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絵本図書館ミルム  ~番外編~

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絵本図書館ミルム  ~番外編~

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 第1章 始まりは朝の光
 
 
 今朝は一段と冷え込んで、絵本図書館ミルムの庭も白く霜が降りていた。けれど、もうすぐ開館時間を迎えようという館内では、汗ばむほどの作業がなされている。
「この書架をもう少し左へ……そうすれば作業スペースからの見通しも良くなるはずです」
 目の行き届く環境を作れば盗難やイタズラの防止になるだろうと、御凪 真人(みなぎ・まこと)は館内の配置換えを行っていた。といっても、実際の移動作業はセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)が主に行っている。
「一緒に出かけましょう、だなんて言うから何かと思えば……」
 真人の指定した場所に書架を動かし、セルファは額に浮いた汗をぬぐった。
「俺は力仕事は苦手なんですよ」
「知ってる。……で、私だったわけね」
 休みの日のお出かけ、というフレーズの先に図書館の配置換えという作業が待っているとは。絶対女の子として見られていないに違いない、とは思うけれど、図書館を良くしようという真人の気持ちはセルファにも分かる。
 力仕事こそあまりしないけれど、移動させた書架の角に子供がぶつかった際に怪我をせぬようにコーナーガードを取りつけたり、配置の確認をしたりと、真人は忙しく動き回っている。
「まったく、しょうがないわね……次は何を動かすの?」
「そこにある本を戻したら、あちらの閲覧席を……ああ、でもそろそろ開館時間ですね」
 一端区切りをつけて、と真人は同様に館内の警備面での改善作業をしている大岡 永谷(おおおか・とと)に、そちらはどうですかと声を掛けた。
「ここを取りつけたら、あとはミラーの角度を調整するだけだ。カウンター側からの見え方をチェックしてもらえるか?」
 永谷は大きめののミラーを高い位置に取りつけている最中だった。敢えて大きめにしたのは、ミラーが目に入ることによって見られているというプレッシャーがかかり、抑止力になるのではないかと思ってのことだ。
「わらわは受付に行くでござる」
 滋岳川人著 世要動静経(しげおかのかわひとちょ・せかいどうせいきょう)は永谷が提案した、入館者の管理をする為に玄関に設置した受付へと向かう。来館者の名前を名簿に記録し、帰る際には名簿にチェックを入れる。そうすれば、誰かが館内に残っているのに気づかずに図書館を閉めてしまう、という事故が防げるし、来館状況もすぐ確認できるだろうという考えだ。
 書架に沿って歩きながら、世要動静経はきちんと並べられた絵本を見上げる。
 こういう場があり、守ろうと尽力する人々もいる絵本たちが羨ましい。こうして心を掛けられていれば、いつか自分のように魔道書になる本も出てくるのだろうか……。
 つい絵本に伸ばしそうになった手を、いけないと世要動静経は慌てて引っ込める。本を見て回るのは後。今は開館前に玄関に着かなければ。
 世要動静経が玄関に設けた受付に座るのとほぼ同時に、図書館の扉が開いて最初の子供たちが入ってきた。
「すまぬがここに名を……これ、人の話を聞くでござる」
 お喋りするのに忙しく、受付が出来たのにも気づかず素通りしていく子供たちを、世要動静経は慌てて追いかけて名簿に記入する。
「ねぇ、それ何?」
「あたしも上りたい」
 入ってきた子供たちは、まだ作業中だった永谷らを見つけるとわっと寄ってきた。これでは危ないと見て、熊猫 福(くまねこ・はっぴー)は永谷の乗る脚立と子供たちの間に立ち塞がった。
「みんなおはよー。こっちであたいと遊ぼうよ」
 白黒逆のパンダキャラとして自治体で働いていただけのことはある。福は手慣れた様子で子供たちを誘導した。
