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そんな、一日。~某月某日~

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そんな、一日。~某月某日~
そんな、一日。~某月某日~ そんな、一日。~某月某日~

リアクション



2025年4月1日


 シャーロット・ジェイドリング(しゃーろっと・じぇいどりんぐ)が少し前人形工房に訪れた際、リンスに言われていたことがある。
「関節部分が摩耗したら診せにおいで」
 それを覚えていたローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は、シャーロットを膝に乗せたまま工房へと電話をかけた。呼び出し音を聞きながら、シャーロットの膝を撫でる。
「どうかしたですぅ?」
「いいえ、なんでもないのよ」
 見た目にはわからないし、たぶんシャーロット本人ですら違和感があると気付いていないだろうけれど、普段シャーロットのことを見守っているローザマリアにはわかった。ごくたまに、シャーロットの右足の動きがぎこちなくなるのだ。それは本当に一瞬で、その後シャーロットは変わりなく行動を続けているが、どうにも気になっていた。そして、リンスの言葉を思い出した。
 過保護かも、とは思ったものの、念のため診てもらっておいて損はない。
 呼び出し音が、唐突になくなった。「はい」と明るい少女の声。
「クロエね。ローザマリアよ。リンスはいるかしら?」
『ローザマリアおねぇちゃん? ひさしぶりね! リンス、おしごとしてるわ。いまよぶわね!』
 やり取りの後、十数秒待つと抑揚の乏しい声が受話器の向こうから聞こえてきた。
「忙しかったかしら? 手短に用件を言うわね。
 あれからしばらく会いに行ってないし、シャーロットがクロエに会いたがっているの。それで、シャーロットに『お泊り会』をさせたいんだけど、いいかしら?」
『お泊り……ああ、なるほど』
 ただ会いたいだけなら遊びに行く、と言えばいいし、わざわざ電話をすることはない。そのことから、リンスは察したようだった。
「ご都合はいかが?」
『いつでもどうぞ』
「なら、お言葉に甘えて。明日にでも連れて行くわ。それじゃあ」
 ローザマリアが電話を切ると、早速シャーロットが「ローザ!」と声をかけてきた。
「クロエの家にお泊りするですか!?」
「そうよ。シャーロットはお姉さんだから、一人でも大丈夫ね?」
「もちろんですぅ!」
「身支度も一人でできる?」
「任せろですぅ! 今すぐやってやるですぅ!」
 威勢よく言って部屋を飛び出したシャーロットを見て、ローザマリアはくすくすと笑う。
「さて、私も準備をしようかしら」


 シャーロットが『お泊り会』と称して治療に来てから二日が経った。
 一日目は遊びたがっていたようなので、クロエ・レイス(くろえ・れいす)と一緒に好きにさせ、二日目の今日、午前から午後にかけて補修をした。シャーロットは「なんともないですぅ」と言っていたが、「お姉さんなら自分の身体のことを知っておくべき」とローザマリア直伝の説得をするとすぐに大人しくなった。
 その後、おやつにローザマリアが持って来たバームクーヘンを食べ、夕飯をクロエとシャーロットが作り、片付けも二人でこなし、パジャマに着替えてからも二人でなんやかやと遊んでいる。とても楽しそうで賑やかだがうるさいというほどではなく、二人きりで遊んでいるためリンスは簡単な仕事に手を付けた。
 それから少しして、工房の電話が鳴った。こんな時間に鳴るのは珍しい、と思いながら電話を取ると、開口一番「ローザマリアよ」と言われた。
「ああ。どうしたの」
『シャーロットはまだ起きてるかしら?』
「うん。クロエと一緒に遊んでる」
『代わってもらえる?』
 シャーロットにローザマリアから電話だと伝えると、目をきらきらさせて電話機に飛びついた。
「ローザ、どーしたですか? シャーロットはちゃんとやれてるですよぅ!」
 と、元気な声が聞こえてくる。ローザマリアとのやり取りはわからないし、聞くのも不躾だと思ったのでクロエのところへ行き、散らかった玩具を片付ける。
「そろそろ寝ようか」
「そうね! おでんわおわったら、きょうはやすむわ」
 と言ったまさにその時、シャーロットが「おやすみなさいですぅ」と言って電話を切った。
「なんの用だったの?」
「おつかいですぅ!」
「おつかい?」
「はいですぅ! 『Sweet Illusion』でケーキを買って、一人で帰る! っていうおつかいなのです!」
 へえ、とリンスは頷く。フィルスィック・ヴィンスレット(ふぃるすぃっく・う゛ぃんすれっと)の店はこの時間もう閉まっているので、行くなら明日か。
 クロエもそう思ったようで、
「あした、かえっちゃうのね」
 としょんぼりした様子で言った。
「また来るですよ」
「うん。ぜったいよ。やくそく」
「約束ですぅ」
 指きりげんまんをした二人は、そのまま手をつないで「おやすみなさい」と部屋に入っていった。
 たった二日間だけど賑やかだったので、少し寂しくなるかもな、と思った。


