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intermedio 貴族達の幕間劇(後編)

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intermedio 貴族達の幕間劇(後編)

リアクション

 恙なくオペラの幕が閉じた時、代わりに舞台に上がったのはヴァーナーだった。
「アレッシアおねえちゃん、アウグストおじちゃん、ビアンカおねえちゃん、きいてくださいです」
 音楽の余韻に浸っていた会場は、彼女を司会者かな? と勘違いしてしまう。そして、彼らの注目を一身に浴びるヴァーナーは、マイクを取って話し始めた。
 余韻を壊してしまうかもしれなくても、言わなければならないことを。
「アレッシアおねえちゃんはどうしてじさつなんてしようとしたんですか? まわりのみんなはダレかがスキなきもちのせいでじけんがおきちゃったって言うです。オペラみたいにスキな人がスキな人といっしょにいれるようにならないですか?」
「オペラはお話なのよ」
 窘めるようにアレッシアは言ったが、ちがうです、とヴァーナーは首を振る。
 おはなしだけど、おはなしじゃない。おはなしとげんじつが全くちがうべつのせかいだ、ってわりきるなんて、とてもさみしい。
「このおはなしの二人みたいなしんじつの愛ってどんなきもちなんですか? どうしてみんなおはなしの二人みたいになかよくなれないですか? みんなはしんじつの愛をどうおもったですか?」
 実のところ、まだまだお子様なヴァーナーには、「しんじつの愛」というのは、よく分かっていない。ただ、ステキなオペラにかんどうしたら、きっとみんなでなかよくできるです! とは思っていた。
 オペラの最後は悲劇で終わっていた。夫と子を置いて戦争へ向かったヴェロニカの死で。ただ、それでも悲しみの歌を歌うヴェロニカは、どこか幸せそうだったのだ。
「そう、でしたね……」
 熱心に訴える少女に心を動かされるところがあったのか、アレッシアは言うべきことを思い出した。忘れたわけではない、ただ、言う決心がつきにくかったことを。
 ソファから立ち上がり、周囲に向けてゆっくりと頭を下げる。
「私は自殺を図ったことで、皆様に大変なご迷惑をおかけいたしました。私へ感謝してくださる、皆さんのご厚意と音楽を愛する心を踏みにじりまして申し訳ありませんでした。特にディーノさんには言い訳のしようがないほどに」
 長い長いお辞儀の末に上げた顔には、申し訳なさと、諦念と、苦笑と、寂しさが混在している。
「私は長い間、自分の役目に苦しんでいました。私の存在が夫を苦しめていると思ってきました。そして、疲れて……同時に、夫を自由にしてあげたいとも思って、自ら命を絶とうとしたのです」
「そうだ、アレッシア、どれだけ私が家の中でみじめな思いをしてきたか……!」
 アウグストが絞り出すように声を上げる。
「家の中に私の居場所はなかった。使用人までもが皆お前を頼って……私は孤独だった」
「ええ、解ってはないかもしれません。でも今の私はそれを“知って”います。私が、一人の人間として貴方と向き合って来なかったことも。それが貴方が賭博と浮気をする原因になったのかもしれない。真珠を売り払ったのは、私に気付いて問い質して欲しかったのではないですか?」
「……知っていたのか……」
 アウグストは小声で呟き、妻と愛人の顔の間で交互に視線をさまよわせる。そんな彼に、初めてアレッシアは優しい視線を向けた。
「死のうと思った時の私は、こう考えていました。──私がいなくなれば、貴方は自由に恋を楽しむことができる。もしかしたら当主や貴族の立場を捨てることもできたかもしれない。永遠に繁栄する家などなく、ゆるゆるとバルトリ家が没落するのならそれもまた良いのだ、と。……けれど皆さんに教えられました。それは諦めだと」
「アレッシア……」
「お互いに役目に縛られてきたのです。それに夫婦は初めから、恋をしなければならないものではないでしょう。……もう一度だけやり直しましょう、アウグスト」
 アレッシアはアウグストにそっと手を差し伸べた。
 そしてアウグストもまた。
「今まで済まなかった。私も学生たちに叱られたよ。今はいいかもしれない、だが──互いに悲しい思いをして、死ぬまでの時を過ごすのは苦しすぎる」
 彼の目には涙がにじんでいた。
 今まで、彼の周囲は誰一人として、彼を出来の悪い当主としてしか見ていなかった。
 しかし結婚当初、微かにでも心のどこかで抱いた淡い期待が、今実ったことが、自分を見てくれる人が今になって現れたことが嬉しかった。
 二人は手を取り合い、壊れた絆を取り戻すように、固く固く握りしめた。
「それではなかなおりのあくしゅです! みんな、はくしゅです!」
 ヴァーナーの声に、一斉に拍手が沸き起こり会場を満たす。



