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リアクション
「――今、助けを呼ぶ声が聞こえませんでしたか?」
横断歩道を渡る途中、転んで買い物袋の中身をばらけてしまった老女の手助けをしていた赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)は、ぴたりと手を止めた。
背を伸ばし、周囲を見渡す。
だがもうそれらしい声は聞こえない。
「おまえさん?」
「あ、すみません」
いぶかしげに見上げてくる老女に、集め終わった手荷物を返す。
「ああ。ありがとうねぇ」
「気をつけてお帰りください」
にっこり笑って、何度も振り返ってぺこぺこ頭を下げてくる老女を見送って。
おもむろに、霜月は、たしかに聞こえた助けを呼ぶ声の方角に向かって走り出した。
(狙われているという笹飾りくんの警護に向かうはずでしたが……遅かったようですね)
なにしろ彼、困った人を見かけるとほうっておけないタチなのだから仕方ない。
あっちで人助け、こっちで人助けしていたら、すっかりこんな時間になってしまった。
助けを求める声のした地点を目指して通りを走り抜ける霜月。
そのとき、彼のポケットで携帯が鳴った。
「もしもし――ああ、ジンですか……って、えええっ!?」
ピタッと足を止め、携帯を顔の前で握りしめる。
そんなことをするとお互い聞こえないだろうと思ったが、幸い電話の相手、パートナーのジン・アライマル(じん・あらいまる)も声高に叫んでいたので無問題だった。
『本当よ! そっちへ向かってる途中、クコが産気づいちゃったの! 今病院に向かってるとこだから、あなたも来て!
ああもう、うるさいわねっ! 緊急事態なんだから、信号無視が何だってのよ!』
ジンの言葉の後ろからひっきりなしに聞こえてくるクラクションや急ブレーキの音が、否応にも緊迫した状況を伝えてくる。
携帯の待受画像でほほ笑んでいるのは、愛妻・クコ・赤嶺(くこ・あかみね)――。
「分かりました。今向かいます。クコには、すぐそばに行くから心配しないようにと伝えてください」
くるっと回れ右をして、大通りに向かい走り出した彼の頭の中からは、クコ以外のことはきれいサッパリ消し飛んでいた。
たすけは あらわれなかった▼
「うーん。みんな、自分のことで忙しいようだねぇ」
にじり寄る大佐。
じりじりと後退するトーマ。
「う、ううっ…」
その背に壁が当たる。
そのとき、壁の向こうの茂みから、何かが飛び出した。
「見つけたぞ! 笹飾りくん!! さあ俺様に女体化薬を残らず渡すのだ!!」
ふははははーっ、と高笑う、それは赤鼻の天狗面を背負った石本禁書写本 河馬吸虎(きんしょしゃほん・かうますうとら)だった。
かうますうとらが あらわれた▼
あっけにとられた大佐やトーマを見下ろす河馬吸虎。
「……む。そうか、きさまたちも女体化薬が目当てなのだな。女の体になって、チチやシリでウハウハしたいのだろう!」
「オイラ、女になりたいわけじゃないよ」
「いや、我はもう――」
「そうかそうか。待っていろ。今、俺様が薬を取ってきてやるからな」
てんで聞いちゃいねー。
「さーて。どれが一番おいしそうかな〜? やっぱ、このピンクのやつが――」
展開についていけないでいる大佐の前、嬉々として河馬吸虎は笹竹の中に飛び込み物色を始める。
だが次の瞬間。
「させないって言ったでしょう!!」
怒号とともに現れたリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)のドラゴンアーツによる遠当てが決まった。
ドキューーーーーン!
