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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3

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【カナン復興】東カナンへ行こう! 3
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第2章 アガデ・居城

「うわあ…」
 アーチ型の外門を一歩くぐるなり開けた光景に、ユノ・フェティダ(ゆの・ふぇてぃだ)は嘆息とも驚嘆ともつかない声を出して絶句した。
 アガデが魔族の襲撃を受けて崩壊したことは知っていた。後日イナンナ・ワルプルギス(いなんな・わるぷるぎす)によって編成された北カナンの調査部隊に混じって訪れたから、それがどんなだったかも覚えている。しかし何度見ても、この光景は衝撃的だった。
 赤屋根、白壁、緩やかなカーブを描いた街路――古詩では貴婦人にたとえられ、讃えられるというのもうなずけるほど優美で美しかったあの都が、その片鱗すら伺えないほど瓦礫の山と化している。
「あれから大分経つのに、まだこんな状態なんだ」
 きょろきょろ左右に目を配りながら街路を歩いて行く。その街路にもこぶし大からビー玉サイズの物まで、さまざまな大きさの瓦礫が転がっていて、気を抜くとつまずいてしまいそうだった。
「この辺りはほぼ手つかずという感じだな」
 ララ・サーズデイ(らら・さーずでい)が半壊した家屋を見上げながら言う。
「外壁が真新しい分、ますます悲惨に見えるな」
「仕方ないのだよ」
 先頭を行くリリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)が肩をすくめて見せた。
「この機に乗じて盗みを働こうとする盗賊やモンスターの襲撃を考えれば、外壁の修繕が最優先なのだ」
「とにかく商店街に行ってみようよ。あっちならきっと、ここよりマシになってるよ」
 はたしてユノの言葉どおり、商業路は幾分片付けられていた。焼け焦げて煤で黒くなった店舗はそのままだったが、あちこち飛散していたガラスや瓦礫はなくなっている。どの店も中はからっぽだった。おそらくは店の者がここでは商売ができないと運び出してしまったのだろう。火災で屋根が抜け落ちたり壁から漆喰がはがれ落ちてしまっている状態では、店を続けるのは困難だ。
「まさかまだ立入禁止区域のままだったとは」
 ドアに立てかけられたまま放置されている「準備中」の板を見て、ララは今日何度目かのため息をつく。
「なあ、リリ。やはりアガデで手に入れるのは考え直すべきじゃないか? この分だとたとえ商人がいたとしても、肝心の商品があるかどうか」
 彼らは現在、北カナンでイコン・ギルガメッシュの修理にとりかかっていた。その修理に必要ななめし革の調達に、東カナンを訪れたのだ。
 東カナンは馬の産地。タンナーとして名のある工房も多いと聞いていた。本来なら直接タンナーに話を持ち込めばいいのだが、復興の役に少しでもたてればと考えて、リリたちはアガデの仲介人に発注しようとアガデへやって来たのだった。
 リリは、かつて革細工店の看板が掛けられていた真鍮の竿を見た。熱でやられ、真っ黒になってしまっていて、今では鉄の輪が揺れているだけだ。
 ララの言うことも一理ある。ふむ、と考え込んだときだった。
「やっぱり……修理、無理なのかな。イナンナさま、そう言ってたし」
 しゃがみ込み、膝を抱えたユノがぽつっとつぶやいた。どうやらアガデの惨状を前に、悲観的になってしまったらしい。声に涙がにじんでいる。
 メイシュロットにおける戦いでギルガメッシュは外装部だけにとどまらず、内部にも深刻な打撃を受けていた。回収され、北カナンへと戻ってきたギルガメッシュを前に、イナンナは言った。

『ギルガメッシュ、エンキドゥ、エレシュキガル……彼らは長きに渡るその役目を立派に果たし終えました。このまま、安らかに眠らせてあげましょう』

 ギリ、とリリは奥歯を噛み締める。
「直るのだよ! ギルガメッシュはカナンの守護の象徴なのだ! あのような姿のままでいいはずがないのだ! 元の姿に戻ってこそ、アガデの人々も勇気づけられるというものなのだよ。だから絶対に、リリたちが直してみせるのだ!」
 たとえどれだけ時間がかかろうとも!
「……うん! そうだよね!」
 力説するリリの姿に勇気づけられる思いで、ユノは弱気を振り払って立ち上がった。目じりに浮かんでいた涙をこすり落として、へへっと笑う。
「それで、どうするの?」
「とりあえず、城へ行ってバァルかセテカに会うのだよ。商人たちのいる場所を訊くのだ」
 リリは小高い岩の上にそびえる居城を指差した。


