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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第3回/全3回)
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第3章 白騎士、そして黒騎士 3

 それは、魔力を含んだ剣線だった。衝撃波が砂を巻き上げ、シャムスたちへと振りぬかれる。だが――
「グアアアァッ……!」
 それすらも、全身を広げたアインの体が遮った。いや、それは遮ったというには無残なものだった。エンヘドゥは絶え間なく剣を振るうが、アインは反撃を一切せずに攻撃を受け止めるだけだ。全身には傷という傷が作られ、機械がむき出しになっても、アインはその場を譲らなかった。
 それを支えるのは、朱里だった。彼女はアインに自らの癒しの力を与える。傷つき、ボロボロになってもなおエンヘドゥの前に立ちはだかるの身体を、朱里は必死で癒していく。
 すると、アインがエンヘドゥに向かって呟いた。
「エンヘドゥ……君は、どうして……そこまで……」
 それは恐らくは、この容赦のない斬撃のもとに生まれた切なる願いだったのかもしれない。いまだ目の前のエンヘドゥを信じられぬ契約者たちの目が、彼女に注がれる。
 しばし不可解なものでも見るかのような視線を向けていたエンヘドゥが、ふと口を開いた。
「壊したい、からだ」
 その声は、確かにエンヘドゥのものであったが……そこに宿る冷たさや酷薄の色は、シャムスの知る彼女のそれではなかった。別人であって同一。違和感にも似た不気味さが、そこにはある。しかしそれは――もしかすればエンヘドゥの心の中にある何かが、表に出ただけに過ぎないのかもしれなかった。
「お兄さま……いや、お姉さまの作り上げた南カナンなど、壊れてしまえばいい」
「エンヘドゥさん……」
 悲壮な響きと、冷厳の力。彼女の言葉に宿るそれに、フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)たちの茫然とした声が漏れた。
「父も、母も……兄を愛した。そんな世界など、そんな兄が作り上げた南カナンなど――壊れてなくなってしまえばいい!」
 それまで無表情にただ剣を振るっていただけのエンヘドゥが、憎悪を露にした。そんな彼女に、フレデリカが声を発する。
「エンヘドゥさん……貴女だけが辛い想いをしていたとでも思っているの? 女性の身でありながら家督を継がなければならないのがどれだけ大変な事か………何をするにも領主としての立場と責任が付きまとう。あらゆる人から、ご両親からすらも領主であることを求められる。それがどれだけの重圧になのか想像してみてごらんなさいよ!」
 フレデリカは言った。それは、怒りでもあって、悲しみでもあって……きっと、エンヘドゥにシャムスのことを分かってほしいという優しさでもあった。ほんの少しの短い間だったが、フレデリカはシャムスとともにいた。
 そこで垣間見えた彼女の姿は、領主という立場にいる強さだけではなく、脆く、触れたら壊れてしまいそうな心の鎧であって――それはきっと、自分よりもエンヘドゥのほうが分かっているはずだった。
「シャムスさんだって綺麗なドレスきたりして女の子らしい事したくなかったわけないじゃない。それを全部我慢して家督を継がなければならない重圧に必死になって耐えてきたのは何でだと思う? シャムスさんはね――きっと貴女には普通の女の子として暮らして欲しかったのよ! だから……だから、シャムスさんを拒絶しないで!」
 返答はない。
 だが、パートナーのルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)が見たフレデリカの叫びは、まるで戦場に反響するかのよう響き渡り、そしてエンヘドゥの沈黙したままの表情も、わずかに色を変えたように思える。
 ルイーザはその姿に、かつての自分と恋人のことを思い起こしていた。それは、もう取り返しのつかない思い出の彼方にあるもので、それなのに、根強く心の中で生きつづけて胸を締め付ける。そんな思いを知っているからこそ、ルイーザは思う。まだ取り返しのつくであろう彼女たちに、道を示してあげたいと。きっとそれは、フレデリカも同じなのだ。
