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【逢魔ヶ丘】魔鎧探偵の多忙な2日間:1日目

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【逢魔ヶ丘】魔鎧探偵の多忙な2日間:1日目

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第1章 魔鎧になるということ


 キオネ・ラクナゲンとシイダ、そして空京警察(隠密的な活動をしなくてはならないため、派遣された人員は目立たぬよう、あえてごく少数となった)と協力を申し出てくれた契約者たちの本拠地「捜査本部(仮)」は、『白林館』から十数メートル離れたところにある、古びて今はあまり使われていないらしい競技場の番小屋となった。
 競技場とはいっても、ただひたすらだだっ広いオーバル型の芝生のフィールドが広がっているだけだ。ここを選んだ理由は、館から離れすぎても近すぎても(こちらの動きを気取られるので)いけない、木立に隠れていて他からは目立たないがこちらからは館の全貌が見える、といったものの他に、もし本当にコクビャクが飛空艇を使ってここに「何か」を運んでくるのなら、このフィールドを発着場代わりに使うことも考えられたからであった。
 ここに本拠を構えるにあたって、事前に周囲をざっと調べはしたが、飛空艇の行き来に関するような何かが見つかる、ということはなかった。ので、飛空艇のことはとりあえずさておき、館の内部把握、そして制圧に目的を集中させることにした。
 魔鎧シイダは、くすんだ栗色の長い髪を持つ女性という人型の姿を取っている。美人と言えなくもないが、何より憂いの色が、表情をくすませている。どこか、今まで生きてきた疲れのようなものを影のように帯びて見える女性である。
 そんなシイダに、清泉 北都(いずみ・ほくと)ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)が、彼女の捜しているという花妖精について、詳細な様子を質問していた。


「――ララカは、ポーチュラカの花妖精です」
 シイダは2人に答えて、捜し人のことを話す。
「私が住んでいる辺りの……貴族はもちろんですがちょっと土地を持っているようなくらいの家でも、花妖精が雇われていることは珍しくありません。
 花妖精は耕作や庭造りの大きな助けになってくれます。もともと、それほど植物が育ちやすい土壌ではないので、助力は余計に魅力的です。
 ですから……私たちの需要を見越して商売に来る闇商人も多うございます。
 中にはたちの悪い者たちもいます。見かねて私の家で引き取ったのがララカで……」
 そこまで話してシイダは、つい無用な昔話をしてしまった、という風に口をつぐみ、改めてララカの外見的特徴などを述べた。
「シイダさんは、そのララカさんがどうして魔鎧になりたいのか、全く何も聞いていないんですか?」
 北都の問いに、シイダは首を振った。
「分かりません……」
 途方に暮れているような表情だった。彼女が本当に、ララカという子を心配しているのが分かる。
「シイダさん……」
 ネーブル・スノーレイン(ねーぶる・すのーれいん)も、心配そうな面持ちでシイダを見つめている。
 今回の事件のことを聞き、いろいろな考え、思いが彼女の胸の中にある。今回のことで、今までのコクビャクの事件で亡くなった人の魂を使うのが目的だとしたら……その為に苦しんだ人のことを思うと、許せないという感情が湧く。しかし、それとは関係なくこの会に参加する貴族悪魔の子女たちが、何かの標的にされているかも知れないという考えもあった。
(でも、冷静にならないと、きっと逃げられちゃう……
 だから、落ち着いて情報を集めないと……だよね)
 そう考えてキオネやシイダの話を聞いているのだが、今は、沈痛な顔のシイダの懸念が胸に響いた。