──そして幕間劇は終わりを告げようとして──、




「何処に行かれますの? ブランシュ・カスタニエさん」
 玄関を人知れず抜けようとしていたビアンカ・カヴァルロを呼び止めたのは、質素なドレス姿の一人の女性。羽根つき扇で半分隠した顔の下で、微笑を浮かべている。
 彼女は肩をびくりと揺らした、かと思うと指先が胸元に伸びていた。ひらめく刃はしかし、後ろから伸びた祥子の手が腕を掴んだことによって止められてしまう。
「残念ね。一人じゃ勝ち目ないわよ?」
「女性のプライバシーを暴くのは趣味ではないのですが、貴女のことは調べさせていただきました。匿名の手紙がヴァイシャリー軍に届いていましたのでね」
 女性の隣で、フェルナンが畳んだ手紙を掲げて見せる。それは、小夜子がビアンカの家から持ち出した手紙だ。
「ヴァイシャリーの小さな手芸店の娘さんだったそうですわね。とある貴族と恋仲だったのに、身分違いと結ばれなかった──」
「悪趣味な貴方はどなた?」
 憎々しげに尋ねるビアンカに、応えたのはまた別の声だった。
「こちらの方はラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)様ですわ」
 女性の背後から踵を鳴らして現れたのは、神倶鎚 エレン(かぐづち・えれん)。そしてパートナーのフィーリア・ウィンクルム(ふぃーりあ・うぃんくるむ)アトラ・テュランヌス(あとら・てゅらんぬす)。そしてドレスとしてエレンを飾っているエレア・エイリアス(えれあ・えいりあす)だった。
 エレンは女性を示してから、今度はビアンカの後ろを指差す。
「そして、あちらがアウグスト様」
「──ビアンカ、待ってくれ!」
 アレッシアとの仲直りを果たした彼だが、ビアンカとの関係の決着はついていなかった。
 だが、もう勝負はついていることを彼女は悟っていた。いや彼女でなくとも、先ほどの握手と、息を切らして駆け込んで来た彼の表情を見れば誰の目にも明らかだ。
「紳士が仰る“けじめ”とやらをお付けになるのね」
「そうだビアンカ、君との関係は清算したい。私の穴が開いた分の援助はする、だから……」
「同情なんか真っ平ですわ。……私が貴方に少しでも頼っている、なんて本気でお思い?」
 ビアンカは嘲笑を浮かべた。ダガーを取り上げられた腕を、もういいでしょと乱暴に祥子を振りほどき、アウグストに振り返る。
「私が貴族を信じるとでもお思いになったの? 私は貴方を利用しただけですのよ。客と娼婦じゃなく、バルトリ家を没落させるための材料に、ね」
「……そんな」
「本当ですわよ」
 信じられないように首を振るアウグストだが、ビアンカに同意したのはエレンだった。
「詳しいことは後程申し上げますけれど、彼女はただの高級花売りとは違いますのよ。彼女に依頼をした貴族がいますの。アウグスト様とディーノ様を使ってバルトリ家を追い落とそうとする方がね。でもこのままでは……」
 エレンはちらり、とラズィーヤに視線を送った。
 それが意味しているかに気付いて、アウグストの顔がこわばる。エレンは追い打ちをかけるように、
「アウグスト様も賢明な貴族であるならば、どうなされるべきであるのかはおわかりのことでしょう? 引退、蟄居、養子……用意される鞘はいろいろとありますけれどねぇ。元の鞘に収まってくれるのが一番ですわ。さてアウグスト様、貴方の鞘はいったいどなたなのでしょう? 血統という剣が家を支え守る鞘に収まってくださるならば、きっとヴァイシャリーは捨てたり潰したりなどいたしませんわ。ですがどれほど良き剣も悪しきに利用されるというのならば……ねぇ。損害は最小限にいたしませんと」
