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第1章 誰がためにカネは鳴る?
雲ひとつなく、真夏の太陽はピーカンに照っていた。
遠浅でエメラルドグリーンに輝く美しいビーチ。
白さがまぶしい砂浜。
草原の斜面を吹き上がってくる潮風は、ここまで歩き詰めてほてった肌に心地よい。
目を閉じ、耳をすませば小波の音に包まれて。
ああ、なのに。
「毒タコだらけなんですよね、あのきれいな水の下は…」
シクシク、シクシク。影野 陽太(かげの・ようた)は残念な思いで涙を流していた。
「うっわぁーっ! これが「うみ」…。おっきい…。
ねっ! ママ! とっても大きいわ!」
浜に下りる大半がタコ退治の手段を模索中との難しい表情をしている中、かわいいワンピース水着姿の蒼天の巫女 夜魅(そうてんのみこ・よみ)が、海水浴にやってきた者にふさわしい反応を見せた。
「ええ。大きいわね」
初めてのものを目にした驚きと興奮にキラキラと輝く大きな目。大人になった今ではそういう驚きに出合うこともほとんどなくなってしまったコトノハ・リナファ(ことのは・りなふぁ)は、夜魅の純粋さが抱きしめたいほど愛おしかった。
「それにねぇ……ふふっ。すごくしょっぱそうなにおいがするのっ。あの中は、冷たくて、気持ちいいのよね。あたし、ちゃあーんと知ってるの。るるるっ♪ おーおきいなっ♪ おーおきいなっ♪」
足先を沈ませる白砂を蹴散らかして遊ぶ夜魅。
(絶対に海に入らせてあげるからね、これで…!)
コトノハはその決意を示すかのように、バーベキュー用具材の貝が山盛り入った袋を握り締めた。
「皆さん、静粛に」
早くも始まった、手近な者同士での打ち合わせにざわめく白浜で、ぱんぱんと戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)が手を打って注意を引いた。
他の誰より1段高い所で足を止めていた小次郎は、全員の注目が集まったのを確認して、ビーチの管理人である老人・シラギに場を譲る。
「シラギ殿よりあらためて戦地説明が行われる。私語は慎み、静聴するように」
戦地? ここは戦場なのか? タコ退治だろ?
ざわざわ。そう首を傾げる者は少なくなかったが、小次郎にとって既にここは血戦の地であるらしい。教導団公式水着を来て軍人然の顔をした彼に、しかしわざわざ突っ込んであげようという物好きはいなかった。
「あー、ここはのぅ、おまえさんらが今目にしておるように、パラミタでもそれはそれは美しい浜辺での、隠れ家的なプライベートビーチ――」
「シラギ殿、そこはカットして、短く」
こそこそ。小次郎が耳打ちする。
「そうかの?
ええと。白浜は全長70メートル程じゃ。両側には白鳥の翼のように岩崖が伸びておる。ほぼ垂直の崖を降りた辺り、おまえさんらにも見えとるろうが、その辺りから円環状に珊瑚礁が広がって、左右がつながっておっての。遠浅じゃから近く見えるかもしれんが、直線で70〜80メートルはある。あの珊瑚礁から内側はほぼすり鉢状で、真ん中辺りで2〜2.5メートル程の深さじゃ。岩は取り除いておるから素足でも足を切るおそれはないぞ。それはそれは気持ちいい足触りで――」
「シラギ殿。短く」
「ああ、うん。
珊瑚礁は50センチ程の幅しかのうてな。あそこは海面に近すぎて、もう死滅しとる。もったいないことじゃ。そこから外側は、この草の斜面のように深さが増しておって、2メートル程先の所に例の網があるんじゃが……ほれ、赤いブイが4つ浮いとるじゃろ。あそこで大体4メートルほどじゃ。15メートルぐらいの巨タコはあの辺によう現れとる。これが小賢しいやつでの、2本の触手で姿勢を固定して、6本の触手でうねうねと――」
「シラギ殿。ありがとうございます」
「あー……うん」
小次郎の無言の気迫に押されて、シラギは口を閉じた。
「まぎらわしいので、これより便宜的に珊瑚礁より沖を「外海」、珊瑚礁より内側を「内海」、そして沖のタコを「巨タコ」、内海のパラミタヒョウハンダコを「タコ」と呼称することにします」
小次郎の口調に、いつからおまえが仕切るようになったんだ? と再びざわめきが一部に起きたが、すぐにそれも消えた。ジリジリと真上から照りつける太陽の熱により、メンドクサいからどうでもいいや、の部類に選別してしまったからだ。