「わーい!」
「はいはい、こっちに……待って、そんなに一度に上ってこられたら、あたいだって……ぐぐぐぐぐ……」
 次々に集られ、靴のまま身体を上られ、福はよろめいた。が、ここで転んでしまえば、まだ書架に戻しきらずに積んである絵本にぶつかってしまう。
「ごはん1回分、追加だからねっ」
 頭上にいる永谷にねだると、福は両腕、背中、お腹に子供をぶら下げたまま、ずりずりと書架から離れていった。
 
 
 芯や詰め物で補強した、頭にはつば広の帽子、足下はブーツを履いた猫の着ぐるみを一式 隼(いっしき・しゅん)は軽く揺すってみた。隼の方も同じ着ぐるみを身につけている為、外から見れば着ぐるみ猫が仲間とじゃれているかのようだ。
「これくらいでどうでしょう?」
「軽く触られるくらいならもちそうね。あまり大袈裟に補強するわけにもいかないし、これくらいが相応だわ」
 着ぐるみの作者、ルーシー・ホワイト(るーしー・ほわいと)も設置具合を確かめ、肯いた。
 ルーシーは同じようなブーツ猫着ぐるみを何体か制作し、ミルムに持ち込んでいた。着ぐるみとして警備の人に着てもらう他、こうして中に人が入っていないものを何体か、館内に置いてある。
 ぱっと見では、着ぐるみに人が入っているのか、飾ってあるのかは分かりにくい。人が入っているかも知れないと思わせられれば犯罪の抑止になるだろうし、時折、人の入っているものと入れ替えて実際に見張りをすることも出来る。
 人が入っている着ぐるみも、一見、誰が中に入っているかの判別は難しい。保護者がそのまま見回るよりも、もしかしたら学生が入っているのかも、と思わせた方が本泥棒にプレッシャーを与えられるだろう、と考えてのことだ。
「これで学生以外でも効果的に警備ができるようになるはずよ。それでも悪さをやめない者がいたら、愛と拳と爪で雌豹のお仕置きよ!」
 ルーシーは笑って握った拳を猫のように構えた。
 
 
 警備に協力してくれるという子供の保護者と、普段ボランティアでミルムに来てくれている近所の奥様たちを集めると、橘 恭司(たちばな・きょうじ)は警備の仕方を教えた。
 巡回する時のルート、注意すべき点等をわかりやすく伝え、隼から提供された着ぐるみをどう使えば良いのかも説明する。
 これで警備の効率は多少なりとも上がるだろうが、ボランティアで館内を見回ってもらっても、戦う力を持たない人々には犯人を倒したりこらしめたりする力がない。協力してくれる人がいても、窃盗犯を見つけた時にお手上げになるだけでは、せっかくの警備も意味がなくなってしまう。
 とりあえず捕まえることができれば、と恭司は捕縛術を伝授することにした。
 趙雲 子竜(ちょううん・しりゅう)に捕縛する相手役を頼み、準備してきたロープを取り出す。
「まずは俺がやりますから、よく見ていて下さい」
 説明を加えながら恭司はロープで子竜を絡め取っていった。子竜が完全に捕縛されると、見ていた者たちからぱらぱらと拍手が起こった。
「では、実際に練習してみましょう」
 何度かそれを繰り返した後、恭司はボランティアの人々にもロープを配った。
 恭司がやるのを真似しながら組になった相手にロープをかけてゆく人々に、子竜が注意する。
「練習の際にはロープを掛けられる側は、抵抗しないようにして下さい。下手に抗うと怪我をしてしまいますから」
 練習中は、ロープを掛ける側掛けられる側、どちらも安全でなければならない。
 最初は戸惑う様子を見せていたボランティアの人々だったが、恭司と子竜が根気よく教えるうちに、興味も出て来たらしい。
 最後の方は結構楽しそうにロープを掛け合いながら、
「これなら、うちの主人にも使えるかしら」
 なんて話しているのも聞こえてきて、恭司は苦笑した。
 実際犯人と対峙した際、捕縛しようという勇気が出るかどうかは別として、こうして習うことにより、警備をするのだという気持ちは高められたことだろう。
「練習は進んでおるようじゃな」
