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リアクション
9
予定が合えば、彼女とデートがしたかったのだけど。
どうにも都合がつかなくて、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は明日に迫った休日を持て余していた。
彼女と会うために取った休み。彼女以外のために使うのもちょっと嫌で、かといって一人きりで過ごすのも癪だ。我侭なことを考えているとは自分がよくわかっていたが、それでも。
しばらくはもやもやとした思いを抱えていたが、ふと思った。
――ケーキを作ろう。
以前、お世話になったパティシエの方がいた。
そのパティシエはこう言った。
『スイーツで笑顔をもたらしたいなら、自分も笑顔になりなさい』
言われた時は聞き流してしまったけれど。
「こういう時のためなんだねぇ」
今なら理解できる。
理解できたからこそ、作りたいと思ったのだ。彼女から教えてもらった基本のスイーツ、『拝島アシエロール』を。
アシエロールの基本は、ふんわりとした生クリームと中心に置くカスタードクリームだ。
生クリームはレモンピールを混ぜて作られており、香りも楽しめる。
弥十郎は生クリームをホイップしながら、再びパティシエの言葉を思い出していた。
『これを食べてくれる人を思いなさい。出来れば、一番大事な人が食べてくれるイメージを』
――一番大事な人、か。
その人は、どんな顔で食べるだろう。
笑顔か。あるいは夢中になりすぎて表情すら忘れるか。
――それはそれで怖いな。
想像に、顔が綻んだ。
生クリームを生地に塗り終え、仕上げに入る。
カスタードクリームを真ん中に絞り、位置がずれないように丸め。
冷蔵庫で寝かせれば、完成。
「……さて、これをどうするかねぇ」
馴染みのケーキ屋さんにでも持っていって、使ってもらえないか交渉してみようか。
願わくば、このケーキで一人でも多くの人が笑顔になってくれますように。
*...***...*
青空の下、フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛ぃ)は伸びをした。
「やっぱり森林浴は気持ちが良いものね」
空京にある、自然公園。そこに今日、彼女は来ていた。仕事は休みだ。一日自由にしていいから、疲れを癒しておいでと勧められて。
緑に囲まれた芝生の広場。木陰に腰掛け本を広げ、文字に目を落としながら以前言われたことを思い出す。
――ゆっくりとした時間を持つことをお勧めします、かぁ。
それは、普段あまり休まないフレデリカには少し困る提案だったけれど。
――こうして来てみると、うん。
休むのも、いいかもしれない。
澄んだ空気に疲れた心が洗われるよう。
――彼と一緒に来たかったな。いろいろお話したかった。
――で、でも! この小説みたいに迫られちゃったらどうしよう!?
読んでいる小説に感化され、主人公とヒロインに自分たちを重ねて想像しては赤面して。
そのうち、うとうとと眠っていた。
フレデリカと違い、スクリプト・ヴィルフリーゼ(すくりぷと・う゛ぃるふりーぜ)――通称レスリーはとても元気だ。
「わぁ! なんだか懐かしい感じがするなぁ!」
と言って、自然公園を走り回る。
花を見て、木を見て、ご機嫌になってまた走る。
「こら、レスリー! あまり遠くに行ってはだめですよ!?」
静かな時間を過ごしに来たはずだったけれど、目を離すわけにも行かず。
ルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)は、レスリーを追いかける。
「ねぇルイ姉! 空京ってこんな場所があったんだね!」
「ええ。気に入った?」
「すっごく! ボク、ここ好きだなー!」
言って、レスリーは芝生の上を走り回った。「ビューン!」と擬音を口にし、楽しそうに笑っている。そんな彼女の様子を見て、ルイーザは微笑んだ。
しばらく見て、レスリーがこの場から離れていかないことに気付いた。ちゃんと言いつけを守っているようだ。ルイーザは、先ほど座っていた木陰に戻る。
本を読んでいたはずのフレデリカが、うとうとと船を漕いでいた。お約束ですね、と苦笑する。
ふと。
この幸せな光景に、違和を覚えた。いや、違和というほどリアルなものでもない。
あの人が、いない。
それは、当たり前で、仕方のないことなのだから。
だけど。
――あなたがいないと、この景色も褪せてしまうのですね。
誰が見ても幸せな光景のはずなのに。
悲しい風景にしか見えないのは、寂しく感じる。
「ねぇ! あっちにオープンカフェがあるよ! 行ってみようよ!」
レスリーの明るい声で、落ちた気分が少しだけ回復して、助けられたな、と思った。
オープンカフェは、フィルの店だった。なんでも今日一日だけここに店を出してるらしい。
「フィルさんも色々なことをするのね」
と言いつつ、フレデリカは注文したケーキと紅茶を受け取って食べた。
「アイスはないのかー、残念……あ、だけどケーキ美味しい! ケーキでよかった!」
レスリーが、ケーキを食べてはしゃいでいる。
和み、落ち着くような状況だったけれど。
「…………」
ルイーザは、表情に影を落としている。口数も、心なしか少ない。
兄の死で、時間を止めてしまった影響だ。
気になっているけれど、どうにもできない。
なんて声をかければいいのか。どうすれば彼女に心から笑ってもらえるのか。
――難しいな。
考えに同調してしまい、フレデリカの表情も心なしか重くなる。