「失礼じゃが、貴公個人の行状も調べさせ貰ったのじゃ。反ヴァイシャリー家の動きと共にの」
 エレンの秘書フィーリアが続ける。
「バルトリ家は名家。だが、貴公の不覚が家名に傷をつければ、ヴァイシャリーにまで害が及ぶ可能性があるじゃろう」
 エレンが言っているのは、こういうことだ。
 ──あなたのせいでバルトリ家はヴァイシャリー家のためにならない存在になった。このままでは家は潰すことになる、と。
 勿論ハッタリ半分なのだが、彼がしてきたこと、増長する可能性を思えば全くないとは言えない。それは正気に返りつつあるアウグストにも解る。
 彼女たちの脅迫を後押しするように、アトラが気楽な口調で。
「ボクとしては自分勝手でアレッシアや周りのみんなをちゃんと見ようともせず、自分の不遇ばかりを嘆いて、うまくいかないことを人のせいにしているようにしか見えないアウグストなんて捨てちゃえばいいのにって思うけどなぁ。でも『貴族の社会や関係は難しく、夫婦の仲はさらに複雑』だってエレンねえは言ってた。ボクももっと勉強しないと」
 そしてこれが鞭だとすれば、次は飴。フィーリアはとりなすように付け加えた。
「まぁ、バルトリ家は芸術家を援助してきた家じゃし芸術関係の事業を改めて興し、財政面の建て直しの筋をつけるのも一つの案じゃの」
 ショックに、アウグストは床に崩れ落ちた。
 立ち直ろうとした矢先に自分のしたことを目の前に突き付けられたのだ。自業自得、それは彼自身にはよく分かっている。だからこそ自分がアレッシアの努力を無に帰そうとしていることが辛くなる。
 そんな感傷に囚われたアウグストの背中に、ビアンカは冷たい視線を投げた。
「そう、貴族はみんな家が大事なのよ」
 吐き捨てるような口調は、視線は、だがアウグストだけに向けられたものではないようだった。美しい顔が、彼には到底向ける必要のない憎悪に歪んでいる。
「……私は信じない、貴族なんて信じないわ。だから復讐してやるためにこの仕事を選んだのよ。平民の娘が必死で作法を勉強してね! いつかこの世界で成り上がって、ヴァイシャリー家もみんなみんな──貴方が絶望するまでずっと、虚飾で塗り固められたその化けの皮をはぎ取り、流れるその血で贖わせ続けてやるわ!」
「騒がしいわよ。……もう行きましょう」
 ビアンカは、祥子に腕を取られ、玄関から出て行った。
 彼女の言葉の最後は叫びのようで、そして歌のようでもあった。



 事件のことを生徒たちが忘れかけたある日のこと。
 ラズィーヤの元に、バルトリ家からお礼を述べる手紙と共に一枚の写真が送られてきた。
 写っているのは盛装で微笑むアレッシアとアウグスト。アレッシアの胸にはうさぎの着ぐるみ姿の真珠が抱かれていた。
 手紙は礼儀正しい貴族的な文面で、バルトリ家が平穏を取り戻したことに対する、生徒へのお礼が書かれていた。
 彼らの心中を正しく知る者はいない。
 けれど彼らは選択したのだ。
 再び貴族・バルトリ家の当主夫妻で居在りけることを。

 そして、ひそやかな陰謀は──エリュシオンによるヴァイシャリー貴族社会への侵攻は、幾つかの証拠を手にしたラズィーヤによって、こちらもひっそりと阻止されたのだった。


intermedio 貴族達の幕間劇  ──了