 保護者たちを警備に巻き込んでは、と提案した本人だけに様子が気になるのだろう。ここらで一息入れてはどうかと、ファタ・オルガナ(ふぁた・おるがな)が紅茶を載せたワゴンを引いてきた。
「面倒をかけるが、これも大切な子らを守るためじゃ。よろしく頼むぞえ」
 警備員を雇いたい処だが、今はミルムにその余裕はない。
 ファタは図書館に子供を連れてやってきた親に、子供を待つ間に館内を巡回して欲しいと呼びかけた。それに応えてくれた人々に恭司らが警備方法を教え、ミルム館内を巡回してもらう。これで多少なりとも警備の人手不足が補えると良いのだが。
「警備ご苦労様〜」
 休憩を終えた保護者たちが館内の巡回を開始した処に、秋月 葵(あきづき・あおい)がやってきて声を掛けた。
「今日はお客として来たんだよ〜。でも何かあったら手伝うからね」
「お仕事ご苦労様です。これ差し入れです。皆さんで食べてくださいね」
 エレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)はサンドウィッチとチョコレートクッキーを入れたバスケットを差し出した。
 サンドウィッチは、これなら警備の人たちも手軽につまめるだろうと考えて。チョコレートクッキーは甘い物で疲れを癒してもらう為と、この時季ならチョコレートが似合うだろうと思ってのものだ。
 恭司に差し入れを預けると、葵たちは書架で絵本を選ぶ。
「絵本っていっぱいあるんだね〜」
 最近まで別荘地下で封印されていた秋月 カレン(あきづき・かれん)には、図書館というもの自体が珍しい。何を読んでもらおうかと、銀の瞳をきらきらさせて絵本を見上げる。
「カレンだったら、最近のシャンバラが分かりそうな絵本がいいかな。あたしもこの世界の絵本を読んでみたいし」
「でしたらこの本はどうでしょう?」
 葵とエレンディラは相談しながら絵本を選び、読み聞かせ用の子供部屋へとカレンを連れて行った。
「いい? 始めるよ〜。題名は『ゆる族の贈り物』」
 葵は膝に絵本を置いて、書かれている文章を音読した。最近の絵本のようだが、シャンバラ人からゆる族がどう見えているのかが描かれていて面白い。
 またたきも忘れてカレンは絵本に聴き入った。
 初めのうちは葵のフォローをしていたエレンディラも、途中からはもう大丈夫だとみて自分も絵本を読み出した。懐かしい物語を読んでいると、子供の頃の時間が戻ってくるような気がする。普段思い出すことはなくても、絵本によって与えられた世界はずっと心に残り続けているのだろう。
「『そこで、ゆる族のピピは考えました。そうだ、贈り物をしよう!』……あれ?」
 途中まで読んで葵は、誰かに見られている気配に顔を上げた。いつの間にか、葵とカレンの周りには子供たちが集まって、遠慮がちに葵の読み聞かせを聴いている。
「あおいママのお話、いっしょにきこうよ〜」
 葵の視線で気づいたカレンが誘うと、子供たちは待ちかねたように葵を取り巻いた。
 仲良く、けれど葵に一番近い特等席はちゃんと確保して、カレンは子供たちといっしょに葵の読む話に耳を傾けるのだった。
 
 
「ラテルマップに載ってたドーナツ屋さんに行ってみたんです。休憩時間に皆さんで食べてください」
 そう言って今井 卓也(いまい・たくや)が差し入れたドーナツ入りの箱を、カウンター業務を行っている本郷 涼介(ほんごう・りょうすけ)が礼を言って受け取った。
 その手元をクレア・ワイズマン(くれあ・わいずまん)が覗き込む。
「この箱、大通りにある焼きドーナツのお店? どんな風に作ってあるのか、一度食べてみたかったんだよね」
 休憩が楽しみ、と言うクレアの頭を、涼介は妹にするようにぽんぽんと軽く叩いた。
 カウンターの奥へと置かれる箱を、卓也と共に来たヌイ・トスプ(ぬい・とすぷ)の視線がずっと追う。
「ヌイも食べたいデス」
「ヌイの分は帰りに買って帰りますからね」
 ドーナツに未練ありげだったヌイだけれど、卓也にそう諭されると素直に肯く。
「帰りに卓也の分も買うデス。だからあのおいしいはあげるデス」
「良い子ですね。では絵本を選びに行きましょうか」