二人の変化に気付いたらしいレスリーが、首を傾げた。
「ねぇ。なんでフリッカもルイ姉も、そんな悲しそうな顔してるの? ボクのケーキのいちご、あげよっか?」
「う、ううん。大丈夫。ごめんね」
変に気を遣わせてしまったことに気付いて、慌てて謝る。
ルイーザは、ごめんなさいねとやはり悲しそうに微笑んでいた。
*...***...*
『Sweet Illusion』が本日限定でオープンカフェを開くというから、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)は天津 麻羅(あまつ・まら)を連れて遊びに来た。
たまたま遊びに来ていた友達曰く、紺侍がウェイターをやっているらしい。
「からかうしかないわね!」
「難儀な奴め」
麻羅が何か言っていたけれど気にしない。鼻歌混じりにカフェを目指す。
「案外サマになってそうよね〜」
「スタイルが悪いわけではないしの。黒服が似合いそうじゃて」
話していると、着いた。きょろきょろと見回すと、紅茶を淹れている最中のフィルと目が合った。にこりと微笑まれたので微笑み返して会釈する。
そうこうしている間に、緋雨――というか、新規の客に気付いたらしい紺侍が「いらっしゃいませー」と寄ってきた。寄ってから、「あれ?」と緋雨であることに気付いたらしい。
「またはるばるいらしていただいて」
「せっかくの機会だもの。来るでしょ」
「いいんじゃないスかね。どうぞ、ご案内しますよ」
紺侍のあとにつき、席まで案内してもらった。
「ご注文はお決まりですか?」
「いつものように、期間限定ケーキと紅茶で」
「わしも同じの」
かしこまりました、と頭を下げて紺侍が去っていく。無論、そう簡単に逃がす気はない。だって、からかう気で来たのだから。紺侍がオーダーを伝え終わったタイミングで手招きする。
「何か?」
「特に用事はないのだけど」
「えー」
「ウェイター、似合ってるじゃない。からかいがいがないわー」
「手招かれるンじゃなかった。嫌な予感しかしねェ」
それはとんだ言い草だ。「やーねー」むくれる振りをした。苦笑された。すぐにやめる。
「さて、じゃあお約束を言いましょう」
「想像つきますけど、どォぞ」
「おごって☆」
友人知人が店で働いているとなれば、そう、お約束。
紺侍が、やっぱりなァ、と言いたげに苦笑する。
「わしは緋雨みたいにお願いする気はない。なぜなら神にはお供え物を捧げるものじゃからの」
「しっかりたかってるじゃないスか。無理っスよ、オレタイガーマスクごっこで散財してっから」
「また古いわね」
「わかっちゃうあたりどっちもどっちじゃないスか」
確かにね、と笑い飛ばす。
さて、散財といえば。
「自分のお店があって、さらにオープンカフェを開いて、元のお店は休業中で……フィルさんって、どれくらい資金的に余裕があるのかしら」
「言われてみれば」
オープンカフェに使われているテーブルは、普段店で見かけるものとは違う。外用に用意したものなのだろう。
「もしかして、お金持ちのおじさまとかマダムに身体を……!」
「いやいや、きっとお金持ちの弱みを握っておるのじゃろ」
「紺侍さんはどっちだと思う?」
「フィルさんの性格からすっと後者じゃないスか?」
三人で、ひそひそと話す。瞬間、フィルがこちらを向いた。内容は聞こえていなかっただろうけれど、タイミング的にぴったりで、焦る。
「コンちゃーん、売り子してきてー」
「うっス。じゃ、またー」
逃げるように紺侍が去っていった。彼は、触らぬ神に祟りなしと判断したようだ。
ちなみに、緋雨の方は、好奇心が勝っている。
「ねえねえフィルさん」
「んー?」
「どっち?」
ケーキを運んできたフィルに問う。フィルは、真意の汲めない笑顔で言った。
「俺はSだよ」
麻羅の言う方なんだな、と判断するに十分だった。
*...***...*
以前、ヴァイシャリーで食べた『Sweet Illusion』のケーキは美味しかった。
「オープンカフェ……やってるんですねぇ〜」
それが、この空京の自然公園で一日限定オープンカフェを開いているというものだから。
「入って、みます……?」
冬蔦 日奈々(ふゆつた・ひなな)は冬蔦 千百合(ふゆつた・ちゆり)に提案した。
今日は時間もあるし。
オープンカフェは木陰にあって、風が通り抜けるととても気持ち良さそうだし。
「そうだね。まったりしていこっか?」
「……はいっ」
ケーキは、どれがいいか決めかねたので数種類頼み。
飲み物は、それぞれ紅茶を頼んで席に着く。
「太陽が動いて日陰もずれたら、自分でテーブルを動かすんだって」
「ちょっと大変……ですか?」
「大丈夫だよ。あたしがテーブルと椅子運ぶから」
「じゃあ、私は、ケーキと紅茶を持ちますねぇ〜」
「うん。そっちは任せた」
まだ、太陽が移動するまでは時間があるだろうけれど。
のんびりしていたら、あっという間にそのときはくるかもしれない。
「千百合ちゃん」
「ん?」
「あーん」
「あー。……うん、美味しい。ありがとー」
こっちのもあげる、とフォークを差し出された。ぱくり、食む。ふんわりと甘い香りがして、幸せな味が口いっぱいに広がった。
「美味しい、ですぅ……」
「はずれないね、ここのケーキ」
「他のも、食べてみたくなっちゃいましたぁ〜」
「あはは。ここにあるのなくなったら、また買いに行こう」
日奈々はこくりと頷いた。
今日は、たくさん時間があるから。
飽きるまで、ふたりでここにいよう。
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