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リアクション
『同棲開始?』
講義時間の終了を告げる鐘の音が響き、講師が去った教室には生徒たちの賑やかな話し声が満ちていった。
「…………よし」
講義の内容を書き終えたメニエス・レイン(めにえす・れいん)が満足そうな表情でノートを閉じ、鞄に詰めて席を立つ。教室から廊下に出た所でふと視線を感じてそちらを振り向けば、メニエスには馴染みの男子生徒がよっ、と手を挙げながらこちらへ近付いてきた。
メニエスの顔に、自然な笑みが浮かぶ。
「学校には慣れたか?」
男子生徒、緋桜 ケイ(ひおう・けい)と並んで歩く傍ら、そう問いかけられたメニエスは「えっと……」と少し悩む仕草を見せてから、口を開く。
「慣れた……かな? もちろんあたしの事知ってて、避ける人とか嫌そうにする人もいるけど、そうじゃない人もいっぱいいるし……それに、やっぱり新鮮で楽しい」
「そっか。……良かった」
メニエスの苦笑混じりの、けれど嬉しそうな顔を見て、ケイがそっと息を吐く。……メニエス・レインの名は特に設立当初から在籍しているイルミンスール関係者の間では知らぬ者が無い程に知れ渡っている。もちろんそれは悪い意味で、であり、エリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)やアーデルハイト・ワルプルギス(あーでるはいと・わるぷるぎす)が彼女のイルミンスールへの復学を認めている以上表立った行動は起こしていないものの、好意的な目が向けられているとは到底言えない。ケイは常々その事を心配しており、今日こうしてメニエスと帰りを共にしているのも、メニエスがその事で気に病んだりしていないかと気になったからなのだが、本人からの言葉を聞く限りでは杞憂であるようだった。
「俺も顔を知らない生徒がいっぱい居るなって思った。サボってるつもりは無かったんだけどなぁ」
だから、ケイはそう口にすることでこの話を打ち切った。しばらくメニエスと講義の事について話を続けていると、木々の合間から日光が差し込んでくるのを目の当たりにする。
「あっ、晴れてきた」
「みたいだな。……良かったら、少し散歩しないか?」
外――イルミンスールの森の方角を指しながら告げられたケイの誘いを、メニエスは頷くことで受けた。
イルミンスールの森は、過去数多の戦いの中で傷付きながらも成長を続けている。一日たりとも同じ風景を残すこと無く変化し続ける森の中を二人、付かず離れずの距離で歩いていく。
「……あたしね、ケイにはいっぱい、感謝してるんだ」
「どうしたんだよ、いきなり」
ケイの視線を受けて、メニエスが恥ずかしそうな笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「あたしみたいなのがこうやってイルミンスールで勉強したり、ケイと歩けるなんて思ってなかったから。
長い間間違った道を歩いちゃったけど、こうして一緒に歩けることがすごく嬉しいの」
メニエスの言葉は、ケイの胸をいっぱいに満たしていく。彼女からこんな言葉が聞ける日が来るとは、思っていなかったわけではないとはいえもっとずっと先だと思っていたから。
「……でも、それだけじゃダメ。罪を償っていかなきゃいけない。少しでも、なんでもいいからやっていかなきゃ……」
ただ次の、真面目な表情で告げられた言葉には、引っ掛かりを覚えた。……そしてその言葉が、ケイの次の言葉を切り出すきっかけでもあった。
「なぁ、良かったら俺たち、一緒に暮らしてみないか?」
「……え?」
言われたメニエスは、何を言われたのか分からないといった様子でケイの顔を見ていた。ケイが少し慌てた様子で理由を紡いでいく。
「保護観察……ってのはちょっと嫌な言い方だけど、それと似たようなものでさ。俺がずっとメニエスの側にいれば、メニエスのことを不信に思ってる学生たちも安心できるはずだから。
…………あぁ、違うな。ちょっと苦しいな。えっと、その、さ」
