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リアクション
のどかな春の川辺の桜並木を、ゆっくりと本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)とクレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)は歩いていた。
「というわけで、ここが私の故郷の風景なんだ」
「桜並木が素敵だね、こんなにいっぱいあるところなんて、見たことない、すごいねおにいちゃん」
今までパートナーに、自分の故郷の東京の話を沢山したが、実際に連れて行ったことがなかった。だから今回バーチャルとはいえ、再現してもらえたのはうれしいものだ。人まではいないけれど、人がいればこの桜並木をゆっくりと見物できそうにないから、それはそれでいい。
そのときざっと風が吹き、桜吹雪が二人を包んだ、視界をおおう花びらのすごさにクレアは思わずしりもちをついてしまった。風と花びらがおさまっても、まだちょっとびっくりしたままだ。
「おーい、大丈夫か?」
「…はっ、びっくりしたーぁ…」
涼介は遠慮なくげらげらと笑い、クレアはむくれた。
桜並木だけでなく、医者を営む家やよく通った店なども、今まで語ってきた思い出と共に紹介して、クレアに知ってもらいたかった。
にこにこと楽しそうにクレアはひとつひとつにうなずき、二人は思い出をより強固に共有していく。
「ここはバーチャルだけど、記憶はバーチャルじゃないから、忘れることはできないね」
「そうだなあ、すごい世界だ」
「今度は本当の桜を見に行きたいなあ」
「ああ、いつか連れてってあげるよ、花見には弁当がつきものだから、おいしいものも食べような」
「ふふっ、楽しみにしてるよっ」
安芸宮 和輝(あきみや・かずき)とクレア・シルフィアミッド(くれあ・しるふぃあみっど)は、世界情勢を知りたくてヒパティアに頼んで再現してもらった。
三人は大きな地球儀の上に立っていて、ヒパティアの先導で目指す場所に立てば、次の瞬間はその土地に実際に立っているのだった。
リアルタイムではないが、一週間ほどの誤差で再現してくれた世界は、ほんとうにつらい場所ばかりだった。
「この地方では、慢性的な貧困とそれに由来する人身売買、臓器売買などが横行しています、テロ組織の資金源にもなり、この地方で戦争の耐えない原因でもあるようです」
一箇所移動するたびに、シルフィーはぎゅっと和輝につかまって襲い来る恐怖に耐えている。
外の世界をよく知らないというシルフィーに見せるものではなかったかもしれない。だが彼女は和輝の意思に沿おうとして、決してひるまぬ決意を見せている。
「大丈夫ですか?」
「…大丈夫ですわ、私は知ると決めましたから。物を知らないままではいたくないのです」
「私がいますから、それにここは安全ですよ」
おりしも、今立っている場所は地雷原という説明がされる。
和輝の台詞はなぐさめにはならないが、ある意味あんまりな台詞だった。シルフィーの表情が少し緩んだ。
さまざまな負の連鎖が複雑に絡み合い、免れているのは本当に一部の国だけだ。しかも国が思っているほど、それも安全なものではない。
ヒパティアも、あまり豊かとはいえない表情がさらに硬くなっているのがわかる。
「こんなことを頼んでしまってすみません」
「いえ、きれいなところだけ見ているわけには行きません、そう教わりましたから」
藍澤 黎(あいざわ・れい)は、故郷の様子を見たいと願った。
幼い頃に離れたきりの故郷、今はどうなっているのかすら、黎は知らなかった。
思い出すのは、両親の作ったもっとも美しいバラが咲き誇る季節の、一番美しく見える時間帯。
そう、今みたいな五月の夜明け前、朝霧のたちこめるこんな時期ばかりだ。
ブルガリア、薔薇の谷と呼ばれる場所にあるスコベレヴォ村、それが黎の故郷、その前に彼は立っていた。
村に近づくと、まず小高いバラの茂みが出迎えた。
「そう、家の周りだけでなく、村の外までバラにあふれるようなところであったな」
村に入っても、やはり外よりは手入れの施されたバラの農園に足を踏み入れることになる。
町ぐるみバラばかり、バラの香りであふれかえっていたのに、なぜかみんな香りでどこのバラだかわかるのだ。
香りが思い出を刺激し、ふわりと頬に微笑がのぼる。バラに埋もれる銀髪の美青年というものは、ひどく幻想的だった。
橙色の屋根に白い壁の家が、バラ園の中に点在しているような場所だが、今の黎にはその中のどれが自分の家だったかよりも、両親が勤めていたバラ研究所のほうが知りたかった。
