。
「まさか、メイ――饗団が……?」
メイザースの名を口にし、エレインはすぐに言い直した。たとえ敵に回ったとしても、愛弟子である彼女がそんな真似をするとは思いたくなかった。
「いえ、おそらく饗団ではなく、『大いなるもの』の影響でしょう」
博季が言った。
「会長が仰る通り、封印が解けかけているんです。その瘴気の影響が出ていると思われます」
「何てこと……。どうすればいいか、あなた方は知っているのですね?」
「ここから第一世界、つまり『大いなるもの』の核が存在する世界へ行き、依り代を浄化すればいいのよ」
と、幽綺子。
「分かりました。すぐに参りましょう」
「いいえ、会長。この世界の住人では、『大いなるもの』の瘴気の影響が強すぎて、駄目なんです。既に僕たちの仲間が別の世界からこちらへやってきているようです。彼らに任せましょう」
「ここから第一世界へ、ということは、スプリブルーネにそこへ至る道があるのですね?」
「はい。どうやら、遺跡の内部にあるようです」
「まあ」
つい先頃、戦闘を繰り広げた遺跡の地下に闇黒饗団の本部があることは、逃げ出した捕虜の話で分かっている。近い内に、もう一度探索隊を送り込もうとスタニスタスが言っていた。
「では、そこへスムーズに辿り着けるよう、手配しなければ。それに瘴気の影響を受けた人々を元に戻さねば。――どうしました?」
博季と幽綺子が顔を曇らせたのを見て、エレインは尋ねた。
「会長」
ここからは自分が、と永谷が前へ進み出た。
「瘴気の影響を受けているのは、仮想世界の住人です」
「仮想世界……?」
「我々が、第一から第四世界と便宜上呼んでいるこの世界は」
永谷は逡巡し、そしてはっきりと言った。
「『大いなるもの』を封印するために四賢者が創った幻の世界なのです」
「……え?」
「この世界には、現実世界出身者の末裔もいます。そういった人々は、まだ正気を保っています。会長、あなたのように」
「何を……」
「受け入れ難いのは分かります。ですが、あなたが理解しなければ、正しい判断は出来ません。どうか、――どうか分かってください。ここが作り物の世界であることと、現実世界出身者の末裔と、そうでない、瘴気の影響を受けた人々がいるという事実を」
エレインは、会長専用の座り心地の良い椅子に深く身を沈めた。
色を失った唇が小刻みに震え、小さく、息を吐く。
「――これが」
掠れた声を絞り出す。
「違和感の正体、だったのですね……」
「気づいていらっしゃったのですか?」
と、博季。
「何となく、です。あなたたちの世界の文化に触れ、確信に近いものを抱きました。私たちの住む世界は何かがおかしい、と」
それはイブリスや、闇黒饗団の魔術師が「歪」と表現した物と同じ感覚だったのだろう。
「しかし……まさか、世界そのものが作り物であったとは……」
まさか、という思いと、道理で、と納得する思いと。
福は永谷の袖を引っ張って小さな声で尋ねた。
「まずくない?」
「しっ」
「……見分けることは、出来ますか?」
「難しいですが、何とか」
永谷は頷いた。不可とは言えなかった。
「お任せします。その――別の世界から来たということは、またその世界へ行けると考えてよいのですね? では、瘴気の影響を受けていない人々を避難させましょう。私は遺跡へ行きます」
エレインはすっくと立ち上がった。
「しかし」
博季が止めようとする。
「分かっています。私に出来ることは少ないでしょう。けれど、この世界の行く末を、たとえ――たとえ先に何もないとしても、ただ見ているだけなど出来ません。私には、その責務があります」
「……お供します」
博季は微笑んだ。これがエレイン会長なのだ、と彼は思った。
永谷は帽子の庇を下げた。指揮官が前線に出るのは望ましくない。だが、嫌いにはなれない。
福が偵察として先行し、永谷、博季、幽綺子と共にエレインは遺跡へと向かった。
どこからか手に入れたリュックに、着替えやら食料やらを詰め込みながら、えっ、と目を丸くしたのは仏滅 サンダー明彦(ぶつめつ・さんだーあきひこ)だ。
「師匠のおっさんが闇黒饗団の首領の座を追われた? やだねぇ、落ち目になると皆手のひら返しちゃって。しかも刺された?」
「それだけでないでござる」
と、平 清景(たいらの・きよかげ)は、声を落とした。
二人は闇黒饗団のスパイとして協会に捕えられていたが、何も知らないこと、先の戦いで役立つ情報を提供したことで解放され、いそいそと帰り支度をしているところだ。来るときにはそんな荷物はなかったはずなのに、なぜか明彦のリュックはいっぱいだった。多分、ほとんどが歌詞の書かれた紙だろう。
明彦が荷造りをしている間に清景が聞き込んできたのは、
「ここが仮想世界!? 冗談だろ!?」
「本当でござる。しかし、イブリス殿は現実世界の末裔らしいとか。あくまで噂でござるが」
「ふーむ」
明彦は考え込んだ。やおら、口を縛ったリュックを床に下ろすと、
「よし、決めた! 師匠のおっさんを探すぞ!」
「ええっ!?」
「刺されたんじゃ、もう死ぬかもしれねーだろ? 現実世界の人間がこんな世界に取り残されるのは忍びねぇ。連れて帰ってやろうぜ!」
「いや、しかし……」
「一宿一飯の恩義がある……イブリスを助けに、行くぞ清景!」
制止も聞かず、明彦は慣れ親しんだ部屋――押し込められていたのだが――を飛び出して行った。
気持ちは分かる。だが、今はとんでもない状況になっているのだが、明彦はそれを知らない。
「まあ……行けば分かるから、いいでござるか」
それに、イブリスが現実世界出身者の末裔であるなら、一つの可能性が出てくる。彼が、「大いなるもの」を封じた聡明なる賢者アルケーの子孫である、ということだ。
無論、それは他の人間にも当てはまる話だが、彼が「古の大魔法」を復活させようとしたことと合わせると、清景にはどうもそんな気がしてならない。
そうであるなら、今度は「大いなるもの」を封じるべく動いてくれるかもしれない、と清景は考えていた。