「ではこれより巨タコ討伐とタコ捕獲のメンバーに分かれてもらいますが、雷術は一切使用禁止と心得ておいてください」
これには、さすがに大多数の者からブーイングが上がった。
巨タコとの闘いを望んでいた大半が、雷術での攻撃を主軸に考えていたからだ。
「ブーブー、ブーブー」
「ブーブー言わない。
当然でしょう。海の中で雷術を使えば全員感電します。皆さんの中には、過去経験された方もいらっしゃるのでは?」
含みを持たせた小次郎の言葉に、うっと言葉を詰まらせる者が何人かいた。仲間の雷術を食らうなど、どこでそんな目にあったのか、知られるわけにはいかない後ろ暗い過去を持つ者たちだ。
「巨タコ討伐隊の隊長として、遙遠殿」
「――は?」
話に飽きて、くあーっとあくびをしていた緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)が、突然名前を呼ばれてきょとんとなる。
「遙遠殿は飛行ができるゆえ、上空よりの陣頭指揮をお願いしたいのです。なにしろ、相手は自在に動かす8本の触腕の持ち主ですから」
「……えー?」
思いっきり嫌そうな声を出しているが、リーダーという権限に、結構満更でもなさそうな表情だ。
小次郎としては、その場のノリと気まぐれで、つく側をコロッと変えそうな彼の悪ふざけを封じる目論見があってのことだったのだが。
「では、これより班編成を――」
「あーあーあー、メンドクセっ」
遮ったのは佐野 亮司(さの・りょうじ)だった。
「軍隊ゴッコはもういいって。ようはさ、あの沖のでっかいタコを退治すりゃいいんだよ。なぁに、タコスレイヤーの称号持ちの俺にかかりゃ、あっという間だ。
行こうぜ、ジュバル、綾乃」
「あ、はい、亮司さん」
「えっ? も、もう?」
それまで向山 綾乃(むこうやま・あやの)の足元で懸命にぷーぷー息を吹き込んでゴムボートを膨らませていたジュバル・シックルズ(じゅばる・しっくるず)だったが、名前を呼ばれて慌てて立ち上がった。
「こりゃ、ちょっと待ちなさい」
ふにゃふにゃのゴムボートを抱え、移動する間もぷーぷー息を吹き込んでいる。
「よぉ、亮司。オレもついでに乗っけてってくれよ。そのボート4人乗りだろ」
瀬島 壮太(せじま・そうた)が斜面を越えて岩場に向かおうとしている亮司に声をかけ、一緒に歩き出す。
あっけにとられた小次郎の前で、六鶯 鼎(ろくおう・かなめ)が吹き出した。
「ふふっ。単純明快。では私も行くとしようかな。
そうだな……キミとキミ。一緒に来るかい?」
鼎が指差したのはミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)と鬼崎 朔(きざき・さく)だった。
「へっ? あたしっ?」
「……」
すっとんきょうな声で自分を指すミルディアと、鼎の意図を推し量ろうとするかのように無表情で見返す朔。対照的すぎて、なぜこの2人が選ばれたのか、だれも全く分からない。
「沖に出たくないならいいけど?」
「うっ……うー、うん…。
あのっ、うちの子たちも一緒でいい?」
ミルディアの言葉に、鼎の目が両脇に控えた和泉 真奈(いずみ・まな)とイシュタン・ルンクァークォン(いしゅたん・るんかーこん)に移る。
「いいよ、その2人なら。
じゃあ行こうか」
斜面に身を翻しかけたとき。
「ちょっと待ってくれ。手段は分からないが、外海に出るんだろう? 私も同行させてもらえるかな」
クレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)が名のり出た。
鼎の目が何かを測るようにじーっとクレーメックの爪先から頭までを移動する。
基準が何かは不明だったが、どうやらおめがねには適ったようだ。
「――キミだけなら」
「ありがたい。この2人は飛んでいくから私だけでいい」
クレーメックたち5人を引き連れて、今度こそ岩場に向かって去っていく鼎。
「シラギさん、外海へ出る手段って何かある?」
「そうじゃなぁ。網を張ったり回収したりに使う手漕ぎ舟が、岩場の反対側のボート小屋に1舟あるが」
「じゃあそれ貸してもらえますか?」
「構わんよ。いろいろ乗っとるもんを降ろせば、あんたらじゃったら6人は乗れるじゃろ」
「やった!
