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リアクション
2日目
第1章 下準備
ヴァイシャリーに居を構える貴族の1人、アントニオ・ロダトの屋敷に百合園生を含めた契約者が集まったのは、夜の9時頃だった。
「おお、これはこれは桜井校長ではありませんか。まさか貴女も来られるとは」
「アントニオさん。今晩はよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
挨拶をしつつ、アントニオは静香と握手を交わす。とはいえそれは片手だけのものではなく、アントニオは静香から差し出された右手を、両手でしっかりと握り締めた。
普通ならばこの手の握手についてとやかく言われることは無いのだが、この場に集まった大半の百合園生は違った印象を持った。それというのも、アントニオ・ロダトという男が貴族の間でそれなりに有名な「セクハラおやじ」であるというのが原因である。要するに静香に対するその握手を見た者は、
「握手という名目の元に静香に触りたいだけちゃうんかと」
と感じたのである。
もっともアントニオとしては「つい」いつもの癖でやってしまった、というものであり、さすがに今日は公然とセクハラを働く意思は無かったのだが……。
「ところで、お隣の方は……?」
アントニオの目が静香の隣にいる弓子に向く。百合園女学院の制服の下に、どちらかといえば波羅蜜多実業高等学校――通称パラ実の生徒が着るような制服を着込み、しかも体全体がどことなく透けているように見える弓子の姿は、アントニオでなくとも注目したくなるほど奇妙なものだった。
「ああ、彼女は――」
「吉村弓子と申します。校長先生のアシスタントとして参加させていただきました。本日はどうぞ、よろしくお願いいたします」
静香が説明する前に弓子が口を開く。弓子としては目の前のセクハラ野郎に対して口も聞きたくなかったのだが、静香から1〜2メートルしか離れられない手前、ここは大人しく「清楚なお嬢様」を演じることにしたらしかった。
「ああ、これはどうも、こちらこそよろしくお願いしま――す!?」
弓子とも握手を交わそうとしてその手を掴んだアントニオは突然硬直した。
「? あの、どうかなさいましたか?」
「あ、い、いえ、そ、その……」
何も知らないといった風に小首をかしげる弓子の目の前で、アントニオは唇を紫色に染めていた。
弓子はその反応を知っている。それは寒さに対する震えだ。
肉体を持たぬ幽霊である弓子は、その身の特性上「体温」を一切持たない。そんな彼女に触れるということは氷に触れるのと同じなのだ。先日も彼女に触れていた者は、表にこそ出さなかったがかなり寒い思いをしていたのである。
今それを説明すると、目の前の依頼人は一体どのような表情をするだろうか。そんな好奇心に駆られたが、実際に弓子が口から発したのは、あらかじめ用意していたごまかしの方便だった。
「あ、申し訳ございません。私、体質的な問題で『常時冷え性状態』なんです」
「そ、それにしては、随分と……」
冷たいですね、とアントニオは言いたかったが震えで言葉にならなかった。
「超強力な冷え性なんです。すみません」
「い、いえ……」
そんな冷え性があるのだろうか。そう思わずにはいられなかったが、アントニオの震える唇は、やってきた契約者を招き入れる言葉を発するのが精一杯だった。
「突然で申し訳ございませんが、警備につく方の所持品検査をさせていただきたく思います」
集まった学生たちに向かってそう宣言したのは、シャンバラ教導団衛生科所属の少尉で、現在、国政の基礎を学ぶため百合園女学院に留学中の夜住 彩蓮(やずみ・さいれん)だった。
その場にいる約20名からどよめきが起こるが、彩蓮にも言い分はある。心底疑っているというわけではないのだが、彩蓮は今回集まった面子の中に、犯人と通じている人間がいるかもしれないと考えたのだ。
(もちろん100%そうと決まったわけではないんですけども。っていうか内部犯の可能性なんてほとんど無さそうなんですけども……)
そんなことを考えながら、彩蓮は「狐の目」なる泥棒の情報を思い返した。
怪盗3姉妹・狐の目。
それはここ数週間、ヴァイシャリーにて活動する1人の地球人と2人の狐の獣人によって構成される泥棒集団のことである。
名前はそれぞれ、地球人の「レミ」、獣人の「ナタリー」と「ジェニー」。3人ともそれなりに美人であり、ローグの技術を持っており、しかもトンファー、徒手空拳、棒術といった接近格闘戦の心得もあるという――ただし「3姉妹」と名乗ってはいるが、この3人に血の繋がりは全く無く、また「姉妹」と書いて「スール」と呼ぶような間柄でもないらしい。噂によれば「単純に雰囲気がかっこいいから」そう名乗っているとかいないとか。