研究所は、幼い頃に事故で全焼していることは覚えている。しかしその後故郷を離れてしまって、全てが遠ざかってしまった。
山のかたち、道のうねり、なによりバラの香りに導かれ、黎は記憶をたどりながら研究所を目指す。
簡単に他の農家のバラと交じることがないよう、村からも離れて立てられていた研究所は、子供の記憶よりもずっと早くたどり着くことができた。
「…ああ、そうか…」
そこにはただ廃墟が横たわっていた。
しかし焼け落ちて崩れた廃材の向こうに、まだバラの香りがあったのだ。
あさまだき、ぼんやりとした朝霧に霞みながら、もしかすると望んだバラかもしれないものが、黎を呼んでいる。ふらふらと足が勝手にそちらを向いた。
果たして廃材の影に、ひっそりと白いバラの茂みが残っていた。焼け残った壁材の影で、株が生き延びたのだろうか。
思わず手を伸ばすと、今こそ夜が明けようとするところだった。
山の稜線が輝き、闇が薄れ霧がゆっくりと立ち退くと、畑のバラが空の色を呼吸し始めるのを、黎は知っている。
『夜明けの濃い青を写し込んだバラ』
両親が言ったその白バラが、まさに黎の手の中にあった。
「ヒパティア殿、お尋ねしてもよろしいだろうか?」
「はい、如何様にも」
「この状態は、何時のものなのだ?」
「申し訳ありません、その時期の衛星写真情報を手に入れることができませんでした。該当する研究所は再建されたという記録はなく、近隣に新たな施設の登録もありません、ですがこの村は変わらずバラに支えられて存続しています」
ですからこれは、あなたの記憶と私の想像が混じっています。ヒパティアはそう答えた。
「そうか…時折、あのときに戻れぬとわかっているのに、どうしても確かめたくなる」
「故郷は既に、時が流れすぎて我の記憶の面影も窺えないだろうに、我を覚えているものも、もういるまい」
「…研究所はなくなっても、きっと誰かが、あなたのご両親のバラを覚えていてくださるでしょう」
朝日が昇り、空気が温まって風の流れが生まれた、黎の髪とバラが風に揺れ、手をかざして髪を払った。
はっと己の髪をひと房つまんで、ふと浮かんだ思いを振り払う。
両親の作ったバラの色は、己の髪の色でもあるのだとは…そんなわけが、あるはずはないからだ。
鈴虫 翔子(すずむし・しょうこ)は、小型飛空挺を自在に操り、ただ無心に空を飛んでいた。
アフリカの砂漠をひたすら飛び、時には高く、時には砂丘をかすめて風を切っていた。
日差しが強く、空気が乾燥しすぎてあまり息が吸えないけれど、これが砂のにおいだろうか。
システムの補助をことわって、砂漠の暑さを暑いまま耐える。分厚いマントをかぶり、ゴーグルなどでしっかり防御してある。だって、そのままの風を感じてみたいのだ。
場所は知らないが、この砂漠にはそこかしこに宝石の転がる場所があるという。ついつい地面をじっと見ながら飛んでいたから、風紋のきれいさに気付くのが遅れた。
長いラクダの隊商を追い越し、ラリーの車を眺め、岩石砂漠の谷間を抜けて、でっかい砂のキャンバスに、ちょっとだけ絵の具をはねたようなオアシスを渡る。
今度は地平線ばかり見える、沈みかけた夕日へ向かってひたすら飛んでいた。
ずっとこの夕日を追いかけ続ければ、決して沈むことはないんじゃないかと、そう思えるくらいには長く、翔子は夕日を追いかけ続けた。
あんまり夕日がすごいものだから、思わず腹の底から叫んでしまった。
「明日も、きっと晴れるでしょーーーーっ!」
実際には夕日が赤いと、翌日は悪天候のことが多いのだけれど、ちょっとそう信じてみたくなるような、それくらいすごい夕日だったのだ。
シベリアの雪原もまた、果てしなく続いた。
永久凍土も今は大分減ってしまったという。シベリアトラやクマ、ヘラジカはどこへ行くんだろうか。
ここもまたうかつに息は吸えないし、砂漠の熱気は風で散っても、染み入る冷気の度合いは風でいや増して比較にならなかった。
さすがにここは長居ができそうになかったけれど、それでもここの目的を果たすまでは翔子は耐えるのだ。
シベリア鉄道の線路を発見して、なんとしても平原をゆく鉄道を見るまでは。
波飛沫を浴びながら、キラキラ光る波間にのぞく、イルカの背びれと競争をしていた。
海の色は劇的に変わる、さっきまで藍色だったものが、不意にエメラルドグリーンに変わったりするのだ。
前方にクジラが吹く潮を発見、気付いてもらえるように上空を旋廻してみた。
海面すれすれを飛び、飛空挺を傾けて片翼を水面に触れさせて水を切り、クジラの潮をくぐる。
「うわっ、生臭いっ!」
そう言いつつ、翔子は笑っている。
素敵だ、この世界は嘘っこなのが嘘みたいだ。
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