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リアクション
ドージェの祖国
ユグドラシル――。
「アイリスさんは、大帝の命で地球に向かわれるそうですな」
言った道明寺 玲(どうみょうじ・れい)の方を、瀬蓮が驚いたように見やる。
玲は暖かなお茶の入ったカップを瀬蓮の前へと置き。
「その様子では、何も?」
「……うん。はじめて聞いたよ」
瀬蓮が玲を見つめ、小さくうなずく。
「ふむ」
玲は瀬蓮の傍らに立って、顎に軽く指を添えながら明後日の方向へ視線をやった。
「思っていたより不器用で頑固な方ですな」
「それで、瀬蓮さんはどうするんです?」
レオポルディナ・フラウィウス(れおぽるでぃな・ふらうぃうす)が、玲に運ばれるのを待たずにお茶の注がれたカップを取りながら瀬蓮に問いかける。
「瀬蓮は、アイリスのそばにいなくちゃ。
だから、一緒にいきたい……。
……でも」
彼女の声が尻すぼみになる。
アイリスが瀬蓮の耳に入らないように根回しをしているということは、
今、瀬蓮が自分の元へ来ないように周囲の人間に言い含めている可能性があった。
「聞きました? 玲。
瀬蓮さんは、行きたい、そうです」
「そうですか。
では、白輝精様から聞いておいたアイリスさんの居場所の情報が無駄にならずに済みますね」
「……え?」
ぱち、と瞬きをした瀬蓮を見やり、玲は小首を傾けた。
「まだ時間はあります。
お茶を飲み終わりましたら、向かいましょう」
■
「地球へ行くんだってね」
クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)に、そう声をかけられ、アイリスは頷いた。
「ああ。魔術師たちがテレポートの準備をしている」
「瀬蓮は連れていかないのかい?」
「連れて行く理由は無いと思うが」
「彼女は、今の君を一人にはしたくないと考えてるんじゃないかな?」
「…………」
アイリスはわずかに顔を強ばらせてから、
「今回の地球行きがどれほど特別なものか、分かるかい?
膨大なコストをかけて、精度の不安な超長距離のテレポートを行う。
通常なら、まず選択されるはずの無い方法だ。
つまり、大帝はそれほどまでに御人良雄を求めているということになる」
「だから、失敗は許されない」
クリストファーはアイリスを見つめていた自身の目元を指差し。
「目に余裕が無いよ」
彼の言葉に、アイリスが強く息粒を吐き捨て目をそらす。
クリストファーは軽くおどけるように口端を揺らしてから、続けた。
「ツァンダへの侵攻の時、瀬蓮は君を止めるために戦場へ出た。
君は、これを瀬蓮に対する失敗の結果だと思っているかもしれないけれど……」
「違うと?」
アイリスの声には、どこか自嘲めいたものが含まれていた。
「僕は瀬蓮の身を守ることばかりに囚われ、心を守ることを忘れてしまった。
どちらも守らなければ、瀬蓮に……あんな顔をさせてしまう。
二度と、同じ失敗を犯すつもりはない」
「そのために、彼女の目と耳を塞いで籠の中に入れておく?」
少し意地悪な言い方になってしまったかもしれない。
アイリスがクリストファーを薄く睨むように見やる。
「瀬蓮を守るために必要なことは何でもする」
「話を戻すが」
クリストファーは笑んで、声のトーンを落とした。
「瀬蓮は君にとって必要な子だ。
彼女はその事に気づいたから、あの時、君の元へ行ったんだ。
安全な籠の中から抜け出し、君の意に反してでも君の隣を歩むのだと決断して」
クリストファーの視線の先、アイリスの向こうには、玲たちに連れられた瀬蓮の姿があった。
■
地球――
ドージェの祖国。
吹き荒ぶ乾いた風音が、絶え間なく耳を擦る。
紺碧の空、彼方にそびえる山脈を背景に広がる砂利と岩の大地。
そこを、硬い砂埃を巻き上げながら、一台の古いボンネットトラックが走っていた。
トラックが細くなり始めた山間に差し掛かった頃。
ふいに、どこぞからカッ飛んできた白球が歪んだボンネットにボスッと跳ねた。
トラックが、ガタガタと身を揺らしながら減速して止まる。
しばらくして窓が開かれ、運転していた爺さんが不思議そうに顔を覗かせたところへ。
「ワリィーなァ、爺さん」
吉永 竜司(よしなが・りゅうじ)は駆け寄って行った。
「なんだァ?