*       *       *


「革商人? ああ、彼らなら商館にいるはずだ。ちょっと待って」
 訪ねてきたリリたちからの質問に、セテカ・タイフォン(せてか・たいふぉん)はそう答えて地図を広げた。
「今アガデはこんな状態だからな。在庫の保管を兼ねて、絨毯とかああいったかさ張る商品を扱う商人は商館が取り仕切っているんだ」
「商館?」
「大規模な商人たちで結成された……まあ、総合結社みたいなものだな。――ほら、ここだ。ここへ行けば窓口の者が必ずいるはずだから、適した商人を紹介してもらえるだろう」
 城から商館までの略図を受け取ってさっそく向かっていたリリたちだったが、中庭の方からふいに剣げきの音が聞こえてきて足を止めた。
「さあ、突かれたらどうするの? さっき教えたでしょう?」
 刃と刃が噛み合う音にまじって、聞き覚えのある女性の声がする。
「相手が剣を持つ手と逆側へ逃げるの。そうすれば相手は自分の体に邪魔されて――後ろじゃないわ、そこで退いちゃ駄目……って、あっ!」
 思わず手を顔にあててしまったルカルカ・ルー(るかるか・るー)の前、うなじで長い髪をひとまとめにした準騎士装束の少女――ミフラグ・クルアーン・ハリルは見事にそっくり返って後ろに倒れた。
 その倒れ方がまた芸術的というか。普通、ひとは倒れると感じたら反射的に受け身をとろうとしたり、身をねじって少しでも衝撃を緩和しようとするものなのだが、ミフラグは最後の瞬間まで人形のように硬直したままだった。
 ごちん、と音を立てて、頭部が床に激突する。
「いたーーーい…」
 座り込んで頭をさすっているミフラグの姿に、離れて見ていたカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)夏侯 淵(かこう・えん)が、申し合わせたように口元を覆ってため息を隠した。
「……ああっ。痛いと思ったらすりむいちゃってる!」
 剣を握った手にすり傷ができているのを見て驚きの声を上げるミフラグ。やれやれと肩をすくめながらダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が歩み寄る。
「剣を放して、手を見せろ。頭の方もだ。こぶができたんだろう?」
「うう…」
 涙目で手を開き、剣を落とした。
「――おいルカ、やっぱ無謀だよ。あれに刃物持たせたら周りの方が危険だぞ。――本人もだけど」
 ミフラグの気がそれているうちにと近寄って、淵がこそこそ耳打ちをする。
 淵の言うことはもっともだ。ルカルカも、はーっと息を吐き出した。
 復興ボランティアに志願し、バァルたちへのあいさつのため訪れた居城でミフラグの置かれた状況を知ったルカルカは、女性の進出が増えてきたとはいえまだまだ男社会の色濃い軍隊で地位を築こうとする自分と彼女の境遇を重ね合わせた。
『男子にしか相続権がないなんてナンセンスよ! 女騎士だっているのに!』
 とはいえ、他国である東カナンの内政に直接干渉することははばかられる。ならばと考えついたのが、ミフラグへの剣の指南だった。彼女が勝利すれば2人目の女性12騎士誕生になり、女相続人でも12騎士になれるのだという前例になる。そうなれば12騎士になることを諦めない女性が増え、ゆくゆくは東カナン国政における女性の地位向上につながるに違いない、と。
 問題は、いかにして彼女を勝たせるか、だった。
 聞けば、剣を奪う相手はカイン・イズー・サディクだという。彼女のことは直接には知らないが、あの魔族襲来の夜に居城を襲撃した裏切り者コントラクターとほぼ同等に戦ったといううわさは聞いていた。相当の強敵だ。
 そんな者を相手にするというのに、ミフラグはといえば、鞘から剣を抜いたりしまったりする動作すらもたもたしておぼつかない。
『だってわたし、教わってるのは剣じゃなくて槍なんだものっ』
 少し怒ったような口ぶりでミフラグは言い訳をした。だがルカルカは数回刃をまじえただけで分かった。ミフラグにはそもそも戦闘センスからして皆無なのだと。きっと彼女に槍を教えている者も相当手こずってきたに違いない。
「さあルカ、続きよ! やりましょう!」
 治療を終えたミフラグがやる気満々で立ち上がり、剣をかまえる。やあっ、とそのまま突き込んでこようとして、次の瞬間派手にすっ転んだ。
「……すげ。何もない所で転んだぞ」
「足。自分の足にひっかけやがった…っ! 器用すぎるぜ、あの娘」
 感嘆の声を上げる淵。カルキノスは必死に声を押し殺しながら腹を抱えて笑っている。ダリルだけが、難しい顔をして何か考え込んでいた。
「もうっ! この靴が悪いのよ!」
「ちょっと休憩しましょ、ミフ。ほら、向こうでメイドの方たちが給仕してくれてるわ」
 癇癪を起こしてブーツをぱしぱし叩いているミフラグに内心頭を抱えつつ、提案をする。
「でも――」
「休憩は大切よ。そう教わらなかった?」
 その言葉に押し黙ったミフラグは、ルカルカの指示に従って、飲み物の用意されたそちらへ歩いて行った。
「やる気だけは認めるけど……から回りしてる感じなのよね」
「あれでは騎士など100年かけても到底無理なのだ」
 それまで見物に徹していたリリが、後ろから声を発した。彼女たちの存在に気付いていたルカルカは驚くことなくそちらを向く。
「付け焼き刃でかなう相手じゃないと分かってはいるんだけど、ね」
 あまりに不出来な子には、つい手を貸してあげたくなるものだ。事情を聞いて、うむ、とリリもうなずく。
「予定にはなかったことなのだが、見た以上はほうっておけないのだ。リリたちは別方向から動くのだよ」