この3人の最大の特徴は、事前に被害者に届けられる「予告状」にある。薄い名刺サイズの鉄板を、標的となる被害者の近くに投げつけ、犯行予告を行うのだ。文面は決まって、
「○月×日(大抵2〜3日の猶予がある)の明朝0時、あなたがお持ちの『○○』を頂きに参ります。怪盗3姉妹・狐の目」
となっており、日本のとあるマンガを髣髴とさせる。
犯行の手口自体は非常にシンプルで、予告した日付と時間通りに――しかも外から現れ、特に進んで交戦はせず、目当ての物を盗み出すとすぐさま退散、そのままいずこかへと消え去る、というものである。この数週間で5件被害が発生したのだが、その内2件は犯行予告を「馬鹿馬鹿しい」と切り捨てて何もしないまま貴金属を盗まれ、1件は自分が雇っている私兵を警備に当たらせ、2件はヴァイシャリー駐在の教導団員――ただしどちらも5人程度と少数だった――の警備があったが、いずれもその警備網をかいくぐられる始末だった。
戦闘も行われたのだが、「狐の目」が誰かを殺したという話は無く、警備に当たった者は「とりあえず殴り倒される」か「無視して突破される」程度で、重傷の患者は一切出ていない。鉄板の予告状カードも投げつけられたが、これが直撃した者はいなかった――ちなみに現場に残ったカードから指紋は出なかった。
盗まれる物は主に宝石・貴金属で「小型で値打ちのありそうなもの」ばかりであり、大きい絵画や彫像、まして人も盗まれていない。盗まれた宝石等がどこかで転売されたという話も無く、犯人たちは「単なる趣味」で盗みを働いているのだろうというのがおおよその見解であった。
「疑うようで申し訳ないのですが、万が一に備えるためです。どうかご容赦ください。それから……」
そこまで言って、彩蓮は静香と弓子に向き直る。
「私は今でこそ百合園に留学していますが、もとをただせば外部の人間です。桜井校長と、……弓子さん、でしたね。よろしければ検査にお立ち会いいただけないでしょうか」
疑い出せばキリが無い、というのは彩蓮自身が理解している。だがそれでもやることはやっておかなければならない。
「僕は構わないよ」
「私も構いません」
特に持ち物という持ち物も無い。2人は快く彩蓮の検査を受け入れ、それに従って集まった契約者たちも検査を受けることとなった。
彩蓮が今回の百合園生を含めた全員を疑うのには理由がある。
まず第1に、「ヴァイシャリー」で被害が起きていること。つまり他の地域においては「狐の目」による犯行は無いというのが1点である。
第2に今回の被害者となるアントニオ・ロダトについて。彼はラズィーヤが知っている程度にセクハラが有名で、「女性に囲まれる」という願望を満たすために、シャンバラ教導団やヴァイシャリー家ではなく「百合園女学院に依頼を出す」であろうことは想像に難くない。
第3に、百合園生の「気質」について。百合園生とは、基本的には金銭面において何不自由なく育った「お嬢様」であり、その分精神面の充実――で日常において「刺激」を求める傾向にあり、それは「狐の目」の「趣味で盗む」というところにも通ずる点がある、ということである。
もちろんこれはあくまでも仮説である。自分が犯人なら外部から侵入するより警備に紛れ込むだろうし、その方が警備を攪乱しやすいと考えている。「狐の目」の犯行傾向から考えれば、内部に紛れ込んでいるという可能性は非常に低いが、それでも彩蓮は「念のために」と検査を行うことにした。
そして結論から言えば、今回集まった面子の中で疑わしいのはいなかった。唯一百合園でも問題児と目される桐生 円(きりゅう・まどか)が犯人最有力候補に挙がったが、彼女自身はどうも静香と弓子から離れたがらないらしく、特に悪意も感じなかった。また1人だけ物々しいパワードスーツ姿をした者がいたが、中身がロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)であるとわかると、彩蓮は即座に放置を決め込んだ――桜井静香の恋人が犯行に加担するはずはなく、彼女ならば円を抑えることも可能だろう、と判断したのである。
当然のことながらこの結果は彩蓮にとって喜ばしいものだった。内部からの犯行幇助の可能性が潰れたということは、後は外側だけを見ていればいいのである。
「ご協力ありがとうございました。では、私は見回りに行ってきます」
そう言い残し、彩蓮はその場を離れた。
「ははぁ、偽物、ですか……」
