|
|
リアクション
第二十四章:力と恋心と
その頃。
“Xルートサーバー”の不調によりデータを消失した想詠 夢悠(おもなが・ゆめちか)は、分校の敷地内で道に迷い、空が暗くなってからも周辺を彷徨っていた。勢いに任せて蒼空学園を出発したものの行先もわからない上に帰ることもできない。不気味な暗闇が迫っていた。
「これはまずい。データ以前にオレたちが消失しそうだ」
荒野には明かりひとつなかった。夢悠の持つ【フロンティアスタッフ】の放つ淡い光だけが頼みの綱だ。何より大変なのは、女の子連れであることだ。
大切な女の子たちを困らせるわけにはいかない。守らなければなければならないのだ。彼は、外見が可愛くても男なのだから。
「ごめんなさい。私のせいで到着が遅くなってしまって」
男を見ると殴る悪癖を持つ遠山 陽菜都(とおやま・ひなつ)は、上着を頭から被せられまるで連行される犯罪者のような恰好で、雅羅・サンダース三世(まさら・さんだーすざさーど)に手を引かれてここまでやって来ていた。
これまでに陽菜都は一体どれほどのならず者たちをその拳で仕留めてきただろうか。戦果だけを見るなら警備の契約者たちよりも激しく戦ってきていると言えた。だが、それもそろそろ限界だ。休んでいる暇はなかったため本人は心身ともに疲れ果てているし、分校の内部に入るにつれて敵も強くなってきていた。こんなところで倒れられたらなすすべもない。このままでは進退窮まるので、陽菜都男の姿を見れないように、雅羅が強引に視界を遮っていたのだ。
「私にも責任があるわよ。後先考えずに飛び出してきたんだから」
雅羅も、途中で帰ればよかったと後悔し始めていた。データを失ったのは痛手だが、他人を危険に晒してまで強行するほどのことではなかったのかもしれない。少なくとも陽菜都には彼女らを信じてもらい蒼学に留まっておいてもらうべきだった。
また自分の災厄体質に他人を巻きこんでしまった、と激しく気落ちしていた。
「誰が悪いわけでもないよ。せめて分校について事前にしっかりと調べてこなかったオレも迂闊だったわけだし。どこか休めるところを探して少し落ち着こう」
責任問題を言っていても仕方がない。夢悠は二人を励ましながら小さなら明かりを頼りに道を探していた。
荒野には携帯の電波も届いていない。助けを呼ぶことが出来ずに途方に暮れていたが、夢悠は不安な様子を表には出さなかった。不安を抱いているのは、雅羅と陽菜都も同じことだ。心細さを増長させてはいけない。彼が率先して頼りになるところを見せなければならないのだ。
「見てごらん。星が綺麗だよ」
雅羅と陽菜都の心を和ませようと、夢悠は夜空を見上げた。
「あら、本当ね。こういう光景を見ると無人の荒野も悪くないわね」
雅羅が元気を取り戻したように感嘆の声を上げた。
――どの星よりも、雅羅は魅力的だけど。
そう言えればどれほどいいことだろう。夢悠はすんでのところで言葉を飲み込んだ。今必要なのは、薄っぺらな言葉よりも行動だ。
「星の位置から判断すると、北はあっちだね」
「そうね」
あらぬ方向を指差した夢悠に、雅羅も微笑みながら頷く。
それで……、北の方角が分かったから何なのだろう? 地図もなく自分たちのいる場所もわかっていないのに。
「……」
「……」
二人は顔を見合わせたまま沈黙した。陽菜都は星を見ることすらできずに俯いている。
ちょっと気まずい空気になったので、夢悠は仕切り直すことにした。何事もなかったように、再び辺りの様子を探り始める。
そう、本当に何事もない。雅羅と一緒に冒険しているのに。暗闇でドキドキハプニングも起りそうになかった。
あまり深く考えていると涙が出てきそうになるので、心を無にして前に進む。
「あれは……?」
何とか活路を見出そうとしている夢悠は、闇に包まれた荒野をもう少し歩くと、遠くに明かりを見つけた。誰か人がいるに違いない。もし可能なら事情を話して休ませてもらいたい気分だ。
「何かしら? 建物のようにも見えるけど」
雅羅は、陽菜都を連れて近寄って行った。彼女もまたとても疲れていたのだ。口には出さないが、早く休みたいという思いでいっぱいだった。
「待って、不用意に近寄っちゃだめだ」
夢悠は、二人をかばうように前に出た。【ディテクトエビル】と【殺気看破】のスキルが反応している。敵意を持つ者がこちらにやってくるのが分かった。もし出会うのがモヒカンの集団だとしても、自分の手で食い止めてみせる。彼はすでに武器と攻撃スキル発動の用意をしていた。
