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【第一話】動き出す“蛍”

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【第一話】動き出す“蛍”

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 互いに深々と一礼し、礼を尽くしたまま幾許かの時が流れ、そして両者は静かな動作で納めた刃の柄に手をかけ、ゆっくりと抜刀していく。
 やがて完全に抜刀し終えた剣を構え、両者は摺り足で少しずつにじり寄るようにして、双方から歩み寄っていった。
 そして、幾らか歩み寄った所であたかも申し合わせたかのように両者は同時に足を止める。
 そこからは長い静寂――もとい膠着状態の始まりだった。
 達人同士の立ち合いともなれば派手な技が入り乱れ、絶技の応酬が繰り広げられると思われがちだが、実際の立ち合いは達人同士であればあるほど、傍目には殆ど動きがない。
 剣術において幾つか重要なものののうち、その一つが間合いの読み合いだ。
 自分の刃が相手に届く距離、そして相手の刃が自分に届く距離。その二つを加味し、まさに境界線とも言うべき一線に向けて限界まで近付く――その過程においては、一歩どころか半歩、むしろそれ以下の距離しか互いに動かないということも決して珍しくはない。
 一足飛びに――それこそ文字通りに有効な間合いへと『飛び込む』戦法も存在しないことはなく、また実践された例も皆無ではないが、やはり達人同士の戦いは静かに見合った状態での読み合いが多いという。
 そもそも剣術の立ち合いとは刀剣という強力な武器を互いに持って行うものであるゆえ、一太刀入れば深手は免れない。たとえ一太刀を耐えきったとしても、それによって負った傷がもとで力が大きく減じられるのは免れず、ろくに対応できぬ状態のまま二の太刀を打ち込まれてしまう。ゆえに、勝負が一太刀で決まることも何ら不思議ではないのだ。
 加えて、今回は達人同士の勝負。更には双方ともに申し分ない斬れ味の剣を振るうのだ。一太刀入ればそれ即ち即死――勝負は一撃にして一瞬で決まる。
 今回の場合は魂剛と敵機、両者の振るう刃はともに同程度の長さである以上、相手が自分の間合いに入ったということは、それ即ち自分も相手の間合いに入っていることになるゆえ、尚更迂闊には踏み込めない状況だった。
 自らの振るう刃が相手に届くだけの間合いを確保し終えた後は読み合いの勝負へと移行する。
 ひとまずは無事に間合いを確保し終えたとはいえ、ここで迂闊に攻めを焦れば、たちまち身を滅ぼすことになる。
 互いに技量が同程度であれば、急いで刃を繰り出した所で、その刃は受け止められてしまう。そして、刃を受け止められるということは相手に攻める好機を与えるということなのだ。
 ましてや、今回の立ち合いは唯斗にとっては格上を相手取る勝負。生半可な攻めは受け止められるのは必定であり、唯一勝ち目があるとすれば、相手が隙を見せた千載一遇の好機に寸分違わず攻め込むできた場合のみ。
 一方、格上の相手である敵機は多少なりとも強引に攻め込んだとしても唯斗に決定的な一撃を叩き込むことが可能である可能性も否めない。
 今の所、唯斗は全神経を集中して護りを固め、隙という隙を一つ残らず消している状態だが、それもいつまで続くかわからない。あるいは、今にも相手が唯斗の護りを強引に突き崩せると判断して攻め込んでこないとも限らないのだ。
 この場において唯斗が取れる手は三つ。
 一つ目は、相手がいつ強引な攻めに踏み切ってくるとも限らないことを考えた上で、こちらから先んじて一太刀を浴びせる手――即ち、先の先。
 二つ目は、相手が少しでも攻めに転ずる気配を見せた途端、それより早く踏み込んで一太刀を浴びせる手――即ち、先の後。
 三つ目は、相手に敢えて隙を見せ、打ち込んできた一太刀をかわし、あるいは払った後、攻めてきたことによって露呈した相手の隙を突いて一太刀を浴びせる手――即ち、後の先。
 どれだけ見つめても、相手には致命的な隙――言い換えれば自分にとって正真正銘の好機となるような隙はどこにも見当たらない。
 このままただ待っていても、おそらく相手は隙の無い状態を維持し続けるだろう。そして、膠着の中で根比べに持ち込んだのならば、十中八九……否、九分九厘自分は負ける。
 ゆえに、何らかの形でこの膠着を破り、静止した戦局を動かさねばならない。それも、自分にとって勝機となる形でだ。
 たった数秒が数年間にも感じられる極限の緊張の中で、唯斗は自らの手中に残された三つの手を吟味していた。
 
