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intermedio 貴族達の幕間劇(後編)

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第6章 アウグスト・バルトリの事情


 その日、日没と同時にアウグストはバルトリ邸を出た。
 彼は生徒たちが屋敷を訪れたことを快く思っていないのか、応接間のアレッシアには執事に出かけるとだけ伝言させて顔も見せず、そそくさと馬車に乗り込んでいた。
 四頭立ての馬車に乗るのは当のアウグスト本人と御者、そしてお付きの使用人が一人。
「あの馬車を追って」
「? あれはバルトリ家の馬車ですが……?」
「夜出歩くのは危険だからって、奥様に護衛を頼まれてるの。見つからないようにね」
 ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)は辻馬車の御者にちょっとした嘘をついて、アウグストの後を尾行させた。
(夫人に脅迫状が届いてるのに、夫が夜中に外出……何かありそうな予感♪)
 ミルディアはすっかり探偵気分だ。
 馬車は高級住宅街をぐるりと一回りすると、外れにある一軒の屋敷の前に止まった。
「ここで降ろして。あっと、お会計これ……ありがと!」
 道を挟んで屋敷が見える路地で、ミルディアは馬車から降り立つと、暗がりに潜むように屋敷に近づいて行った。
 屋敷と言っても、バルトリ家や貴族の館、それに百合園女学院に通う多くのお嬢様の別荘とも比べるべくもない。上方が柵になった低い塀にぐるりと囲まれたその家には、形ばかりの鉄扉があるだけで、数メートルも行けばすぐに扉がある。
 アウグストが従者は馬車に残して、一人で扉の中に入っていこうとするのもはっきり見えた。
(うーん、馬車がこのままってことは、多分しばらくは出てこないってことなのかな?)
 ミルディアは何かあったら彼を守ろうと思っていたが、屋敷の中までは入って行くつもりはなかった。しばらくお留守番かな、などと思いつつ、扉が開いてメイドが顔を出すのを眺めていた時──突然見知った姿が空から舞い降りるのが視界に入った。
 ヒポグリフに跨っているのは、黒い縦ロールの肉感的な少女崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)だ。
 彼女は屋敷の影にヒポグリフを着地させると、携帯を開きロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)からのメールに目を通す。
 歩や円、アルコリアから聞いた情報がそこには簡潔にまとめられていた。ぱちりと携帯を閉じた時、冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)が“隠れ身”を解除し、影から姿を現すと待っていたというように亜璃珠に駆け寄った。
「やっと御姉様とお会いできましたわ」
 二人は朝からバルトリ邸を手分けして見張り続けており、それは小夜子も“姉”の望みなのだから協力したいと思ってはいたが……、少しさみしいという気持ちを分かって欲しくて、そんなことを拗ねたように言ってみるのだ。
 亜璃珠も労うように小夜子の頭を優しく撫でる。
「どう、構造は?」
「正面玄関が一つに、勝手口が一つ。二階建て、おそらく部屋数は5〜6といったところかと思いますわ。御姉様の方はいかがでした?」
「上空から見ても大したことは判らなかったわ。小夜子の見たとおり、出入り口は二つよ。一見普通の家にしか見えないわね」
 加えてこの前後の時間、人の出入りもないようだ。
「たまたま今日だけなのかしら? まさか地下に出入り口があったりしないわよね」
「賭博場にしてはおかしいですわね……。となるともう一つの可能性の方が高いですわね」
「賭博場の方がスキャンダラスで良かったわね。賭け事をしていたことには間違いないんだし?」
「御姉様ったら」
 小夜子は小声で窘めると、ではまた後で、と言って立ち去った。
 亜璃珠は彼女が家の角を曲がったのを見届けて、玄関の前に立ち、ノッカーを叩いた。
 顔を出した地味なメイドに彼女は、
「こんばんは。こちらはカヴァルロさんのお宅で宜しかったかしら?」
「どなたですか」
「アウグスト・バルトリさんがいらしてると思うんだけど、お会いできる?」
 メイドは彼女の全身を訝しげに眺めると、
「どのようなご用件かは存じませんが、今お嬢様は取り込み中で──きゃっ」
 亜璃珠は断られると知るや否や、ごめんなさいね、とメイドの横をすり抜けた。
「お待ちなさい! 勝手に家に入るなんて……!」
 亜璃珠は追いすがろうとするメイドに肩越しに振り向く。だがメイドの目に飛び込んできたのは彼女の顔ではなく、スカートのスリットから覗く白い左太もも。そしてそこに刻まれた、赤く発行する悪魔との契約印。
「マリカ、お願いね」
「かしこまりました亜璃珠様」
 瞬時に現れたマリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)はメイドの前に立ち塞がったかと思うと、あっという間に飛び上がり、着地ざま、その手でメイドの後頭部を打った。
 亜璃珠はこの隙に屋敷にずかずかと上がりこむ。部屋の扉を片っ端から開けようかと思ったが、その必要はなかった。
 入口すぐに応接室があり、アウグストはそこで紫煙をくゆらせながら酒を片手にくつろいでいたからだ。
「アウグスト・バルトリ様でいらっしゃいますわね」
 亜璃珠は一転優雅な雰囲気を取り戻すと、アウグストにすっと近寄り、顔を寄せた。耳元で息を吹きかけるようにそっと囁く。
「お見かけした時から、ずっと危ない遊びに手を出してみたいと思ってましたの」
 アウグストは横目で彼女を見ると、何かを思い出すように一瞬眉根を寄せたが、誘惑する少女の顔に思い当ると面倒くさそうに首を振った。
「この前舞台に上がっていた百合園の生徒だな。残念だが……君と同じ学院生が、アレッシアや貴族の方々にあれだけのことをしでかしておいて、何を期待している? 尾行でもしてきたのか? 君のことはビアンカから何も聞いていないし、私とて誰彼構わず手を出すほど無分別ではない」
「そうですの、残念ですわ……」
 覚えていたなら仕方ない。疎まれているのは承知の上だ。亜璃珠は首筋に唇を移動させ、そのまま噛み付く。“吸精幻夜”は、あっと言う間にアウグストの意識を朦朧とさせた。
「では、ゆっくりとお話を聞かせていただきますわね」
 彼女はアウグストに、この屋敷で何が行われているのかを、ロープで縛り上げながら手早く聞き出す。
 それによれば、ここは賭博場ではなく、彼の愛人であり、高級娼婦であるビアンカの住居だということだ。アウグストが通っていた違法賭博場は去年の夏軍の介入を受けてなくなり、今はカジノ──合法的だが、勿論スるのも合法である──に出入りしているらしい。
 一通り聞きだすと彼女は、
「そう、よく分かりましたわ。お休みなさい」
 優しく囁き、“忘却の槍”で手の甲を刺した。そしてこの間にマリカが運んできたメイドとビアンカも同じように刺す。だが、槍で奪える記憶は一時的なものなので、目覚めて間もなく、何があったのか気付くことだろう。
「尻穴の小さい男って嫌いなの。いっそ拡張してやろうかしら?」
「男に触れていただきたくありませんわ」
 聞き覚えのある声を確かめれば、部屋の入口にロザリィヌが立っていた。
「それに、せっかく百合の素晴らしさに目覚めていただけると思いましたのに!」
「相手がプロじゃね……」
 二人は顔を見合わせて苦笑した。