「最悪だ」
彼は足を止めて身構えた。明かりの場所にいたのは、案の定モヒカンたちだった。どうやら彼らのたまり場だったらしく、これまで以上に大勢のチンピラ風の男たちが建物の近くをたむろしているのが遠目に見えた。
どうする、戦うか? “最終兵器ヒナツ”を起動させてタコ殴りにさせるか? 彼女も人の気配には気づいたようだが、まだ上着を頭からかぶっていて光景を見ていないため動きはない。
いや、陽菜都だけに任せるのは却下だ。そもそも、彼女は吟遊詩人のクラスで戦いに特化しているわけではない。男を殴る特性もどこまで通用するかわからない。これまではザコモヒカンが相手だったから突破できたが、高LVで戦い慣れした本物の戦士が出てきたらやられてしまうかもしれない。戦闘能力は未知数だが、それに賭けるわけにはいかない。何より彼女は言うまでもなく普通の女の子なのだ。
雅羅に至っては、他の多くの契約者たちと比べると頼りない戦闘力だ。登場してから長く、数々の修羅場を潜り抜けてきたはずなのに大して強くなっていないのはどういうことだろう。支援者が多かったため守られ過ぎてお姫様状態になっているとしか考えられなかった。
戦うなら先制攻撃だが、あの人数では撃破するのに時間がかかりそうだ。だからと言って、引き返すのも不可能だった。簡単に帰ることが出来ているならこんなに苦労していない。
夢悠の思考時間はほんの数秒足らずだったが、それが命取りになったのか。
「ひゃっは!?」
不意に、暗闇の中から人影が躍り出てきた。夢悠の持つ明かりに気づいて、たまり場から様子を見に来た偵察役だ。暗視スコープをつけており、暗闇の中でも明かりなしで活動できるため、普通なら簡単には発見できない工夫がなされている。夢悠もスキルを使っていなかったら、接近してきていることすらわからなかっただろう。
「ヒャッハー!」
急接近していたモヒカンは、襲いかかってくることはなく野生動物のような叫び声をあげた。それが、仲間たちへの合図だったのか、たまり場の周りに集まっていたならず者たちも、一斉にこちらを見た。
「ヒャッハー!」
彼らは一斉に夢悠に顔を向けた。動きといい獰猛な目つきといい、モンスターに遭遇した時と同じ恐怖感がかき立てられる。
ならず者たちは、一斉にこちらに殺到してきた。
「あいつらとやれるだけやってみる。雅羅は陽菜都を連れて逃げるんだ。この場から離れたら、もうなりふり構わず大声でも出して誰か助けを呼べ」
夢悠は、意を決してモヒカンたちを迎え撃つことにした。不良グループのメンバーは思っていたより数が多く、建物の中からもぞろぞろと姿を現した。取り囲まれたら三人で逃げるのは難しいだろう。だが、敵が接近してくる前にこちらから仕掛ければ、雅羅たちが逃げる時間くらいは稼げる。
「なに言ってるの? 私だって戦えるわよ」
雅羅は特製拳銃を取り出した。モヒカン相手なら躊躇うことなく実弾を食らわせてやることが出来る。
「あわわ。いっぱい来たよ。どうしよう、いやだなぁ」
陽菜都も上着を取り除いて、視界を明らかにした。不良グループの群れが迫ってくるのを確認すると、全身を怖気立たせて男殴りまくりバーサークモード(?)のスイッチを入れた。が、彼女は好き好んで相手を殴るわけではないので、出来れば後ろに下がって援護に徹したいらしい。
「先手必勝!」
夢悠は、敵に向かって【ブリザード】のスキルを放っていた。色々と精神的に余裕がなくなっていたため、相手の出方を伺っていられない。
氷の嵐が迫りくるモヒカンたちにまとめてダメージを与えていた。
しかし、攻撃をくらっても彼らの大半は一撃では瀕死状態にならなかった。ここまで生き残っているのだから、そこそこに強いようだ。すぐに大勢を建て直すとこちらに向けて突撃してきた。
陽菜都は本来のクラスである吟遊詩人として【叫び】の声を上げていた。それを耳にした敵はダメージを受けて次々とその場に倒れる。男殴りを使わなくても結構戦えるじゃないか。
雅羅は【弾幕援護】でサポートしながら発砲していた。モヒカンたちが何人か弾丸を食らってもんどりうった。
「もういっちょ!」
夢悠は続けざまに、今度は【サンダーブラスト】でダメージを与える。なるべく早く戦闘が終わってほしいので、一気にスキルを連打する構えだ。
「!?」
その彼は、突然膨れ上がった強烈な殺意に硬直した。これまでのモヒカンたちとは違うヤバい何かが、来る!