一旦は理由として挙げた言葉を引っ込める形で、ケイが照れくさそうに頭を掻きながら新たな理由を述べる。
「本当は、さ。俺がメニエスと一緒に居たいんだ。
さっきだって、メニエスが上手く学校で過ごせてるか心配してたし、最近はずっとメニエスのことばかり考えてる。また一緒に学校生活を過ごせるようになったことで、この付かず離れずの距離感がかえってもどかしい。それだけメニエスの存在は俺の中で日々大きくなっているんだ」
「…………あ、うあ」
ケイの言葉がメニエスに染み渡っていくにつれて、メニエスの顔が明らかに紅くなっていった。その反応を見てケイも、今の自分の言葉はメニエスと同棲する理由というよりはもはや告白だということに気付いて、ああ、とかいや、とか言葉にならない言葉を何度か吐いて、「……とにかく!」と無理矢理雰囲気を切り替える策に出た。
「アーデルハイトから貰った鍵の件もある。メニエスの半身を受け取った意味でも、俺はメニエスの側に居るべきだと思う」
……ただ、言葉が適切だったかと言われれば、必ずしもそうではないだろう。『メニエスの半身』と聞いたメニエスの顔が、それまで以上に紅潮していたのだから。
「……ふふっ」
どうしたものかとケイが途方に暮れていると、メニエスがおかしそうに笑った。今度はケイがキョトンとする番だった。
(……そう、彼だから、今のあたしがあるんだ)
心でそう呟いたメニエスが、ケイの手を取り顔を見て告げる。
「……じゃあ、お願いしようかしら。いっぱい迷惑かけると思うけど」
そんなメニエスへ、ケイは「あ、ああ」と答えるのが精一杯だった。
新たな道を辿る二人の生徒を、イルミンスールの森は誰に対しても等しく包み込んでいた――。
『彼女の心の拠り所として』
「では、僕はこれで。お先に失礼します」
室内に居た面々――『アインスト』の主要メンバーに一礼して、博季・アシュリング(ひろき・あしゅりんぐ)が席を立つ。難しい顔をして書類に目を落としていたリンネ・アシュリング(りんね・あしゅりんぐ)が顔を上げ、笑顔で手を振って博季を見送った。
(さて、買い物の内容は、と……)
携帯端末を開いて、メモしておいた内容に目を通す。メモの終わりに丸っこい字で『ハンバーグ希望!』と書かれているのを見て、博季の顔にフッ、と笑みが浮かんだ。
『天秤世界』を巡る一連の事件終了後、大きな変化の一つとして挙げられるのは『アインスト』の件である。
『アインスト』は元々、遺跡探索を主とする学校内組織として結成されたもので、初期はイルミンスール講師カイン・ハルティスがリーダーを務めていたが、後にリンネに継承され、精霊との出会い、イルミンスールと精霊との友好関係構築に関わった。
そして今、『アインスト』はイルミンスールが天秤世界が持っていた役割を引き継いだ事で、以前なら天秤世界が果たしていた役目を代わりに果たす実働部隊として生まれ変わろうとしていた。
リーダーとして精力的に活動するリンネを、博季は同じくメンバーとして、『夫』として支えている。彼にとってリンネを支えることは使命であり義務。
朝は誰よりも早く起き、掃除洗濯を終えてリンネのために朝食を用意する。昼間は事務作業等裏方としての実務をこなし、買い物を済ませて帰宅後は夕飯の支度をする。……こうして字に起こすと凄い、という印象を与える彼の一日だが、博季にとっては『ごく当たり前』でしかない。
「お帰りなさい、博季」
「おかえりー。あっ、今日はハンバーグだね!」
そんなわけで、両手に荷物を持って家――リンネと結婚する前の博季が暮らしていた家に着いた博季を、天ヶ石 藍子(あまがせき・らんこ)とフレアリウル・ハリスクレダ(ふれありうる・はりすくれだ)が出迎える。藍子もフレアリウルも、思う所は異なれど博季同様『アインスト』のメンバーとして、日々を過ごしている。今は二人の様子を見るに、模擬戦を行っていたようだ。
「ええ、リンネさんのリクエストです」
「だよねー、そう言うと思った。ま、あたしも好きだからいいんだけど。
博季の作るゴハンは美味しいから。こればかりは幽綺子姉ちゃんも叶わない、かな?」