 業務をしている皆に軽く頭を下げると、卓也はヌイを連れて動物の絵本がある書架へと向かった。
「これぜんぶ絵本デス?」
「ええ。好きなのを選んでいいですよ。だけど、本を触るときは優しくしてあげて下さいね。みんなの大切なものだから」
「みんなの大切、ヌイも大切にするデス」
 丁寧に中を確かめて、ヌイはその中の1冊を選び出した。卓也はそれを持って読み聞かせのできる子供部屋へとヌイを連れて行く。
 絵本を開けば早速ヌイが覗き込む。その様子を微笑ましく見ながら、卓也は絵本を読み始めた。ヌイが選んだ絵本は食いしん坊のモグラの話。聞き取りやすいようにゆっくりと、卓也は絵本を読み進めてゆく。
「モグラはドングリをたべました。モグラはドングリをたべお花をたべリンゴをたべ、どんどんどんどん大きくなって、ついにはお家よりも大きくなってしまいました」
「わぁ、モグラさんたいへんデス!」
 つい大きな声を出してしまうと、卓也は読み聞かせを中断してじっとヌイを見た。卓也は何も言わないけれど、ヌイはここでは静かにすると約束したことを思い出して口を手で押さえる。
「大きくなったモグラさんは考えました。おいしいものは食べたいけれど、お家に入れないのはこまります。そしてモグラさんは……」
 ヌイが静かになると卓也はまた読み聞かせを再開した。その後もヌイは何回か、声を挙げては口を押さえ、を繰り返しながら卓也の読む話に聴き入った。
「ヌイは絵本が気に入りましたか。いつか自分で読めるようになるといいですね」
 絵本を読み終えた卓也に言われ、ヌイは答える。
「絵本好きデス。でも自分だけより卓也といっしょがいいデス」
「では、いつか僕に読んで聴かせて下さいね」
 そんな時が早く来るようにと、卓也はヌイの頭を撫でるのだった。
 
 
「実際に来るのは初めてですが、ここがミルムですか」
「はい。――あ、こんにちは」
 九条 風天(くじょう・ふうてん)をミルムに案内してきたリース・アルフィン(りーす・あるふぃん)は、知り合いの顔を見つけて挨拶をした。けれど今日はボランティアにではなくこの間、移動絵本読み語りの際に途中まで読んだ絵本の続きを読みに来たので、挨拶を済ませるとすぐに、2人は寄り添うようにして書架へと向かう。
 しばらく探してみたけれど、たくさんの絵本の中から1冊を見つけるのは大変だ。うろうろしていると、館内巡回中の日比谷 皐月(ひびや・さつき)が声をかけてきた。
「なんか探しものでもしてんのか?」
 ロップイヤー型のうさみみフードを目深に被っている為に顔は見えないが、口調は気安い。2人が探している本の内容を答えると、少し考えた後に皐月は1室を指した。
「その系統の絵本ならたぶんあの部屋じゃねーかな」
 皐月に教えられた部屋で2人は絵本を探してみたけれど、似たような系統の絵本はあるのに目的の本は見当たらない。
「もしかしたら貸し出し中なのかも知れませんね」
 風天が残念そうに言うのに肯きかけたリースは、あ、と棚の上を指さした。
「あの本です。どうしてあんな処に……」
 誰かがいたずらでもしたのか、絵本は書架ではなく高い棚の上にあった。
 風天は、見つかって良かったですねと本に手を伸ばしたが……。
「うぐぐ……」
 ここはさっと恰好良く取って渡したい処だけれど、背伸びして手を伸ばしても届かない。そんな風天にリースが提案する。
「あの……肩車したら取れないでしょうか」
「ふむ、それなら届きそうですね」
 では、と風天はリースを肩車したけれど……これはかなり照れるシチュエーションだ。互いに顔を赤らめつつも絵本を取ると、2人は閲覧コーナーに並んで腰掛け絵本を広げた。
 途中までは読み語りの紙芝居にあったのと同じ、けれど構図が違う絵で描かれた話が展開する。森で拾われた機晶姫とそれを慈しむ男。けれど、ささやかな幸せの日々はある日、訪問者によって断ち切られる――。
 訪ねてきた老人は、彼女は狙われているのだと男に告げる。守る為に森に隠し、それを男が見つけてしまったのだと。
「その子は私のものだ、返してもらおう」
