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平安屋敷の青い目

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平安屋敷の青い目

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14時49分:住宅街

 とあるアパートの角。
 薄い壁で覆われた給水タンク室の壁に、ぬるりと白い腕が飛び出した。
 続いて出てきたのは、輝くプラチナブロンドの髪を振り乱したこちらの葦原明倫館のくノ一の姿だ。
 胸の前に刀を構えたまま、頭からは獣の耳を生やし、感覚を研ぎ澄ませている。

「…………」

 数秒もし無い内に構えを解くと、くノ一フレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)はタンク室の扉の鍵を内側から外し、外に立っていた男を出迎える。
(誰も居ないようです)
 視線で合図を送ると、その男――ベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)もまた長い瞬きで答える。

 友人のジゼルの家に向かう際、二人は突然起こったこの事件に巻き込まれた。
 今は体制を立て直そうと、安全な場所を探していたところだったのだ。
 走りつかれた身体を押さえつけ、荒い息を押し殺して、フレンディスとベルクは今使える武器を確認している。
 くノ一のフレンディスが愛用するのは、ワイヤーの先に鉤爪が付いた特殊な武器だ。
 そのワイヤーを射出させ敵を捕縛したり、そのまま鉤爪で引き裂いて攻撃することが出来る強力なものである。
 しかし今相手にしているのは、恐らく人間だろう。
 止むを得ない場合でもなければ、極力傷つけずに済ませたい。そこでフレンディスはワイヤーを使い、相手を転倒させる程度の攻撃を中心にここまできていた。
 
 だがそれが仇になったらしい。ここへ逃げ込む前に無理矢理壁に食い込ませた所為だろうか、鉤爪の刃が歪み欠けていたのだ。
(これでは鬼の方には使い物になりませんね……) 
 浮き足立つ気持ちを落ち着かせようと意気を吐いて、
 それから大きく吸い込んだ空気に、フレンディスは喉の奥に込上げる感覚に慌てて口を塞いだ。
「(マスター、空気に違和感が御座いませんか?)」
「(ああ……
 ナラカの瘴気とはまたちょっと違う感じか?
 いずれにせよまたロクでもねぇ事に巻き込まれた気がするぜ……)」
「(先程――
 遠くを逃げていた女性が、薄くぼやけた……霊のようなものと目を合わせた途端、人を襲い始めたのを見ました。
 マスター、これ以上時間が経てば、状況は更に悪化するやもしれません。)
 早くジゼルさんのもとへ参りましょう」
 そう言うフレンディスの手元の鉤爪を見やって、ベルクは内心ため息をつきたい気持ちだった。
「俺が前だ。フレイは零した分をどうにかしてくれ」
 気づかないようにして、彼女を思いやる。フレンディスの気持ちは重々分かっているつもりなのだ。
 彼女の持つワイヤークローは、元々捕縛に優れた武器だ。
 それを敢えて相手の転倒狙いで使っていたのは、その方が「進むのに早い」と踏んだからだろう。
 ベルクが思い出すのは、この状況になる前、空京に至る迄の道すがらのフレンディスとの会話だった。


「はぁ……。
 この間のあるばいとで失敗ばかりで……。私、ジゼルさんに謝らなくちゃ……」
「そうか? 俺はお前なりに頑張れてたと思うぜ?」
「マスターにそう言って貰えると嬉しいです」
 頬を染めて俯くフレンディスにベルクは次の言葉を待っていた。
 仮にも付き合っているのだ。多少の事位期待したところで罪にはならないだろうと。

 けれども覗き込んだ彼女の顔は、何時の間にか強張ったものに変わっていたのだ。
「あの……マスター、
 この間のあるばいとの終わりの時、ジゼルさんの様子が、
 少し……おかしかったと思いませんか?」


 フレンディスの気持ちを逸らせているのは、恐らくこの心配ごとだろう。
 こうした彼女の気持ちを汲んでやることしか、今のベルクには出来ない。
 心の面で言えば如何に契約者達と言えど、誰しも一人の無力な人間に過ぎないのだ。

「そろそろ行くか……」
 ベルクは言って、扉を背中に片手に魔術杖を手にしたままドアノブに手をかける。
 その瞬間。
 カチャリ。と音を立てて向こう側に開いたドアに、ベルクは見事に足を取られた。
「うわ、わああああ!」
 思わず上げた間抜けな声をよそに、ベルクの横を二つの輝くプラチナブロンドが横切っていく。


