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リアクション
不穏の影 2
「エンヘドゥさーん!」
巨大飛空艇エリシュ・エヌマ――その艦内廊下をひた歩きつつ、琳 鳳明(りん・ほうめい)は探し人を呼び続けていた。
一見すれば凛として整っている顔だちだが、それもさすがに脱力感に見舞われてきたのかくたびれた表情へと変わって、頼りなさげに歪む。本日56回目のため息が吐かれるのを見て、隣にいたロベルダが苦笑した。
「さすがにお疲れのようですね」
「う、うわあぁっ!? ロ、ロベルダさん……!? ビ、ビックリさせないでくださいよ〜」
いつの間に傍にいたのだろうか。
彼女と同じくエンヘドゥを探していた老執事は、柔和に笑いながら少しばかり鳳明の反応を楽しんでいるようだった。そして、そんな彼の横には少女が一人。
『むしろこっちがビックリするぐらいの飛び上がりようだったね』と。そんなことが書かれたホワイトボードを掲げた少女は、彼女のパートナーである藤谷 天樹(ふじたに・あまぎ)だった。
無口――というよりはほとんど口を開くことのない彼女は、普段からホワイトボードによる筆談か、あるいは精神感応かテレパシーによる会話がほとんどだ。そのくせ、普段からぼーっとしているというのに、こういうときだけはツッコミが的確なのは不思議でしょうがない。
無言でからかってきた天樹に対し、半ば恨めしそうに目を細くした鳳明。が、それはともかくだ。今はそんなことをしている場合ではなかった。
「見つからないですね、エンヘドゥさん。いったい、どこに行ったんでしょうか?」
「ふむ……そのことですが、実は先ほど彼女を見かけたという目撃情報を聞いてまいりました」
「え、ほんとですかっ!?」
ロベルダが鳳明と合流したのは、その情報を伝えるためであった。
「なんでも、話によるとエンヘドゥさんは――」
二人の会話を聞きながら、天樹はあくびを噛み殺していた。
ひんやりとした冷たさを感じさせる無機質な格納庫に立ち並ぶのは、幾多の戦場を駆け抜けてきた戦士のそれを思わせるイコンたちであった。多くはコントラクターの持ち込んだものだが、中にはここカナンで発掘された開拓用イコン『アンズー』の姿も見受けられる。
いかにも工業用ロボットといった、無骨なフォルムを有するアンズー。そんなアンズーにも興味をそそられるところだが、格納庫の整備士――十七夜 リオ(かなき・りお)はなんとか自分の欲求を抑え込んで仕事へと意識を戻した。
頭部にバンダナを巻きつけた、どこか職人堅気な雰囲気を醸す娘だ。その証拠に、イコンを前にして結んだ表情は一見すれば不機嫌に見えるが、それを扱う手先は繊細かつ器用なものであった。
作業用タラップに囲まれたイコンの外装を開いて、中身の部品を丁寧に取り替えてゆく。恐らくはオーバーヒート気味に使い込まれていたのだろう。内部は焼きついたように消耗されていた。
「まったく、イコンも丁寧に扱って欲しいよなー。げっ……クラスターがやられてやがる。サブリロードしてたのか? どんな無茶な扱いなんだっつの」
「リオ、こっちは終わったよ」
ぶつくさと文句を言っていたリオに、彼女とは反対側のタラップから声がかかった。ひょいと顔を持ち上げると、同じようにイコンの向こう側から顔を覗かせた少女がいる。
その自らのパートナー、フェルクレールト・フリューゲル(ふぇるくれーると・ふりゅーげる)にリオは親指を立ててグッジョブのサインを送った。
「さっすがフェル。早いね」
「ううん。こっちは、リオよりも簡単な部分だから」
謙遜しながらも、フェルは褒められて嬉しいようで、頬を紅潮させていた。
「さて……と。じゃあ、フェルのほうも終わったことだし、こっちももう終わりそうだから……長谷川くーん!」
あぐらをかいたまま、リオは後ろへと身体を倒した。逆さま視点の向こうに見えるのは、二体隣のイコンを整備する二人の少女だった。
丸眼鏡をかけた、いかにも優しそうな少女は、にこにこと終始柔和な笑顔を浮かべている。しかし……その手だけはまるで別の生き物のように素早く動いていた。カチャカチャと工具と機材が動く音。隣にいるもう一人の少女と時々工具を交換しながら、二人はイコンの整備に集中していたが――それが、ぱたりと止まる。そして、ようやくリオのほうを見た。
「あれ? 十七夜さん、もう終わったんですか?」
「相変わらずの腕だねー。単純な機材交換とはいっても、そこまで素早く出来る人ってそうそういないよ」
