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タングートの一日

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タングートの一日
タングートの一日 タングートの一日

リアクション

 早速、タングートに戻り、共工に伝えるという彼女らを送り出したルドルフの元へ、次の客人がやってきたのはすぐだった。
「――紛粧楼の様子を見たいのですが」
 叶 白竜(よう・ぱいろん)から控えめな連絡が来たのは、先日のことだ。
 薔薇園で待ち合わせをした白竜は、タシガンの地に健気に根付いた薔薇の苗を愛でながらも、心はどこかここにあらずといった風情だった。
「やぁ」
 公務ではなく、個人的な用件なのだと察し、ルドルフはそう気さくに声をかける。白竜も、一礼でそれに応えた。
 丸くふっくらと緩むように咲く淡い花は、秋口にもっとも美しく咲く。その花を暫し二人は並んで見つめていたが、ふと、白竜は呟いた。
「……正直、少し凹んではいます」
「どうして? 君は、とてもよく協力してくれたと思うよ」
「そう仰っていただけるのは光栄ですが、私は、私の責務を果たしたまでです。それに……ただ、好意というわけでもなかった」
 どこか告解するように口にする白竜の言葉に、ルドルフはじっと耳を傾けている。
 まるで、ただそこに咲いている薔薇のように。静かに。
「新エネルギーに関して、何らかの有益な情報を掴むことが、最初はもう一つの目的でした」
 それが、多少後ろめたくもあった。だが、情勢はめまぐるしく変化し、発見されたエネルギーは思いも寄らぬ形で決着を迎えた。誰の手に入ることもなく、同時に、誰もが手にするものとなって。
「もうその目標はありませんし、私も、あれから様々な経験をしました。その上で……」
 一端言葉を切り、白竜は息をつく。それから。
「ここタシガンが今後も何らかの形で別の驚異の窓口になる可能性は高いと考えています。ですから、今は……この平穏を、少しでも維持できればと願っています」
「……ありがとう」
 ルドルフは微笑み、「君が僕に語ってくれたことを、嬉しく思うよ」と続けた。
「それと、君がこれからも、力を貸してくれるということも」
「微力ながら、サポートは尽くさせていただきます。ルドルフ校長の、負担にならないよう」
 白竜の気遣いを感じ、ルドルフは目を伏せる。
「君が、タシガンにおいては、常に僕と薔薇の学舎を優先してくれていることはわかっているよ。そしてそのことに、感謝している。それと同時に、ここで起こったことの責任を負うべきなのも、僕だ。……君が気に病むことではないよ」
 ルドルフの指先が、薔薇を一輪、その枝から手にする。そしてそれを、そっと白竜へと差し出した。誠実な、白い薔薇。そこにある心を、白竜は厳かな心持ちで受け止めた。
「……ありがとうございます」
 感謝を告げ、白竜は深く頭を下げた。
 それから再び、二人はまた無言のまま、薔薇を眺める。だがそれは、濃密に雄弁な沈黙だった。

「なに話してんのかね、今頃」
 薔薇園の外、少し離れた場所に停めた軍用バイクに跨がったまま、世 羅儀(せい・らぎ)は、紫煙とともにそう呟いた。薔薇園から距離をおいたのは、その香りを損ねないようにという理由だ。
 てっきりタングートに調査を兼ねて遊びに行けると思っていたのにと、多少当てが外れた落胆はあった。
「今頃、可愛い女の子に囲まれてたはずなのにな〜」
 つい、そうぼやきたくもなる。酒も煙草も女も、羅儀の好むところだ。男はモテないとは聞いているが、傍にいるだけでも心が弾むという意味では、女性も花も同じようなものだと羅儀は思う。どっちにしろ、花はむこうから折れてはくれない。
「花、か」
 ふと、朝方にタングートに出発するレモを見かけたときのことを思い出す。育ったらしいとは聞いていたが、いやはや、その姿には驚いた。思わず咥えていた煙草を落としそうになったくらいだった。
「……あのミルクくさいガキがすごい美形になったもんだ。……薔薇の学舎、侮れないな」
 美形はある程度見慣れているが、それでも暫くは、無自覚に眺めてしまった程だ。
「いや、いかんいかん。オレはそういう方面の趣味はないから!うん!」
 羅儀はひとり、ぶんぶんと頭を振る。
 たぶん、ギャップが大きすぎた衝撃なのだ。それだけだ。
 そう結論づけて、再び羅儀は、ぼんやりと白竜の戻りを待つことにした。

「美しい場所ですね。ここは」
 白竜が、言う。砂漠や荒野での戦闘や任務が多いせいか、やはりこういった景色は、心が潤うようだ。だが、同時に、ずっとここにいることもできない自分の性質も感じ、白竜は内心で微かに自嘲する。
 去り際に、ルドルフと白竜は握手を交わした。
「また、いつか」
「はい。また……」
 いつか。こんな風に。
 そう祈りつつ、白竜はそっと薔薇園を辞去し、羅儀が待つ場所へ……そしてまた、乾いた戦場へと戻っていくのだった。