「フレイ! 無事だったのね!」

「ジゼルさん!!」


15時14分:大通り

 5発の発砲音が連続で響いた後、小型のリボルバーからは煙が立ち上がっていた。
 女性の護身用として広く使用されたこの銃から聞こえてくる弾切れの音を何度繰り返しながら、
九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)はイラついた様な、それでいて清々しいような笑みを浮かべていた。
 大通りに面したある店の前に彼女は立っている。
 少し前まではその店の内に立て篭もっていた。
 店の窓ガラスは彼女の手によってガムテープとダンボールで不恰好に補強されてしまっているものの、
地面に落とされた割れた看板から工具店であることが察せられた。
「弾切れか……」
 未だ火薬で熱い銃をそのまま乱暴に白衣のポケットに突っ込み、発煙筒を側薬で摩擦する。
 もうもうと煙を上げて、赤い光りが放たれた。
 それに呼応して、闇の中から新たな餓鬼達が現れて行く。

(学人は家族も同然だった。
 あの子も幼かった。
 
 二人の為に出来る事……)

「生きの良い人間ならここに居るぞ!! 集まれ鬼ども!!!!!」

 地面に足を踏ん張り吠える彼女の心は、この光りの如くに赤く赤く燃えていた。 





同時刻:ドラックストア


 バン! バン! と、乱暴に硝子扉を叩く音に、店内に座り込んでいた椎名 真は立ち上がった。
「生存者だ!」
 急いで駆け寄っていくと、乱雑に詰みあげられたバリケードの向こう側、硝子扉の外から女が二人必死の形相で叫んでいる。
 硝子が分厚いのと、外の混乱で何を言っているのか聞き取れはしないものの、助けを求めているのは明白だった。
「早く開けてあげよう!」
 双葉 京子と協力し、彼が入り口に張り巡らせた透明の糸のバリケードを外そうと手をかけると、
後ろから思わぬ人物に声をかけられた。
「俺も手伝うぜ!」
「壮太!」

 真の友人、瀬島 壮太(せじま・そうた)フリーダ・フォーゲルクロウ(ふりーだ・ふぉーげるくろう)と共に、真に習って行動し始めた。
「まさか、同じ店に居たんだ」
「幸か不幸か、なぁ?
 飲み物でも買おうと思ったらいきなり外がどんよりしたんでよ、雨かと思って引き返したらこれだ。
 何だか大変な事になっちったなぁ」
「でも壮ちゃん。多分もっと大変なのはあちらの方よ」
 フリーダが指差す先では、外の女達が後ろから迫ってくる餓鬼を相手に立ち回っていた。
 銃やライフルを使い、戦う姿は妙にこなれている。
 否それよりも、彼女達は国軍の制服を着ていた。
「軍人さんかしら?」
 無いよりはマシ。
 で設置されていたダンボールの山を、京子と協力して押しながらフリーダが言う。
「ああ。銃だと弾数に限りがあるし、早くしてあげねぇとな」
 壮太が最後の糸を切ろうとしたところだった。

「おい、待てよ」
 振り向くと、男が一人立っていた。
 波羅蜜多実業高等学校の生徒にして、世界的下着メーカーに勤める国頭 武尊(くにがみ・たける)
 彼がここに居るのもまた、偶然空京の支社へ出向していたからである。 
 サングラスで隠れた表情は完全に伺い知ることは出来ないものの、皺のよった眉間が、彼の感情を率直に訴えている。
「事件が起きてからバリケードで塞いでて外がどうなってんのかいまいちわかんねぇのによ、
勝手に開けていいのか?」
「……え?」
 手を止めて、武尊の方を見ると、彼の後ろに震える買い物客たちが疑いの眼差しでこちらを見ていた。
「オレは……前の事件の時も巻き込まれてんだ。
 前みたいに鬼の仲間になった奴みてぇのが外に居たら……」
「まさか……!?」
 武尊の言葉に、四人はバリケードの向こうを見る。
 餓鬼に銃を打ち込む傍ら、ちらりとこちらを見てきた一人と視線があった。
 見過ごすことは出来ない。
「助けましょう」
 口火を切ったのは奥山 沙夢の発言だった。
「もしそれで異論があるのなら、私一人でもあの人達を助けに行くわ」
 沙夢の信念を宿した瞳に、買い物客たちは云々と顔を赤くした。
 無関係な他人よりも自分の命を優先しようとした己の矮小さに気づいてしまったのだ。
「すまねぇ」
 頭を下げる武尊に、
 沙夢は首を横に振って答える。
「あなたは皆の気持ちを代弁しただけだわ」と。
(きっと不安なのね。
 私もそうよ。
 このままここに居れば、皆、もっと疑心暗鬼に陥るかもしれない……。
 でも今は出来る事を――)
 沙夢が考えている間に、店の中に居る者たちの覚悟もまた、決まったようだった。

「おしっ! 切るぜ」
 壮太が最後の糸へ刃をかけた。