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消えゆく花のように

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消えゆく花のように
消えゆく花のように 消えゆく花のように

リアクション


●Κ、Μ(2)

「気がつきまして?」
 声をかけられてフレンディス・ティラは、体がとてつもなく軽く感じることに気がついた。
 はっとして忍刀を水平に構える。得物は、まだ彼女の手の中にあった。
 繁華街のどこかだろう。ただ、崩れかけたアパートの一室のような場所だった。
 汚れたベッドがひとつ、家具といえばそれくらいで、あとは煤けた壁が四方を囲んでいるだけである。
 そのベッドに自分が身を横たえていたことをフレイは知った。
「手荒な真似をしたこと、お詫びしますわ」
 部屋の隅に立っているクランジΜは、奇妙なほどに穏やかな表情だ。まるで敵という感じがしない。
「私を殺さなかった……のですね、Μさん?」
「ええ」
「理由をうかがってよろしいですか?」
「首筋に刃を当てられたこと……これはわたくしの自信過剰が招いた結果です。正直に申し上げまして、あの時点でわたくしの負けでした。それなのにフレンディス様、あなたは私を討たなかった……その真意を教えていただきたかったのです。デルタに覗かれない場所で」
 ここには監視カメラはありません、とミューは言った。
「私の名前をご存じなのですね」
「デルタの名簿にありましたから」
「では、私の素性も……?」
「ある程度は。なのに、それを知っていて、背後を取られた点でわたくしの完全敗北ですわ」
 素直すぎるほどに素直なミューの言葉に、フレイは疑いよりも好意を抱いた。はっきりと言える証拠はないが、この人は信じていいと思った。
 ビデオメールでデルタにカメラを向けられた際、ミューは拒絶するような反応をした。
 他のクローンと違ってオリジナル体なのに、前線の洞窟に配備されていたという事実からも、仲間のはずのデルタより格下の扱いのように思われた。
 みずからの意志ではなく駒として命令に従い前線へ赴いている――そういう印象を受けた。
 そこであらたまって、フレイはミューに向き直ったのである。
「私は私の抱く違和感を知りたくてあなた様の元へ馳せ参じました。敵味方の判断はゆだねます。ただ明確な殺意と敵意で挑まれない限り、決して手出しはしないと誓いたく……」
「どういう意味なのです?」
 フレイはまったく臆さず、まっすぐにミューを見て言った。
「私は、あなた様を救いとうございます」
「しかしわたくしにも……」
 ミューは視線を外した。目隠し越しに見えているとでもいうかのような動きだ。いや実際、見えているのだろう。
「デルタへの義理というものがあります。あの人は好きではありません。ですが約束したのです。ここを守ると……出会った敵を通さないと……」
「それなら」
 フレンディスはようやく、ほっとしたような笑顔になった。難問ばかりの数学の試験で、ようやく自信を持って答えられる種類の問題を見つけたかのように。
「私はこの洞窟に残りましょう。Μさん、この戦いが終わるまで一緒にいます」
 そして一緒に帰りましょう、とフレイは言ったのである。
 ミューは目隠しを取らなかった。
 だがそれでも彼女が、救われたような表情をしていることはフレイにもわかった。

 無表情のまま行き交う人々をかいくぐりながら、シリウス・バイナリスタとΚcは切り結んでいる。人々といってもそれは背景画のようなものである。たとえ巻き添えをくっても倒れるだけで、しばらくするとまた立ち上がって同じことを繰り返すばかりだ。せいぜいロボット程度の認識しかない。
 だからシリウスとΚcは、互いだけを意識して戦っていた。
 イクシードフラッシュの効果ゆえか、Κcは変身能力を使えない。
 だが黄金の半仮面をつけた彼女は、暗殺者として凄まじいまでの冴えを見せている。
 ダガーというおおよそ切り結びに適さない武器で、シリウスの対星剣を流し、受け、逆に攻め立てもする。おそらくはこれが、現役時代のカーネリアンの実力なのだろう。
 ――オレはクランジとしてのカーネを知らないけど、クローンだって一人の人間だ。……できることなら、コピーじゃない自分の人生を歩んでほしい!
 シリウスはそう願うが、それを実現できる状況ではなさそうだ。
「聞け! もう一人のΚ! お前はそんな人生で満足なのか!? 納得してるのか!?」
 叫びながらシリウスは、置いてきたカーネリアン・パークスのことを心配していた。
 数分前、カーネリアンは自分のクローンにより、心臓の位置を一突きされている。
 いかにクランジとて、即死してもおかしくない状況だ。
 あの時点ではまだ息があった。
 だが今も、カーネに息があるという保証があるだろうか。
 早くΚcを倒し、応急手当をしなければならない。できることなら、仲間と合流して本格的な治療を施してやりたい。
 それができる状況はどんどん遠のいている。
 戦いが長引くほど危険だ。
「頼む! オレはお前を討ちたくない! この戦いに意味なんてない……わかってくれ!」
 されどΚcは終始無言で、物陰から、あるいは背後から、シリウスの心臓を狙ってくるばかりだった。
「……くそ! 何度繰り返させるんだよ、こんなこと!」
 シリウスは覚悟を決めた。
 地の利はたしかにΚcにある。だが変身能力が使えず、また、武器も剣戦に向かぬダガーであれば、これはもう勝ち目はないといっていい。
 そのことをシリウスは承知していた。
 Κcだってわかっているはずだ――と、思う。
 だとすれば――カーネリアンの言葉がよみがえる。
「やつに情けをかけたいのであれば、解放してやることこそが、情けだ」
 ――許せ!
 何度目かの攻防。シリウスは大きく一歩を踏み出した。
 本当は、やろうと思えばいつでもできたこと。それを今、実行する。
 両手で剣の柄を握り、叩きつけるようにして打ち下ろしている。
 Κcは剣を水平にしてこれを受けようとした。
 だがシリウスのほうが迅かった。その剣尖は鞭のようにしなって、Κcをその頭から胴まで、黄金の半仮面も含めて両断したのである。
 ジャン! と大きな金属音がした。
 割れた半仮面が落ちた音、それと、アサシンダガーが落ちた音であった。
 しかしその決定的な瞬間は長続きしなかった。
 Κcの体が泥になってしまったからである。
 その骸を調べることもせず、シリウスは振り返ってカーネリアンの元へ走った。
「カーネ!」
 カーネリアンの手に触れて、温かみが残っていることを知って安堵する。
 応急手当をしているうちにカーネリアンは意識を取り戻した。
「……終わった、のか?」
「ああ」
「そうか」
 カーネはそれ以上訊かなかった。
 どうやらΚcの攻撃は、急所を外れていたらしい。そればかりか、見た目よりずっとカーネの容態はよかった。
 奇跡といっていいだろう。それも、理不尽なほどの。