校長室
薄闇の温泉合宿(最終回/全3回)
リアクション公開中!
「とりあえず人工呼吸の練習してみよっか、セーフェル」 ゼスタの応急処置の講義を受けた後、テキストを手に和原 樹(なぎはら・いつき)がセーフェル・ラジエール(せーふぇる・らじえーる)の方を見た。セーフェルは樹のパートナーの魔道書だ。 「私ですか!?」 名前を呼ばれたセーフェルは飛び上がるほど驚いた。 「嫌です、馬に蹴られます。フォルクスに絞め殺されてしまいます!」 言って、セーフェルは後退していく。 「こら、逃げるな。ハンカチ越しだから大丈夫だって。人体模型か何かになった気持ちで頑張れ、魔道書だろ!」 「無茶言わないでください、魔道書だからって人体模型にはなれませんっ。フォルクスとすればいいじゃないですか、ハンカチ越しだから大丈夫なんでしょう?」 セーフェルは断固拒否し、テキストを熱心に見ているショコラッテ・ブラウニー(しょこらって・ぶらうにー)の後ろに隠れてしまう。 「フォルクスとは……なんかまともに練習できる気がしないんだよ。別のことばっかり考えちゃいそうで……」 樹は目を彷徨わせながら、頬を指で掻いた。 「心配しないで。兄さんたちが倒れたら、私が人工呼吸してあげる」 ショコラッテは顔を起こしてそう言い、樹と不満気に腕を組んで立っているフォルクス・カーネリア(ふぉるくす・かーねりあ)を見回す。 「樹兄さんとフォル兄は、生気を吸う方法を覚えるといいと思うの。普通の人には難しいけど、吸血鬼なら習得できるみたいだから」 「そうですよ。どうせなら普段は学べない方を習得してみては? 口移しでなくても可能かもしれませんし」 ショコラッテの後ろから、セーフェルもそう言う。 「えっ……。うー、そうかなぁ」 ゼスタが作ったテキストを樹は軽く眉を寄せながら見た後、フォルクスに目をちらりと向ける。 「嫌な予感がするんだけど……。でも、口移しは無理!」 「別に人工呼吸くらいでセーフェルを絞め殺したりはせんが……」 フォルクスは息をついて、樹に近づく。 「確かに口移し以外でも可能かもしれん。試してみるか。樹、上着を脱げ」 「え、腕でいいじゃないか」 「……今更照れるな、吸血は何度かしているだろう」 「……だって、噛まないから吸血とは違う感じがするんだよっ」 樹は顔を赤らめて、首を左右に振って拒否した。 「気にするな。少しずつ学んでいけばいい」 フォルクスは無理強いしなかった。 「それより、樹……お前はアリスキッスをまともにできるようにならないのか? 何故か我だけ毎回首やら手やらを噛まれるのだが」 「……うぐ。だから……アリスキッスも『キス』を意識するとやり辛いんだよ。噛むと思えばちょっとはマシかなぁって……」 「照れ隠しに殴らなくなったのは進歩だな」 「……っ!」 突如、フォルクスは樹に突き飛ばされる。 衝撃で後ろに2,3歩後退し、フォルクスは口元に笑みを浮かべる。 「ほめた途端、これだ。進歩してないのか?」 再び近づいて、フォルクスは樹の頬に手を当てた。 彼の恥ずかしそうな赤い顔は、とても魅力的だった。 このまま自分から、と思ってしまうが、それでは樹のためにも、互いのためにもならない。 フォルクスは少しの間、彼の顔を見ながらそのまま待っていた。 「……分かったよ。ちゃんとやればいいんだろ」 間近の視線に耐えられなくなり、樹は顔を真っ赤に染めながら、フォルクスの手を払いのけて。 それから、彼の顔に自らの顔を近づけて……頬に、アリスキッスをした。 即座に顔を離し、うつむいて、思わず八つ当たりしそうになる。 だけど拳を握り締めてぐっとこらえた。 「成長したようだな」 フォルクスの言葉に、ぷいと樹は顔を背けて「当たり前」と言うのだった。 顔の赤らみはまだ消えない。 「照れているだけで、嫌がってはいないのよね。2人が仲良しだと、私も嬉しい」 ショコラッテは2人の姿をほほえましげに眺めていた。 「ええ、命拾いしました」 ショコラッテの後ろに避難していたセーフェルも、安堵しながら見守っている。 「では、もう1歩進んでみるか、次は少し場所をずらしてここに」 フォルクスが自分の口の端を指差す。 「今日の実習は終わり。明日も早いからそろそろ休もうっ」 樹は赤くなったまま、いそいそとテキストを片付けるのだった。 