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【4周年SP】初夏の一日

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【4周年SP】初夏の一日

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27.海の音、心の音


 “原色の海”に住まう三部族の一つ――青の旗を掲げるアステリア。住人の殆どが海の獣人、つまりイルカやクジラ、シャチといった海生哺乳類という部族である。海の中で生きてきた彼らは人を好まず、故に住まいを海の底に定め、海底都市を作り上げた。地上との連絡口はたった一つの塔だけ。でなければ呼吸をし水圧に耐えるための大掛かりな準備が必要になる。
 それが海域を訪れる人間への、表向きの説明であり、早川 呼雪(はやかわ・こゆき)もそう思っていた。
 思っていた、ということは現在では違う見解を持っているということである。
 先日彼は、この海の底にパラミタ最大の水源があること、これを代々鯨の女王が守っていたと知ることになった。守るために、傷ついてきたことも。
 ――呼雪は、音楽が好きだ。ピアノを専攻している。
 元々、時折各地を渡り歩いてその場ならではの音楽に触れたり、古い伝承や歴史等から新しい曲を作ったりというのをフィールドワークにしていた。
 ピューセーテールの背の傷と代々続く戦いの話を聞いた時、彼は強く感銘を受け、それを音に乗せて紡いでみたいと思った。
 だから、この休暇を歌を作るために当てたのだ。服装も吟遊詩人を思わせるラフなものだった。
「ねぇ、呼雪」
 だが、パートナーにして恋人のヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)には悪いことをしたかもしれない。普段より甘えたような表情をしている。
 ヘルとしては付き合うのにはやぶさかではない、のだが、
(あぁ、海底都市こんなに綺麗なのに……)
 女王の住む城への道を、ふわふわ泳ぎながら眺めれば、岩、貝殻、珊瑚でできた建物には貝殻や見たことのない貝殻や真珠や宝石の飾り。珊瑚の街路樹。
 天から注ぐ光は波に合わせてゆらゆら揺らめき、幻想的な光景となっていた。
 獣人が獣人の――イルカなどの姿をしているせいで、無人のようにも見えるのはちょっと気になるが、それも二人っきりのように錯覚してしまう。都合のいい時はそのつもりでいられるかもしれない。
 なのに。だ。
「新婚旅行とかにもロマンチックで良さそうだねー」
 ヘルが笑顔で話しかけても、呼雪は魅入っていた。
(街とか風景はちゃんと見てるけど、それ以外も感覚で色々受け取るのに忙しそうな感じ)
 実際、呼雪は都市から音楽を感じ取ろうと感覚を研ぎ澄ませていた。
「……ああ」
 そのせいか、返事はなんだかそっけない気がする。するったらする。
 ヘルはいいもん、とぷうっとほっぺた膨らませ、手持無沙汰にワカメと話をしようとしたが、花妖精でもない彼にはワカメと会話する術はない。呼雪のようにワカメの気持ちまで感じ取れるほど音楽や人の心に通じているわけでもないし……。
(音楽の事になると仕方ないけど、ないけど……)
 ヘルはぷるぷる拳を震わせていたが、我慢できなくなって両手を広げて恋人の背中にへばりついた。
「うぅ、僕ちょっと寂しいんですけどー呼雪ー」
「悪いな。終わったらきちんと埋め合わせをするから……」
 あ、呼雪がこっち向いた、と思いつつ、ヘルはわがままを続ける。
「本当?」
「本当だ」
「ホントのホントー? 約束する?」
「約束する」
 呼雪がちゃんとヘルを見て頷いてくれたので、ヘルはにへらっと笑ったかと思うと、破顔一笑。
「わーい、約束だからね! 後で好きなとこ連れて行ってね!」
 パタパタと犬のように足を振った。