「え、そ、そうですか……?」
およそ保育士などが似合いそうな大人しい顔だち。にも関わらず、長谷川 真琴(はせがわ・まこと)の整備の腕はリオでさえも感嘆するほど見事だ。年齢的には先輩とはいえ、技術的には負けていられないな、とリオはひそかに思った。
「それで? いったいどうしたの、リオ」
真琴と同じく手を休めたクリスチーナ・アーヴィン(くりすちーな・あーう゛ぃん)が聞いてきた。彼女もまた整備の腕は確かだ。機晶姫ということから、ある程度は才能もあったのかもしれない。器用に、くるくるとレンチを回していた。
「あっと、そうそう。いや、根詰めてるばかりもアレなもんだからね。そっちも終わりそうなら、もうそろそろ休憩にしようかな、と」
「お、いいねー。あたいたちも、無理してるばっかりはいけないしね。整備士の無理はイコンの無理に繋がる! とまあ……どっかの教官が言ってたような?」
「アルバ教官でしょ? あの人は熱いからね。まー……とにかく、そういうこと。おーけー? 真琴」
「はい、分かりました。じゃあ、この交換を終えたら一度終わりにしますね」
素直な笑顔で真琴は答え、リオも自分の整備を終わらせようと再び身体を持ち上げた。 格納庫に鳳明たちがやって来たのは、そんなときだった。
「あれ? 鳳明さん?」
一足早く気づいた真琴の声に反応して、リオたち以外にも他の整備士たちが格納庫入り口へ顔を向ける。そこにはいたのは鳳明だけではなかった。南カナン領家の執事たるロベルダと、鳳明のパートナーである天樹もいる。
真琴、それにリオたちはタラップを降りて彼女のもとに向かった。
「どうしたんですか?」
「あ、真琴さん……実は……」
鳳明は、近づいてきた真琴たちに手短に事情を説明した。曰く、シャムスの妹エンヘドゥの姿が見当たらないという話だ。鳳明としてはその他にもいくつか懸念すべき点はあるのだが……今はそれを話している場合ではなかった。
リオが首をかしげる。
「エンヘドゥさんなら……確か、少し前に来たけど……」
「ほ、ほんとっ!?」
「う、うん。差し入れですーって言って、整備士みんなの分のサンドイッチを作ってきてくれたんだ」
鳳明が詰め寄ったことで、いささか戸惑いながらもリオは答える。
どうやら、ロベルダの言うとおり、エンヘドゥの足取りがようやく掴めそうだった。
「そ、その後はどこに行ったか、分かる?」
「確か……医療室のほうに差し入れを持っていくって言ってたよね?」
「は、はい」
リオに同意を求められて頷く真琴。
「ありがとう! それじゃ、お仕事頑張って!」
その言葉を聞いた鳳明は、早々に格納庫を飛び出していった。
ぽとぽとと歩きながらそれを追う天樹。最後に、ロベルダが恭しく頭を下げて出て行くのを見送って、後に残されたリオたちは、きょとんとした顔をするしかなかった。
医療室や各部整備士、オペレーターを転々として、その末に鳳明たちがたどり着いたのは兵士たちが身を休める兵員ブロックだった。どうやら、エンヘドゥは様々なところに差し入れを届けに来ていたらしく、最後にやって来たのがここだという話だった。
だが――兵士たちの話によると、その後のエンヘドゥの足取りは奇妙なものだった。
「突然?」
「ええ、突然……でしたね」
最後に彼女を見かけたのは、一介の一般兵だった。兵員ブロックを出て廊下を歩む彼女が、突然何かに苦しむような様子を見せたと思ったら、すぐにそれは途切れて、ある方向に向かっていったという。それは――飛空艇の出入り口だった。
それ以上に鳳明が引っかかったのは、兵士が言ったある一言だった。曰く、『黒い影が彼女に取り付いたと思ったとき、突然行き先を変えたようだった』と。
「黒い影……?」
鳳明は怪訝そうに呟いてロベルダを見た。
どうやらロベルダも鳳明と同じ事を考えていたらしく、予感めいた表情で頷いた。続いて天樹へと視線を変える。
彼女はそれに気づいて首を横に振った。先ほどからテレパシーでエンヘドゥに呼びかけているが、全く反応がないのだ。
「ありがとう。助かったわ」
兵士に礼を言って、鳳明たちはすぐに駆け出した。
自分でも気づかぬうちに、焦りが生まれている。予感はもはや確信に近いものを感じていた。黒い影。それは、間違いなく奴の……。
急いで鳳明たちが向かったのは、シャムスのいる艦橋――飛空艇司令室だった。
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