一瞬、本能が悟った。これは危ない。雅羅を、いや陽菜都も守らないと。身体が反応するより先に、爆発的な威力を持つ攻撃が夢悠たちに襲いかかっていた。
ドドドン! と轟音が響き地面が揺れ衝撃波が三人をたやすく吹き飛ばした。その攻撃が、【パスファインダー】と【アナイアレーション】のスキルだと理解する前に夢悠は意識が朦朧とする。彼とて相応の経験を積んでいるが、英雄クラスの強烈なスキルを受け流せるほど強靭ではない。
「俺様は今機嫌が悪いんだ。ふて寝しようとしていたところをじゃまするんじゃねぇ」
戦おうとしていた不良集団の中から姿を現したのは、スキンヘッドの大柄な男。先ほど決闘で敗れ金ワッペンを失った山田武雷庵だった。あの時不覚を取ったのは相手が強すぎたためだ。だが、彼は【ラヴェイジャー】クラスを極めており普通の契約者相手なら負けないほどの戦闘力を持っている。元金ワッペンは伊達ではなかった。
彼は建物の中で休んでいたのだが、外にいるモヒカンたちの騒ぎに気付いて出てきたのだった。
「なんだこいつら? この辺りじゃ見かけねえ顔だな。訓練の警備の連中でもなさそうだ」
とりあえず誰かいたのでついカッとなって攻撃してみた感じの武雷庵は、技を受けて地面に倒れている夢悠たちを見て舌打ちした。今日あった悪い出来事は寝て忘れようと思っていたのに縄張りに侵入してくるとは、運のない奴らだ。敵対しているモヒカングループの夜襲かと思ったが違うようだった。
「ぐぐっ……、痛てて……」
ゆっくりと近づいてくる武雷庵の姿を視界に捕えた夢悠は、必死で起き上がろうとした。ダメージが大きすぎて身体が言うことを聞かないが、こんなところで訳のわからないまま寝ているわけにはいかない。雅羅たちは……?
「!!」
【ヒール】のスキルを自分に使い根性でなんとか立ちあがった夢悠は、いまだかつてないほどの危機に戦慄した。
雅羅と陽菜都は、彼の近くで倒れたままピクリとも動かない。それどころか、彼女らは全身からかなりの出血をしている。敵のスキル攻撃をまともに食らい瀕死状態だった。このまま放っておけば二人とも死ぬ。彼はショックで頭の中が真っ白になりながらも、慌てて雅羅の元に駆け寄りなりふり構わずに人工呼吸を施そうとした。まずいことに呼吸が細くなっている。いてもたってもいられない精神状態で、普段なら触れることもできない雅羅の唇に自分の唇を押し当てて息を吹き込む。
瀕死状態では【ヒール】は効果がない。【復活】のスキルが使えるまでには、まだ届いていない。好きな女の子の制服が血で染まっていくのに何もしてあげることが出来ない。正気を失いそうだ。あれほど、守ると心に決めたのに。
「この荒野じゃ毎日誰かが命を落としている。弱肉強食が自然の摂理だぜ。イルミンスール生だろうが蒼学生だろうがその掟には逆らえねぇ。いつものことだ」
武雷庵は【自動車殴り】のスキルで武器にしている大型の改造車両を片手に持ったまま何の感銘もない口調で言った。抵抗してくるならいつでも殴り潰せるんだぜ、と言わんばかりの態度に夢悠は身動きもとれずに相手を凝視するだけだ。
「何しに来たのか知らねえが、他校生が分校内をうろちょろして無事で済むわけはねえんだぜ。この辺りは喧嘩を仲裁する決闘委員会もほとんど現れねぇ。奴らが来たら来たで決闘すればいいことだし。腹立ち紛れにヒャッハー! しとくか」
「ヒャッハー!」
子分たちも荒々しく意気を上げる。夢悠は取り囲まれていた。
「無益なんじゃないかな。オレはキミたちと争うつもりはないんだ。通りすがりの偶然の遭遇だよ。不幸なことに戦闘が起こってしまったけど、オレたちは敵じゃないと理解してほしいな」
顔を上げた夢悠は内心ドキドキしながらも強めの口調で言った。