「……シイダ様、」
 唐突に、ニケ・グラウコーピス(にけ・ぐらうこーぴす)が口を開く。コクビャクとの繋がりが確定し次第、コクビャクの息がかかっていると思われるスタッフを素早く拘束して速やかに館を制圧するために、パートナーのルカルカ・ルー(るかるか・るー)とともにキオネと打ち合わせをするため、潜入前にこの場に留まっていた。
 シイダがニケの方を向くと、ニケは微笑んで軽く会釈して見せた。
「私も魔鎧ですわ。
 シイダ様も事情がおありになって自ら魔鎧となったと聞きました。
 私は――大切な人を守るために魔鎧になりました」
 微笑を湛えたままだが、どこか凛とした響きが声音にあった。
「魔鎧には、それができます――すべてかけて、大切な人を護るということが。
 だから私は、魔鎧になることを選びました。
 ララカ様という方にも、もしかしたらそのような強い思いがあったのではないでしょうか。
 そのような思いで、強いられて魔鎧となるのではなく、自ら魔鎧という生き方を選び取る方が、私には魔鎧の在るべき姿と思えます」
 静かだが強い芯のある言葉が、シイダの胸にしんと沁みていく。
「シイダ様は、もしララカ様にそのような思いがあったら、ララカ様の選択を受け入れる気持ちがおありなのでしょうか」


「お強い方、なのですね」
 しばらく、ニケの真っ直ぐに向いた目を見つめた後、シイダはぽつりと落とすように呟いた。
「もちろん、ララカに真剣な思いがあるのなら、彼女の人生です、私にそれを阻む理由はありません。
 けれど……こんな怪しげな教室に頼りたいという思いが、何かに急き立てられているのではと思わせるような性急さを感じて、不安なのです。
 もしも理由を聞いてそれが納得できるものであれば、キオネ様を紹介する用意が私にはあるのに……」


「――俺は、決して強い魔鎧を作れるわけではないからね」
 その時口を開いたキオネに、その場にいた人々の視線が集中した。
「シイダを前にこういうことを言うのは酷だけど、客観的に判断して、俺の魔鎧は決してクオリティの高いものではない。
 魔鎧を作るものが見れば、それは明らかだろうと思う」
「キオネ様……分かっております。すべて承知で、キオネ様の手に委ねたのですから。
 キオネ様は戦いに秀でた魔鎧を作ることを望んでいるわけではなく……魔鎧になりたい者を助けている、だけなのですよね」
 魔鎧になりたい者。その言葉が、奇妙に聞く者の心に残響を残す。
 それを悟ったかのように、キオネは語り出す。

「当たり前のことだけど、志願して魔鎧になるっていうことは、生きながらに違う種族に生まれ変わるっていう意味を含んでいる。
 地球人も当てはまると思うんだけど――魔鎧になることで、元の種族より寿命が延びる場合もある。
 実際、そういう理由で魔鎧になることを望んだ人もかつていたよ。別種族の愛する人と同じ時を生きるために、魔鎧となることを望んだ人とかがね。

 ――俺にできるのは、そういう人たちの望みをかなえるためだけの魔鎧作りだから。
 より強い力を欲しい、魔族の強い力を得たいという理由で魔鎧になりたい人の要望に応えるのは……難しいと思う」


 そしてキオネは、ニケとルカルカの方を向いた。
「ニケさんの言葉は、俺みたいな形で魔鎧を作る者が聞いたら、大いに励まされる言葉だね。
 魔鎧は強いられるのではなく選び取る生き方……うん、健全な思いだと思う。
 ただ、魔鎧になるもならないもその人の生き方だとして、しかしそこに『魔鎧職人』という第三者の手が介入するのは必然のことだ。
 自力だけで魔鎧になることができた、という例はあんまり聞かないからね。
 その職人との巡り合わせに運不運があることも、また否めない事実――
 シイダがそれで不安になるのは当然だし、ララカさんがその当然の不安をきちんと直視しているのかどうか、俺も少し心配だ。
 ……ニケさんには、きっとそこでもいい縁があったのだろうね」
 そう言ってキオネは、少し寂しげに笑った。

 その侘しげな笑みが胸に引っかかったのか、ニケが口を開こうとした時、
「ニケ様……は、それで、大切な方をお守りできたのですか?」
 横からシイダが尋ねてきたので、答えるべく彼女の方に向き直った。
「はい。その方は天寿を全うされたので、次にお守りする方を探して……
 ルカの事を、知ったので申し出たのです」
「おしかけ魔鎧さん、って、珍しい?」
 ひょこっとニケの隣に顔を出して、ルカルカが軽く問う。
 シイダの顔に、ようやくほんの少し、笑みが滲んだ。





