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リアクション
第17章
「……こうして覗きの犯人を取り逃がした私達だったけど、面白いことがたくさんあった温泉だったよ……と」
ライカ・フィーニスは旅館の一室でうつぶせになってくつろいでいた。
布団に入りながら、手元の日記帳に何かを書き込んでいる。
「ライカ、いいかね?」
レイコール・グランツの声がした。
「――うん。いいよ、レイ」
ライカは返事をする。
結局、警備の仕事をしたライカとレイコール一行は、そのままカメリアの旅館に泊まっていくことにした。
「なんか男湯の方で大騒ぎだったみたいだね?」
「ああ、何でもブレイズ殿とフューチャーX殿が決闘をしていたとか……」
とりあえずその騒ぎの後、怪我人などがいないことを確認したレイコールは、多少の後片付けを手伝って部屋に戻ったのだ。
それなりの怪我をしていたテディ・アルタヴィスタさんはきっとパートナーの皆川 陽さんが手当てをしてくれたと信じています。
「え、ブレイズさんが!? 何があったのかな――明日聞いてみよっと!!」
あからさまにワクワクした表情を浮かべながら、ライカは手元の日記に追記をした。
「『何か男湯の方でブレイズさんとフューチャーXさんの決闘があったらしい? 二大ヒーローに一体何が!? 明日に続く』……と」
その様子を見て、レイコールが呟く。
「今日の分かね?」
「――うん、今日も色んなことがあったからね」
ライカは、手元の日記帳に今日の出来事を書きとめるのに忙しい。
彼女が手にした日記は『冒険記』と名づけられた日記帳で、ライカがレイコールと出会い、パラミタに来てからの冒険の数々が記されている。
また、その冒険の合間の日常的な数々の出来事も。
たとえば、ドラゴンの仔を飼い始めたとか。
たとえば、様々な世界の冒険とか。
たとえば、レイコールがゴーレムを作ったとか。
たとえば、どんな敵に会い、どんな仲間と知り合ったとか。
たとえば、巨大な狼に出会ったとか。
ライカの心を捉えた幾つもの出来事、数々の仲間達との出会いがそこには記されていた。
「……よく、続くものだな」
レイコールは感心したように呟いた。
何にでも興味を示す反面きまぐれなところもあるライカだが、この日記の習慣はずっと続けられていた。
「もちろんだよ、だって毎日つけないと日記にならないじゃない?」
ライカは何気なく答えたが、レイコールはその日記帳を眺めた。
何度も書き込まれて、ボロボロになった日記帳。ページが足りなくなっては継ぎ足して、表紙が破けては補強して、そうして一冊の本であり続ける日記帳を。
「……その日記には、ライカの世界の全てが詰まっているのだな……」
小さな声で呟くレイコール。
その通り、いつかその日記には彼女の全てが記されるだろう。胸躍るような冒険、幾多もの出会い、仲間との協力、大きな敵との戦い、そして挫折や絶望、涙。そしてそれすらも乗り越える少女の活躍が。
今も今日の出来事を思い出しながら、大切に日記に書いていくライカを見ていると、レイコールは胸に暖かな気持ちが溢れてくるのを感じていた。
レイコールとライカはパートナー同士。男女という性別の違いはあれど、まだまだ子供っぽいライカと長命種の吸血鬼であるレイコールとの関係は、恋愛関係などには発展しない、悪友のような、兄妹のような、親娘のような関係であった。
いつもその姿を見ていると、何だか妙な安心感と共に、穏やかな暖かさを感じるレイコールである。
こうした時間には、いつも思い出すことがある。
かつて――。
かつて吸血鬼として人間を支配し、単なる糧として見下していた頃の自分。
そして、いつしか見下してきた者達の手によって封印されてしまった自分。
「あの頃は、自分の周囲の世界だけが、この世の全てだと思っていたな……なんと愚かなことか……」
窓から月を眺め、レイコールは回想する。
その自分を永劫の封印から救ってくれたのは、この目の前の、年端もいかぬ少女だった。
彼女の旅に付き合ううち、レイコールは自分の見識がいかに狭いか思い知る。
世界には、なんと色々な人間がいることか。世界には、なんと大きな夢を持った者がいることか。
そして、共に歩める者がいることの、なんと素晴らしいことか。
「あのね……レイ」
そんなもの思いにふけっていると、ふいにライカが口を開いた。
「うん?」
レイコールは視線を部屋に戻した。今日の分は書き終わったのだろうか、ライカもレイコールを通して、窓の外の月を見ていた。
「今日もさ、楽しかったね」
「ああ、そうだな」
穏やかに微笑むライカとレイコール。
「なんかさ、巷では本格的に世界の危機が危ないって話になってるけど……今日みたいに穏やかに、楽しく過ごしてるとさ。
これまで通り……なんだかんだで普通に続いていくんじゃないかなって……思えるよ」
ライカの瞳はレイコールを見ているような、月を見ているような、もしくはまだ見えない何かを見ているような、そんな視線だった。
「あはは、なんか世界の危機って言ってるのに、実感湧いてないだけなんだね、私。
今まで世界の危機にはちょくちょく直面してたはずなんだけどねー」
明るく話すライカに、レイコールは穏やかに答えた。
「……続くよ」
「え?」
ライカの視線が戻ってきた。まだ見えぬ不安定な明日から、目の前の、現実のパートナーへと。
「ライカが続くと思えば、きっと続く。……今までもそうだったし、これからもそうだ」
その穏やかな赤い瞳に安心したように、ライカは微笑んだ。
「そっか……ちょっと安心した。
何かね……うまく言えないんだけど……。私達はみんなさ、仕事とか冒険とか学校とか色々あって……そこに個人の事情とか義務とか……。
まあ本当に色々みんなタイヘンだなって思うんだよ」
「……ああ……そうだな」
「でもさ、こういう何でもないような日常があって……こういう日々が大切だから、楽しく、大切に過ごしているから……冒険とか仕事とか、そういうことも頑張れるのかなって……たまに思うんだよね」
「……」
「私さ……ちょっとおかしくて――楽しいこの日常が大好きなんだ。
だから記録するんだ。全部ぜんぶ――ずっと忘れないように」
ライカは眠くなってきたのか、もそもそと布団を掛け直した。合わせて、レイコールはそっと窓を閉める。
「おやすみ、ライカ」
「おやすみ、レイ」
部屋を眺めながら、レイコールはそっと呟く。ライカと共に過ごした、ここ数年を思い出しながら。
「ライカが数々の冒険で繋いできたものが、その日記には込められているのだな……。
絆とは、なんとあたたかいものか……」
ふ、とライカが布団から手を出して、枕元の日記帳を撫でた。
「日記はいいね……レイ」
「ん?」
「だって……一日を大切に過ごせるからさ……」
そうしてライカ・フィーニスは今日も『冒険記』をそっと閉じる。
――明日、また新たな冒険のページを開くために。
『春もうららの閑話休題』<完>