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リアクション
第1章 13日の魔物 4
空から舞い降りたその影は、ガーゴイルを脳天から一突きで串刺しにした。まるでドラゴンが急降下して牙を突き立てたときのような動きだ。
「ひ、ひぃ……っ」
ガーゴイルに襲われかけていた一般市民は、くぐもった悲鳴をあげて後ずさる。
尻餅をついて失禁寸前の恐怖に見舞われているが、それはガーゴイルに対する恐怖ではなかった。むしろ、それを串刺しにした者――薄汚れたローブに身を包んだ、大小様々な触手を蠢かせる人影に対する畏怖であった。
「人に喰らい付く前に、一度空を仰ぐべきじゃったのう」
ローブの人影は――シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)は息の根を止めたガーゴイルを嘲笑った。
そして背後を振り返る。そこにいた男に向けて、手記は同意を求めるように尋ねた。
「のう、ラムズ?」
「ええ、そうですね。自分だけが空を飛べるわけではない。無知は罪ということです」
薄い微笑を浮かべながら、ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)は手記のもとに近付いた。
その足下にある『弓引くもの』の矢を見下ろす。射貫かれた領域の時間を停止する特殊な矢は、正確な時間の波に呑み込まれて消滅した。
それからラムズは、悲鳴のような声で喚きながら逃げ出した一般人たちに視線を送った。
「手記、貴方は化物なんですから、もう少し静かに行動して下さい」
「無理じゃな。奴等を惨たらしく殺さねば気が済まぬ」
薄汚れたローブの化物は、串刺しにしたガーゴイルをそのローブの中に包み込んだ。それから、ぐしゃりくちゃりという不気味な音が公道に響き渡る。
租借しているのだ。ガーゴイルの皮膚も眼球も内臓も。そのすべてを化け物は呑み込んでいく。
「……旨くはないが、残す訳にもいかぬな」
ぽつりと呟いたそれに同意する者はいなかったが、ラムズだけは見守るようにそれを見つめていた。
そのうち、衛生部隊と警官隊がちらほらと現れる。被害状況の確認から、被害を受けた一般人の救助まで、様々な救援活動に動き出す。
その途中、まるで腫れ物にでも触るような視線で手記を見ていたが、手記が味方であることは分かっているのだろう。畏怖は感じれど、それ以上のことにまで踏み込んでくる者はいなかった。
と――そんな中でローブの化物に近付いてくる小さな影があった。
「あ、の……」
それは少女だった。まだ年端もいかない幼い娘である。おそらく、この被害で親とはぐれた幼子なのではないだろうか。
彼女は小さな花を手に持っていた。路上のどこかで摘んだものだろうか。
「あり、がとう……」
彼女は手記がガーゴイルから市民を守っていたことを見ていたのだろう。
その小さく柔らかな手が、手記にわずかな贈り物を差し出していた。
「…………」
手記はそれを手に取った。ローブの中で蠢く触手を制し、久しぶりに自らの肉手でそれを手に取ったのである。
それから、すぐに少女は救援部隊に保護された。
耳に届いた話によると、どうやら親は生きているらしい。
「…………いきましょうか、手記」
「うむ」
ラムズに答えて、化物は薄汚れたポケットに花を突っ込んだ。
「――鳴らすは踵、消えるは異形。故にさよなら……皆の衆」
異能の風が吹いたとき、そこには誰もいなかった。
ガーゴイルたちが次々と掃討されていく。
振るうは剣だが、単なる剣一つではない。それとはまた別に、左腕には必殺の『魔剣』が宿っている。
それは龍たちの昏き想念が形になった煉殺闇黒波を剣状にして手刀に纏わせたものである。当然、威力は煉殺闇黒波のそれに相当する上に、使いやすさは比ではない。
ひとたび振れば、闇が首を斬り裂き、心臓を貫く。ガーゴイルたちは、二対の剣に次々と屠られていった。
その剣を操るは――一人の娘である。
(しつこいったらありゃしないね)
眼鏡の奥では、どこか脳天気な色を帯びた瞳がある。うすらぼんやりとガーゴイルたちを見回すその瞳には、同情の念など微塵もなかった。
フィーア・四条(ふぃーあ・しじょう)。彼女もまた、対魔物チームに編成されている契約者であった。
空中にいたガーゴイルたちを一通り始末したら、フィーアは地に降り立った。別段、空を飛んで戦っていたわけではない。幸いにもこの時代には高層建造物がドミノみたいに建ち並んでいる。それらの壁を利用して、跳躍を繰り返しながら彼女は戦っていたのだ。
「フィーア殿、無事でありますか?」
シュタっと、彼女の横に人影が降り立った。
それはフィーアのパートナーの隠岐次郎左衛門 広有(おきのじろうざえもん・ひろあり)である。背中には、矢筒があり、弓を片手に携えている。朽ちたガーゴイルの身体に数本の矢が突き立っているところを見ると、フィーアのバックアップに回っていたようだった。