「あらフレア、その発言、幽綺子姉さんが聞いたら怒るわよ? あなたの分だけ量を減らされるかも」
「ヤバっ! 幽綺子姉ちゃん、今の発言はナシにして、お願いっ!」
家の中へ向けて、フレアリアルが手を合わせて懇願する。そんな彼女を博季と藍子が微笑ましく見守り、先に博季が中へ入る。
「お帰りなさい。夕飯の支度、するんでしょ?」
中で博季を出迎えた西宮 幽綺子(にしみや・ゆきこ)が、キッチンへ視線を向けながら言う。博季がこの家を出た後は幽綺子が家事の殆どを取り仕切っていたが、博季とリンネが帰ってくる時は――だいたい月に一度か二度――博季が使いやすいようにレイアウトが変更されていた。
「はい、いつもありがとうございます、幽綺子さん」
丁寧に礼をする博季を見届け、幽綺子は作業の邪魔にならないように席を外す。
(よし……じゃあ、始めるか)
エプロンをつけ、作業をしやすいように袖を肘の所で固定して、博季が表情を引き締めた。
「はー、食べた食べた。博季のゴハンはつい食べ過ぎちゃうんだよねー」
食後、リビングのテーブルには幽綺子と藍子、フレアリウルの姿があった。博季とリンネには先にお風呂を勧めている。
「張り合っても仕方ないと分かってるんだけど、女としては悔しさを感じないわけではないわね。
……それで、『アインスト』の方はどうなの?」
「はい、順調に活動しています。メンバー志願者は現時点で五十名を超えました。イルミンスール生徒だけでなく他校からも志願者が出ています」
藍子の言葉に幽綺子が耳を傾ける。幽綺子は三人の中で唯一、『アインスト』に属していない。その理由は「私まで博季に付いて行ったら、ここを護る人が居なくなるから」だった。
幽綺子は二人の――藍子とフレアリウルの『姉』として、二人が帰る家を護ると決めた。博季がリンネを支え、帰る家を護ると決めたのと同じように。
「近々、新生『アインスト』最初の任務が与えられるのでは、とエリザベート校長が仰っていました」
「へー、パラミタとも天秤世界とも違う世界に行くことになるのかな? なんだか楽しみ」
そう口にした後の、「……そこであたしの道が、見つかるのかな」と呟いた言葉は、他の二人には届かなかった……いや、届いていたかもしれないが気にしなかった。それはフレアリウル自身の問題であるから。
「あの子がどんな道を歩くのか……リンネちゃんのために動くのは当然として、ね」
藍子の声に、幽綺子も笑ってそうね、と頷いた。
(見ていてくださいね、バルバトスさん。僕はこの世界も、愛する人も、守ってみせます)
夜空に浮かぶ星を見上げ、博季は今は亡き魔神に言葉を捧げる。今の空は彼女が佇むに相応しいと、偏見ながら彼はそう思っていた。
「お待たせ、博季くん。……何を、考えていたの?」
隣に立って、同じく夜空を見上げたリンネに微笑んで、博季は少し間を置いて、口を開く。
「リンネさんは、強い人だから。……だから、強い人が強い人で居られるよう支えるのが、僕の役目。
ずっと、ずっと一緒に。それが僕の愛で、僕の気持ちで、僕の幸せです」
それは彼の偽らざる、心からの想い。
僕は、隣で彼女を支えて、彼女を守るだけ。
彼女が道に迷ったら、優しく諭して。
彼女が疲れたら、肩を貸して。
彼女が悩んでいるときは、一緒に悩んで。
彼女が笑ったら、一緒に笑う。
僕が作りたいのはそんな家庭。
そんな当たり前で暖かい幸せを、リンネさんにあげたい。
そういう地盤を固めた上で色々なことを体験していかないと、きっと彼女も僕も本当に『幸せ』ではないから――。
口にした言葉の裏にある、強く、純粋な想いを受け取ったのかは定かではない。だが、片鱗くらいは感じ取っているだろう。
「ありがとう、博季くん。私は博季くんが居るから、頑張っていける。
私が道に迷っても、私は帰るべき場所をきっと見つけられる。……ここが私の、帰る場所」
博季の胸に、とん、とリンネが頭をつけ、腕が博季の背中に回される。博季も応えるようにリンネの肩を抱いた――。
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