会心の一撃、クリーンヒットの小気味良い音が周囲に響く。
「ごばああぁぁっ!!」
激突した壁に一瞬で走った亀裂が、衝撃のすごさを物語る。
「ち。これでも壊れないなんて、頑丈な魔道書ね。さあいらっしゃい、この鍛え上げたのどが枯れるまで、今日はとことん説教してやるから!」
気絶した河馬吸虎をつまみ上げ、リカインはさっさと立ち去っていった。
かうますうとらは たおされた▼
一体今のは何だったのか…。
「ま、まぁいいか。何も変わってはいないし」
なんとか急降下し始めた己のテンションを立て直そうとする大佐。
その前に、トーマが瓶を突きつけた。
「それ以上近寄るな! 近寄ったらこれを振りかけるからなッ!!」
それは、河馬吸虎が吹き飛ぶ際に落としていった、笹飾りくんの女体化薬だった。
まるで吸血鬼に対する聖水であるかのように掲げる彼の姿に、大佐は意地悪い笑みを浮かべる。
「それでおどしているつもりとは、かわいい子だ」
「……えっ?」
驚くトーマの前、パリンと音を立てて瓶が割れた。
如意鉄棍を持つ大佐の手が振り切られている。
如意鉄棍はその一瞬で、長さを変化させていた。
「う、うわああああっ」
振りかけるどころか自分で浴びてしまったトーマは、当然口にもしてしまったわけで。
変化していく自分の体に驚き、目を瞠る暇あればこそ。
みるみるうちに変化は完了し、トーマは少女になってしまった。
「ほぉ。これは興味深い」
初めて目にした女体化のプロセスに、面白いものを見たと大佐が頷く。
「そんなぁ……オイラ…」
あまりの出来事に足からすっかり力が抜けて、へなへなとその場にしりもちをついてしまったトーマ。
そこに、マッシュ・ザ・ペトリファイアー(まっしゅ・ざぺとりふぁいあー)がついに姿を現した。
どこからというと、笹飾りくんの影の中からである。
彼は、笹飾りくんが校門を通り抜けたときからずーーーーーーーーーーーーーっと、黒影――狂血の黒影爪――を用いて笹飾りくんの影に潜んでいたのだ。
人を石化することが趣味の彼。
もちろん目当ては女体化薬でなく、薬を飲んで女体化した人を石像に変えることだった。
「えっへっへー♪ ずーっとガマンして待ってた甲斐あったよねぇ。こんなかわいー子ができるなんてさー」
ぴょんっと身軽に影の中から飛び出して、へたり込んでいるトーマに近づく。
「うつむいてないで顔上げてー。あ、座っててもいーよ。そのポーズ、すっごくかわいい。涙はここで止めてて。うん、いい感じいい感じ。手はここね。両方とも、ふとももの間で手のひらついてて。そーそー」
と、まるでカメラマンのようにポーズ指示を出したあと、全体の構図を見るように1歩2歩と後退する。
「よーし。じゃあ石化するねー。いーち、にー、さんっ」
泣きべそトーマにペトリファイを放とうとしたマッシュだったが、頭に何か当たったと思った次の瞬間彼の目に入ったのは、おそろしい勢いで近づいてくる地面だった。
――グシャッ
激突の衝撃で、手の中の力が霧散する。
「さん、じゃありません」
マッシュの頭を上から押さえ、地面に押しつけていたのは笹野 朔夜(ささの・さくや)――ならぬ、その内側にいる奈落人笹野 桜(ささの・さくら)である。
「何をしているんですか、あなたは」
襟首を掴み、まるで猫の子のように持ち上げた。
「こんな小さな子を泣かせるなんて。それでも男ですか? 恥を知りなさい」
「にゃ……にゃ〜ん…」
剣幕に押され、つい、媚びを売ってしまうマッシュ。
桜はくるっとトーマに向き直ると、いまだショック状態で呆然としている彼の前にマッシュを引き立てていった。
「さあ、謝りなさい」
「ったって、コイツ泣かしたの俺じゃないもんっ」
「えっ? ――あっ」
一瞬の隙をつき、どかっと膝に蹴りを入れて掴んでいる手を緩ませるや、するりと抜ける。
「へへーんだっ。捕まらないよーっ」
猫のような素早さで、再び笹飾りくんの影に飛び込もうとしたマッシュ。
しかしそれを邪魔するように、銘刀【風雅】があごの下に差し込まれた。
「そこまでだ」
【風雅】の主笹野 冬月(ささの・ふゆつき)が、いつの間にか笹飾りくんを守護するように立っている。
「……くっ。
邪魔するなら、あんたも石に変え――」
言い終わるのも待たず。
冬月の手がひらめき、ぱさりとマッシュの髪がひと房落ちた。
「今、何か言ったか」
「にゃ……にゃ〜ん…」
不審な動きをすれば容赦しないと告げている冬月の目に、これは冗談の通じない相手であると悟ったマッシュは、今度こそ観念したのだった。
「あのー…」
そこに、ようやく勇気をふるい起こした雲母が進み出る。
雲母は両手で菓子折りを差し出した。
「笹飾りくん、初めまして! 私、樫黒 雲母っていいます! そ、それでいきなりですが、このお菓子と、そこにつるされている薬と、交換してくれませんか?」
よっぽど緊張しているのか、菓子折りは冬月の目にも明らかなほど、ぶるぶる震えていた。
「…………」
冬月は笹飾りくんを見た。
笹飾りくんには先に、自分たちに敵意がないことを伝えるとともに、彼を薬を狙う者たちから守ると約束している。この場合はそれにあたるのだろうか?