 老人は彼女の所有権を主張したけれど、彼女自身がそれを拒む。自分は自分を愛してくれる人の元にいたいのだと。男もそんな彼女を手放すまいと抱きしめる。
 宥めても脅しても2人の気持ちが変わらないのを知ると、老人は言う。
「それならば誓え。何があろうとその子を守るのだと」
「もちろん。どんなことがあっても彼女を守り続ける」
 即答する彼に、老人は機晶姫を任せて去っていった。彼女を狙うものがいる以上、これからも2人には様々な困難が降りかかるだろう。だが2人ならきっと乗り越えられる。彼らの想いは何物にも負けないくらい強いのだから――。
 最後まで読み終えると、風天はほっと息を吐いた。
「どうなることかと思いましたが、良い結末となりましたね」
「ふふっ、この2人なんだか私たちにちょっと似てますね」
 リースは笑って読み終えた絵本を胸に抱く。
「……私たちもずっと一緒ですよ。風天さん」
 
 
 五月葉 終夏(さつきば・おりが)はシャンバラ語で書かれた絵本を探しては、次々に読みふけっていた。分かりにくい箇所は図書館ボランティアの人に尋ねたり、自分で類推してみたり。絵が理解を助けてくれるから、シャンバラ語を学ぶのにも絵本は役立つ。
「次は……これにしようかな」
 カラフルなお化けが描かれた表紙の絵本、ブタの鼻がスタンプで捺されたような表紙の動物絵本、楽しそうな絵本を選んで閲覧コーナーに持ち込む。
 楽しい絵本を読んで、楽しいことを考える。楽しいことで自分をいっぱいにしたら、それを誰かに見せることも出来るだろうか。
 絵本を広げる人の数、ミルムに夢が満ちる。
 けれどそんな穏やかな風景の中、背を丸め、びくびくした視線を周囲に投げている子供がいるのに気付き、巡回していたレイディス・アルフェイン(れいでぃす・あるふぇいん)は光学迷彩をかけてその子に近づいた。
 子供が持っているのは乗り物の絵本。周囲に誰もいない隙を狙って、その本を服の下に押し込……もうとした時、レイディスは姿を消したまま、その肩にぽんと手を載せた。
「絵本泥棒は誰じゃ〜……なんてな」
 何もない空間からの感触と声に、子供は音を立てて息を吸い込んだ。
「だ、誰……?」
「俺か? うーん……絵本を守るお化けさん、ってとこだな」
「お、お、おばけ……?」
「そ。いいか、絵本はみんなの夢の欠片なんだ。だから、独り占めしたくなるのも分かるぜ」
 でも、とレイディスはゆっくりと子供に言い聞かせる。
「絶対に盗むようなことはしちゃいけねぇ。夢ってのは盗むもんじゃなくて、みんなと分かちあうものなんだ。だから、その手にある小さな夢を楽しんだ後は、そっと元の場所に戻すんだぜ、っと」
「うん……お化けさん、ごめんなさい……」
 一瞬の衝動。けれどそれが過ぎ去れば、子供にも善悪を判断する理性が戻ってくる。
「よし。もう二度とこんなことすんなよ。お化けと約束だ」
 目には見えない指切りをするとレイディスは子供から離れ、隣の書架にいる男に寄っていった。
「下見なんてしても無駄だぜ。分かっただろ。ここには光学迷彩の警備員は腐るほどいるんだ。夢を盗む様な真似は絶対にさせねぇからな」
 言い当てられて顔を歪める男の背に木刀の先をとん、と当てるとレイディスは再び警備の巡回に戻る。
「……ん?」
 書架の辺りをうろうろしていたかと思ったら、鬼院 尋人(きいん・ひろと)はトイレへと駆け込んだ。それだけでは普通だが、戻って来てもまだ尋人はそわそわと落ち着き無く館内を歩き回り、そしてまたトイレへ。
 不審な動きは気になったが、それ以上何かするでもなさそうだ。レイディスはもう一度尋人を振り返った後、別の場所へと歩いていった。
 
 
 繋いだ手を揺らして、日下部 社(くさかべ・やしろ)日下部 千尋(くさかべ・ちひろ)を連れてミルムにやってきた。
「ほら千尋、ここが絵本図書館やで〜」
「わぁー、やー兄! いーっぱい絵本があるよぉー♪」
 書架にきちんと並べられた絵本に、千尋は目を大きく見開いた。嬉しそうなその姿に、連れてきて良かったと社は思った。けれど、イルミンスールの生徒でありながら、社は本があまり得手ではない。千尋が好きそうな絵本をどう探したら良いものかと、社は図書館ボランティアの人を求めて館内を見渡した。