こんな予想外の展開になるとは思ってもみなかった。分校内の事情など彼には関係ないし相手の男が誰なのかに興味もない。ただ失ったデータを取り戻しに来ただけだ。だが、それを説明してもわかってくれそうになかった。
徹底的に戦うのはどう見ても分が悪い。相手は英雄クラスだし、他にもそれなりに戦闘力を持つ子分たちもたくさん生き残っている。戦闘の時間すら勿体なかった。早くしないと、雅羅が……。
ギリギリのラインで平常心を保っていられたのは、ここで判断を誤ると取り返しのつかない事になると本能的に悟っていたからだ。
「オレはどうなってもいいから、この二人だけは助けてくれないか。彼女らは、蒼空学園では人気者で有名人なんだ。手を出したら、蒼学生全員が敵に回るよ。逆に恩を売っておいたら悪いことにはならない、と考えた方がいいんじゃないかな」
夢悠は警告も交えながら救援を求めた。
パラ実の不良たちに弱みを見せたらダメだ。相手が弱いと知ると、モヒカンたちは野生本能の赴くまま容赦なく蹂躙する。こちらも強く落ち着いており不気味な存在に見せておかないと会話すら成り立たない。いくら雅羅の容態が心配でも取り乱したりする姿を見せるわけにはいかなかった。
もし頼みを聞いてくれるなら今の暴力は突発的な事故として見逃してやらないでもない、と無理してでも余裕のある態度で臨むのが正解なのだ。
「これ以上乱暴を働くつもりなら、キミはオレのファンたちからも怒りを買うことになるよ。やめておいたほうがいいと思う」
男の娘アイドルとして活動している夢悠は、いつもならこんなセリフは間違っても口にしない。野獣のごときパラ実生相手に非常事態だからこそ、ハッタリも許されるのだ。
「ああ、お前あの想詠夢悠か。女装してアイドルやってるっていう噂の」
夢悠をガン睨みしていた武雷庵は、思い出したように言った。子分たちも彼の正体に気づき頷き合っている。荒野に住む野生的なモヒカンでもテレビくらいは見ているのだ。
夢悠は【名声】スキルを装備しているので、パラ実の不良たちが名を知っていても不思議じゃない。あまり嬉しくはないが。
「ただの女装じゃないよ。男の娘だよ。ジャンル的に違うから覚えておいてよ」
夢悠は、会話が通じたことに少しほっとしていた。悪い反応ではない。アイドルを名乗ったことで、不良たちから敵意が薄れているのが分かった。もしファンだったら見逃してくれるかも、と淡い期待を抱く。
「う〜ん、名前は知ってるが、男じゃあまり興味はねえな」
武雷庵はガッカリコメントを口にした。彼は、自分自身のことを分校のアイドルだと確信しているので、他校のアイドルに恐れ入ることはないのだ。いかに自分を華麗に派手に見せることが出来るかが彼の関心事だったが、金ワッペンを失いそれも無意味になった。少々消沈しているところだった。
「まあいいか。おい、お前ら。後は適当に遊んでそこら辺へ放りだしておいてやりな。生命力が強かったら生きて帰れるだろうぜ」
武雷庵は、子分たちに指示を出して身を翻した。そのまま帰って行こうとする。
「ちょっと待って。助けてくれるんじゃないの?」
夢悠は慌てて呼び止めた。襲われるのも困るが放置も困る。彼ひとりならいいが、雅羅と陽菜都は動けないのだ。
「ああ、そのつもりだぜ。俺様は優しいんだ。間違えて迷い込んだだけだろ。別にお前の命までは取ろうってつもりはねえぜ。後は好きにしな」
「そうじゃなくて、彼女らを手当てしてあげてほしいだ」
夢悠は懸命に頼み込んだ。なんなら、お礼にここで一曲披露してもいい気分だ。
「あのな。俺様たちに蘇生技術はねえんだぜ。あってもMPがもったいなくて使わねぇ。その力で敵から強奪したほうが建設的だからな。瀕死状態になったら、仲間でもそのまま放置するのが荒野のルールだ。人は皆、誰しも最後は自然の摂理に従って土へと還っていく」
武雷庵は当たり前のように言った。
