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第5章 痴女ありき

 太陽は、中天をちょっと過ぎていた。
 今年一番の真夏日と言っても過言ではないほど、照りつける日差しは暑い。容赦なく頭を押さえつけてくる。
 緋王 輝夜(ひおう・かぐや)が持参したかまど用具と自分の鉄板でバーベキューの準備をしながら、エメリヤン・ロッソー(えめりやん・ろっそー)は帽子の下で汗をぬぐった。
「ふう……暑い」
 呟きながらも、首に巻いたロングマフラーは外さない。
「炭は、ある?」
「うん。前に使ったときの残りが半袋と、新品が1袋。足りるかな?」
 エメリヤンは少し考え込むと、こっくり頷いた。
「たぶん」
「じゃああたし、取ってくるっ」
 輝夜は自分の荷物の所へ駆け出していく。
 今日は本当に暑い。着火剤は使わない方がいいかも、と取り出しかけたそれを袋の中に戻した。
「なぁなぁ、エリーはどっちがいいと思うー?」
 輝夜の持ってきた炭を均等に並べていると、傍らで座って野菜の下準備をしていた占卜大全 風水から珈琲占いまで(せんぼくたいぜん・ふうすいからこーひーうらないまで)がいつもの悪ノリ口調で話しかけてきた。麦わら帽子のせいで見えなかったが、海を見ているのは分かる。
「俺さぁ、紫も悪くないと思うんだ。こう、色気があるっつーか、大人の女のミリョクっつーか。青のビキニもすっげーイカしてて、グッとくるよな。でもさ、白いビキニって超良くね? 白い肌に白いパンツって、この距離だと何もつけてないように見えるんだよなぁー。濡れて肌にはりついてるとさ、もうたまんねーよなぁ」
「…………」
 この暑い中、何全開で飛ばしてられるんだろう? こいつは。
「肌にはりつくといったら、あそこのシャツの子もいいよなっ。しかもだぼだぼでさ。あれ、上に着てるとただの水着より数倍エロくなるのはなんでだろーなぁ。もうビキニに白シャツサイコー」
「――タンキニ水着でごめんなさいね」
 いつの間にか高峰 結和(たかみね・ゆうわ)が、野菜や肉を刺す串を持って立っていた。
 ニコニコ笑っていて、先からのセクハラ発言について何を思っているかは皆目分からない。
「い、いやっ、結和ちゃんは別だよ、別。全然別格だってっ」
 俺今何口走ってたっけ? 内心あわあわしながらも、瞬時に立ち直って占卜は結和の手を握りしめる。
「結和ちゃんはそこにいるだけでかわいらしいんだよ。何を着ていてもそれは変わらないんだ。何も着ていなくったって、もちろん変わらないんだよ」
 キラキラ輝く目で、誠実に、心から言ったつもりだったのだが。
「……ねぇエリー。なんで結和ちゃん、俺のこと引っぱたいたのー?」
 叩かれた頬に手をあてて、離れていく結和を見送る。
 実際は「引っぱたいた」というほどのものではなく、ぺちり、と軽くはたかれた程度のものだったのだが、彼女にベタ惚れの占卜には簡単に流せるものではないらしい。
「いいから」
 さっさとタマネギの外皮を剥け、と指差し、エメリヤンは肉をひと口大に切り始めた。
 今回、輝夜にいろいろと切り分けてもらうことになっているが、包丁も握ったことのない初心者・輝夜には10人前が精一杯だろう。タマネギ、ニンジン、ピーマン、ナス、ジャガイモ、とうもろこしと、野菜だけでもかなりの量になる。その上、牛肉、鶏肉を各部位によって切り方を変えて切らなければならない。
 輝夜につきっきりになる結和にはとりあえず10人前の材料を渡し、残りは自分と占卜で捌くことにしていた。もしも輝夜の腕前が想像以上だったなら、分ければいいだけだし。
 ビールは持ってきてあったっけ? と考えて、手を止めた。飲むための物ではなく、肉を漬け込んで柔らかくするための、気の抜けたビールだ。あれがあるとないとでは仕上がりが格段に違ってくる。
 たしか、占卜に用意を――
「結和ちゃんは俺のトクベツなんだって言っただけじゃん。結和ちゃん、俺のこと嫌いになっちゃったのかなぁ? でも、どうして? どうしてだと思う? エリー。俺何か変なこと言った?」
「ビールは?」
「あ、もしかして結和ちゃん、俺が他の子見てたから妬いちゃったのかなっ。やだなぁ、そんなの気にすることないのに。俺が好きなのは結和ちゃんだけだってっ」
「ビール…」
「なぁなぁ、これって結和ちゃん、俺に気があるってこと? やっと俺の良さに気づいてくれたのかなっ? せっかく海来たんだし、アタックするべきだと思う? あっちの岩陰とかに連れて行ってさ、あーんなことやこーんなことを――」
「おまえ、ウザい」
 ぽつり、エメリヤンが呟いたような、空耳のような…。
 気がついたとき、占卜の魔導書本体はものすごい勢いで草の斜面を上っており、やはりものすごい勢いで浜へ向かって転がり落ちていた。