 と……。
「あっ、やっしーさん、いらっしゃーい!」
 子供たちの面倒を見ながら、縫い物の手を動かしていた遠鳴 真希(とおなり・まき)が、社に気づいて手を振る。
「ちぃ〜す♪ 真希ちゃん何しとるん? あ、もしかしてお手伝いとか? スマン、邪魔してもうたかな」
「うん。ちっちゃい子たちの相手と、図書館のお手伝いをしてくれる人の為のワッペン作りのお手伝い。でも邪魔だなんてそんなことぜんぜんないよー。あれ、いっしょにいるのはやっしーさんの妹さん?」
 一緒にいる千尋に気づいた真希がきくと、社はそうそうと千尋の背に手を添えた。
「真希ちゃんとは初対面やったな。妹の千尋や。ほれ、ちー。ちゃんと挨拶するんやで」
 社に促されると、千尋ははきはきと挨拶する。
「はじめましてー! ちーちゃんだよぉー♪」
「ちーちゃんっていうんだー。はじめましてっ、あたしはやっしーさんのお友だちの真希だよ! 今日はやっしーさんといっしょに絵本を読みにきたのかな?」
「うん♪」
 千尋は元気に返事をしたけれど、社は実はな、と絵本をどう探せばいいのか迷っていることを真希に話した。
「正直、よう分からんのや」
「だったらあたしが案内してあげるよ!」
 真希は裁縫道具をきちんとしまうと、改めて千尋と目の高さをあわせて尋ねる。
「ちーちゃんはどんな本が好き?」
「うーんと、うーんとねー……動物さんと帽子がいっぱい出てくる絵本がいいー♪」
「動物さんと帽子が好きなんだー。ちーちゃんの帽子も似合っててかわいいねっ」
 真希がクロシェの帽子を褒めると、千尋はわーいと声をあげて真希に抱きついた。
「ありがとな、真希ちゃん」
「ううん、あたしも絵本読みたいなって思ってたんだ。ちーちゃん、動物さんの絵本はあっちだよー」
 真希の案内で社と千尋は動物の絵本がある部屋に行き、そこでネコと帽子の話を選んだ。
 ――森の広場で動物たちが帽子の見せ合いっこ。
「ウサギさんの帽子はまっしろふわふわ。あったかそうだよねー」
「ふわふわー♪」
 動物たちは皆それぞれ、素敵な帽子をかぶって見せ合うけれど、そこに大切な帽子をなくしてしまったネコが泣きながらやってくる。
「えーん。わたしの帽子が風にとばされてとんでっちゃったよー」
「ええーっ!」
 真希が読む声に、千尋は表情をころころ変えながら聴き入った。
 帽子を飛ばされてしまったネコの為に、森の仲間は協力して帽子を作ってあげることにした。シロツメクサで編んだ冠に、みんなが集めた飾りをつけてゆく。
「リスさんは真っ赤なもみじの葉を見つけてきました。ネズミさんが見つけてきたのは、カサがきれいに開いたまつぼっくり」
 帽子はどんどん飾られていって、そして最後には。
「泣きべそネコさんは、にこにこネコさんになってお礼をいったのでした」
 そう真希が語り終えると、千尋は良かったーと胸を撫で下ろした。
「すっごい楽しかったー!」
 はしゃぐ千尋を見て、社は話を聞いているうちに滲んできた涙をそっとぬぐう。
「ええ話やったなぁ〜。千尋、良かったな」
「うん。真希お姉ちゃん、ありがとー♪」
 千尋は無邪気な笑顔を真希に向けた。
 そんな様子に、巡回中の皐月はじっと見入った。皐月の周辺は、最近殺伐としていて、こういったゆっくりとした時間はなかなか取れなくなってきている。けれど……。
(本当は争いなんか誰も望んじゃいないんだろうな……)
 絵本図書館に集う人々を見るにつけ、皐月は思う。
(だってほら、皆笑顔で……幸せそうじゃねーか)
 独りで絵本の世界に没頭している人も、読み聞かせをしてもらっている子供も、皆、このミルムでのひとときを心から楽しんでいるように、皐月の目には見える。
(こんな風景を守る為に、オレは……)
 自分のしていることを思い、皐月は苦い笑いを漏らした。酷い皮肉。だけど、今日くらいは色々忘れて、絵本図書館の暖かな雰囲気に浸っても……悪くないだろう。
 うさみみフードを一層深く被ると、皐月は明るい笑い声を背に、ゆっくりと館内を巡り歩くのだった。