空京

校長室

【重層世界のフェアリーテイル】重層世界、最後の戦い

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【重層世界のフェアリーテイル】重層世界、最後の戦い
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   第3章 生きる者

 正気の人間を探すべく、カイラ・リファウド(かいら・りふぁうど)バルノック・ベル(ばるのっく・べる)アルカネット・ソラリス(あるかねっと・そらりす)神威 雅人(かむい・まさと)の四人は街中を走り回っていた。
 カイラのパートナー、バルノックは、どう見てもボクサー犬のゆる族だ。この嗅覚を生かして、文字通り嗅ぎ分けようと考えたが、三回連続で襲われて諦めた。全員、違う臭いだった。
 アルカネットは【驚きの歌】を唄いながら大通りを歩いた。雅人はその傍でくるくると踊った。
「何だ何だー!?」
と飛び出してきた住民がいれば、そのまま雅人が確保した。女性であれば、騎士道精神を発揮して、「こちらへどうぞ」と噴水へ案内した。
 襲ってくる者がないわけではなかったが、派手に【サンダーブラスト】をぶちかまし、疲れたら【吸精幻夜】で体力回復をした。アルカネットには、指一本触れさせなかった。
 それが雅人の誇りだった。


 緋桜 ケイ(ひおう・けい)悠久ノ カナタ(とわの・かなた)もまた、文字通りスプリブルーネを駆け、避難を呼びかけた。
 当初、住民の多くがわけが分からぬといった顔をしていたが、それでも魔法協会の通達だと告げると、渋々ながらも噴水広場へ向かった。
 中には「じゃ、荷造りするよ」と引っ込む住民もいて、「そんな暇はない!」とケイに無理矢理追い立てられた。
 そこまではよかったが、住民の中には案の定、仮想世界の人間もいた。
 突然、家の中から火の玉が飛んできて、二人の鼻先を掠った。ケイは二階を見上げ、さっと人影が下がったのを確認すると、イルミンスールの杖を握り、ドアに飛び込んだ。
 そのまま一気に駆け上がると、そこにこの家の住人がいた。ごくごく普通の中年男性だ。仕事は何だろうか? 店員か? 街にいるのだから、農民ということはあるまい。家族はいるのだろうか? 妻は、子は? 姿は見えない……。
 しかし男の目は吊り上り、憎悪に彩られていた。
 ケイは寸の間俯き、クッと唇を噛み締めた。
「恨みはない」
 小さく、呟く。
「恨みはないんだ」
 男は聞いていない。ただ、杖を振り上げる。男の目に映っているのはケイだけだ。
「……やれ、正気を失うということは、周りに目がいかぬということでもあるのだな」
 窓枠にカナタがいた。ハッと振り返った瞬間、【ブリザード】で男の体は凍りついた。
「……恨まれる覚えもないんだけどな」
 ケイは呟いた。男からぶつけられた憎悪を思い出しながら。
「それが、『大いなるもの』の力なのだろう」
 カナタがそう応え、男を縛り上げると二人はまた他の住民の避難誘導へと戻った。


「よかった! おっちゃん、無事だったか!」
 ヴァイス・アイトラー(う゛ぁいす・あいとらー)は、露天商の肩をばしばしと叩いた。
「イタタッ! あ、あんたら、前にうちを手伝ってくれた……」
「そうっ、オレ、ヴァイスだよ! いやあ、本当によかった!」
 喜びの余り抱きつきそうになるのを、セリカ・エストレア(せりか・えすとれあ)が引き剥がす。
「一体、これはどういうことなんだい?」
 露天商は、自分の店の無残な姿を眺めた。果物は踏みつぶされ、屋台は壊され、焼き焦げ、傍に男が目を回して倒れている。
 ヴァイスは店主の腕を取った。
「すぐ逃げよう! オレたちの世界へ!」
「は?」
「ヴァイス、きちんと事情を話さなければ。目を丸くしているじゃないか」
「そんな暇――」
「店主、今、この世界は『大いなるもの』の影響を受け、正気を失った者が続出している」
 この世界の住人にとって、「大いなるもの」は誰もが知る伝承だ。お伽噺であると同時に、身にしみついた常識でもある。
 店主はいっぺんに顔を青くした。
「ど、どどど、どういうことなんだい?」
 セリカは「仮想世界」の件は抜いて、正気を失った者が暴れ回っていることを告げ、安全な場所へ避難するよう勧めた。
「魔法協会へかい?」
「いや、――俺たちの国だ」
 魔術師ではない店主に、仮想世界は無論、別の世界の話をしても混乱するだけだろうとセリカは判断した。現に彼は、ヴァイスやセリカを異国の人間だと思っている。
 店主は躊躇った。いきなり知らない国へ行けと言われて、すぐに承知できるものでもない。これはひょっとして、巧妙に仕組まれた罠で自分は奴隷にでもされるのでは、と彼はそこまで考えたが、それを否定したのはヴァイスの人となりだ。
 短い間だが、共に仕事をしたから分かる。
「分かった。信じるよ。こいつらはどうするんだい?」
 ヴァイスとセリカは、気絶している若者を見下ろした。ひょっとしたら、既に瘴気の影響を受けた現実世界の人間かもしれない。セリカは若者を縛り上げ、
「目を覚ましたら、話を聞いてみる」
と言った。
 ヴァイスは店主を連れ、彼の両親と共に噴水広場へと向かった。


