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春もうららの閑話休題

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第16章


「ですから、それでは足りないと申しているではないですか」
 レン・オズワルドのパートナー、アリス・ハーディング(ありす・はーでぃんぐ)は旅館の受付でウィンター・ウィンターに説明を続けていた。
「だから、いくら何でもその広さは難しいでスノー」
 アリスもまた温泉に入ろうと思い、ウィンターに家族風呂の要請をしたものの、その規模に若干の問題があったのだ。
「何が問題だと言うのですか。いいですか? とりあえず私は個人風呂を頂きましたけど、次は家族風呂に入りたいのです。
 私の家族は眷属合わせて180人いるのですよ、一人たりとも欠くわけにはいきません。
 であるからしてその180人を収容できる温泉とかまくらを作る必要があると言っているのです、雪ん子よ」
 アリスの要求にウィンターも困り顔である。
「別に大きなかまくらを作るのはいいけど……それを作る場所がもう空いてないのでスノー。
 もうじき普通の温泉が終了の時間でスノー。そしたら家族風呂が終わった人達の場所が空くから、それまで待っていて欲しいでスノー」
 ウィンターの説明には一応の筋が通っている。
 きちんと説明がなされたのだから、そこに文句をつけるようなアリス・ハーディングではない。

「……理解しました。では、そこで少し待つとしましょうか」
 アリスはイスに腰掛けて差し出された飲み物を優雅に口に運んだ。
 飲み物を差し出したのはもう一人のパートナー、リンダ・リンダ(りんだ・りんだ)である。

 そこに、風呂上りのレン・オズワルドが帰ってきた。
 その後ろには、物部 九十九とブレイズ・ブラスもいる。

「あら、おかえりなさい……待ちくたびれてしまいました」
 アリスはレンに向かって言い放った。
「……充分、堪能しているように見えるが」
 レンは呟く。


 ちなみに、アリスが座っているのはマッサージチェアである。
 飲んでいる飲み物はコーヒー牛乳である。
 代金はしめて240円である。
 内訳はマッサージチェア100円でコーヒー牛乳は140円である。



「ほれ、立て替えた代金払え」
 リンダがレンの前に手を出した。
「ん――って俺が払うのか!?」
 律儀に240円払ってから突っ込むレンだった。

 先ほどから浴場の方から騒音が聞こえていたことはアリスも知っている。
 もちろん、内容も噂話として耳に入っている。
 だが、それをあえて問い質すことはしない。
 そんなことは無粋の極みというものだろう。

 であるからして、アリス・ハーディングは微笑みと共に訊ねる。


「いいお風呂になりましたか?」
 と。

 ブレイズとレンもまた応える。
 必ずしもいい結果に終わったとはいえない。
 しかし、その内容を掘り返してみても始まらないし、あれこれ文句を言ってもしかたないことだ。
 だから、レンとブレイズは応えた。
 アリス同様の笑顔で以って。

「ああ、まあな」
 と。


 そして、アリス・ハーディングは微笑む。

「それは良かった」
 ――と。


「さて、アリス様も落ち着いたことだし、私も風呂に入ってくるかな」
 リンダは立て替えた240円を懐にしまって立ち上がった。
「あ、ボクも入ろうかな……」
 九十九も呟いた。なんだか色々あって、そういえば温泉に入っていないことに気付いたからだ。

「そうかい。なんだか俺は疲れたから、もう寝るよ……お先に失礼します、先輩」
「うん……」
「……ああ」
 ブレイズはあくびをして九十九とレンに挨拶をした。
「そんなこと言って、後で覗きに来るんじゃないぞ」
 リンダはレンとブレイズに言い放って、九十九を誘って浴場に向かうそぶりを見せた。
「――誰が行くか、バカバカしい」
 レンはそう呟いて、スタスタと廊下を歩いていく。
「ははは、俺も行かねぇから安心しろよ」
 ブレイズも九十九の方に呼びかけた。