屋敷2階の中央、金庫が置かれている他に何の変哲も無い部屋にて、アントニオは宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)と姫宮 みこと(ひめみや・みこと)からある作戦を提案されていた。
曰く、「夕日の涙」を別の場所に隠し、金庫には偽物を置いておく、というものである。
「このタイプの金庫ですと、割とすぐに破られてしまいます。一般人が相手ならともかく、やってくるのは契約者。腕力で潰される可能性も考えられますし……」
「それに、この部屋は10人もいればたちまち身動きが取れなくなってしまい、そうなるといざ『狐の目』と対峙した時にうまく立ち回れません」
普通に百合園女学院の制服を着るみこと、一方でわざと服のボタンをいくつか外して胸元が見えるようにしている祥子。しかも後者はアントニオの耳元で囁くようにして話しかけており、話しかけられている方は額に汗を浮かべながら両手を後ろ手に組んでいた。
(どう考えても誘ってますよね、あれ)
(どう考えても誘ってるよね……)
契約者の仕事ぶりを見学したいという弓子と、彼女から離れられない静香も金庫のある部屋に来ていたが、両者ともに苦笑いを浮かべるしかなかった。
「しかし、契約者でしたら泥棒など割と簡単に倒せるものではありませんか? 保管場所を変えるほどとは思えませんが……」
手を出したい衝動を抑えつつ、アントニオは祥子の目を見た。確かに自分は女性が好きでセクハラもする。だがここでうっかり手を出してしまえば、それこそ信用問題に関わってくる。彼は理性と衝動を脳内で戦わせつつ、あくまでも冷静であることを装って意見を述べることにした。だったら静香と弓子に対する握手はどうなるんだ、という指摘はあるだろうが……。
「いえ、むしろ簡単に倒せてしまうからこそ危険なんです」
答えたのはみことの方だった。
「契約者は基本的に、一般人よりも力が優れており、また多彩な技を持っているものです。その技で建物まで吹き飛ばしてしまったら目も当てられません」
「う……、それは確かに……」
「それを防ぐためにも、金庫と宝石は偽物にして、本物はもっと広い場所に移した方がいいとボクは思うんです」
そうすればたとえ契約者が全力で暴れたとしても、金庫にも宝石にも傷がつくことは無いだろう。場合によっては、保管場所は野外でもいいかもしれない。そう考えていたみことだったが、一部分を祥子に否定された。
「偽物作戦はいいけども、金庫はあえてこのまま残したいわね」
「と、言いますと?」
「金庫が本物だったら、泥棒はそこを目がけてやってくるものよ。それに、ダミーでいくつも金庫を用意するのも手だけど、わざわざここのを偽物にするのは手間がかかるわ」
それはその通りだった。
部屋に置いてある金庫は、専用の鍵を差し込んで回すタイプの扉がついた、成人男性の胸の高さまである鋼鉄製のものである。これを運ぶとなれば、いくら契約者でも時間がかかってしまう。
「だから、金庫はこのままにして、中身だけすり替えましょ。宝石は私が持っておくわ。その方が安全だろうしね。というわけで……、えっと、みことだっけ? 偽物を用意してもらえるかしら?」
「はい、それじゃこれを……」
言ってみことが取り出したのは小さな石だった。道端で拾ってきたものだという。
「うん、大きさも十分かな。それではアントニオさん、宝石を出していただけますか?」
「え、あ、はい、わかりました」
その服装と態度からもたらされる誘惑の技術を駆使し、祥子はアントニオに金庫を開けさせた。
首から提げた鍵を使って金庫を開け、中から布に乗ったオレンジ色のダイヤモンドを取り出した。
「これが我が家宝『夕日の涙』でございます」
夕日の涙。ロダト家が代々受け継いできたダイヤモンド。大きさは胡桃よりも少し大きいといった程度で、そのオレンジ色はまさに夕日の色であり、雫の形にカットされたそれは、美しい夕日が流した涙の結晶のようだと評判である。ダイヤモンドは無色透明である方が価値が高いというのが一般的だが、地層に含まれる放射能等の影響によって生まれるカラーダイヤモンドも「希少」という点ではそれなりに価値がある。オレンジ色のダイヤなどそうそう見られるものではなく、まさに家宝にふさわしいと言えた。
「では、ジャスティシアとして、一時お預かりいたします」
祥子はそれを受け取ると、傷や汚れがつかないように布を敷き詰めた小箱に入れ、ポケットに放り込んだ。
空いた金庫にはみことが持ってきた石が入れられ、そして扉が閉められる。
これで彼女たちの仕事はひとまず完了した。
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