 凛々しい金の髪の女性と少女を乗せて飛び立つペガサスをぼんやり見送って、ミフラグはほうっとため息をついた。
 ルカルカの元に淵という少年が駆け寄るのが見える。風に乗って切れ切れに届いた声は、領主バァルがそろそろ出立するころだから見送りに行かなくては、ということだった。
「ごめんなさい、ミフ。ちょっと行ってくるわね」
 申し訳なさそうに言ってくるルカルカに、気にしないでと手を振る。
 やがて1人残っていたツインテールの少女もどこかへ消えてしまい、ここにはミフラグだけが取り残された。
 カップをテーブルに戻して、手のひらを見る。真っ赤になって、腫れて、少し熱を持っているようだった。
(手が、震えてる……指先の感覚も少し鈍い、かしら…)
 力を入れて握りすぎたのか、それとも剣の練習をすればこうなるものなのか。それすらも、自分には分からない。
「……こんなことで、本当に奪えるのかしら…」
 無意識のうち、口をついた言葉にはっとなって、あわてて頭から振り飛ばした。
「できるわ。絶対できる。できないといけないのよ…!」
 ぎゅっと握り込み、震えもしびれも押し殺す。
「カイン・イズー・サディクから腰の短剣を奪う……それだけよ、簡単じゃない…」
 倒すわけじゃない。うまく隙をつくことができたら、剣をまじえる必要だってないかもしれない。
 でも。
 彼女はあのサディク家の者なのだ。血塗られた歴史を受け継ぐ暗殺武闘集団と恐れられ、12騎士の中でも一目置かれるサディク家に生まれ、小さなころから戦闘術を仕込まれて、ついには5人の兄弟たちを破って12騎士の騎士役を手中に収めた女性。その戦闘力は12騎士最強と言われるオズトゥルク・イスキアに次ぐとも凌ぐとも言われている。
 そんなカインの隙を、つけるの?
「できないでしょうね、あなたでは」
 まるで胸の中を見透かされたような言葉が聞こえてきて、ミフラグはどきりとした。
「で、できるわよっ! やる気と願いを強く持てばできないことなんかないってあなた知らないの!?」
「強い願い、ですか」
 ミフラグの子どものような論理に、少年はくすっと笑う。
「それに、ルカたちだって、力を貸してくれてるんだからっ!」
「ああ、そうですね。では俺も、微力ではありますが力を貸してあげましょう」
「あなた、だれ…」
 にこにこと笑顔で近づく少年に、他の少年にはない違和感を感じてミフラグは座席の中で身を固くする。立って距離をとろうとしなかったのは、子ども相手にそんなことをするなんてばかげているという良識が働いたからだった。少年が武器のような物を身につけていなかったから、というのもある。たとえこの少年がいきなりとびかかってきたとしても、十分払いのけることができるはず。
 そんなミフラグの心の動きを読んでか、少年の笑みはますます輝く。
「俺は音無 終といいます。バァルさんの、知り合いですよ」
 音無 終(おとなし・しゅう)はそう言って、後ろ手に持っていた小箱を差し出し、蓋を開いた。


*       *       *


「ミフ、お待たせ! 淵がこの前買った馬をどうしてもバァルに見せたいって言うから、ちょっと話が長引いちゃって」
「うま…?」
「ええ。私の榮威と淵の神隼、それにダリルの風馳――あら? どうかしたの?」
 テーブルに肘をついて頭を支えているミフラグの姿に、ルカルカは首をひねった。顔色が悪そうには見えないが…。
「なんでもないわ」
 本当は、なんでもなくはなかった。遠く、頭のどこかで鳴り止まない音楽が聞こえる気がする。金属の板を爪ではじくような音。聞き覚えのある……あれは、何だったかしら?
「少しうたた寝をしてしまったの。まだ眠気がとれなくて…」
 だからよ、こんなに頭がぎゅうぎゅう詰めなのにからっぽのように思えるのは。
 考えるにしても、今はそのときではない。ミフラグは無理やりそう結論づけて、テーブルから身を引きはがした。
「そう?」
「ええ。さあ、続きをしましょう、ルカ! しっかり休憩はとれたし!」
 訝しむルカルカの前、笑って、元気よく立ち上がった。歩く姿もしっかりしていて、どこも具合が悪そうには見えない。
「さあ、行くわよ! 今度こそあなたから1本とってみせるんだから!」
 短剣を手に隙だらけのかまえをとるミフラグの姿が、どこか綿毛ほわほわの子猫に見えて。一生懸命威嚇の牙をむく子猫を想像し、ルカルカは口元をほころばせつつ短剣を抜いた。
「はいはい。でもまずは、さっき教えた動きのおさらいからね」
 心のどこかでいやな予感を感じつつも。