おーい、6人乗れるってさー」
如月 正悟(きさらぎ・しょうご)の呼びかけに紫月 唯斗(しづき・ゆいと)、ウィルネスト・アーカイヴス(うぃるねすと・あーかいう゛す)、八神 誠一(やがみ・せいいち)、オフィーリア・ペトレイアス(おふぃーりあ・ぺとれいあす)、日比谷 皐月(ひびや・さつき)がサッと手を上げた。
「セラも乗せていってもらえませんか? 小さいから重量的には問題ないでしょう。膝にでも乗せて行っていただけるとありがたいのですが」
「うん、いいよっ。おいで、セラちゃん。一緒に行こ」
オフィーリアがルイ・フリード(るい・ふりーど)からシュリュズベリィ著・セラエノ断章(しゅりゅずべりぃちょ・せらえのだんしょう)を受け取る。
「ねぇねぇ、スイカ持ってきた?」
「バッチリ」
「うわ、おっきーい」
「……刀真、眠い」
「待って。あっちにパラソルを立てるから」
「バーベキュー台どこに設置する?」
「あっちーっ、鉄板熱持っちゃってるよ」
「水はー? シラギさん、水汲み場はどこにあります?」
小次郎がようやくわれに返ったとき――といっても、それはそんなに長かったわけではないのだが――もはや収拾がつかないほど、みんな思い思いの方向にばらけてしまっていた。
ガンガンガン、ガンガンガン。
ふと、金属と石がぶつかるような音が聞こえてきて、そちらを見る。
「ふふっ。タコなんて簡単ですよ。あんな軟体動物、人間さまの敵ではありません」
陽太だった。陽太が背中を丸めてうずくまり、笑いながら持参した缶ジュースの缶を石で叩き潰している。
「ほーらとがってきた、とがってきた。これをサイコキネシスで打ち出して、切り刻んでやりましょう。くすくす。よく切れますよ、ギザ歯がいっぱいついてますからねぇ。タコ足なんて、簡単に輪切りにしちゃいます。輪切りのタコ足はキュウリと一緒に酢物にするとおいしくて。暑い夏は酢物が最適ですから。ふふ。ふふふふふ。新鮮なタコ酢を届けたら、会長は喜んでくださるでしょうか。ああ、環菜でしたね。環菜。その時までに、がんばってさりげなく呼べるようになってなくちゃ。環菜、環菜、環菜、カンナ……」
カーンなっ、カーンなっ、カーンなっ…。
もはや原型をとどめないほど叩き潰された金属の破片を、カンナ、カンナとリズムをとって叩き続けている陽太。どうやら巨タコ討伐隊に取り残されてしまっていることには全く気づいていないらしい。
リーダーを買って出ている小次郎としては、彼にそのことを気づかせ、まだ急げば間に合うとフォローしなくてはならないのだが。
(見なかったことにしておこう)
言うなれば戦場で培われた第六感が、君子危うきに近寄らずを選択させた。それが、正しい判断だったことはそう遠くない未来に判明する。
「あのぉ…」
つんつん、と遠慮がちに肘をつつかれて、そちらを向くと。
「あの……あたしたちも、今回はお役に立てそうにありませんから。せめて皆さんが疲れたり、怪我したときのために、救護班として待機していようと思うんですが…。エアフロート持ってきてますから、ベッドの代わりになるし」
ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)が立っていた。許可をとるような口調ながら、裏地の淡いピンク縞がうっすらと透けて見える白メッシュの半袖パーカーの腕には、彼女は救護スタッフだとだれが見てもひと目で分かる手作り腕章が、既に装着してある。
