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リアクション
「はぁ……」
アールグレイの香りが湯気と一緒に立つが、その柔らかに白い湯気を力なく散らしたのは笠置 生駒(かさぎ・いこま)の溜息だった。
紅茶のカップを口に運びながら、同時に卓上のロールケーキにフォークをぶすっと突き立てる。ジョージ・ピテクス(じょーじ・ぴてくす)は、その無造作なフォークの動きに何故か、彼女が工具を扱う時の手の動きがダブるのを感じたが、口に出すのはやめようと思った。
「何でなんだろ……。パラミタに来てから、今一つパッとしないんだ。……はぁ。こんなつもりじゃなかったんだけど……」
「まぁ……誰だって、そういう時があるさ。特に、事を成そうと思ったら、最初のうちはな」
ジョージは大人しく愚痴の聞き役に徹することに決めた。
「なかなか、技術者として成長してる気がしない……」
「一つの道を究めるということは、そう一朝一夕にはいかんということじゃ」
「あ、おねえさーん、チーズケーキくださーい」
「食い気はあるのじゃな」
声をかけられて追加注文を取りに来たのはお姉さんではなく男性の椿だったのだが、生駒は気にしない(気が付かなかった?)し、椿の方も気にしていなかった。ジョージが呆れただけだった。
「何がダメなのかなぁ……やっぱり、地味だからか」
「うーむ……そんなことは」
「それとも、パートナーが猿だからか……」
ケーキを頬張りながらのその言葉に、さすがに聞き役のジョージもカチンとくる。
「それとも両方? 確かにどうしようもないよね、地味と猿とでは」
「……。本人の前で言うとはいい度胸だ……」
「チーズケーキです…お待たせしました…」
「あ、おねえさん、ついでに紅茶追加。あとこっちにバナナジュース」
「飲まんわ! あとこの御仁のどこがおねえさんじゃ!」
「いえ、あの…気にして、いませんから…」
「何怒ってんだよ。あんたも疲れてんの?」
「そうかもしれぬわ、どこぞの輩のように腹から愚痴をせっせと吐き出し代わりに菓子を詰めこむような真似は出来んからな!」
「何その言い方!」
両者立ち上がって睨み合い(間で椿がおろおろし)、一触即発かと思われたその時、とことことこ……と近づいてきた影があった。
「あの…ココア、どうぞ…」
ことん、と小さく音を立てて、言葉通り、クリームをいっぱいに浮かべた温かなココアのカップが、ジョージの前に置かれた。
「? 頼んでおらぬが」
ジョージが見ると、カップを運んできた白雪 牡丹(しらゆき・ぼたん)は、少し顔を赤くしてそれでも精一杯に声を出した。
「あの、キッチンで…ディアーナさんが…サービス、ですっ。……甘いものは、落ち着きますよ、って……」
一同が厨房の方を見ると、小窓からディアーナが、ちらりと控えめに微笑んでいた。たまに、本音を漏らしたせいで連れ合いと論争になったりして、ひどく疲れた様子になる客がいるのに、彼女は気付いていた。そんな客に、彼女はそっと、自分からの「サービス」としてココアを出していたのだ。ココアにはミルクが浮かんでいる。
「あ、あの…絵を、描いてもいい、ですか…?」
思い切ったように、牡丹が言った。カフェラテやカプチーノなどに、泡立てたミルクを浮かべて楊枝などを使って絵を描くいわゆるコーヒーアートの、ココア版をやってもいいか、という質問だった。それをジョージが思い至るより早く、
「え、できるの? 見たいな、やってよ」
怒りを忘れた様子で生駒が興味津々の声を出したので、牡丹はぺこりと一度頭を下げると、持っていた楊枝でさっとミルクをつついて形を整えていく。その器用さに、一同は見入った。
「へえぇ上手だねぇ。……あれ? これ、ジョージじゃない?」
生駒の言葉に、ジョージが瞠目すると、カップの上には白い「おさるさん」の顔がちんまりと浮かんでいた。
「あ、あの…その、可愛いと、思ったので…ダメ、でしたか…?」
おどっと上目づかいにジョージを見る牡丹に、ジョージはさすがに何とも言うことができなくなってしまった。
生駒が吹き出した。椿も微笑んだ。ジョージは困っていたが、結局苦笑い交じりに笑い出すしかなかった。
カップの中のおさるさんも笑っていた。
「わー、すげえ、ココアに絵が描いてあるー」
「すごーい、あたしも描いてほしー」
いきなり声が起こって、見ると、子供たちがカップを見て目を輝かせていた。
――大人たちに連れてこられて、飲み物やデザートが来たら大人はお喋りに夢中、子供たちは放ったらかされて退屈しきり、というパターンだった。暇を持て余した子供たちは、店にいた大きな、大人しい犬を構って遊んでいた。
……実はおとなしい犬ではなく、日本狼化したスプリングロンド・ヨシュア(すぷりんぐろんど・よしゅあ)なのだが。
(やれやれ……)
コーヒーアートに夢中になって、親のいるテーブルに「お母さーん、ココア飲みたーい」と飛んで行った子供たちの後ろ姿を見ながら、スプリングロンドはこっそり顔を撫でた。子供は好きだから、その相手は苦痛とは思わないが、あの子たちはもふもふというかぎゅうぎゅう触りすぎて、顔がちょっとおかしくなりかけていた。
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