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第6章 神楽崎優子の内心

 百合園女学院で打ち上げが行われていた日。
「神楽崎優子さんがいらしていたようですね」
 影野 陽太(かげの・ようた)は、それはもう幸せそうな顔で、蒼空学園の校長室にいた。
「離宮の報告は受けましたでしょうか? あのっ、実際に宮殿に入った俺からも何か報告が出来れば……っ」
「そうね、聞きたいわ」
 緊張した面持ちの陽太に、御神楽 環菜(みかぐら・かんな)は携帯電話を閉じるとソファーの向いを指差した。
「失礼します」
 陽太はささささっと、用意した絶品のヒラニプラ茶とお茶菓子を環菜へ出してから、ぺこりと頭を下げて、彼女の向いに腰掛ける。
 ……隣に腰掛けて、くっついて囁きかけるように報告がしたい……などと思わなくもないがっ、向いでも環菜の態度がそっけなくても、大切で大好きな彼女の側にいれることが、本当に本当に嬉しかった。
 陽太は生きていることに感謝し、愛しい人の側で過ごせる幸福をかみ締めていた。
「宮殿の中には、剣の花嫁のような生物がいました。ですが、女性ではなく、全て男性で、人間のような知能もありませんでした」
 陽太は離宮で体験したことを、多少早口になりながら環菜に説明していく。
 そして、役に立たない助っ人だったけれど、再度騒動があったのなら、また手伝いに行く意思があるということ、話す。
 環菜はゆっくりとお茶を飲みながら陽太の話を聞いている。
「それなりに役に立ったと報告を受けているけど? 随分感謝されたわよ」
「いえ、そんな……俺は……あの暗いヴァイシャリーの地下で、本当は何度もくじけそうになりました。でも、恋しい人にもう一度会いたくて」
 陽太の声は次第に小さくなっていく。
「こんな風にのんびり話せる時間を夢見て、なんとか踏ん張れた気がします」
 最後の方は、向いにいる環菜にさえ届かなかったかもしれない。
 恥ずかしげに、少し赤くなって陽太は微笑みを浮かべた。
 環菜は頬にかかる自分の髪を払い、口元にごく軽く笑みを浮かべて「そう、良かったわね」とだけ、そっけなく言った。
 ちょっとした仕草、そしていつもよりちょっと優しく感じる声に、陽太は深い安らぎを覚える。
 辛いこと、苦しいことがあっても……。
 こんな幸せな時間が待っているから。
 だから、頑張れる。頑張れた。
 今、彼はとても満ち足りていた。

「神楽崎優子さん」
 蒼空学園を出た神楽崎 優子(かぐらざき・ゆうこ)は、食事を取るためにツァンダの高級レストランに入ろうとしたところ、志位 大地(しい・だいち)に呼び止められた。
「あ、やはり百合園の神楽崎さんですね」
 大地は百合園で行われている打ち上げに参加する資格はないと考え、パートナー達だけを行かせて、自分は墓参りを済ませた後、蒼空学園に帰還していたのだ。
「事件に関係のある場所がこの辺りにもあると聞いて一旦戻ってきました。まだ、授業に出る気分にはなれませんけれど」
「すまない、キミには随分と負担をかけた」
 優子の言葉に、大地は苦笑しながら首を左右に振った。
「随分と負担を背負っていたのは、あなたの方でしょう」
 そう言った後、大地は軽く頭を下げた。
「命令違反をしてしまい、すみませんでした」
「違反?」
「御堂晴海のことです。彼女を……刺したこと」
「そうだな」
 優子は少し考えた後、こう言葉を続けた。
「謝罪は受け入れておこう、指揮官として。個人的な感情はまた違うのだが、それは言ってはいけないことだろうな」
 軽く笑みを浮かべた優子の様子から、優子は大地の行いに否定的ではない考えを持っているということは解った。
「そして、俺の中ではまだあの事件は終わってはいません」
 強い眼で、大地は優子の眼を見る。
「こんな自分でもよければ、あなたの力になりたい。いつでも頼って欲しい。可能な限りすぐ駆けつけます」
 語られた言葉に、優子の眉が軽く動いた。
「……心強いよ、ありがとう」
 そして、彼女は微笑みを浮かべて、大地に右手を差し出す。
 大地も右手を伸ばして、2人は握手を交わした。