「ああ、それはいい考えですね。よく気づいてくれました。ありがとうございます」
小次郎の承諾に、キラーンと強い光がネージュの瞳をよぎっていく。しかしネージュは121センチ、小次郎は165センチ。身長差がありすぎて、つむじは見えても目までは見えない。
「ふふっ。男を落とすなんてチョロイのよ、静音さん。弱った男にはパワーブレスして「頑張ってくださいね」とロリ笑みのひとつもくれてやれば、簡単に落ちるんだから。その手本を見せてあげるからね」
「うん? 何か言ったかい?」
「なんでもありませんわ」
きゃぴるんっ。
成功率100%、必殺のペコちゃん笑顔で答えると、ネージュはすたこら向こうへ行ってしまった。
キツネにつままれたような、妙な違和感を感じつつ、ぼんやりとその後姿を見送っていると。
「みんなーっ、がんばるのだー!」
突然の叫声(?)が上の方から降ってきた。
ズンチャ♪ ズンチャ♪ ズンチャッチャ♪
ズンチャッチャ♪ ズンチャッチャ♪
変なリズムをとりながら、草原の斜面の上で変な着ぐるみが短い手足を振り動かしている。
あれは……なんだろう? ひげダンスか?
(※ひげダンスを知らない人は、お父さん、お母さんにやって見せてとせがんでみてください※)
最初はゆる族かと思ったのだが、よくよく見ると人間の顔が出ている。キツネコの着ぐるみを着た不動 煙(ふどう・けむい)だった。
と、その左側にビキニ水着姿の古代禁断 死者の書(こだいきんだん・ししゃのしょ)が、右側にゴスロリワンピース水着姿の露草 恋(つゆくさ・れん)が現れ、煙を主軸とした左右対称決めポーズをはさみながら一緒にひげダンスを踊り始める。
「フレー! フレー! ゆ・う・しゃ!」
「「フレー! フレー! ゆ・う・しゃ!」」
「触れるな危険★ 触れたら最後タケシの二の舞ぷかぷか浮くのだーっ★
さぁここからは皆さんもご一緒に! 俺の動きについて来るのだ。
行きますのだ! さんはいっ。
まずは腰をレフト・ライト! レフト・ライト! レフト・ライト!」
「「ふーりっふーり〜」」
「みんな踊ればハッピになるのだ! さぁここで腕をぐるぐる〜 ここで好きな決めポーズを! さんはいっ」
「「にゃ〜〜ん」」
左右の2人は外側を向いた猫のポーズ、煙は甲を合わせて真上にどーん。決めポーズをしたとき。
ちゅどーーーーーん。
まるで戦隊物のノリのように背後に上がったのは、残念ながらカラー煙幕ではなく、打ち上げ花火だった。
おそらくは夜、花火をしようと思って持ってきていたのだろう。
「このクソ暑いのに…」
見上げただれもが思ったが、当の本人はやり遂げた満足感でいっぱいで、汗だくの顔に恍惚の表情を浮かべている。
そしてそのポーズのまま、後ろにそっくり返ってしまった。
(やった……やったよ、ママン…)←イミフ。
「煙さまっ?」
ゴロンゴロンという音からして、斜面を転がり落ちていっているのだろう、煙を追って、左右の2人も消える。
「この炎天下で着ぐるみ着て踊りゃ、あーなるわな」
だれもが納得し、失笑する者はいても同情する者は1人もいなかった。
何かがおかしい。
このとき、そのことにうすうすながらも気づき始めていたのは、小次郎ただ1人だった。
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