さっきのはあんたのかね?
なんか、白いのが飛んできたぞ」
「ありゃボールだ、ボール。
ちィっと野球してたモンだからよォ」
野球のバットを掲げて見せたが、爺さんの奇異なものを見る目に変化は無かった。
「野球?」
と。
(――積荷は食料だ)
竜司が爺さんの気を引いている間に、こっそりとトラックの積荷を確認していた上永吉 蓮子(かみながよし・れんこ)からの精神感応。
(この爺さんは一般市民ってヤツだね。
これを近隣の村から寺院の方へ運ぶのが爺さんの商売なんだろう。
竜司、分かってるね?
寺院での戦闘に爺さんを巻き込むわけにはいかないよ)
(任せとけ。
このイケメン様が、これまでどれほど優しいハッタリをかましてきたと思ってやがる。
グヘヘ、ナンバーワンのテクってヤツを見せてやるぜェ)
ニヤリと、竜司が浮かべた笑みに一抹の恐怖を感じたらしい爺さんを改めて見やる。
「爺さん。
これから、この先でオレの舎弟たちがちぃっとドンパチやらかすから、しばらく向こうには近づかないようにしてくれ」
「と、言われても、配達があるからなぁ」
ますます胡散臭げに見やってくる爺さんへと竜司は鼻先を近づけた。
「悪い事は言わねぇから、引き返せ。
そんで、他の連中にもしばらくこっちに来ないように伝えてくれよ。
ドージェのマブダチのオレが言ってんだ、素直に聞いといて間違いはねぇぞ」
「は……?
ドージェ様……あのドージェ様のお知り合いだというのか!?」
「そうだ。
ドージェは野球が得意、そして、オレも野球が得意……な?」
「……いや、『な?』とか自信満々で言われてもだな」
「疑ってんのか?
しょうがねぇな。証拠を見せてやるから、目ぇ指で開いて見とけよォ」
言って、竜司は荒ぶる力のおもむくまま、思いっきりバットを素振りしてみせた。
「ひぃいいいいっっ!?」
スイングによって生み出された強烈な風圧と衝撃が大地を波打たせ、空間を歪め、彼方の山を一つ削り砕いていく――
というようなものが、妄執の幻想に蝕まれた爺さんには見えたかもしれない。
ともあれ、爺さんにハッタリを利かすにはそれで十分なようだった。
「お、おまえさんが、ドージェ様のお知り合いかどうかはともかく、引き返した方が良さそうなのは分かったわい!」
爺さんが腰を抜かしかけたような顔で言って、トラックを切り替えそうとした時。
「あ、待って待って、ちょっと待ってー」
という甘ったれた声と共にヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)がトラックの前へ、ひょろりと駆け出た。
「今度ぁなんだぁ!」
爺さんが再びトラックを止め、片手にハンドルを握ったまま窓から顔を出す。
爺さんの視線の先には、ヘルと、彼に続いていた早川 呼雪(はやかわ・こゆき)が居た。
呼雪が爺さんの方へと歩み寄りながら問いかける。
「村へ戻るなら俺たちも乗せていってもらえないだろうか?」
■
トラックは、だだ広い殺風景を行く。
車内には爺さんやトラックに染み付いた独特のバター臭が濃く満ちていた。
ガタガタと容赦なく揺れる天井に頭を打ちそうになるのを手で軽く押さえながら。
「ウゲンという名前を聞いたことは?」
呼雪の問い掛けに、爺さんがそちらを一瞥する。
「あの男を知っているのか」
「『男』? 子供や少年、ではなく」
呼雪の言葉の意味が分からないといったように、爺さんは顔をしかめた。
「じゃあ、違う人物かもしれんな。
わしの知っとるウゲンは、死んだ時には子供ではなかった」
「死んだ……?」
「10年前、祖国解放の時のことだ」
(……なるほど)
聞いて、呼雪はこれまで抱いていた憶測を確信に変えた。
祖国解放の戦いで死んだ弟。
それと同時期に生まれたウゲン・タシガン(うげん・たしがん)。
そして、彼が言っていた兄の話。