唇から生気を吸う方法の実習が行えるようになるまで、まだちょっとだけ時間がかかりそうだ。 「ミクルちゃんは人工呼吸ってやったことある?」 「……ないよ」 「じゃ、試しになやってみようか」 「…………」 ミクル・フレイバディは、ミルミ・ルリマーレン(みるみ・るりまーれん)の誘いに即答できなかった。 ミルミのことは嫌いじゃない。だけど恋愛感情があるわけではない。 それはミルミも一緒なはずだ。多分。 だけど、彼女が自分の仲良くしようとしてくれていることはわかって。 (うんって返事したら、口と口を重ねることになるのかな……。それって、ミルミちゃんのファーストキスを奪っちゃうことになるかも? 僕もキス、家族以外にはされたことも、したこともないしな……) ミクルが困り顔で返答に迷っていると、ミルミが膨れ面になっていく。 「じんこーこきゅー……?」 側ではライナ・クラッキル(らいな・くらっきる)が不思議そうな顔で2人を見ている。 「ミクルちゃん……やっぱり、ミルミのこと嫌いなんでしょ? 温泉に一緒に入ってもすぐ出ちゃうし、春には転校するっていうしっ。別にいいけどね」 ぷいっとミルミが顔を背ける。怒らせてしまったようだ。 「ミルミ、ちゃん。それじゃ、香苗と……しよ?」 応急手当のテキストを手に、一緒に実践してくれる女の子を探していた姫野 香苗(ひめの・かなえ)が、びゅんっと勢い良く近づいてきた。 「あ、勿論人工呼吸の練習だよ。練習しようよ、もしもの時のためにね」 そういう香苗の目は何かを求めるように、潤んでいた。 香苗はお姉様や女の子が大好きだ。 これまでも何度も女の子にアタックしてきたけれど、肌が触れ合う程度までのスキンシップが限界だった。 自分を受け入れて、愛情に応えてくれる人が現れるはずだと、信じてはいるけれど……。 未だ一向に現れないのだ。 今回の人工呼吸の実習の話を聞き、香苗は考えた。 もう、待ってなんかいられないと。 もっと積極的にかつ直接的に自分の愛情をアピールするべきだと。 (人工呼吸なら、無理な理由なく女の子と唇を合わせられる……そう。香苗は人工呼吸を装って、女の子の唇を奪うの……。キスという形で香苗の愛情の大きさを伝えるんだもん!) そのターゲットとして、今日、香苗はミルミを選んだのだった。 「うん、人工呼吸やろー。ミクルちゃんはそこで見てるといいよ」 「ミルミちゃん……でも、いいのかな、パートナーに確認をとった方がっ」 ミクルはオロオロしだす。 「べんきょーするのに、確認が必要なんてことないでしょ」 ミクルを見もせずにミルミは言って、香苗の方に近づいた。 「それじゃ、香苗が意識不明な人やるね」 香苗は床にごろんと横になる。 ミルミは膝を床について、香苗に顔を近づけていく。 「んー……」 香苗は完全にキスをする女の子の口でミルミを待つ。 「ミルミちゃん……」 心配そうな声を上げるミクルを完全に無視して、ミルミは香苗の顎に手を乗せた。 香苗はミルミの柔らかな唇を待つ。 手を伸ばして、ミルミの頭を抱きしめて、強く強くキスして思いを伝えるんだと思いながら。 しかし。 「違う。倒れてる人はこう!」 ミルミは両手で香苗の口を広げた。 「はうう……?」 「口の中を開けさせて……えいっ!」 それから、片手で顎を押さえつつ、もう片手で取り出したマウスピースを香苗の口の中に差し込む。 そして、大きく。大きく。更に大きく、息を吸い込んでいく――。 「あううー、あうー。あー」 そのまま息を吹き込まれたら、肺が爆発してしまいそうだと、香苗は抵抗を始めた。 「ミルミちゃん、何か間違ってると思うよ……!?」 ミクルも止めようとするが、ミルミはやめようとせず、体重をかけて、香苗を押さえつけ、マウスピースに噛み付くように口を近づけた。 「んーーーーーーーー!!」 香苗が叫び声を上げる。 「みーるみちゃぁぁん!」 声が響いた後、何かがぽんと跳ね飛んで、くるくる空中で回ってから、トンと床に着地する。 それは、鮮やかな宙返りを決めた牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)だった。 「アルちゃん!?」 香苗を吹き殺す直前に、ミルミは大好きな友人の声に振り向いた。 香苗は急いでミルミの手から逃れて、はあはあと息をつく。 