 彼女たちに続くように唇を開いたのは、朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)のパートナーであるイルマ・レスト(いるま・れすと)だった。
「貴女のやっていることは、ただの我がままです。世の中には、会いたくて会えない姉妹や姉妹だと名乗れない姉妹だっているのに、声を掛ければ応えてくる姉が傍にいて何が不満ですか? 言いたい事があれば言えるじゃないですか、口論でも殴り合いでも好きにすればいいです。私にも腹違いですが、姉がいます。向こうは令嬢で、私はメイドの身分で、身の上を嘆いたこともありますけど、私は私、どう足掻いても姉にはなれません。それでも……この世にたった一人の姉ですから愛していますよ」
 千歳は、傍らでエンヘドゥを真正面から見つめるイルマを見ていた。彼女があそこまで饒舌に怒りをぶつけるのは珍しかった。本性こそ現実的で権力志向の強い人であるものの、普段は物静かに生きているからだ。
 ――“姉妹”というものは、イルマにとってかけがえのないものなのだ。それを、双子で、しかも同じ姉妹である存在を否定するエンヘドゥが、彼女はどうしても許せなかった。だが同時に……イルマは“姉妹”のかけがえのないものを、信じている。
「……あなたも、そうでしょう?」
 イルマの最後の一言は、エンヘドゥの無機質だった表情をかすかに歪めさせるに十分だった。
 そして、エンヘドゥの前でくずおれていたアインが、必死に傷ついた足をこらえて立ち上がる。
「エンヘドゥ……今の君にはまだ分からないかもしれない。だが僕には分かる。君たちは間違いなく父君に愛されている。僕は、その『証拠』を……持ってきた」
 そうして、彼が空中に投影したのは、メモリープロジェクターに記録されていたヤンジュスの古城での会話や映像だった。そこには、かつてシャムスとエンヘドゥが母に童謡を歌ってもらっていた部屋があり、父の肖像画があり、そして……幼い二人と両親が映っている写真があった。どれもこれも古ぼけ、朽ちてしまっているが、確かにそこにはエンヘドゥとシャムスが暮らしていた軌跡があった。
「ロベルダは言っていた。君たちの中には、シグラッドの願う『絆』があるはずだと。そんな、そんな願いを君たちに見ていたシグラッドが、そして、母であるシュメルが……君を愛していなかったと、本当にそう思っているのか?」
 エンヘドゥの脳裏によみがえってきたのは、数々の思い出だった。母との、そして父との思い出が彼女の頭の中で螺旋を描く。母が亡くなったときの顔。父が戦場から戻ってきたときのこと。母が庭先で歌い、父がそれをほがらかに見つめていた家族の休息――そして、姉と一緒に遊んだ記憶。
 アウラの横に足音が聞こえた。そこに立っていたのは、八日市 あうら(ようかいち・あうら)だった。普段は陽気で明るく笑っている彼女の表情が、哀しい色でエンヘドゥを見つめていた。その傍で、ヴェル・ガーディアナ(う゛ぇる・がーでぃあな)が彼女を見守っている。
「エンヘドゥさん……シャムスさんが一番守りたかったもの……知ってる?」
 あうらの声に気づいたエンヘドゥが、戸惑うような目で彼女を見た。
「シャムスさんが一番守りたかったもの……それは、エンヘドゥさんなんだよ? シャムスさんは、それを押しこめてまで戦って傷付いて、そしていまこうして、あなたと敵として向き合ってる」
 あうらは徐々に一歩ずつ歩き出し、エンヘドゥに近づいた。その距離にヴェルが危険を感じるが、あうらの意思は止められない。彼女は自分に出来ることを、言葉を伝えようと……歩み寄るのだ。
「でもそんなの……誰も望んでない。ロベルダさんも、カナンのみんなも、シャムスさんも……それに、私だって!」
 あうらの声が聞こえてくるたびに、エンヘドゥの中の何かが痛みをあげていた。相反する何かがぶつかり合うかのようなその痛みは、エンヘドゥの中の憎悪に触れてくる。だが、それを彼女の心の中の何かが、黒い何かが、必死で拒もうとしていた。
「それは、みんなに愛されてるってことじゃないのっ! それじゃあダメなの……! あなたが、あなた自身が、自分を愛する人を傷つけてしまうなんて……そんなの、そんなの悲しいよ!」
 フレデリカやイルマたちの声、アインの記憶、あうらの叫びが聞こえてくる。エンヘドゥは、もがき、苦しみ、その末に……それを振り払おうとして彼女は、
