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第3章 フランセットの休息


 大樹の中に設けられた、とある客室の扉がノックされた。
「失礼します」
 大樹で働くメイドに案内されてこの客室を──ヴァイシャリー艦隊の提督の一人、フランセット・ドゥラクロワ(ふらんせっと・どぅらくろわ)を訪れたのは、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)だった。
「ああ、君か。何か話があるとのことだったが……今日は何の用だ?」
 フランセットは言ってから、ローザマリアの両手に抱えられている白薔薇の花束に目を留めた。
「どうぞ、こういうお祭りだし、市場で綺麗だったので買ってきたの」
 ローザマリアはそれを手渡すと、同じく市場で買って来たローズヒップティーの茶葉を取り出して並べる。
「これは驚いたな」
「たまには息抜きも必要。ましてやそれが艦隊司令官と言う激務なら尚更」
「心遣いはありがたいが……」
「御存知ですか? 艦隊司令官というのは『平時でも2年が限度』とされています。激務で、身が持たないからです。それなら、私にできる事は――」
 戸惑うフランセットに、ローザマリアは部屋に入り、てきぱきとメイドにポットにお湯貰うように頼む。
「せめてこうして息抜きの機会を設けて少しでもそれを長引かせる事だけ」
「仕事は好きだから、無理をしているつもりはないのだが……。座らないか?」
 ローザマリアは勧めに従って、テーブルにつく。フランセットも机から移動したが、ローザマリアは彼女の目の前に置かれていた、大量の資料に気付いた。
 ローザマリアの前に姿を見せるフランセットはいつも仕事をしていた。それを苦にした様子もない。
「それに……君の考える艦隊司令官程の激務ではないんだ。『ヴァイシャリー艦隊の司令官』と言っても、私が指揮するのは大規模な艦隊とはとても言えないしな」
 数十隻も一度に指揮するようなことにはならないし、司令部もそうさせないだろう。何しろ彼女は若く、そして女だった。何故自分が海に行かされたのか、それを彼女自身も分かっている。
 とはいえローザマリアの懸念通り、ワーカーホリック気味であるのは確かだろう。おまけに仕事はひっきりなしだ。
「それから、この後、人と会う予定がある。残念ながら、ここでのんびり息抜きをする訳にもいかない……悪いとは思うが」
 済まなそうに言うフランセットに、ローザマリアはテーブルに飾った白薔薇に、そっと手を触れた。
「白バラの花ことばは『約束』私とあなたの約束は――」
「約束? 約束をした覚えはないが、強いて言うなら君が海軍を起こすのを期待する、と言ったことだろうか? もし何か忘れていたなら済まない。
 ……ああ、また来客だ」
 再び扉がノックされた。
 メイドがポットにお湯を運んできたその後ろに、今度はルカルカ・ルー(るかるか・るー)とそのパートナーカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)の姿がある。
「こんにちはフランセットさん。ショーをご一緒しませんか? ご希望のところにお付き合いしますよ」
「その約束だったな。クライツァール、良かったら君も行かないか?」
 にこやかに笑うルカルカに、フランセットはお茶を一杯飲んで立ち上がると、ローザマリアと共に、ルカルカやカルキノスと一緒に街を回ることにした。
 幹から出てすぐの場所にあるフラワーショーの会場を回りながら、彼女たちはたわいもない話に花を咲かせた。フランセットはガールズトークには縁遠いせいか、軍人だけのせいか、カルキノスは極まりの悪い思いをしなくて済んだ。というより……。
「ああ、どこぞの馬鹿は『植物の生殖器官に興味はない』とほざいたんで置いて来た」
「ダリルったら」
 むしろ、ルカルカの方が額に汗をかいてきまりが悪い思いをしたくらいだった。
 四人は会場内のカフェで軽食を取りながら、再びたわいない話を続ける。
「ところで先程から持っている包みは?」
 フランセットはふと、疑問を口にした。ルカルカの膝の上には、何か大きいものが入った紙袋が置いてあった。
「ヒラニプラ茶の茶葉と、パンダまんの詰め合わせです。族長さんには珍しいかなって思って、持ってきたんですけど。実は気になることがあって。ドリュアスさんにお聞きしたら分るかしら。でも、折角の祭の日なのに無粋かな……って」
 ルカルカはジャスミンティーをストローで吸ってから、迷うように。
「海面上昇のその後とか、列島は今どうなってるのとか、海上の森への影響はどうか、とか。大した事は出来ないかもだけど、お力になれる事も少しはあるかもだから、知って考えたいの。何かお聞き及びじゃないですか?」
 ルカルカは迷うように、
「お祭のお礼に会うだけ会いに行ってみません?」
「残念だが、族長は人前に姿をお見せにならない。だが、実は今朝、補佐の方とお会いしてきた。君の疑問に一定の答えはあげられるはずだ」
 ドリュス族の族長であるドリュアス・ハマドリュアデスは、その姿を滅多に人前には見せないという。
 それは彼女自身が樹の声を聞く巫女としての要素を多分に持つからであるとも、政治的な立場が人々を混乱させるからとも、或いは絶世の美女であり見た者の目が潰れるとも言われていた。が、族長に選ばれる前の彼女は、いたって普通の花妖精の少女であったということだから、幾分は伝説が後付されているのだろう。
「国軍の君にこう言うのも変に思うだろうが……君には借りがあるからそのお返しのようなものだな」
 借り、というのは、ヴァイシャリーが交易を始めようといた時、帝国の商人を害しようとした犯人を捕まえたのは、ルカルカたちだったからだ。
「それでは、何か分かったんですか?」
「族長の役目はこの大樹と森の保全が第一だという。これにできるだけ専念していただけるように、守護天使の方が補佐を務めておられる。
 彼の言葉では、族長とこの大樹の力とは、この森と周辺の水域の自然のバランスを保つ力。ここ数年、海面の上昇などを食い止めていらっしゃったが、最近とみに負担が増えているようで、大変お疲れの様子だという」
 イルカの獣人たちの珊瑚礁の異変、海面上昇や刃魚の発生は余波に過ぎない。この原色の海が原因であることに疑いがないのだ。
 カルキノスは、「祭りにゃ食い物は必須だからな」と花妖精──アデリーの頭を撫で親ばかのように照れながら、彼女と並んで、エディブルフラワーを使ったサラダをむしゃむしゃ頬張っていたが、ふいに真面目な顔になって、
「異変の原因は調査してるのか?」
「ああ。今詳細を調査させている。海底にある“オルフェウスの竪琴”と呼ばれる岩の周囲をな」
 フランセットは厳しい顔で言った。
「……やがて戦いが起こるだろう」