「やはり、俺たちの知っているウゲンはドージェの弟……か。
そして、あいつは一度死に、蘇った……?」
呼雪の言葉に、爺さんが車を減速させ、やがて止めた。
エンジンも止められ、風がボロの車の隙間を強く鳴らす音が強くなる。
爺さんがゆっくりと呼雪を見やる。
「蘇った……だと?」
呼雪は彼を見返して。
「ウゲンについて、知っていることを教えてくれないか」
「……ウゲンは、かつて、わしら解放軍の中心的な存在だった。
だが、ヤツは裏で中国ともつながり、長きに渡って組織の活動の妨害も続けていた……。
わしらと中国軍、その双方が苦しむ姿を見るためだけに。
そして、10年前。
ヤツはとうとうドージェ様と妻ニマをも裏切り、ドージェ様の手によって殺されたのだ」
■
シャンバラ――。
ポカポカとした陽気があった。
木々が柔い風にさざめく、夜露死苦荘の庭先。
「ドージェ様の弟君……?」
マレーナ・サエフ(まれーな・さえふ)が、けとりとまばたく。
「そう」
黒崎 天音(くろさき・あまね)はうなずいた。
「もしかして、それはウゲンっていう名前なんじゃないかな?」
友人から得たウゲンの言葉からの推察だったが、それは的を得たらしい。
「そうですわ」
ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が、後ろで若干よろめいたのが気配で分かった。
「……何故、今まで誰にも言わなかったのだ」
「何を、でしょうか?」
ブルーズの問いに、マレーナが、うん、と不思議そうに小首をかしげる。
「タシガンの領主ウゲンがドージェの弟であることをだ!」
「え……?」
マレーナが竹箒を持ったまま、顔を難しくする。
「それは、何かの間違いでは……?
ドージェ様の弟君のウゲン様はもう亡くなっていますし、
それに、タシガンのウゲンさんは、まだかなりお若い方だと聞いています。
弟さんの歳はドージェ様とあまり離れていなかったはずですわ」
「たしかに普通はありえない話かもしれないね。
だから、君に思い当たることは無いか訊いてみようと思ったのだけれど……」
マレーナの様子を見やる。
「ドージェ様の弟君であるウゲン様なら、相当な潜在能力を持っていたと思います。
でも、それは純粋な力の量の話ですわ。
タシガンを作ったり、テレポートを行ったりといった種のものではありません。
それに、もしウゲン様にそのような能力があったのならば……10年前。
ドージェ様との戦いの際に、使っていたと思いますわ」
■
「わしが初めてウゲンと出会ったのは解放軍のアジトだった。
ウゲンは才気に満ち、瞬く間にわしら解放軍の中心的な存在になった」
爺さんが昔を懐かしむように砂埃に曇ったフロントガラスを見つめる。
「そのころ、ウゲンとドージェ様は、ニマという娘と結婚した。
確か、二人の幼なじみだったという話だ」
「ん? ウゲンとドージェは同じ人と結婚したの?」
「この辺りでは、一妻多夫はそれほど珍しくないんだ」
ヘルの疑問に呼雪が答え、爺さんが頷く。
「土地が貧しく、一つの家庭を複数の働き手が支えなければいけなかった時の名残りのようなものだ。
子は増え過ぎず、土地を分け過ぎる必要が無い。
そういった、当人たちの想いとはまた別の理由がある慣習だ」
爺さんは小さくため息をついた。
「だからなのか……ドージェ様はずっと、本当はニマがウゲンを愛し、ウゲンとの暮らしを望んでいるのではないかと、思い悩んでいるようだった。
その内に家に寄り付かず、外で暴れるようになり……
ああ、あの頃は誰もがドージェ様を恐れ、疎み、ウゲンとニマに同情したものだ。
ウゲンは、あの人の良い笑みの裏でわしらをずっと陥れ続け、何人もの仲間の命を弄び続けていたというのにな……」
「ウゲンの、そういうのって昔からなんだ?