「じゃあな。達者で生きろよ、アイドル。またいつか、テレビに映っていたら見てやるからよ」
その彼のセリフに、子分たちもヒャッハー! と声を上げた。
特に恨みはないが、ストレス発散のために襲いかかってこようという構えだ。
「キミたちに期待しようとしたオレがバカだったよ。いいよ、やってやるよ」
夢悠は怒気をはらんだ目でモヒカンたちを見た。もうこうなったら突破するしかない。敵を倒して、何とか雅羅と陽菜都を大急ぎで人のいる場所へと連れて行く。必ずだ。
「オレはここで死んでもいい。雅羅が無事なら、恋が成就しなくても構わない。だから、神よ、最後の力を」
夢悠は、目を閉じ世界樹に祈った。彼は、今ではスキルアップして【メイガス】だが、かつて【プリースト】も経験したこともある。これは、イルミンスールの神である世界樹からの試練。今宵全ての祈りを捧げよう。
「……」
目を開いた夢悠は、モヒカンたちにありったけの魔力を叩きつけた。スキルではない、エネルギーの塊が空中で結束し破裂した。ルールブックに載っていない変則的攻撃だ。シチュエーション的にこんなのもありだろう(?)。うん、まあ多分……。
渾身の攻撃は、敵を全て包み込み絶大なダメージを与えていた。効果はてきめんで、地面から舞い上がる砂埃と魔力の光が晴れた時、あれだけいたならず者たちは全て倒れていた。一人を除いて……。
「ヤベぇ。今日二度目に死ぬところだったぜ」
武雷庵はボロボロになりながらも立っていた。LVの高さと戦い慣れした強靭な身体がなんとか攻撃から耐えていたのだ。よろりと体勢を立て直した彼は、感情のない目で夢悠を見た。
「見逃してやろうと思ったが、やっぱりやめだ。アイドルとかファンとか関係ねぇ。女ともどもまとめて死ね」
【自動車殴り】で巨大な武器を振り上げる。
「ごめん雅羅。オレ、また大切な人を守れなかったよ」
力を全て使い切った夢悠は、失意の表情で茫然と夜空を見上げた。
こんな最期になろうとは、運命とは何と残酷なことだろうか。
「……」
しかし、しばらくの間ぼんやりとその場に佇んでいた彼は、いつまでたっても攻撃が襲いかかってこないので怪訝に思って視線を戻す。
「?」
敵は、振り下ろしかけた武器の改造車両を振り下ろせないでいた。何かが強い力で引っ張っていたのだ。ちょっと事態が呑み込めず、夢悠は首をかしげる。
すると。
天使が舞い降りたのが見えた。特製装備の【アスクラピアの聖白衣】をはためかせ、彼女は降臨する。
「よく頑張ったな。その根性を認めて、我が道場への入門を許可しようッ」
声と共に背後の暗闇から十人以上の人影が姿を現した。
汗臭く暑苦しいがモヒカンたちではない。分校の訓練生たちの中でも異彩を放つ格闘集団で、決闘によるポイントゲットのために厳しい修練を積み重ねている道場生たちだった。彼らは訓練と決闘に熱中するあまり、日が暮れたのも気づかなかった。外が暗くなりようやく今になって引き上げてきたところだった。
「私が、魁! 九条塾の教師である九条ジェライザ・ローズだッ!」
当時、まだ九条 ジェライザ・ローズだった長曽禰 ジェライザ・ローズ(ながそね・じぇらいざろーず)が、最高のタイミングで戻ってきたのだ。何が最高かって、彼女は医師であり『伝説の回復先生』と呼ばれるほどの蘇生と回復の専門家なのだ。
「姉貴、手伝ってくれよ。すごいパワーで持ってかれちまうよ!」
道場生の一人であるベス夫の持つ釣竿のような武器から放たれた糸の先の針が、武雷庵の振り上げていた巨大な武器に引っかかっていた。【自動車殴り】を使っているため引く力が強く、訓練生たちが数人がかりで竿を支えている。
周囲には戦えない者たちもいることを配慮して、蝶のように舞い蜂のように刺すべし。道場生たちはジェライザ・ローズの教えを守っていた。【殺気看破】で敵に気づかれずに接近し、攻撃を阻止しただけでも上出来だ。