 朝が来た。
 クロエと一緒に作った玉子焼きと、綺麗に焼いたパンにジャムを塗ったもので朝食を済ませると、シャーロットは荷造りをして工房の玄関に立った。
 低血圧だからかだるそうなリンスに向かって、ぺこりと頭を下げる。
「にーちゃん! 短い間だったけど、どうもありがとうなのですぅ!」
「いいえ。どういたしまして」
「クロエ。昨日した約束通り、また遊びに来ますぅ! 楽しみに待ってろですぅ!」
「うん! まってるわ。かえりみち、きをつけてね」
「はい! じゃあ、またねなのですぅ!」
 ぶんぶんと大きく手を振って、街までの道を歩く。朝の空気は清々しくて気持ちがよく、朝早くに出歩くのもいいものですぅ、と思って笑顔になった。
 三十分も歩くと街に着いたので、そこからはきょろきょろと辺りを見回しながら歩く。
 見覚えのある道、景色を探し、しばらく歩くと大通りに出た。ここまでくればあとは簡単だ。大通りを真っ直ぐ、駅の方向へ向かって歩けば『Sweet Illusion』がある。
「こんにちは! なのですぅ!」
 ドアを勢い良く開けると、フィルと目が合った。フィルはにこりと笑って、「いらっしゃいませ」とシャーロットを招き入れる。
「ケーキを買いに来てやったですぅ!」
「ありがとー。今日のお客様一番乗りだよー」
 というフィルの言葉に、なんだかシャーロットは嬉しくなった。どんなことであれ、一番、という響きは気持ちいい。
「今日はどれを買うの?」
「んーとぉ……」
 どれにしようかな、と迷っていると、ドアベルが鳴った。反射的にそちらを見る。優しそうな老婦人が立っていた。お客様なのだろう、老婦人はシャーロットの隣に来て、どのケーキにしようかと選び始めた。
「今日はこれが美味しそうですね」
 と老婦人がフィルに話しかける。
「ええ。今月の新商品で、オススメですよー」
 フィルの言葉に、シャーロットもつられてそのケーキを見た。ウインドウの中で一番綺麗で、一番美味しそうに見えた。
「あなたも悩んでいるのですか?」
 不意に、老婦人に話しかけられた。シャーロットは素直に頷き、「オススメされると弱いのですぅ。美味しそうだし……」と答える。そうよねえ、と独り言のように老婦人が頷く。
「あなたの言うように、美味しそうだし……私はこれを買いましょう」
 不思議なもので、いいと思った商品を買う人がいたら同じく買いたくなってしまうものである。
「シャーロットも。シャーロットもこれ、買うですぅ」
 フィルは二人に頷き、笑顔で「少々お待ちください」と言った。
 箱に入れてもらうのを待っていると、再び老婦人に話しかけられた。
「あなたはどこから来たの?」
「シャンバラ教導団の方ですぅ」
「随分遠くから来たんですね。シャンバラ教導団の方だと……ゴンドラを使って湖南岸へ行くのが一番早く帰ることができる道でしょうか」
「そうなんです?」
「ええ。以前、そちらの方に住んでいたことがあるんです。……そうだわ。その頃使っていたゴンドラのチケットがあるんです。もう使わないから、よかったらもらってくださる?」
「ありがたいですけど、もらう道理がないですぅ」
「あなたの一言で、あのケーキを買おうと思えたんです。優柔不断を断ち切ってくれたお礼、ということで」
「……じゃあ、遠慮なく、ですぅ。お婆ちゃん、ありがとうなのです」
 シャーロットがチケットを受け取ると、まるでタイミングを計ったかのように「お待たせしましたー」というフィルの声が聞こえた。
「シャーロットはもう行くですぅ。お婆ちゃんは?」
「私はここでお茶を飲んでから。では、気をつけてお帰りくださいね」
 手を振る老婆にばいばいと手を振り返し、シャーロットはケーキの入った箱を受け取り店を出た。