 先の先……この相手と交戦を開始してからというもの、自分を含む友軍の誰一人として有効打を与えられていないほど護りの固い相手である以上、この手では勝ち目は無い。斬撃はもちろん、銃撃すらも見切って斬り払ってのける相手であることからもそれは明らかだ。
 先の後……相手は身体的な面だけでなく、精神的な面においても自分より格上。そのような相手がみすみす察知されるような攻めの気配を易々と感じさせるだろうか。それだけではない、いかに数多くの戦いを経る中で自分に合わせて調整が行われ、自分自身も操縦に習熟し、自在に操れるほどに馴染んできたとはいえ、やはりこれは鬼鎧に乗っての戦いであり、僅かにではあるが反応速度は生身に劣る。卓抜した反応や見切りが求められるこの手は生身の肉体で臨んでも勝ち目は極めて薄い。そのような手において、鬼鎧を操作して勝ちを拾うことなどできようものか。
 後の先……相手の剣術は剛性、柔性ともに自分の剣術を遥かに凌駕している。今まで何とか斬り結んでこれたものの、ひとえにレリウスやミルト、そしてジナイーダの援護があったからこそである。それに対し、今は正真正銘一対一の真剣勝負。自ら望んだこととはいえ、仲間からの援護は無く、更に言えば自分だけではなく相手も万全の状態で技を繰り出すことができるのだ。この状況で、果たして相手の一太刀をかわし、あるいは払うことなど無理だ。
 
 冷静に吟味した唯斗は、自分の手中に残された三つの手がどれも活路足りえないことを悟った。
 その瞬間、まるで一刀のもとに深々と断ち切られたかのような衝撃が唯斗に走る。
 実際に斬られたわけではない。だが、その絶望感と恐怖感はあたかも実際に斬られたかのような衝撃となって唯斗を襲う。
 あまりの衝撃ゆえに唯斗は歯を食いしばることもできなかった。もはや歯を食いしばるだけの力すら入らず、それでも無理に歯を食いしばろうとした唯斗の顎は、唯斗本人の意志に反して小刻みに震えてかちかちと情けない音を立てる。
 木端微塵に砕かれた心を必死でかき集め、それを繋ぎ合わせることで唯斗は崩壊寸前の理性を保っていた。もし、少しでも気を抜けばその瞬間、恥も外聞もかなぐり捨てて泣き喚きながら背を向け、笑った膝でのおぼつかない足取りのまま、這いつくばるようにして逃げ出そうとするか、あるいは同じく恥も外聞をかなぐり捨てて泣き喚きながら相手へと斬りかかるだろう。もっとも、それはもはや剣術とは到底言えず、素人の棒振り以下に違いない。
 いずれにせよ、ほんの僅かな気の緩みが最低の醜態を晒し、そればかりか身を完全に滅ぼすことにも繋がるのだ。
 身を斬られるほどの圧倒的絶望感と恐怖感に苛まれながら、唯斗は必死に活路を見出そうと、ただでさえ熟考の域に達している思考を更に深めていく。
 やがて唯斗の脳裏に、先刻この立ち合いに臨むより前に相棒から聞かされた言葉が蘇る。
 