「無事でありますかとか、そんな時代劇みたいに……って、そうか。ジローは英霊だったね。時代劇っちゃ時代劇か」
咎めようと振り返ったフィーアだったが、広有のことを改めて思い出してややこしそうに頭を捻った。
「で、あります」
「ところで、次の要請場所はどこかな? この辺一帯は片付いたけど」
「次はお台場のほうですな。救援要請が届いております」
口調と格好は時代錯誤のくせに、携帯を的確に操る様はミスマッチもいいところである。フィーアはなんだかややこしさが余計に増したと思って、肩をすくめた。
時代錯誤と言えば――今日の自分もなんだか不思議である。
「なんか、らしくないよね。まったく」
「どうしたのでありますか、フィーア殿?」
「いやさ。こういう正義の味方みたいなのって、僕以外の人の役目だと思ってたんだけど……気付いたらこうなっててさ。なんだか、らしくないなぁってね」
「たまには悪くないと思います。ささっ、行きますぞ」
殊勝な顔で言ったつもりだったが、広有は普段と変わらない態度でそれを受け流した。
「……君はいっつもそうだよね」
フィーアは再度、肩をすくめる。
弓の名手たる英霊は、彼女よりも先にその場を離れた。その背中を見ながら、フィーアは――やっぱりらしくない、と思いながら彼女を追った。
ガーゴイルの鋭い爪と、振り上げられたヤタガンの刃ががっちとかみ合った。
いや、正確には受け止めたというべきか。ガーゴイルのパワーに負けないように、杠 桐悟(ゆずりは・とうご)は決死の表情でヤタガンを両手で押さえていた。
「早く、逃げろ!」
「お、おうっ……」
肩を負傷していた男が、桐悟の呼びかけに従って慌てて逃げ出した。
東京は渋谷の街で、桐悟は対魔物チームとの合同作戦に従事していた。負傷者の数をなるべく減らすように、人員が少ない地区へと赴いているのである。
男を助けた桐悟は、そのままガーゴイルとの戦闘に移行する。
すると、その背後から桐悟を飛び越える影があった。それは、迫ってきたガーゴイルの爪をカメの甲羅を利用して作られたタートルシールドで受け止めた。
「桐悟殿、あまり一人で無理するでないぞ」
振り返って彼に告げたのは、少女だった。
どこか老獪した喋り口だが、見た目は十五、六そこらといったところか。ポニーテールで纏めた黒髪に、その下にあるぱっちりと開いた両目。見た目だけならば、そこらにいる学生となんら変わりないように思えた。
だが、その正体はすでに作られて云百年は経とうとしている魔鎧である。
伊達 晶(だて・あきら)――甲冑のくせにどこかさばさばとして人間くさいその娘は、桐悟をからかうように見た。
「分かってるさ」
「なら、よいのじゃがな」
肯定しつつも、くっくと彼女は笑う。
桐悟の顔が拗ねた子供のような憮然としたものになっていることに気付いたからかもしれなかった。
そのとき、再び背後から迫った人影があった。だがそれはガーゴイルの爪を受け止めるではなく、逆に鋭い一閃を放っていた。
「はあああああぁぁ!」
気合いとともに抜き放たれた剣が、ガーゴイルの身体を真っ二つにする。身体を二つに分かたれた魔物がそのままくずおれたのを確認すると、剣を振るった娘は桐悟たちに振り返った。
「まったく、私を置いていくとは何事ですか」
「ジャンヌ……」
ジャンヌ・ダルク(じゃんぬ・だるく)はぷくっと膨れた頬でふくれっ面を見せていた。こうしていると、彼女もまた少女そのものにしか見えない。
しかし、その正体はもちろん人間ではなかった。
英仏百年戦争の英雄であるジャンヌ・ダルクの魂が形になった英霊である。むろん、ジャンヌそのものというわけではないが、少なくともその魂と存在は共有している。
彼女もまた実年齢は言わずもがなであるが――見た目だけなら少女のそれであった。
「悪かった。急いでたものでな」
「まあ、別に良いですが……先ほどの方はご安心ください。奏嬢のもとに参りましたので」
「そうか」
素っ気なく答えながらも、桐悟は内心で胸をなで下ろしていた。
そうでなくては、助けた介がない。負傷者の数を少なくすること。それが、自分に与えられた任務なのだから。無論――そうでなくとも、魔物の好き勝手になどさせはしないが。
「杠さんっ!」
すると、話もそこそこに後方から朝霞 奏(あさか・かなで)の声が聞こえた。
彼らが振り返ると、遠目に清楚な女性の姿が見える。桐悟のパートナーである奏その人であった。
「治療は私に任せて……存分に戦ってください!」
奏はそう声を張り上げた。
遠慮はしなくてもよい。そういうことなのだろう。
「……ありがたい」
桐悟は自らの武器を掲げた。もちろん、ジャンヌと晶もそれに続く。
ガーゴイルたちに向けて、彼らは一斉に飛び込んでいった。
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