 ――直後、『Sweet Illusion』にて。
 老婦人に扮していたローザマリアは、【パーティマスク【バーバヤーガ】】と上着を脱ぎ捨て、わずか数秒で赤毛の女性に成り代わった。
 バーバヤーガの下にあったこの顔は、【スパイマスクα】で作った顔で、さらに言えばこの下には【Οなりきりセット】のフェイスマスクもかぶっており、素顔はさらにその下にあった。
「手の込んだことするねー」
 とフィルは言ったが、まったくだと思う。以前同じようなことを一度やっているとはいえ、準備に時間はかかるし、こうしてシャーロットの目的地に先回りして根回しもしなければならない。
「でも、楽しいのよ」
 そう言って笑うと、フィルも笑った。
「これ、ケーキのお代。今日はありがとう、助かったわ」
 簡潔に礼を言うと、ローザマリアは店を出た。ポイントシフトで先回りし、ゴンドラの桟橋に立った。
 ほどなくしてシャーロットが現れ、「よろしくですぅ」とゴンドラのチケットを差し出してくる。ローザマリアはかしこまりました、と綺麗に礼をして、シャーロットをゴンドラに乗せた。
 ゴンドラを漕ぎながら、ローザマリアはゴンドリエーレの資格をとっておいて良かった、と思う。疑われないのは、このあまりない職業のためとも言えるからだ。現にシャーロットはここに立っているのがローザマリアだとは思ってもいないらしく、水上の景色を楽しんでいる。景色をネタに話しかけ、先ほどの老婆のようにどこから来たのかを訪ね、帰るにはタクシーを利用するといい、と教えてやる。
 そうしてしばらく話していると、シャーロットを乗せたゴンドラは無事湖南岸まで到着した。最後にタクシー乗り場を教えてやると、ローザマリアは急いでゴンドラを降りマスクを脱ぐ。そして、用意しておいたタクシーに乗り込むと運転手として三度シャーロットの前に現れた。
「乗ってく?」
 と声をかけると、シャーロットは驚いたようだったがあまり警戒はせず、「任せたですぅ!」と力強く言った。誘いに応じたのは、ゴンドラに乗っている際治安がいいとか、タクシーの運転手はいい人が多いとか、そういった話をして摺りこんでおいたからだが、ここまで素直に信じてしまうと少し心配にもなる。
 やっぱり傍にいてあげないと駄目ね、と親心を出しながら、ローザマリアは家までの道を安全運転で走った。


 シャーロットが家に帰ると、グロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)が出迎えてくれた。
「おお、よく戻ったな」
「あれ?」
 普段なら一番に「おかえり」と言ってくれそうなローザがいない。シャーロットはきょろきょろと辺りを見回した。やっぱり、いない。
「ライザ、ローザはどこですぅ?」
 不安になって聞くと、グロリアーナはにやりと笑った。
「何を言っておる。ローザならば、其方のずっとそばに居るではないか」
「え?」
 もう一度辺りを見渡したが、シャーロットの傍にいるのはグロリアーナとタクシーの運転手だけである。……そういえば、この運転手はどうしてまだ一緒にいるのだろう? そう疑問に思った時、運転手の顔がめくれた。驚く間もなく、ローザマリアの笑顔が見える。
「ローザ!」
「ごめんなさいね。実はずっと傍にいたの」
「ずっと……」
 言われて、今日一日のことを考える。
 タイミングよく店に入ってきたおばあちゃん。しかも、ゴンドラのチケットをくれた。
 そのゴンドラの漕手は色々と話しをしてくれて、そう、特にタクシー事情なんかを教えてくれた。
 そしてタクシーを探しているシャーロットに声をかけてくれたのがローザマリアで、つまり……。
「ずっと一緒だったですかぁ!?」
「ええ、そうなのよ」
「そう言っていたぞ?」
 ローザマリアはもちろん、グロリアーナも楽しそうに笑っている。なんだか釈然としない。ぷう、と頬を膨らませると、呵々大笑とグロリアーナが笑った。
「エイプリルフール大成功ということだな!」
「ひどいですぅ!」
「むう? 何を言うか、少し考えればすぐにわかったことだ。其方の様に大事に想っている者を、ローザが一人にする筈あるまい?」
「…………」
 そう言われてしまえば言い返す言葉はない。
「驚かせてごめんなさいいね」
 と謝るローザマリアへとシャーロットは抱きつき、「またケーキ買ってほしいですぅ。……それでチャラですぅ!」と言った。再び呵々とグロリアーナが笑う。
「さぁ、ローザもシャーロットも、中に入ろうぞ。ケーキを買ってきたのであろう? 妾自慢の秘蔵の茶葉があるのだ。ティータイムといこうではないか?」
 時間は少し早いが、お腹もすいたし話の種もある。
 楽しいティータイムになりそうだ、とシャーロットは笑顔で頷いた。