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早咲きの桜と、蝶の花

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早咲きの桜と、蝶の花

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■第五章

「さて、これで準備は完了だな……行こう、咲夜」
 ブルーシートを敷き終えた健闘 勇刃(けんとう・ゆうじん)は、傍らの天鐘 咲夜(あまがね・さきや)へと呼び掛けた。二人はたまたま森の中に迷い込み、賑やかな雰囲気に惹かれ屋敷を訪れていたのだ。
 貸し出し用のブルーシートで場所を確保した二人は、手を繋いで散歩を始めた。勇刃の好物であるステーキは見付からなかったが、桜餅の屋台で桜餅を購入し、一角で足を止める。
「はい、あーん」
 咲夜の差し出した桜餅を、勇刃は素直に受け取った。咀嚼する様子を微笑ましげに眺めながら、薄らと頬を染めた咲夜は照れを隠すように機嫌良く呟く。
「それにしても、綺麗ですねえ……」
 丁度二人の側面に位置する、桜蝶の樹。美しく仄かに輝くそれを、二人は手を繋いだまま暫し静かに眺めていた。愛しい相手と過ごす、心地好い沈黙。大分姿を隠しつつある夕日を背に、桜餅を食べ終えた勇刃は、おもむろに咲夜の両手を自身の両手で包み込む。
「咲夜。俺は絶対、君を幸せにするよ」
「健闘くん……」
 間近に寄せられた瞳を、真っ直ぐに見返す。嬉しげに、けれど気恥ずかしげに目尻を染めた咲夜は、「お願いしますね」と消え入りそうな声で返した。
「任せてくれよ。さて、シートに戻ってゆっくり桜を見ようか」
「はい!」
 そうして、二人は幾つか桜餅の収まった袋を手に、ソートへと腰を下ろした。肩を預けて寄り添い合い、互いに桜餅を食べさせ合う幸福そうな二人の様子をからかうように、桜蝶はそのシートの周囲をひらひらと舞う。しかしそれすら、二人の幸せな空間を邪魔することは出来なかった。


 チラシを見て屋敷を訪れた神崎 優(かんざき・ゆう)たち一行もまた、早速とばかりに桜蝶の樹の見える位置にシートを広げると、食べ物飲み物を買い込んで腰を下ろした。
「花でないことには驚いたが、これはこれで綺麗だな」
 ハリボテの樹を覆う桜蝶の群れを眺めながら、優はぽつりと言葉を零す。ふと飛び寄ってきた一匹へ優が手を差し伸べると、蝶は躊躇うようにひらひらと舞った後、大人しくその指先で羽を休めた。
「本当に桜みたいだ」
 間近へ引き寄せ、美しく煌めく麟粉を纏った翅を眺める。傍らに腰を下ろす水無月 零(みなずき・れい)も蝶をそっと覗き込み、「うん、綺麗」と嘆息交じりの感想を零した。
「それにしても、全然警戒してないんだな」
 同じく身を乗り出して蝶を覗き込んだ神代 聖夜(かみしろ・せいや)は、意外そうに呟いた。これだけの人数に間近で見られても、桜蝶はまったく飛び去ろうとする素振りを見せない。
「蝶も優が心の優しい人だって解って、安心してるのかもね」
 零の言葉に、優は気恥ずかしげに双眸を細めた。同意するように頷いて、聖夜は持ち寄った弁当へと意識を戻す。皆で作った弁当はどれも美味しく、しかし聖夜は「やっぱり俺は料理は苦手だな」と苦笑交じりに呟いた。
「そんなことはありませんよ、聖夜さんのお弁当もおいしいです」
 陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)の言葉に、聖夜は照れたように後頭部を掻く。微笑ましげに笑みを深めてから、刹那もまた桜蝶を覗き込んだ。
「それにしても、綺麗で可愛い……」
 その間、逃げるように視線を逸らしていた優は、ふと彼女の頭に留まる蝶を見付けた。
「刹那も、髪飾りみたいで似合ってるぞ」
 その言葉に、聖夜と零も刹那の方を向く。
「わあ、本当だ。可愛い」
「よく似合ってるな」
 二人の同意に、刹那は「えっ」と驚いたように声を零すと、かあっと赤くなって黙り込んでしまった。穏やかに笑声を零して、優はそっと指先の蝶を零の横に並べる。
「でも俺にとっては、蝶より零の方が美しいな」
「優……」
 自然な優の言葉に、零は嬉しくも恥ずかしげに目尻を色付かせる。
 可愛らしい女性陣の反応を眺めながら、そっと蝶を逃がしてやると、優もまた箸へ手を伸ばした。