 だが、リンダはからかうように笑った。
「本当か? そんな事言って、後で覗きに来たら金取るぞ!」
 そんなことを言いながら、リンダと九十九は風呂場へと移動して行く。
「じゃあねブレイズ、お休み。――また明日」
 手を軽く振る九十九に、ブレイズはニヤリといつもの笑顔を見せた。
「おう、またな!!
 ……ん? 金払えば覗いていいってことか? まぁ、行かねぇけどよ」

 その笑顔を見た九十九は、少し安心したように背中を向けるのだった。


「……良かった、いつものブレイズだ……」


                    ☆


「だからサ? ずっとここで旅館経営やってればいいと思うワケなのヨ?」
 アキラ・セイルーンのパートナー、アリス・ドロワーズはカメリアに話しかけた。
「……いやしかし、そう言われてものう」
 カメリアは面食らったような顔で応えた。
 雪かきを終えて旅館で休憩するアキラとぬりかべ お父さんと共に旅館に移動したアリスは、白牛乳で喉を潤すアキラそっちのけで、カメリアとお喋りを始めたのである。
「はは、そりゃあいいな」
 と、アキラも聞いているのかいないのか、適当な相槌を打った。
「おい、お主までそんなことを。この温泉だってこの数日で消えてなくなるというのに、旅館だけ残したってしかたあるまい」
 カメリアの文句をものともせずに、アリスは食い下がった。

「えー? そうなノカシラ?」
 残念そうなアリス。アキラは秋月 葵と共に通りがかったスプリング・スプリングに声を掛ける。
「なぁスプリング? この温泉っていくつか残しておくワケにはいかないのか?」
 タオルで濡れた髪を乾かしながら、スプリングは応える。
「ん? 別に残しておくことはできるでピョン……ただ、ここ数年から数十年は地下の瘴気の影響は出るだろうから……お金を取って入れるにはちょっと……責任取りきれないというか……」
 言葉を濁すスプリング。
 確かに、入るたび性別が変わったり動物になったり歳を取ったり若返ったり大きくなったり小さくなったりしていては、とても売り物にはならない。

「えー? 別にいいんじゃナイ? それもアトラクション的にしてー、あの巨大カメリア滑り台もあのままにシテー」
 アリスは無責任に夢のあることを言い出すが、カメリアは真顔で応えた。


「いや、アレはカンベンしてくれ、本当に」


 カメリアの呟きに苦笑いしつつ、アキラはスプリングに言った。
「そっか……ならさ、別に商売にならなくても少し残しておいたらいいんじゃね?
 そんなら温泉目当てに頻繁に人が来るようになるじゃんか。宿泊費だけ取ればいいんだよ。
 ほんでそのうち瘴気の影響が薄れたら、今度は客取って温泉宿やればいいじゃん。
 それならいつか――」

 「――アキラ」

 アキラの言葉を遮って、スプリングが呟いた。

「……私、葵の部屋でウィンターと一緒にお弁当食べるから……おやすみ」
 背中を向けて、スタスタと姿を消してしまうスプリング。
「……どうしたんじゃ、スプリングのヤツ?」
 カメリアが不思議そうに呟いた。

「いや……たぶん酒飲みすぎて疲れたんじゃねーかな?
 んじゃ、俺も風呂入ってくるわ」
 アキラもまた腰を上げて、手ぬぐいを肩に掛けた。
「おお、そうか?
 そろそろ男湯は時間で閉めるから……まあ適当に入っておれ、雪下ろしの礼じゃ。貸切りみたいなもんじゃぞ、ゆっくりするといい」
 突然立ち上がったアキラに、カメリアは声を掛けた。
「ん、サンキュ……じゃあな」
 そっけなく呟いて、アキラも旅館を後にした。
「ぬ〜〜〜り〜〜〜か〜〜〜べ〜〜〜」
 その後で、お父さんもウキウキと続く。
「お主は行かんのか?」
 カメリアは受付に腰掛けたアリスに聞いた。
「だから、濡れたらタイヘンなのよ、言ったデショ!?」
 と、むくれるアリスだった。