 アステリア族の鯨の女王・ピューセーテールとの面会は事前に来訪と目的を伝えておいたおかげで、思ったよりもスムーズにいった。
 近衛兵は呼雪の持ってきたコーヒー豆なるものを警戒したが、彼が飲み物であること、淹れ方を説明すると、女王は海水と混ざらないようにと、彼を空気で満たされた乾いた部屋へ案内してくれた。
「お忙しいところ、お時間を頂きましてありがとうございます」
 自己紹介と丁重な挨拶の後、厳重にパッケージされたタシガン名物のコーヒー豆とカップを差し出した。
 背が高く女性的な――豊満な体つきの女王は、長い青い髪を侍女に拭かせ終わると、席に着いた。
「ご丁寧にありがとうございます。せっかくですから、コーヒーをいただいて宜しいですか? ……彼がもう待ちきれないようですから」
 女王は小さく笑った。
「そ、そんなことはございませんぞ! うむ、わしが皆さんに淹れて差し上げましょう」
 地上を旅した経験のある老宮廷学者が同席していて、久しぶりのコーヒーの味と地上の話に、女王よりもはしゃいでいるのだ。
 全員の前にコーヒーが置かれて、女王が口をつけると、
「不思議な味ですね。私も若く王女だった頃は地上に遊びに行ったこともありますが、長居は許されなかったものですから、あまり地上のことは知らないのです」
 女王は人間の姿としてはまだ三十代に入ったばかりにしか見えないが、鯨の寿命を考えるとより長生きなのかもしれない――もっとも、パラミタで外見の年齢などあてにならないことは、呼雪もよく知っていたが。
「それで、原色の海と私にご興味がおありとか?」
「はい。歌を――アステリアと女王に捧ぐ歌を作りたいと思っています。この海の美しさと海の中での歴史や出来事をもっと多くの人々に知って欲しい、と」
 水源と外界を守る為に、女性でありながら代々戦ってきた、美しく勇敢な族長達の姿を歌に残したい……。
 呼雪はまだアステリアの代々の女王たちについて詳しくは知らない。
「アステリアの女王は、代々濁りから生じる怪物と戦ってきたと窺いましたが……」
 そう切り出した呼雪は、代々の女王たちに伝わる心構えや、ちょっとしたエピソードなどを訪ねていった。
「私たちアステリアの民は、子供のころ泳ぎ方や話し方、獲物の取り方と一緒に、“オルフェウスの竪琴”の聞き方を覚えるのです。私も祖母や母から、特に厳しく教えられました」
 オルフェウスの竪琴と呼ばれる竪琴のかたちをした岩は、呼雪も聞いたことがある。この岩の間を流れる水の音によって潮流や異変を感じ取るのだ、と。
「地上に暮らす人々が風を読んで船をはしらせるように、私たちは海そのもの、竪琴の音色を読むことで嵐を感じ取ったり、魔物の襲来に対処してきました。
 民を導く女王として読み間違いがあってはならない、と」
「他には何か、言い伝えなどはありませんか?」
「そうですね、怪物と戦うために、幼いころから徐々に、自分の選んだ品に力を蓄えていくのです。魔術的なもので……地上でもするかと思います。術を重ねてかけて強固にするような品が」
 呼雪は、軽く頷く。一度ではなく何度も術をかけたり魔力を吹き込むことによって作り上げるマジックアイテムの類だろう。
「幼いころは意味が分からなくて、たまに怠けるとひどく叱られたものです。何事も厳しい母でした……一番厳しいと感じたのは、母と怪物との戦いを私に見せたことでしょうね。
 その怪物は今まで現れた中でも、強いと言って良かったのです……そして、娘の前で命を落としたのですから」
 だが、語る口調に悲壮感はなく、海そのものだった。
 呼雪は海が持つ、嵐のような激しさと生き残るための厳しい環境、そして海の恵みと雨をもたらす愛がその言葉に内包されているように感じた。
「当時は母を恨みました……でも、それは母の優しさだったのでしょう。いつかはわからない、けれど確実にやってくる戦いで、私も命を落とす危険があったのですから。
 次の戦いで私が生き残れるように、戦いを見せたのです。そしてそれは祖母が母にしたことと同じでした――祖母は寿命を迎えることができたのですが」
 ピューセーテールの母親も、自身と母親、そして娘が戦う運命だと知っていた。
「私は、母と同じことを娘にも伝えるつもりです」
 さっきの“約束”のおかげで、ヘルは呼雪を見守りつつ、大人しくしていたが、ちびちび飲んでいたコーヒーから口を話すと、
「女の子に傷が残るのって悲しい感じだけど、ピューセーテールさんのその傷はアステリアやこの海域を守った誇りでもあるんだね」
「ええ、理解してくださって嬉しいですよ」
 ピューセーテールはにこりと微笑んだ。


「本日は貴重なお話をありがとうございました」
 女王の前を辞した呼雪とヘルは、城を出るとそのまま街角を泳いだ。しばらく行くと、とある場所に目が留まった。海面からうっすらと降り注ぐ光が、建物の白や真珠、宝石に反射している。暗がりには、光る石や貝殻を使用したランプが照らしていた。
「……ここにしよう」
 呼雪は適当な岩に腰かけると、リュートを取り出した。
 弦に指をかけ、一音一音、先ほどの話と、この海の景色――それらから自分の感じたことを爪弾いていく。
 かすかな音は水に溶け、強い音は流れに乗る。水の音は呼雪の音を掻き消し、混じり、装飾し、不思議な響きをもたらした。
 ヘルは同じ岩で、近くに座って、足をプラプラさせた。
(やっぱり、呼雪の演奏とか歌聴くの好きだなー……♪)
 目を閉じて耳を澄ませる。
 リュートから発せられた音と音は繋がり、小節になり、枝分かれした小節の中から呼雪は音を拾い上げて旋律とした。
 呼雪は乗せる言葉を模索しながら、曲を作り上げていく……。