「自分たちだけで何とかしろッ。それも基礎体力を作る訓練の一環だ」
ジェライザ・ローズは、ベス夫たちに声をかけておいてから、対峙している夢悠と武雷庵に交互に視線をやった。
「やれやれ。遠くで誰かが騒いでいると思って来てみたら、やはり山田の一派だったか」
先日、武雷庵の一味と対決したジェライザ・ローズは、今度は逃がさないとばかりにゆっくりと前に進み出た。
「あ……」
よくわからないけど助かったので礼を言おうとしていた夢悠を遮って、彼女は小さく首を横に振る。
「何も言わなくてもいいぞッ、想詠道場生。自惚れるつもりはないが、私が来たからにはもう安心だ。なすべきことはわかっているッ」
「いやあの、オレ道場生じゃないんだけど。それよりも……」
雅羅と陽菜都を……。
「もちろんだッ」
ジェライザ・ローズは、本当に何も事情を聴かなくても事態を把握していた。現場を一見しただけで洞察力を働かせていたのだ。
彼女は一つ頷くと、こんなこともあろうかと装備しておいた【命の息吹】のスキルで雅羅と陽菜都を蘇生した。二人は、息を吹き返す。
「んっ……」
雅羅がうめき声を上げる。苦しそうだが生きている証拠だ。
さらにジェライザ・ローズは、夢悠のMPが残っていないのを見て取って、他の道場生たちのために用意しておいた【ヒール】も二人に連発しておく。これで使えるスキルの回数は減ったが、まだ他に取っておきが残っているし気合で乗り切れば済むことだ。
「ありがとうございます。何とお礼を言ったらいいか」
夢悠は涙ぐんでいた。世界樹への祈りが届いたとしか思えなかった。
「後は君の役目だ、想詠道場生ッ。彼女らの傍についていてあげるといい」
ジェライザ・ローズは親指を立てて笑みを浮かべた。今回は、敵との相性が悪かっただけで夢悠に落ち度はない。二人を守ろうとする心意気は負けていなかったのだ。
「さて、と。山田よ。数々の非道な行い、許し難しッ。邪悪な野望は、私と道場生たちの手によって潰えた。地獄へ行って反省してくるがいいッ」
ジェライザ・ローズは武雷庵に向き直った。
ここだけでなく、彼女らは訓練の最中にいくつものテロリストたちの襲撃を阻止していた。そのたびに決闘委員会も呼び出していたので、道場生たちのポイントも溜まっている。これが総仕上げだった。
「くくく……。あの時の道場主か。いいだろう。もう俺様は金ワッペンを持ってねぇ。ガチの勝負で決着をつけてやるぜ」
武雷庵は、持っていた武器を手放すとジェライザ・ローズの正面に立った。【ラヴェイジャー】は武器を装備していなくても【アイアンフィスト】で戦えるのだ。
「貴様、以前は捨て台詞を吐いて去って行ったから弱いのかと思っていたが、英雄クラスか。相手にとって不足はなし。ならば私も全力で相手しようッ」
ジェライザ・ローズは、道場生たちを後ろに下がらせて、武雷庵と対峙した。
決闘ではなく本当の戦闘であるため、これまでのように決闘委員会を呼び出すことはなかった。ルールなしで全力で戦える。気を付けなければならないのは、【ラヴェイジャー】のスキルを含めた強力な攻撃だ。まともに受けることは避けなければならない。だが、彼女にはそのための準備もできていた。
「お前たちに手本を見せる。今後のために役立てるがいい」
生徒たちに手本を見せながら敵を排除する。両立させなければならないところが教師の大変なところだ。道場生たちは、距離を取って生観戦モードに入った。
しばしのにらみ合い。辺りを緊迫した空気が支配する。
次の瞬間、武雷庵は猛々しい雄叫びを上げながら跳んだ。【クライ・ハヴォック】で自身の攻撃力を高め、強烈な連打を浴びせてくる。
決定打はまだ早い。ジェライザ・ローズは巧みに攻撃をかわしながら【終焉のアイオーン】で反撃していた。