 ――もしかすると、奴は隻眼なのやもしれん。
 
 幾度もの激戦を勝ち抜き、生き残ってきたこともあってエクスには相手の弱点を見抜く確かな慧眼がある。
 その彼女が言っている以上、それが真実であることは確かだろう。
 だが、相手はあれほどの使い手。ならば、隻眼という不利を負った上でそれを補うだけの実力を身に着けていて不思議ではない。
 現に、初めて相見えてからというもの、この相手の戦いぶりは不利など決して感じさせなかった。
 だからこそ、隻眼という相手の弱点が判ったところで安直にそれを突こうとしたところで、あえなく返り討ちに遭うのは目に見えている。
 ならばいかにするか……もはや数秒間が数年間はおろか数十年すら超えて数百年にすら感じられるまでの極限において熟考に熟考を重ねた唯斗は、やがて一つの結論に達した。
 ――今、自分が対している相手は間違いなく人間。そして、おそらく相手も極限の中にいるだろう。もっとも、それがもとで相手が下手を打つとはもとより期待していない。
 だが、相手が人間であるゆえに、相手が人間であることこそが活路になる――唯斗はそれに賭けることを選んだ。
 千日の研鑽を以て鍛とし、万日の研鑽を以て錬とする――その言葉に違うことなく、長きに渡り自分が積み上げてきた研鑽。極限の中の極限たるこの状況において、ただ信じるは自らの研鑽のみ。おそらくそれは相手も同じであろう。
 そして、唯斗は最後の覚悟を決めた。
 鬼刀の柄に手をかけた魂剛は足を大きく踏み出すと、左方から回り込むようにして相手へと肉薄し、ほぼ一瞬のうちに相手の懐へと踏み込む。
 踏み込むと同時、魂剛は納刀したままの鬼刀を全身全霊の力を以て振り抜いた。
「我流刀術奥義『 』」
 静かながら凄まじき裂帛の気合いが込められた声で唯斗が言い放つ。
 ――『 』。その技を表す文字は存在せず、ただ『うつほ』という音が口伝されるのみ。
 それは鬼刀による超神速の抜刀攻撃。
 放たれた瞬間は目に見えず、音も聞こえない。それは既に知覚外の代物。
 究極まで速さを高められたその斬撃は、もはやこの世に存在しないも同じ。
 ゆえに『うつほ』。文字を用いないということそのものが他ならぬ表意文字として、この存在しない斬撃という魔剣を表意しているのだ。
 だが、相手の振り抜いた大太刀の一撃も、その魔剣に匹敵する速さであった。
 魂剛が魔剣――存在しない斬撃を振り抜いた時には既に、相手も自らの一太刀を振るい終えている。
 傍目には刃を振るった瞬間など何一つとして見えず、勝負の行く末を知る方法はただ一つ――どちらが倒れるかを見極める以外にない。
 仲間たちが固唾をのんで見守る中、魂剛を通して唯斗の声が戦場に響き渡る。
『……見事』
 相手への敬服に満ち溢れた唯斗の声とともに、魂剛の胴体が胸の上辺りで真一文字に断ち切られて、首とそこから少し下までが背後へと転がり落ちていく。
『唯斗が……負けた……』
 慟哭するような佐那の声。今にも飛び出そうとする彼女を制したのは、先刻と同じく宗茂であった。
『否……この勝負、軍配が上がったのは――』
 真実を見抜いた様子の宗茂が重々しく呟くと同時、敵機が機体の中心――脳天から股間までの一筋を境に真っ二つに断ち切られ、両断された二つの残骸がそれぞれ左右逆の方向に倒れていく。
 断ち切られた残骸が完全に倒れるのを待たずして、機密保持の為の自爆装置が作動したのか、敵機は塵一つ残らないほどの強大な爆発によって木端微塵に消し飛んだ。
「終わった……か」
 爆風の余波も落ち着いた頃、聞こえてくるのは唯斗の肉声。どうやら、首とそこから少し下までを斬り落とされたことで内部が露出し、言わば天井が取れたことで唯斗の声が直接聞こえるようになったのだろう。
 斬られた場所は唯斗の頭上すぐそこであった。あと一寸でも下を斬られていたら、今頃は唯斗とエクスは即死していたに違いない。
 敵機はその凄まじい技量を以て、魂剛が一太刀を浴びせるのと同時に自らも、横合いから攻めて来た魂剛という相手の身体を斬り払ったのだ。
 両者ともに放った一太刀は会心の一撃。双方の太刀はどちらも必殺の一撃足りえるだけの威力を秘めていた。
 胴体を逆袈裟の太刀筋で真っ二つに斬られた敵機はもちろん、首回りを鮮やかに断ち切られた魂剛は、人間であれば間違いなく即死であっただろう。ゆえに、生身での立ち合いであれば完璧な相打ちであったのだ。
 だが、これは生身の立ち合いではなく、鬼鎧――サロゲート・エイコーンを駆っての立ち合い。その事実こそが勝敗を分けた。
 たとえ首回りを断ち切られようとも、腹部から胸部にかけての位置に乗り込んだ唯斗とエクスは死んでいない。即ち、二人は生き残ったのだ。
 対する敵機は下半身から上半身、そして脳天にかけて一刀両断されている。これではたとえどこに使い手が乗り込んでいたとしても、その使い手が即死であることは否めない。
 極限の中の極限という状態の、刹那の中の刹那という瞬間において咄嗟に物を言うのは長きに渡り積み上げてきた研鑽。
 いかな操縦系統かは不明だが、敵機は人間同様の動きを再現しており、おそらく使い手の動きをそのまま反映する仕組みなのだろう。そして、そのような仕組みで動かす機体であるがゆえに、使い手は生身でも相当の強さを持った達人であることが求められる。
 敵機の使い手が刹那の中の刹那で咄嗟に繰り出すのはサロゲート・エイコーンの操縦技術か、それとも生身で修めた剣術か。
 おそらくは後者。機体を動かす仕組みが、かのようなものであることも、それを後押ししているに違いない。
 敵の敗因――それは、人間であるがゆえの無意識、慣れ、癖……そういったものからくる『咄嗟』ゆえに、最後の最後でサロゲート・エイコーンを駆っての戦いではなく、生身での剣術を介する戦いをしてしまったこと。
 そして、唯斗の勝因は最後までこの戦いがサロゲート・エイコーン同士の戦いであったことを失念しなかったことだ。
 勝負を終え、唯斗とエクス立ち上がって一礼する。
「魂剛、最後まで……本当にありがとう――どうか安らかに眠ってくれ」
「唯斗共々、妾も礼を言うぞ」
 深々と一礼した後、ゆっくりと頭を上げ、二人で別れの言葉を魂剛に告げてから、唯斗はエクスを抱きかかえると、その場から大きく跳躍する。
 エクスを抱えた唯斗が大きな放物線を描いて跳び出した直後、二人の背後で魂剛は爆発し、大破して残骸となったのだった。