応諾するか拒絶するかの決定権は、笹飾りくんにある。
笹飾りくんはちらと冬月を見て、雲母を見て、それから菓子折りを受け取った。
雲母に背を向け、笹竹をクイクイッと示す。
「あ、ありがとう…!」
「やっとか」
こちらへ駆け寄ってくる雲母が薬を胸に抱きしめているのを見て、由唯はほっと胸をなでおろした。
けん制もこれまでだ。
禁じられた言葉で強化した罪と死を、上空の真人にぶつける。彼がそれに対処している隙に、由唯は雲母とともにこの場を去った。
「大丈夫ですか?」
トーマの前にしゃがみ込んだ桜は、そっと頭をなでた。
「さっき、助けを呼んでいたのはあなたですね。遅くなってすみません」
『遅くなったのは桜さんのせいですけどね』
頭の中で、朔夜がすかさずツッコミを入れる。
『町を行き交うカップルを見ては「どーせ、私はリア充なんかなれないんですよーだ!」とか「夫はきっと誰かと契約してパラミタにいるんですよ!」なんてことをブツブツブツブツつぶやいてたりするから、こんなに遅れたんです。本当ならもう少し早めに笹飾りくんと合流できていたはずですよ』
いつもの朔夜ならこんな意地悪なもの言いは控えるのだが、いい加減、逃げ場のない頭の中でえんえん桜の愚痴を聞かされ続けてきた身としては、嫌味のひとつも言ってやりたくなるというものだ。
「……そんなの私の勝手でしょう…っ」
「え?」
桜の口にした言葉の意味が分からず、トーマはきょとんとなる。
「いえ、なんでもありません。
それより、あなたをこんな姿にしたのはだれですか?」
「あの人」
トーマは大佐を指差した。
「えっ?」
笹飾りくんが襲われたわけではないし、これはこれで面白いかと一連の出来事を傍観していた大佐は、突然指差されてビックリ。
「ちょっと待て。悪いのはそこの――」
「ではあなたがこの子をこんな姿に変えたわけではないと? この子が泣いているのは別の理由?」
ゆらりと立ち上がったその姿からは、目に見えそうなほど敵意のオーラがほとばしっている。
「いや、それはそうだが、その前に――」
「じゃあやはり、悪者はあなたですね」
決まりです、そうつぶやくやいなや、桜はバーストダッシュで一気に距離を詰めると殴りつけた。
「くそっ」
行動予測により紙一重で引っ込めた大佐の頭の上で、鉄甲の直撃を受けた壁が砕けて穴を開ける。
『桜さん、あの方何か説明しようとしていたようですよ?』
「いいんです。あの子をあんな姿にして、泣かせたことを認めたんですから。それで十分です」
朔夜の言いたいことは、桜も承知していた。ただ、ここに来るまでの道すがら目にしたイチャイチャカップルのせいでかなりイラついていた桜である。
彼女は単に、これ幸いにとウサを晴らしたいだけだった。
封印解凍、冥府の瘴気、紅の魔眼――次々とスキルを発動させていくその姿に、侮りがたいものを感じた大佐は何が起きても即座に対処できるよう、構えをとる。
そんな大佐の視界から、フッと男の姿が消えた。
「! ――ちィッ!」
直後背後に湧き上がった気配に、如意鉄棍を振り切る。
耳元で、ギィインと鋼同士のぶつかる音がした。
左手の鉄甲で如意鉄棍を受け止めた桜。あいた右手で大佐を殴りつけようとする。
大佐は相手の力量を見るため、ひとまず回避に専念した。行動予測はもとより歴戦の立ち回りや歴戦の防御術、実践的錯覚といったスキルを持つ大佐が回避に集中すれば、それは鉄壁も同然。ブラインドナイブスや鬼眼を用いた攻撃も、大佐には通用しなかった。
この程度の相手なら勝てる。歴戦の武術で如意鉄棍を自在に操り、桜の近接攻撃を楽々退けながら大佐は結論を出した。
あとは一気に叩くのみ。
「はっ!」
ミラージュ発動。
分身した状態で毒入り試験管の中身を振り撒こうとする。
しかし奥の手を持っていたのは桜も同じだった。
「させません!」
試験管を持つ手にすかさず奈落の鉄鎖を放ち、腕の動きを止める。
「なに!?」
鉄鎖の重みに引きずられた手は真下に試験管の口を向け――――中身の毒ガスをまき散らしてしまった。
そして案の定、それを巻き上げた風の進路には、笹飾りくんが。
「しまった!」
「笹飾りくん、それ毒――」
笹飾りくん、笹台風発動。
「うわあああああああーーーーーっ!!」
「きゃあああああっ!!」
「なんでーーっ???」
敵味方関係なし。
笹台風は毒ガスと一緒に周囲に集まっていた全員を巻き込み、巻き上げ、吹き飛ばす。
「お、俺は、俺はただ短冊をつるしたいだけでーーーっ!!」
なぜか悲鳴の中には、エヴァルトの叫びも入っていたりする。
「ケンカ、いくない」
笹飾りくんは、ピカッと光る夕方の星になった彼らを見送ってつぶやくと、またとっとことっとこ歩き出したのだった。
――ってゆーか、この戦い、敵って1人もいなかったんじゃ…?
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