 一方、左右の岩場のちょうど中間辺りの波打ち際では。
 ジー、カシャッ。ジー、カシャッ。カシャッ、カシャッ、カシャッ。
 カメラのシャッター音がしていた。
 レンズの先にいるのは、ふくらはぎの中ほどまで海に入った綾崎 リン(あやざき・りん)。オレンジ花柄のビキニとパレオをまとった彼女の両脇で握りしめられた拳が、恥辱でプルプルと震えていた。
「ええのぅええのぅ、恥じらう姿が実に乙女ちっくじゃのぅ」
 好色ジジィが言いそうな言葉遣いで、外見年齢若干6歳・日本の旧型スクール水着がよく似合うルシファー・セラフィム(るしふぁー・せらふぃむ)が、ますますシャッターを切る速度を速める。
「それにしてもいい天気じゃ。この調子じゃと、まっこと良い写真が撮れそうじゃのぅ…。ククッ。楽しみじゃ」
 額に浮いた汗をぬぐいながら呟く。ルシファーはやり遂げた者特有の、さわやかな達成感を感じているようだ。
 しかしその目に浮かんでいるのは「金」の一文字。(※キンではない。カネと読む※)
 青い空・白い雲・海とくれば水着の女! しかもリンには固定ファンがかなりいて、今までの隠し撮り写真は結構な高値で売れていた。
(今度の写真も、いい収入になってくれそうじゃのぉ…)
「も、もう、いいですか…?」
 声を震わせて訊く、その姿が、またさらにルシファーのS気をあおったらしい。
「それじゃ! その顔! それが皆の求めるものじゃっ」
 カシャカシャッ、カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャッ。
 小さめのビキニブラから今にも弾けそうになっているやわらかそうな胸、さらには濡れてお尻に貼りつくビキニパンツのアップ、食い込むラインまで撮られて、リンはもう、どうにでもしていいから早く終わって、という心境になり始めていた。
「ふーむ。300枚も撮れば十分かのぅ」
(よかった、もう終わるんだわ…)
 内心泣き笑いしていたリンだったが。
 櫻井 馨(さくらい・かおる)が邪魔をした。
「ちょっと待ったぁ!
 甘い、甘いぞルシファー。コアなファンはそんなモノでは満足しないんだ!」
 ついにリンのビキニ姿が見られた余韻の涙を流しながら、馨はルシファーからカメラを受け取る。
「なんじゃ? 馨」
「ふふふふふ。今までリンの写真が売れていたのは、それが隠し撮りだったからだ。更衣室のロッカーの中」
「えっ?」
「教室の机の裏」
「ええっ?」
「タンスの天井」
「そんな……マスター…」
「私服のスカートの内側や靴の飾り」
「えーーーーーーーっっ」
「リンが気づいていないのを見ているという背徳のエロさが隠し撮りファンにはたまらんのだ。気づいてしまっている今回のような写真は、いつものファンには通用しない!」
 まるで熱血教師のような馨の言葉に、ルシファーはまるで稲妻に打たれたかの如くカッと目を見開く。
「な、なるほどなのじゃ。それは思いいたらなんだわしの不覚。
 では、買い手をいつもと違う路線に変更すればよいのじゃなっ」
「そう。そしてそれは…」
「それは?」
 ごくり。息を飲むルシファー。もう立ち直れないと伏せっているリン。
「それは、ズバリこれだーっ」
 馨は叫んだ。


「こ、これのどこが新しい路線なのじゃ…?」
 波打ち際で被さるリンの下で仰向けに寝ながら、ルシファーがとまどい気味に訊く。
「これはただのユリ写真ではないか」
 そう言いつつも、率先してリンのビキニ紐に手を伸ばし、はらりと解く。
「あっ、いやっ…」
 あわてて胸を押さえるリン。その手元からくたりと垂れる布と紐。
「おおっ、いいねぇ。いいショットだよ〜ん」
 カシャカシャ。
 ルシファーの指がビキニラインから第一関節まで入る。ヘソに触れる親指。片手が背骨を伝ってくだり、リンの反対側の胸からそっとカメラ目線を送る。まるで胸に唇が触れているようだ。
「おおおおおおっ」
 カシャカシャカシャカシャカシャカシャ。
「……くだらぬ。このようなもの、どこにでもあるのじゃ。この程度で満足するような客なぞおらぬわ」
 リンの下から這い出ようとしたルシファーだったが。
「じゃあこれはどうかなぁ?」
 ニタリ。
 太陽と重なり、影となってよく見えなかったが、たしかに三日月のような笑みが馨に浮かんでいたのをルシファーは目撃する。
「馨…?」
「……ああっ…いやっ…」
 リンがたまりかね、のけぞるように身を震わせるとルシファーを押しつぶした。
「リンっ? どうしたのじゃ?」
 肩口からどうにかして顔を出したルシファーの目に入ったのは、タコの足だった。
「ほーら、ほーら。1匹、2匹、3匹、4匹」
 ぼたぼた、ぼたぼた。タコがリンの背中に投下されていく。
「あっ、やめて、マスター……冷た…ああっ」
 うごめく触腕、貼りつく吸盤。
「リンは機晶姫だから毒にやられることはないけれど、ルシファーはどうかなぁ? リン、おまえが動くと、タコがルシファーに落ちてしまうよぉ」
 パンツとの境に落とされたタコが、うねうねと触腕をパンツの内側に潜りこませていく。
「あっ……ああっ……そんなっ……助けて、マスター…」
「ルシファーを守りたいだろう? リン。おまえが我慢すればルシファーは助かるんだ」
「あっ、ああっ、あああああああああーーーーっ」


 もちろんルシファーは砂を少し掘ればリンの下からはさっさと抜け出せるので。
「どこまでアホなんじゃ、おぬしは!」
 常軌を逸している馨を後ろから怒突き倒し、タコの海へと蹴り込んだのだった。