 大地は優子と別れた後、携帯電話を確認する。
 百合園の打ち上げに参加している阿国からメールが届いていた。
 彼女にはラズィーヤ宛の手紙を持たせている。
 阿国と一緒に打ち上げに参加しているメーテルリンク著 『青い鳥』(めーてるりんくちょ・あおいとり)には、手紙の内容は、季節の挨拶と参加できないことのお詫びだと話してある。
 阿国はその提案の内容も知っている。
「直接渡すのは難しい……ですか」
 阿国からのメールによると、ラズィーヤは客達の対応に負われており、今渡したのでは手紙を周りの人に見られる可能性もある、とのことだった。
 打ち上げ終了までには渡すが、返答は望めないとのことだ。
「ま、すぐに答えが出せることでもありませんし返信は求めていませんよ」
 そう、大地はメールを阿国に打っていく。
 青い鳥――千雨の方は、パーティを楽しんでいるとのことだ。
 音楽を奏でたり、歌ったり、踊ったり、楽しませようとしてくれている百合園生とそのパートナー達がいるとのことだった。

「あっ、いたいた! 街からもう出ちゃったのかと思った」
 食事を終えた優子が、ツァンダを出て東の森に向おうとしたところ、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が駆け寄ってきた。
「蒼空学園に来てたって聞いて、追ってきたの」
 ツインテールにしている髪を揺らしながら走って、美羽は優子の前に到着する。
「……小鳥遊美羽か。離宮では世話になった」
「パーティには出る気になれなくて……」
 言いながら、美羽は優子と一緒に歩き出す。
 美羽は現在の情勢について優子に話していく。
 ヴァイシャリーがエリュシオン帝国との関係を深めつつあること。
 そのエリュシオン帝国が、鏖殺寺院を支援していること。
 エリュシオン帝国が地球勢力排除を狙っていること。
 西シャンバラを攻撃するための鏖殺寺院拠点が、東シャンバラに築かれつつあること……。
「そんな不安定な状況だよね」
「離宮問題……ヴァイシャリーの問題だけに集中していた私は、その辺りはまだまだ疎くてな。ただ、現在シャンバラが危うい状態にあることは、良く解っている」
「ヴァイシャリー……凄く危険な状態にあるよね」
 美羽は不安気な眼で、優子を見上げる。
「私もヴァイシャリーを守るよ。だって、ヴァイシャリーを守るために犠牲になった人たちの思いを、無駄にしたくないから……」
「……ありがとう」
 優子は少し複雑そうな表情で美羽に礼を言った。
「ねえ、優子はこれからどうするの? どうやったらヴァイシャリーを守っていけるかな……」
 美羽のその問いに、優子は視線を逸らして、深く思考を巡らせていく。
 きつく閉ざされた口。
 厳しい表情。
 そんな優子の表情を見て、美羽は今はまだ聞かない方がよかったかな、と少し申し訳なく思った。
 優子にとって、それは難しく重い問いだった。
 離宮から戻ってずっと、彼女は深く迷っていた。答えが出せないまま、苦しんでいた。
 美羽の問いは、その優子の悩みに迫る問いだった。
「美羽」
 大きく息をついた後、優子は美羽の名前を呼んだ。
「ん?」
「蒼空学園のキミが……キミ達が、西シャンバラに生きる人々も、ヴァイシャリーとそこに生きる人々を守りたいと変わらず思っていてくれるのなら、きっと守れる。だから、これからもどうかよろしく」
「うん、よろしく」
 美羽は明るい笑みを。
 優子は大人びた笑みを浮かべ、2人は頷き合った。