 一方小夜子は、亜璃珠がメイドやアウグスト達を引きつけている間にひそやかに部屋に侵入していた。
 “隠れ身”で物陰を渡り、“狂血の黒影爪”の力で影と渾然一体となりつつ一階の廊下を進む。一度は“レビテート”を何度も使い、二階の窓に取りついた彼女は予め調べておいた窓から侵入──のつもりだったが、鍵を開ける段になって、ピッキングの方法をど忘れしてしまっていることに気が付いたので、仕方なくマリカが気絶させた後を追って玄関から入っていた。
 口もとをマフラーで覆い、シャドウレザーとスカーミッシャーレギンスに身を包んだ姿は、ちょっとした忍者か女スパイだ。
(一階には御姉様もいますわ。それに大事なものを仕舞うなら、比較的侵入しにくい二階にあるだろう寝室か書斎に違いありませんわ)
 階段を音を立てずに上がり、扉を静かに開けて中をのぞき、二度目に見つけた寝室に忍び込む。
 中にはベッドや鏡台、服の詰まったタンスの他、見た目からは想像できない程、大量の本を抱えた本棚があった。紳士録やマナーの本、芸術や教養の本が詰まっている。
 そしておあつらえ向きに、枕元にはライティングデスクがあった。三つある引き出しのうち、一つには筆記用具が詰まっており、もう一つは鍵がかかっている。そして最後の一つには書きかけの手紙が入っていた。
 小夜子は手紙を開き素早く文字を追う。ビアンカは、どうやら彼女の予想通り高級娼婦だったようだ。この家は住居兼仕事場。
 ひらりと封筒を裏返して宛名を確認すると、宛名はドナートになっている。
「バルトリ家の当主を顧客として籠絡、ディーノも夢中になりつつある。……報酬は……エリュシオン産の宝石で……。……ドナートの依頼を受けて、彼女はバルトリ家の失墜に加担していたのですわね」
 これは重要な証拠になる、持って帰るべきだろう。
 他には何かないか、と机を探すと、天板の引き出しに差出人名の違う手紙が入っていた。切手が貼ってあるものの、色あせており宛名もない。




 さようなら、愛しき人よ。
 あの囁きは、ただ沈黙を埋めるだけに口ずさむ、ありふれた愛の詩だった。

 騙された愚かなわたしを嗤うなら、
 わたしは気付かせてくれたあなたに、この生き様で答えよう。

 目線と、仕草で。小さな嘘を混ぜた囁きひとつで。
 あなたのお仲間の、虚飾で塗り固められたその化けの皮をはぎ取り、流れるその血で贖わせ続けよう。

 鏡に映るあなたの頬が、青ざめ衰えるまで……。


                            ──ブランシュ・カスタニエ



 筆跡は確かにビアンカと同じものだ。最後に記された日付は、今から数年前。
 まだ意味は解らないが、何かの証拠になるかもしれない。
 小夜子は二通の手紙を鞄に入れると、“御姉様”に知らせるべく階下へと降りて行った。