今も吸血鬼を消耗品扱いみたいだし、変わってないんだねぇ。
なんていうか、ウゲンには大切なものって無いのかなぁ」
「大切なもの、か……。
幼い時、妹を中国人に売られてしまったという話を聞いたことがあるが……それはドージェ様も同じだ。
どこであの兄弟は、こうも道を違えてしまったのか。
人間とは難しいものだな……」
爺さんが首を振る。
呼雪は少しの間を置いてから。
「ウゲンがドージェとニマを裏切ったというのは?」
「……ある時、ニマと同じ顔をしたパートナーを得て、契約者となったドージェ様は解放軍と協力するようになった。
その勢いは凄まじく、中国軍は核をもってしてもドージェ様を止めることは出来なかった。
そこで、中国はウゲンを使ってニマをさらったのだ。
ニマを盾にされ、ドージェ様はそれ以上、力を振るうことは出来なかった」
「関羽と契約した金鋭峰によって引き分け、撤退させたのだと……」
「それは、中国がドージェ様の休戦に絡め、宣伝し、作り出した『成都の英雄』の話だな。
その男は、ただ唯一生き延びることが出来た、というだけだ。
そして、おそらく自身も真実を知らされぬまま、中国のプロバガンダのために祭り上げられた。
……こうした真実は解放軍でも極少数の者しか知らん」
「ウゲンは、どうしてドージェに殺されたんだ?」
「中国軍がドージェ様に、ウゲンの裏切りを告げたのだ。
多くの同胞がウゲンの策略によって犬死にしていたこと、そのためにニマすらも使ったこと……。
それを知ったドージェ様はウゲンを殺した。
中国の思惑通りにな。
そして、その後、ドージェ様はパートナーの望みを受け、パラミタへと渡った」
「中国は、ウゲンが二重スパイとして私益のために双方を利用していることに気づいていたのか」
「だから、ドージェに殺させるように仕向けたのかぁ。
邪魔者は消えるし、中心人物を失うことで解放軍の力も弱まって……一石二鳥だ」
「そうして、ウゲンは歴史の闇に消えた。
一部の根強いシンパは『ウゲンには崇高な考えがあり、それを果たすために転生した』などと教団を作り、鏖殺寺院とも繋がるようになっていたが……。
まさか、連中の言う通りになっていたとはな」
「爺さんは、ずっと彼らのために配達の仕事を?」
「……生活のためにやっている仕事ではあるが――
連中に同情を感じていないわけでもない。
哀れじゃないか。
連中は、10年経った今も未だ、ウゲンに裏切られ続けているようなものだろう?」
■
シャンバラ、夜露死苦荘。
「ウゲンはドージェに殺されるまで、ああいった力を持ってはいなかった……。
『死』にキッカケがあったのか、それとも別の……。
ふふ、なかなか興味深いね」
天音が顎に手を触れながら、考えるように目を細めて笑う。
ブルーズは彼の様子を見やり、わざとらしくため息をついた。
「ウゲンに忠誠を誓ったり、ウゲンのことを探ったり、最近はウゲン絡みで大忙しだな」
「うん?」
と、顔を上げた天音が悪戯げに微笑む。
「だって、ブルーズ。好きな相手の事は知りたいものでしょ?」
「…………」
ブルーズは思いっきり渋面を浮かべてみせた。
「それはそうと――」
天音がマレーナの方へ向き直る。
「もう一つ、別件で君に訊いてみたいことがあったんだけど、いいかな?」
「はい? ええ」
「ドージェは、アトラスの代わりになれそうかい?」
天音を、マレーナが見据える。
パラミタは崩壊の危機を間近に迎えているという。
つまり、パラミタの大地を支えるアトラスに限界が近付いているということだ。
それは、フマナの大地が――トップクラスの神々の戦いが行われたとはいえ――ナラカへ崩落した事から見ても信憑性の高い話だった。
マレーナが箒を小さく握り締めたのが分かった。
「分かりませんわ……今は、まだ」
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