「ダメ、ダメなの……せめて唇を重ねてからじゃないと。人工呼吸にこんな器具いらないんだから〜。全部燃やすっ」 香苗はマウスピースをゴミ箱に投げ入れて、器具の破壊とお姉様探しの為に、涙目で走り去っていった。 「みるみちゃぁぁーーーーーん! だーぁいすきっ!」 身体全体で愛情を表して、アルコリアはミルミにうぎゅー、むぎゅぅぅぅっと抱きつく。 「アルちゃん……ふふ、ふふふ……合宿来ないのかと思ってたよ……」 一気にミルミの機嫌が直り、アルコリアを抱きしめ返そうとするがアルコリアの抱擁があまりにも強くて、ミルミは身動きが一切できなかった。 「鼓動も体温もお声も吐息も全部全部頂戴、んぅぅ」 アルコリアはミルミに頬をすり寄せ、ぎゅっと、とにかくぎゅっと満足するまでずっとぎゅっと抱きしめ続ける。 「らくしゃさかまぁや! よばれてないのにそく、さんじょ〜」 アルコリアより少し遅れて、樂紗坂 眞綾(らくしゃさか・まあや)が到着する。 「ライナん〜」 そして、跳ねて飛んで回ったアルコリアにびっくりしていたライナに、眞綾はがばっと飛びついた。 「眞綾ちゃん? どうしたの?」 「ん? あたしはどーもしてないんだけどね。ライナんむぎゅー」 眞綾はライナをアルコリアにならって、むぎゅっと抱きしめる。 よく解らないけれど、ライナをこうしてあげると良いのだとアルコリアから聞いている。 「でもさっき……ミルミちゃん何しようとしてたのかな?」 アルコリアが腕の中のミルミに問いかけた。 「人工呼吸の練習だよ。口から息吹き込もうとしてたの。ミクルちゃんはミルミとするの嫌みたいだったから、他の子とね」 「ふーん」 アルコリアはちらりとミクルを見る。 「い、嫌なんて思ってないよ。だけど、ね。ほら、何かと大変そうだし、ね。もっとちゃんと保健体育とかの勉強してからがいいと思うんだ……って、ああ僕何言ってんだろ……っ」 ミクルは少し赤くなると、「じゃあまた後でね」と言って、そそくさと立ち去った。 「2人っきりになったね、ミルミちゃぁぁぁーん」 「あううっ。苦しいよぉアルちゃ〜ん」 ミクルがいなくなった後も、アルコリアはひたすらミルミを抱きしめる。 どうにもならない事情があり、合宿に来ることができなくて……ミルミにしばらく会うことが出来なくて。 アルコリアの中にある電池が切れ掛かっていたのだ。 「んむぎゅぅぅぅっ、ミルミちゃんっ」 「ふにゃん……っ」 抱きしめて抱きしめてミルミの全てを奪うほどに抱きしめて、アルコリアは空っぽになりそうな自分の中に、ミルミを充電をしていく。 「はあ……たく」 遅れて到着を果たしたシーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)は、ミルミを抱きしめるアルコリアを見て息をつく。 「……なんだろう」 もう一人。 シーマと一緒に訪れたアルコリアのパートナーのラズン・カプリッチオ(らずん・かぷりっちお)は、アルコリアとミルミをじっとみながら、呟いていく。 「アルコリアは、ラズンと一緒だと思ってた」 だけれど今。ミルミという名の、あのヴァルキリーの少女と一緒に居る時のアルコリアは、ラズンの知らないアルコリアだった。 「あの表情と、雰囲気はなんだろう……前の村のときも、そうだった」 ラズンはシーマに目を向ける。 「殺さない傷つけない、アルコリア……ミルミって、何? 何なの?」 シーマはその問い眉を寄せた。 「一口では語れない。……さて、ライナの警護だ」 シーマは眞綾と遊び始めたライナの方へと歩いていってしまう。 ラズンは視線をアルコリアへと戻す。 「空っぽで満たされなくて、その空白を満たす為に、殺し傷つけ、その空腹を終わりにするために、殺されてしまえばいいって――」 生きるための食事のように殺し傷つけなきゃいけないロクデナシなのに。 自分と、アルコリアは同じはず、なのに。 「ミルミ……なんなんだろう? もう少し、観察が必要かな」 ラズンは自傷癖を持つマゾヒストだ。傷つくことが凄く好き。 人を傷つけるとすぐに悲しく、辛くなってしまうので。 自らを苦しめるために、誰かを傷つけ、殺し続けてきた。 その目に映った、多くの者の命を奪ってきた青い瞳で――ラズンはじっとミルミとアルコリアを見つめ続けた。