 魔法協会のナンバースリー――メイザースがいない今、実質ナンバーツーなのだが――であるスタニスタスの家は、街の中でも遺跡とは正反対の方角にあった。
 五月葉 終夏(さつきば・おりが)ブランローゼ・チオナンサス(ぶらんろーぜ・ちおなんさす)は、十六夜 泡(いざよい・うたかた)レライア・クリスタリア(れらいあ・くりすたりあ)と共に小さな屋敷を見つけ、その前に立った。
 もしも、スタニスタスが正気を失っていたら――。
 ごくり、と終夏たちは唾を飲み込んだ。
「いきますわ」
 ブランローゼがおもむろにドアノッカーへ手を伸ばした。
 コツ、コツ。
 軽やかな音が響き、二人は待った。……しばらくして、扉が小さく開き、スタニスタスが顔を覗かせた。
「お主ら……!」
 憔悴しきった顔だが、目の光は確かだ。終夏はホッとした。
「スタニスタスさん、街に結界を張ってください」
「何じゃと?」
「既に状況は、ご存知でしょう? このままでは、街が破壊されてしまいます。結界で、街を守ってください」
 終夏は、書庫から持ち出した古い教科書をスタニスタスに差し出した。老人は目を細めた。
「懐かしい物を……」
「守れるものは守れる内に守りたいだけ守るんですの」
 ブランローゼの言葉に、スラニスタスは微笑を浮かべた。が、すぐにかぶりを振る。
「息子と孫を置いていくわけにはいかぬ」
「それなら、私たちがお守りします」
と、泡が言った。
 スタニスタスは泡とレライアを見つめ、ややあって、よかろう、と呟いた。
ルーク
 スタニスタスが中へ呼びかけると、二〜三歳の幼児を抱いた男が出てきた。これが息子と孫だろう。
「この者たちについていけ。信頼は置ける」
「しかし父上」
 ルークの目の下には色濃い隈が出来ている。孫は毛布に包まれ、すやすや眠っていた。
「眠りの術をかけてある。安全な場所に着いたら、起こしてやれ」
「父上は、どうされるのです」
「わしは協会の人間として、やらねばならぬことがある」
 レラリアはルークから幼児を受け取った。「可愛い」と微笑む。
「行け。案ずるな、老いてもわしは魔法協会の幹部じゃ。おいそれとはやられんわい」
 ルークは何か言いたげだった。が、唇を噛むと、父親に深々と頭を下げ、再び我が子を抱きしめ、泡、レラリアと共に駆け出した。
 その背を見送りながら、スタニスタスは尋ねた。
「これは、『大いなるもの』の仕業か?」
「はい」
 終夏は頷き、躊躇いながらもここが仮想世界であることを話した。
 スタニスタスの瞳が驚愕で見開き、老人は我が家を振り返った。
「……それでか……そんな馬鹿な……」
「スタニスタスさん」
「……お主らが来なければ」
「えっ?」
「一瞬、そう思ってしまった。許せ。お主らのせいではない。お主らがいなければ、孫たちは殺されたじゃろう。だが、お主ら異界の者たちが来る前が懐かしうてな」
 それは、ほんの少し前の日常だった。
「……参ろうか」
 街を見渡せる場所、遺跡へ向かってスタニスタスは歩き出した。
 ブランローゼは振り返った。
 スタニスタスには妻がいるはずだった。それにルークの妻もいるはずだった。だが、誰も出てこなかった。老人の小さな屋敷は、静かに佇んでいた。