                    ☆


「おいしいでスノー!!」
 ウィンターは、秋月 葵の用意した弁当を口いっぱいに頬張った。

「ふふ、そう? まだまだいっぱいあるんだよ? 一緒に食べようね」
 その様子を見て、葵は満足そうに微笑んだ。
「いただくでスノー!! 葵は料理上手で羨ましいでスノー」
 もぐもぐと弁当を食べるウィンター。
「えー、そうかなー?」
 葵もウィンターの食べっぷりに、自然と笑みがこぼれる。
「とてもおいしいでスノー。葵も一緒に食べるといいでスノー!!」

「食べるといいって、元々葵が用意してくれたお弁当でピョン。少し遠慮するでピョンよ」
 スプリングはウィンターに呆れた声を上げた。
「あ、いいのよスプリングちゃん。本当にいっぱい作ったし……食べてもらうために作ったんだから、それだけでもうおなかいっぱいだよ」
 微笑む葵に、スプリングは目を細めた。
「ふふ……葵はいいお嫁さんになるでピョンね」
 窓際に腰掛けて、無銘祭祀書からくすねてきた酒をあおるスプリング。葵の弁当はいいつまみだ。
 無名祭祀書と無銘祭祀書は、まだ温泉を楽しんでいるようだ。

「まぁ、不始末の副産物とはいえ……みんなに楽しんでもらえたなら、何よりでピョンね」
 スプリングは呟く。葵は窓際のスプリングに声を掛けた。
「うん、みんな楽しんでるよ! 今日は呼んでくれてありがとね、スプリングちゃん、ウィンターちゃん!!」
 眩しい葵の笑顔に、ウィンターは声を張り上げた。

「これからもずっとこうやって遊べたらいいでスノー!! そしたらまたおいしいご飯が食べられるでスノー!!
 スプリング、この温泉残しておいたらいいでスノー!! アキラも言ってたでスノー!?」
 無邪気にはしゃぐウィンター。
「もう、ウィンターちゃんったら、食べながら喋らないで……お弁当散っちゃうじゃない……」
 葵はかいがいしくウィンターの世話を焼いてくれている。スプリングはまた一口、酒に口をつけた。

「そうでピョンねぇ……」
 さっき、アキラが言いかけた言葉の続きを、スプリングは考えていた。
 思わず止めてしまった。
 その続きは自分が想像していた通りだっただろうか、それとも違ったのだろうか。
 それは判らない。判らないが、どちらにしても今は聞きたくなかった。

『それならいつか――』
「それならいつか――」
『うちらがいなくなったとしても――』
「――」

「? 何か言った、スプリングちゃん?」
 ウィンターが噴き出したお弁当を整理しながら、葵が訊ねる。
「ううん……何でも……ないでピョン」
 窓から月を見上げるスプリング。
 自分が聞きたくなかったのではない。
 カメリアと、ウィンターに聞かせたくなかったのだ。

 自分はいい。永い間の精霊という命を生きてきたのだ。仲良くなった人間や他の種族達との別れも、何度も経験してきている。
 けれど、ウィンターは違う。カメリアもまたそうだ。
 彼女らは自我を持ってまだ数年の、本当に幼い精霊と地祇だ。
 友人というものを初めて持って、これから永い命を生きようとしている。
 その永い命の中で、寿命の短い種族とどう付き合っていくかは、それぞれが考え、知り、見出さなければいけない問題だ。誰かに教えてもらうような、誰かにお膳立てをしてもらうようなことではない。

「いずれにせよ……」
 くい、と酒が染みる。


「まだ、急いで結論を出すような話じゃないでピョン……アキラ……」