敵はその行動に反応して突進してくる。ジェライザ・ローズの攻撃を敢えて正面から受けても動きを止めず、鍛え上げられた肉体のみで彼女に迫った。目にも止まらないほどの速さの拳を繰り出してくる。
「やるなッ!」
ジェライザ・ローズはとっさに防御姿勢を取っていたが、ダメージは貫通していた。敵の圧倒的パワーで体勢を崩しそうになる。武雷庵はその隙を見逃さず更に畳み掛ける攻撃を仕掛けてきた。
ドドドッッ! と激しい戦闘が繰り広げられる。
「無駄だッ!」
ジェライザ・ローズの【リジェネレーション】スキルがすぐさま傷を回復している。単調な攻撃のみで彼女に致命傷を与えることは難しい。
それを悟ったのか、武雷庵はあらぬ方向へと移動していた。目的はいつも使っている得物を手に入れることだ。先ほどは、道場生の釣竿のような武器で攻撃の機会を奪われてしまったため素手で戦っていたが、やはり手慣れた武器がある方が強い。道場生たちは、離れた所から見ているため、武雷庵の武器は放置され地面に転がっていた。
「これで、終わりだ!」
【パスファインダー】の効果で荒野での戦闘に長けている武雷庵は、ジェライザ・ローズが動くより先に巨大な武器を【自動車殴り】で手に入れていた。間髪を入れずに最強の必殺技を使った。
「【アナイアレーション】!」
「くっ……!」
ジェライザ・ローズは避けることが出来なかった。避けると、近くにいる夢悠たちにも被害が及ぶ。道場生たちは効果範囲外に退避していたが、雅羅と陽菜都は次に食らったら死ぬ。全体攻撃を一人で受けるルール無用の防御は、スキルではなくても彼女くらいのLVになればやってやれないことはない。展開の都合上の演出で、意図的に何度も使えるものではないが、とにかく彼女は敵の攻撃を正面から受け止めた。【天空の衣】を装備していなければ、もっと深刻なダメージを受けていたところだ。
だが、ジェライザ・ローズも負けてはいない。【降霊】で、切り札を呼び出していた。
「来いッ! 【フィール・グッド・インク】ッ!」
彼女の特製のフラワシが、ナース服を着た人間型の機械の姿を取って具現化される。
「私がなぜ伝説の回復先生と呼ばれたかその証明を見せてやる。フラワシのちからッ! 傷よ、新たな生命に生まれ変われッ!」
【フィール・グッド・インク】はジェライザ・ローズのダメージを吸収して生命体に変換していた。薄明りの中、無数の蝶が出現し傷の回復した彼女の周囲を舞った。幻想的で美しい光景だ。
「ヒャッハー! そんな宴会芸がどれほどのもんだってんだ!」
何度でも叩きのめしてやる、と武雷庵は手にした巨大武器でドガドガと打ち込んできた。地面にめり込むほどの威力。だが。
「だから攻撃しても無駄なんだ、無駄無駄……ッ!」
【フィール・グッド・インク】を呼び出したジェライザ・ローズにとって、もはや敵の攻撃は無意味に等しかった。ダメージを受けても【フィール・グッド・インク】が、小動物や花を辺りにまき散らしながら無限に回復していく。
「お前は無事でも、他の奴らが死ぬっての!」
武雷庵は、道場生たちも攻撃範囲に入る位置から全体攻撃スキルを放った。一種の人質作戦だ。しかし、彼の目論見はあえなく失敗した。渾身の打撃は、またしても止められたのだ。
「やっぱりわかったよ、ジェライザ・ローズの姉貴ィ! 姉貴の覚悟が! 『言葉』でなく『心』で理解できた!」
戦いを見ていたベス夫の釣竿のような武器が、再び武雷庵の【自動車殴り】を捕えていた。
「捕えるって思った時は、姉貴ッ! すでに行動は終わっているんだね」
「その通りだッ! もう誰も、お前のことをマンモーニと呼ぶものはいないッ!」
わずかな期間で大した成長だ。ジェライザ・ローズは目をかけていた道場生の変貌ぶりに目を見張った。もう彼は、一人でも大丈夫だ……。
「バカな……!」