 その頃ルカルカたちは、弥十郎たちの作った料理に舌鼓を打っていた。
「この桜餅、甘さが控え目で取っても食べやすいね。唐揚げも適度にアツアツだし、ムースも綺麗に蕩けてて美味しい!」
 次々に料理を口にしていくルカルカの口からは、幸せそうな感想が溢れ出す。そんな彼女の様子に、桜蝶たちもひらひらと集まり出した。そっと伸ばされたルカルカの指先へ、一羽の蝶が静かに留まる。
「ひらひら可愛いね、ブローチみたい」
 羽を広げた蝶をそっと胸元へ誘導し、大人しくそこへ留まった蝶を満足げに眺めながら、ルカルカは嬉しそうに呟いた。そんな彼女の隣では、ばりばりとご馳走を食べ続けていたカルキノスが、今度はじっと桜蝶を間近に寄せて観察している。
 少し離れた位置で、剣竜たちは蝶、そしてたまと共に戯れていた。「ふうむ、剣竜どもにも集るのか」と興味深げに呟いて、一心に蝶を観察し続けている。
「一匹二匹、連れ帰って繁殖させてみてえな」
「可愛いしね、ルカも育ててみたいな」
 きゃいきゃいと蝶と戯れるルカルカを横目に、カルキノスもまた頷いた。そこへ、ヴラドが顔を出す。
「蝶たちは、どこから現れたかも分かりませんからねぇ。きっと連れ帰ったとしても、気付かないうちにどこかへ消えてしまいますよ」
「それは残念……ヴラドさんも、ひらひらブローチお一ついかが?」
 眉を下げたルカルカは、一拍置いてぱっと表情を輝かせた。差し出された蝶を驚いたように受け取ったヴラドは、少し悩んでから、「あなたの方が似合っていますよ」と気恥ずかしげにルカルカの胸元へ蝶を戻す。
「わー、凄いですね、ピンク色でキラキラしてますよ〜!」
 そんな彼らから少し離れた所で、ぱたぱたと蝶を追いかけるティエリーティアの姿があった。楽しげに駆けていくティエリーティアを、心配そうに追い駆ける大地。案の定すっ転びかけたティエリーティアの身体を慌てて掬い上げるように抱き寄せると、ほっと安堵の吐息を零した。
「ほら、危ないですよ。あっちで甘いものでも食べましょう」
「はーい!」
 嬉しそうなティエリーティアは、大地を伴って花見の席へ戻る。ミレイユやシェイド、弥十郎や樹たちと酒やジュースの杯を傾け合い、美味しいおつまみを摘まむ。
 ふと、弥十郎が樹へ桜餅を差し出した。それと同時に、樹は弥十郎へお茶を差し出す。声をかけるまでも無く丁度のタイミングで手渡し合う二人の姿に、大地は思わずといった様子で呟きを零した。
「……こういうのが、オシドリ夫婦っていうんですかね」
 途端に真っ赤に染まる二人の表情にくすりと笑声を零し、大地はティエリーティアへと向き直る。
「ティエルさん、俺たちもああいうのやってみましょうよ」
「? こういうのですか?」
 あーん、と。大地の口元へにこにこと無邪気な笑みで桜餅を差し出すティエリーティア。
「え、あー……」
 気恥ずかしげに躊躇う間を挟みながらも、大地はえいっと端っこへ噛みついた。それを微笑ましげに見守るティエリーティア。オシドリ夫婦というには、彼らはまだまだ初々しかった。
「よっ、楽しんでるか?」
 そこへ、一升瓶を手にした侘助が現れた。彼は既に大分酒が回っているようで、赤く染まった面持ちに楽しげな笑顔を浮かべている。
「折角だから、おまえらも一緒に呑もうぜ。佐々木、これ食べていいか?」
 聞いた頃には、既に侘助の手は料理へと伸びている。代わりに酒瓶を受け取った弥十郎たちは、早速だからと成人以上の一同へ注ぎ始めた。
「折角だから、ジェスチャー・ゲームでもしようや。食べたいモンをジェスチャーで示してぇ」
「あ、これ頂きー」
「こら、食いたいモンを指でさすな!」
 泰輔の提案の途中で侘助はひょいと唐揚げを摘まみ上げる。泰輔の文句にも、上機嫌な笑声を上げるのみだ。
「まったく……おや、これが桜蝶かい。綺麗だねぇ」
 すっかり酔っ払った侘助の様子に苦笑しながら、未実は満更でもない様子で桜蝶と戯れていた。指先を宙で泳がせると、絡むように蝶が揺れる。ハリボテの樹が少しずつ花開くように、段々と蝶に覆われていく姿も確かに見事であったが、こうして間近で眺める蝶の姿もまた可憐な美しさを帯びていた。
 そんな彼女の元にも、誰からともなく酒の入ったグラスが差し出される。
「私は未成年だよ、呑みたきゃあんたが呑みな!」
 噛み付くような未実の文句に、どっと笑声が上がった。釣られたように、未実も笑う。侘助はいつの間にかジェスチャーに取り組み始め、結局食べたいものを指で取って、泰輔に叱られていた。

 笑い声の絶えない空間。夕日が沈み、夜が近付くにつれ、会場は一層盛り上がっていく。