「うあああああああぁぁぁ!」
 ――剣を、振るった。
 あうらへと振り下ろされるそれが、彼女へと迫る。思わず目を瞑った彼女が感じたのは、誰かにぎゅっと抱かれる感触だった。
「!」
 あうらが切り裂かれることはなかった。代わりに聞こえたのは、金属音。恐る恐る目を開いたあうらは目の前には、エンヘドゥの剣を受け止めるシャムスがいた。
「シャムスさん……!?」
 あうらはそして自分を抱きしめるヴェルに気づいた。彼はとっさに飛び出して、彼女を守ろうとしたのだ。無論――シャムスも同様に、身体が動いていた。
「あうら、退け」
「で、でも……」
「大丈夫だ。必ず……必ず……お前の思いは、無駄にしない」
 あうらはそのとき、目の前にいるシャムスが、それまでの彼女とは違って見えた。それは、彼女が何かを決然と抱いたかのような表情をしていたからなのかもしれない。
 戸惑いはあったが、ヴェルに促されてあうらはシャムスたちのもとから退いた。あうらと一緒に退こうとしたとき、ヴェルが彼女に囁くように言った。
「お前らも……生きて帰るぞ。命が失われるってのは、気分のいいもんじゃない」
 それにシャムスがしかと頷いたのを見て、ヴェルは本当にその場を去った。
 そのとき――まるで時を計ったかのように、シャムスたちに彩羽の声が降り注いだ。
「お前は……!?」
「久しいわね、南カナンの領主様」
 その横にはアルラナもある。恐らくは、彼女たちを引きとめようとした契約者たちの相手は、アル・アジフが務めているのだろう。いずれはそれも長くは持たないと感じているのか、早急にアルラナが口を開いた。当然、それは神経を逆なでするような物言いであったが
「あぁ、シャムス様! 八方ふさがりで大変デスネ! しかもエンヘドゥ様はあなた方を倒してしまう気満々のようです。。このままだと、あなたたちの敗北は必然かもしれませんヨ?」
「何が言いたい……?」
「そう怖い顔をしないでくだサーイ! せっかく、そんな危機を脱するかもしれない良い物を持ってきてあげたのですから」
「なに……?」
 シャムスは怪訝な表情を浮かべた。そんな彼女の変化を愉快そうに見ながら、ごそごそとアルラナが懐を探る。そこから出てきたのは、一つの巻物のようなものだった。
「ジャーン! これがなんだか、分かりますカ?」
「それは……まさか……!?」
「そうデス。エリシュ・エヌマの設計図デスヨ。これさえあれば修復も早急に済み、あなたが守るべき領民を助ける事ができるかもしれないのデス。欲しいデスカ?」
 返答はないが、彼女の表情を見れば答えはわかりきっていたものだった。
「しかし、条件がありマース!」
「条件、だと?」
「ええ、そうデス。ナント契約者達も逃がすだけデス」
「契約者を……?」
 そのとき、シャムスと刃を打ち合わせていたエンヘドゥが弾けるように後方へ退いた。どうやら、考える時間を与えようというのか。
 だが、シャムスは仲間へと視線を送るが、当然の如く彼らはそんなことを了承しようとは思わない。自分たちだけが逃げるなど、ありえない話だった。もしかすればアルラナたちもそれは分かっていたのかもしれない。彼は続けて愉快に笑いながら言った。
「ダメですか? では、シャムス様が白騎士様と一騎打ちして頂くというのはどうでショウ」
「一騎打ちだと?」
「もちろん、契約者の皆様は身代わりになってもお手伝いしてもダメですよ?」
「そんなの……!」
 フレデリカたちの悲痛な声が聞こえた。これまで、シャムスとエンヘドゥを戦わせまいとしていたというのに、それをあえて見ていろというのか。悔しそうに顔をゆがめる契約者たちを、モートが愉快げに高き砂丘から見下ろしていた。
 なんとか別の手を考えようとする契約者たち。だが、それに反して……シャムスは言った。
「いいだろう」
「シャムスッ!?」
 アインたちが驚く中で、シャムスは覚悟を決めていた。だがそれは、決してそれまでのシャムスの表情とは違ったものがあった。
 緋雨も彼女を止めようとする。しかし、その表情を見たとき、彼女はシャムスを止めることができなかった。それは、民を守るための戦いでもあったが、どこか別の意思も見え隠れしているように見えて……緋雨は、シャムスはふと自分に目を向けたことに気づいた。
「来い、エンヘドゥ!」
 そして双子の姉妹は互いに剣を構え、斬りかかった。