武雷庵は驚愕する。ジェライザ・ローズもさることながら、本当に厄介なのは釣り糸の男の方だったのだ。
「何をやったって、しくじるもんなのさ。ゲス野郎はな」
さて、とジェライザ・ローズは武雷庵に視線を戻した。そろそろこの勝負にも決着をつける時が来たようだ。
「覚悟はいいか? 私はできてる」
「ヒャッハー!」
武雷庵も渾身の猛攻を仕掛けてきた。
だが、彼が狙った地点にジェライザ・ローズはいなかった。彼女は【行動予測】で敵の動きを見極め、【ポイントシフト】で瞬時に背後を取っている。死角を突くのは格闘技も同じことだ。
「私自身は素手での攻撃を得意としているわけではないが、今日は特別にフラワシの拳をプレゼントだッ!」
ジェライザ・ローズの傍らには【フィール・グッド・インク】がスタンバっていた。こいつは回復だけではなく、攻撃もできるのだ。敵が標的を見失った一瞬の隙をついて、フラワシが高速連打を繰り出した。
「アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ」
奇妙な掛け声とともに、ドドドドドドッッ! と打撃音が響く。
なんだなんだ!? と道場生たちはどよめいた。ジェライザ・ローズは素手なので、フラワシが見えない人たちからすると、武雷庵が一人でのけぞっているようにしか映らない。
【フィール・グッド・インク】の高速ラッシュは、敵を確実に仕留めていた。
「アリーヴェ・デルチ! (さよならだ)」
ジェライザ・ローズは、額に二本の指をかざし別れを告げた。
「ぐはぁぁっっ!」
ドドン! と止めの一撃が命中し武雷庵は宙を舞っていた。派手に地面に落下して、そのまま動かなくなった。分校の王者として君臨していた武雷庵の最期だった。
「……」
ジェライザ・ローズは、もはや敵には興味を失い無言で身を翻した。やりたいことは全てやった。固唾を飲んで戦闘を見守っていた道場生たちの方へと歩いていく。
敵は意外とあっけなかったが、戦いは彼らの手本になっただろうか。
「さあ、帰ろう。明日の訓練も厳しいぞ」
「押忍!」
道場生たちに取り囲まれて、ジェライザ・ローズはキャンプ地へと去って行った。彼らが立派なワッペンをつけるまで、修練はこれからも続くのだ。
こうしてならず者たちとの戦いは終わったのだった。
「……ごめん雅羅」
激闘を唖然と眺めていた夢悠は、起き上がってきた雅羅に詫びた。自分は何もできなかった。回復も戦闘もジェライザ・ローズが彼の代わりにやってくれたようなものだった。
「何も言わないで。私の災厄体質なんだから。夢悠だって全力を尽くしてくれたんでしょ。私はそれで満足よ」
雅羅は優しく微笑む。
「自己嫌悪に捕らわれて、いつもみたいに逃げないでね。ここで夢悠がいなくなったら、私たち、本当に帰れなくなるもの」
行きましょう、と雅羅は立ち上がった。
ずいぶんなトラブルに巻き込まれてしまったが、本来の目的はデータを取り戻すことなのだ。そこまで無事にエスコートして欲しい、と彼女は夢悠の手をそっと取った。
「一緒に頑張りましょう。私も迷惑かけないようにするから」
陽菜都も夢悠には慣れたのか、近づいても殴りつけることはなく優しく励ましてくれる。
その心遣いが夢悠には痛くて苦しい。二人ともいい子過ぎる。本当に、彼女たちのような女の子と恋人になれることが出来たらどれほど幸せなことだろう。
「でも、多分……」
夢悠は夜空をもう一度見上げた。今夜、悟ったのだ。
多分、手は届かない。彼女たちはあの星のように、遠くで瞬いているだけだ。だから、せめて今のこの時間を大切にしよう。
夢悠はそっと涙をぬぐって前を見た。これもまた世界樹から課せられた試練なのだ。もう、暗闇でも迷わない。
いつか自分の手が届く時が来るまで……。彼は歩き始めたのだった。