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闇に潜む影

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闇に潜む影

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   二

 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が「天下一刀流」の門を叩いたのは、その日の朝だった。
 門下生が打ち鳴らす激しい竹刀の音を想像していたクリスティーは、その閑散とした様子に唖然とした。
 轟 平八郎(とどろき・へいはちろう)は、大柄な四十過ぎの男性だった。顔は厳ついが、丁寧な教え方が評判で門下生の数も多い――と聞き込んできたのは、パートナーのクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)だ。
ミシャグジ事件」の際、クリストファーは重傷を負った。その傷を治すため、二人は葦原島に長逗留をしていたのだが、湯治先の宿で轟道場の話を聞いたのである。
 噂とあまりに違うその理由を教えてくれたのは、セルマ・アリス(せるま・ありす)リンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)であった。
「『髪斬り』……だと?」
 平八郎の眉が大きく跳ね上がり、コメカミに血管が浮いた。
「噂はご存知でしょう? 新月の晩に出没し、腕に覚えのある者を気絶させては髪を切っていく正体不明の人物です」
 クリスティーは平八郎の頭に目をやった。彼は前髪を後ろへ撫でつけ垂れ下げた、総髪である。元々がそうなのか、結うのに長さが足りないのかは分からなかったが、道場に閑古鳥が鳴いている理由は、察しがついた。
「先生――」
「わしは知らん!!」
 平八郎は言い切った。
「『髪斬り』だと? わしは見たことも聞いたこともない! もし、わしの前にそんな奴が現れたら、一刀両断にしてくれるわ! わはははは!」
 広い道場に、平八郎の笑い声が木霊する。
「それはもちろん、そうでしょう」
 セルマは大きく頷いた。「俺はもちろん、貴方が『髪斬り』に敗れたなど信じていません。ですが町では噂として話が出回ってしまっています。あなたが髪を切られた――と」
 ぴたり、と平八郎の笑いが止まった。ここぞとばかりにセルマは畳み掛ける。
「どうでしょう? 噂を払拭するために貴方が『髪斬り』を倒したということにしませんか?」
「それはいい。そうすれば、きっと弟子も戻ってきますよ」
「どうするのだ?」
 クリスティーの勧めもあって、平八郎はあっさり話に乗ってきた。セルマの【貴賓への対応】も、彼の態度を軟化させるのに役立っていた。
「まずは情報が必要です」
 リンゼイの言葉に、うむ、と平八郎は頷き、腕を組んだ。
「実はわしの知人が『髪斬り』にやられてな」
 それは先生のことでしょう、とクリスティーは思ったが、ツッコむのはやめた。
「一体、いつ、どこでの話ですか?」
「三月前の新月の晩だ。酒を飲んだ帰りであった。奴は音もなく、現れた。卑怯な奴よ。――いや、その知人から聞いた話だがな」
「酒の席の帰り――ということは、武器は?」
と、これはセルマ。
「無論、大小は差してあった。だが何分にもいきなりのこと故、刀を抜く暇がなかったのだ」
「つまり、いつも通りの姿、というわけですね?」
 袴に大小。犯人は、平八郎と知って襲ったか、いかにも「強そう」な容姿を狙ったか。
「『髪斬り』がどのような服装をしていたか、分かりませんか?」
「顔は分からん。着ている物もな。だが、小柄だったな。そなたや、お前ほどに」
 平八郎はリンゼイとクリスティーを見比べた。
「……いや、もっと、体格は良かったな。しかしお前はもう少し、筋肉を付けねばならんな。わしが鍛えてやろう」
と、最後はクリスティーのみへのセリフだ。
「小柄で俊敏ということですね?」
「力もあった。ただの一撃で気絶させられたのだからな」
 平八郎は鳩尾を擦りながら答えた。既に己がこととして、語ってしまっている。
「何か話していませんでしたか? 名前を尋ねるなど」
と、リンゼイ。平八郎はふむ、と考え込み、
「……満たされぬ。そう、そのようなことを言っていた――そうだ」
 平八郎からは、これ以上の情報は得られそうになかった。
「して、これからどうする?」
 その道場主は、期待に目を輝かせている。情報を引き出すための方便とは言えず、セルマは困った。困った末に、「後でご連絡差し上げます」と言って逃げた。
 残されたクリスティーは、
「き、きっと大丈夫ですよ」
と、作り笑いを浮かべるしか術はなかった。