「もし何か事が起きた時には、何も知らずに参加している教室の生徒たちを守らないと」
 という意図から、参加者のフリをして潜入することに決めたクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)だが。
「……本当に大丈夫なのかな……これ」
 かなりテンションの低い声で、かなりはっきりパッドで盛られた自分の胸を見ながらクリスティーが呟く。
 一応、クリストファーが連れてきた「信頼できる筋の知り合い」という設定になるという。
「名前は……クリスじゃなんだから『アルバ』で」
 カラーコンタクトや亜麻色の髪のかつらを使って、万が一知人がパッと見てもすぐに気付かれるような変装ではないと、確信してはいるが何とも気が乗らない。乗り込む先にいるのは貴族悪魔の子女――つまり魔族ばかりという場で、ぼろが出ないよう振る舞えるかどうかも心配だ。
 クリスティーがそんな懸念やら緊張やら女装(体は女性なのだから女装というのも変だが、意識的にはどうしても女装という感覚が拭えない)の恥ずかしさで固まっているのを見るクリストファーの目が、やや面白そうに底の方で笑っている。そんなクリスティーの様子を見るのが楽しいのだ。クリスティーもそれには気付いているが、やれやれと心の中で溜息をもらすばかりだ。
 一応、「近々ザナドゥのへ輿入れ予定のヴァイシャリーの弱小貴族の血筋が微妙な辺り」との触れ込み、などということにはなっているが……
「何とか……なりますかね? 魔族のお嬢さんたちの間で、バレないように……」
 2人の様子を少し離れて見ているシイダに、クリスティーは声をかけてみた。今は魔鎧の彼女も、そもそもは地方貴族悪魔の令嬢。そのような社交の場で振る舞うすべを身に着けているはずだ。 
 そもそも2人の間の、「女装」を巡る心の機微が、傍で見ているだけでは分からないシイダだったが、そのように問われてはたと考え込む。
「……どうでしょう……」
 見ている限りでは、今のところそのぱっと見だけで身分を疑われそうな要素はない。しかし、館の中に入ってしまえば中でどういうことがあるかは分からない。令嬢たちの社交マナーはもちろん自分は分かっていて他者にも軽くレクチャーくらいはできるが、それだけでは切り抜けられない局面があったら。
「大丈夫とは思いますが……そうですね……私も、参りましょうか」
 おずおずとした物言いだった。
 ――魔鎧になってから、なんということもなしに、このような貴族同士の社交界を避ける傾向にあった。悪魔であろうと魔鎧であろうと、自分は自分、変わらないという気持ちはあるが、それでもどこか負い目のように感じている自分がいて、どうしても気が乗らず、親しかった友人のサロンすら出席を辞退していた。
 もしかしたら、魔鎧になったせい、というだけではないかもしれない。父のこと、あの実験に携わらざるを得なかった理由……。それがまだ、心にのしかかっているのかもしれない。
「そうしてもらえればありがたいですが……シイダさんこそ、大丈夫ですか?」
 渋る感情が抜けきらないのが伝わるのだろう、クリスティーが心配そうに尋ねる。
 けれど、今回の計画のため、自分はキオネに全面的に協力すると決めたのだ。そう、ララカのためにも。
「はい。私も、ララカを捜さねばなりませんから」
 そう決めても、知り合いに顔を見られたくないのか長い髪で半ば顔を隠すようにし、厚く巻いたストールに顎を隠すように埋めたシイダの様子は、陰鬱そうではあるがパッと見、良家の子女付きの家庭教師のように見えなくもない。
「俺は、しばらくはここで様子を見てるよ。何かあったらすぐ連絡して。気を付けてね」
「はい、キオネ様」
 そうして3人は出ていった。他の契約者たちも、それぞれに動き出すべく、小屋を後にしていった。