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【金鷲党事件 二】 慰霊の島に潜む影 ~前篇~

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【金鷲党事件 二】 慰霊の島に潜む影 ~前篇~

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第五章 来訪者

作業員宿舎の食堂に、美しい歌声が響く。
昼間、聞き込みに付き合ってもらったお礼にと、ノーン・クリスタニアがミニコンサートを開いたのである。始めは、ノーン一人でやるはずだったのが、いつの間にか、以前冬山で一緒に歌った円華や五月葉 終夏まで一緒にやることになっていた。特に終夏とは、この頃よくセッションをする機会がある。

「みんな、楽しそうだね」
 東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)は、あてがわれた部屋の窓に腰掛けて、食堂から漏れ聞こえてくる《幸せの歌》に耳を傾けていた。
「秋日子さんも、聴きに行ったら良かったのに」
 そんな秋日子を見て、キルティス・フェリーノ(きるてぃす・ふぇりーの)が言う。
 今夜のミニコンサートには、秋日子やキルティスも誘われていたのだが、『疲れを明日に残してはいけない』と、断ったのである。
2人は今日一日、遺体の回収作業に当たっていたのだが、それほど大変な仕事だった。
 曲が変わり、マホロバの民謡が流れてくる。
「あ……。この歌、あの山でも聞いたね」
「はい。あの時は、危うく遭難しかけて、御上君が助けに来てくれて。その後、救護班のキャンプで、毛布にくるまりながら聞いたんですよね」
「うん。まだあれから幾らも経ってないのに、もう何年も昔のことみたいだ」
「この島で戦いがあってから、まだ1年も経ってないんですよね……」
 民謡の、独特のメロディのせいだろうか。2人の心は、何故だかいいようのない寂寥感に襲われている。


「ねぇ、秋日子さん。なんだか、少し肌寒くないですか?」
「え!そ、そう?窓、閉めようか?」
「あ、いえ……。なんていうか、そういうのじゃ無くて。なんていうか、こう、冷気が足元から忍び寄ってくるみたいな」
「な、ナニソレ……」
 などと2人が話し合っていると、突然、部屋の電気が消えた。
「キャア!な、ナニ!?」
「停電……みたいですけど……」
「ちょ、ちょっとキルティス……」
 秋日子が、キルティスの側に這い寄ってきた。キルティスを掴む腕が、わずかに震えている。
「ど、どうしたのかな……。もしかして、幽霊とか……?」
「あれ?秋日子さん震えてるんですか秋日子さん?もしかして、怖いとか?」
「そ、そりゃ怖くもなるよ!昼間、あんなモノイッパイ見たんだから!」
 ミシッ……。ミシッ……。
「こ、今度はナニ!」
「家鳴り……かな……?」
 ミシッ……ミシッ……ミシッ……ミシッ……。
「な、なんだか、近づいてくるみたいだよ!やっぱり幽霊なんじゃない?」
 すっかり自分の背中に隠れてしまっている秋日子を気遣いながらも、周囲を探るキルティス。
 キルティスの《超感覚》が、部屋の隅にいる“何か”の存在を掴んだ。
「そこにいるのは誰ですか?」
 静かに問いかけるキルティス。
「や、やだ!やっぱり、誰かいるの!?」
 秋日子は、すっかり涙目になっている。
 キルティスの呼びかけに答えたのか、部屋の隅にぼおっとした青白い光が浮かび上がった。
「……驚かせて済まぬ……」
「ヒッ!!」
 どこからか聞こえてきた低い声に、思わず硬直する秋日子。
「あなたは誰ですか?」
 うって変わってすこぶる冷静なキルティス。
「我は……佐野……新衛門……。この島で果て……そなたらの慈悲を受けし者……」
「慈悲……?」
 ということは、昼間自分たちが回収した遺体の主だろうか。
「そなたらの慈悲を受けてもなお、我が魂は安らえぬ……。頼む……。あれを……あれを止めてくれ……」
「アレ?アレって、なんですか?」
「分からぬ……。だがあれのために……皆の魂が揺さぶられ、眠りにつけぬのだ……。頼む……五十鈴宮の者に……あれを……あれを……」
 突然、青白い光がゆらめく。
「ちょ、ちょっと待って!」
 だが、キルティスの声も虚しく、その光は、二、三度瞬いて、消えた。
 室内に立ち込めていた冷気が、潮が引くように消え失せ、部屋の照明に火が灯る。
「アレ……。あれって、なんだろう……。それに『五十鈴宮の者』って……。あ、秋日子さん!?」
 振り向くと、そこには白目を剥いて気絶している秋日子の姿があった。



 未だ歌声の響く食堂。
 楽しそうな様子の皆とは裏腹に、イコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)は何故か心から楽しめない物を感じていた。
 何か、イヤな感じがするのだ。しかし、その出所が分からない。
 どうにも落ち着かないモノを感じて、イコナは廊下に出た。しかしそこにも、何もいない。
 イコナは源 鉄心から留守番を命ぜられ、今日一日、ずっと円華の周りで不審者に目を光らせていた。もしかしたら、そのせいでまだ気が張り詰めているのかもしれない。
『気のせいだったんでしょうか……』
 そう思って、食堂に戻ろうとしたイコナの足が、ピタリと止まった。
 何かが、すぐ側で動いている。
 何か、物凄くイヤなモノが、すぐ側で、しかも無数に動いている気がする。
 イコナは、恐る恐る窓を見て、そして――。
「イヤァァァァ!!」
 あらん限りの声で絶叫した。
 窓を埋め尽くすように、様々な種類の蟲が、びっしりと張り付いていたのである。
「ナニ!」
「ど、どうした!」
 叫び声に驚いて、次々と食堂から現れる人々。彼等は今度は、窓の外の光景に驚くことになった。

「皆さん、落ち着いてください、落ち着いて!」
「大丈夫!すぐに追い払うから!」
 終夏やノーンたちが、パニックを起こしかけた作業員たちを必死になだめる。
「あ、待って!外に出てはダメです!」
 だが、何人かの作業員が、円華の静止も聞かずに、食堂の外に飛び出してしまう。
「ヒッ!!」
 だがそこに待ち受けていたのは、足の踏み場も無いほどの蟲たちの群れ。
 あまりのことに腰を抜かし、後退る作業員たち。
 その彼等の耳に、遠くから風に乗って不気味な音色が聞こえてくる。
「これは……琵琶?」
 円華は以前、《毒虫の術》という技があることをナズナから聞いていた。この音の主が、蟲たちを操っているに違いない。円華は必死に辺りを見回して、音の出所を探した。

 食堂から程近い森の中。崩れたトーチカに腰掛けて、戦ヶ原 無弦(いくさがはら・むげん)は、静かに弦の無い琵琶を弾いていた。彼がバチを振るうたび幻の音が鳴り、一匹、また一匹と蟲たちが吸い寄せられていく。
「見つけたよ、爺さん。あんなキショイモノ呼んでくれちゃって。タダで帰れるとは、思わないコトね」
 木の上からの声に、顔を上げる無弦。その視線の先、大木の梢に、苦無を手にしたなずなが立っていた。
 無弦はなずなを一瞥すると、何事も無かったように、また琵琶を弾こうとする。
「こ、このっ!」
 無弦目がけ、苦無を投げるなずな。
 だが苦無は無弦を通りぬけ、その後ろのトーチカに当たった。
「幻!?」
 辺りに、しわがれた老人の哄笑が響き渡る。
 その声が小さくなるにつれ、毒虫もその姿を消した。
「ち……。逃がしたか……」
 なずなは、ほぞを噛んだ。