 薔薇の学舎では、黒崎 天音(くろさき・あまね)ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が、事務関係の書類を整理していた。
「僕を含め、薔薇の学舎の生徒を信頼しているのなら、そのくらいの仕事は任せてしまう事だね」
 そう言って、天音はルドルフをゲストハウスへと送り出していた。
 ルドルフにしか出来ないことはある。そのためにも、それ以外の部分は、他の人間がやってもいいはずだ。
 どうもルドルフは、人使いが苦手な面があるらしいことは、校長に就任して以来気づいていた。なまじ真面目で優秀な分、出来るだけ自分の力でこなそうとするし、実際出来てしまう。
 だが、組織のトップとしては、それでは困ることもあるのだ。
「今までは引継ぎでばたついた部分もあるだろうが、これからはこういうものもきちんとしなければな」
 ブルーズの言葉に、天音は「そうだね」頷く。
「校長に、くたびれた顔をさせるわけにはいかん」
 それは、ルドルフを思いやるというよりは、薔薇の学舎に関わる者としての、矜持としてだ。
 秘書としての役目はすでにヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)が努めているが、その他に、たとえば書記官のような、事務・雑務を担当する部署を整える必要がある。それも、なるべく早急に。
 そうこうしているうちに、ルドルフが薔薇園から戻ってきた。
「ありがとう。会談は、無事に終わったよ」
「そう」
「君が前に言ったことと同じ、タングートに姉妹校を作る案についてだった。これはいずれ、素案を固めた上で、共工とお会いする必要がありそうだ」
 マントを外し、ルドルフが席につく。ブルーズが気を利かせて、淹れたてのタシガンコーヒーを用意した。
「ありがとう」
 嗅ぎ慣れたコーヒーの香りに、ルドルフはほっと表情を緩める。
 天音はテーブルの向かいに腰を下ろし、カップに口をつける様子を見つめていた。
 ――本心を言えば、天音はまだ迷っている。
 二人の関係は、尊敬すべき先輩からはじまり、後に最高のイエニチェリを競うライバルとなり、そして今は、校長と生徒だ。
 あっさりと『では校長先生』と思えるほど、天音の感情は簡単ではない。
 むしろ、ジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)という稀代のカリスマの後継者がそう簡単につとまるものではない事と、もし自分がその立場にいたとしたら、どう辞退に対処出来たか、という視点も交えて、天音は薔薇の学舎校長ルドルフ・メンデルスゾーンを『観察』してきた。
 プレッシャーは相当にあるだろう。それは、以前、ソウルアベレイターの誘いの言葉を口にしたときの様子からも当然見て取れる。
 ただ、それでも、ルドルフは引こうとはしない。より前へと、進もうとしている。それだけは、わかっていた。
「どうかした?」
 微笑みを浮かべるのみの天音に、ルドルフはそう自分から水を向ける。
「そういえば、こんな話一度もした事が無かったけれど……君は僕の事をどう思っているのかな? 最初から生意気な後輩?」
 生意気な後輩、という言葉にルドルフは軽く笑い、首を横に振る。
「頼りになる人物だと思ってるよ。なにより、薔薇の学舎を愛している」
「それから?」
「それから……そうだね、食べ物の好みとかは、知らないかもしれないな」
 個人的な関わりは、あまり多くないのは確かだ。
 ルドルフは、ジェイダス的な関わり方を生徒とはしない。それが良いか悪いかは別として、どうしても表面的なものになりがちなのは事実だろう。
 天音は小首を傾げ、ルドルフに尋ねた。
「何故、僕を君のイエニチェリに? 僕は薔薇の学舎全体より優先して君個人の事を考えられない。いつも傍にいて、お疲れさまと珈琲を淹れたり出来ないし、庇護対象とも思っていない」
 むしろ……君を不甲斐無いと感じれば、奪おうとさえするかも知れない。
 それでも構わないか? と天音は視線でルドルフに問いかけた。
 ルドルフはそれに対し、両手の指先を組み、ゆったりと尋ねた。
「望むところだよ。……僕が選ぶイエニチェリは、僕の方を向いてほしいわけじゃない。僕と同じ方向を向いていてほしいんだ」
「同じ方向?」
「薔薇の学舎と、生徒達を愛することだよ。君はそれが出来ると思ったから、僕は選んだんだ。薔薇の学舎のために、僕が不要と思った時には、君はそうすればいい」
 ルドルフの言葉には、迷いはなかった。
 そして、天音は微笑んで答えた。
「君のイエニチェリとして、この美しい薔薇に囲まれた学舎の為に尽くすよ」