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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第2回/全3回)

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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第2回/全3回)

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第13章 進軍! 東カナン正規軍

 決戦の地と定めたザムグの町近郊のアナト大荒野まで、騎馬で約4日の行程。しかし初日から、行軍は混乱をきたしていた。
 最後尾を運ばれていたアジ・ダハーカが、己の世話係を食い殺したのだ。
 兵が調達してきた獣やその死骸には見向きもせず、檻の奥で丸まっている姿に、無駄にするのはもったいないと回収に踏み込んだ直後、彼は3つ頭によって八つ裂きにされた。
 魔封じの首枷など、何の役にも立たない。
 ダハーカには牙があり、狡猾さがあるのだから。
 牙の間に生首を挟み、血を滴らせながら唸るモンスターの姿に兵はおののき、だれも近寄りたがらなかった。
「勝手に飢えさせておけ」
 世話をする者がいないとの報告に、バァルはそう答えた。
 東カナンの人間を餌として差し出す気は毛頭ない。人喰いの化け物など、そもそも不要。あのまま檻の中で飢え死にしてくれればバァルとしては万々歳だ。
 が、そうはならないだろう。
 アナトまであと3日たらずということもあるが、あの魔封じの檻にそれだけの拘束力はないからだ。有象無象の下級モンスターならばともかく、カナン古史において最凶の竜の1体と称されるダハーカにかかればあの程度の魔具などガラスの器に等しい。
 飢えが頂点に達するか、あるいは狩りに行きたいとの衝動が高まれば、あんな檻など簡単に突き破って出て来るに違いない。そうなったとき、真っ先に狙われるのは兵だ。どうやって押さえ込むか…。
「大丈夫、その前にアナトに着くから。そうしたらワイの仲間たちがあれをなんとかしてくれる」
 無表情で立つバァルの悩みを見抜いたように、後ろから気安く声をかける者がいた。
 七刀 切(しちとう・きり)である。彼は、行く先々の村で道順を教わり、ようやくたどり着いたアガデの都の外でリゼッタ・エーレンベルグ(りぜった・えーれんべるぐ)とともに、どうやったら中に入れるか思案していたところ、うまくこの正規軍の行軍に行き当たったのだった。
 アルバトロスで近づき、東西シャンバラ人という身分を正直にあかして敵対意思はないと説得に努め――なにしろ東西シャンバラ人は反乱軍の側についているため、これが全く容易ではなかった――なんとか謁見にこぎつけることができた2人は、左右に二十数名の将軍たちが威圧気に居並ぶ中で、【ゲレヒティヒカイト】と銃器の売買契約を結んでもらえないかと交渉したのだが。
「身を保証する者もなく、突然現れた他国の一女学生と武器の売買交渉をするほど、わが国はおちぶれてはおらぬ!」
 バァルの左についていた上副将軍・ヴァンダルが激高した。
「その銃とやらの見本はどこにある? 武器商人と言うのであれば、数十の武具を並べてお見せするのが当然であろう」
「物を見せるでなく、ごたくばかり並べて何ぞ交渉か」
 とたん、口々に他の将軍たちもこぞってリゼッタを非難する。
「あ、あの…」
 雲行きの怪しさに、あわててリゼッタが特技・説得を使用しようとした瞬間。彼女の挙動から敏感にそれと察知したバァルが立ち上がり、氷のような視線で彼女を射すくめた。
「東カナンにも武器商人は大勢いる。その者たちを差し置いておまえたちと契約をするには相応のものが必要だ。保証人、実績、実物。その全てを揃えてから来ることだ」
 バァルの言葉で、謁見は終わった。
 そのまま奥から天幕を出て行こうとするバァルを見て、あわてて切が立ち上がる。
「待ってくれ、バァルさん! ワイは、バァルさんに協力したいと思ったんだ! ワイはバァルさんがどんな領主かってのをセテカさんやカナンの人たちから聞いてきた!」
 セテカの名前に、バァルが反応した。
 切を追い払おうとしていた将軍たちの動きもぴたりと止まる。
 バァルは幕布を持ち上げたまま、切を振り返った。
「ワイは、バァルさんのとった行動が間違ってると思わない! むしろすごいと思う! だからどんな無茶でも無謀でも全力で協力する! バァルさんの願いや思いを絶対に裏切らないと誓うから、どうか、ワイに協力させてほしい!」
 バァルは切から視線をはずし、前へ出ようとする彼の腕を押さえている将軍に目で合図を送る。
 そのまま今度こそ無言で立ち去るバァルの姿に、失敗を覚悟した切だったが、意外にも彼らが引き立てられた場所は軍の一番外側に設置された天幕の1つだった。
 以後、とにかく放り出されたわけではないのだからと、前向きに思うことにした。
「何もかも最初からすんなりうまくいくと思うほど愚かではありませんわ」
 リゼットはバァルの拒絶を挑戦ととったようで、条件を満たすために一度シャンバラへ戻りたがったが、切は耳を貸さなかった。
 こうなれば押せ押せだ。
 とにかくバァルに話しかけ、自分を知ってもらい、あれは口先だけでなく本当の気持ちなのだと信じてもらえるようにするのだ。
 子犬のように邪気なくまとわりついてくる彼を、最初はうさんくさがっていたバァルだが、一緒に行軍し、たわいもない会話をするうちに、やがて切はバァルの自分を見る表情や視線がやわらぐようになったことに気付いた。
 それは、切自身のまっすぐぶつかっていく気質のせいもあるし、セテカ不在という大穴があいているさびしさからもあっただろう。
 ともあれ、リゼットは退けられたが切はバァルからそれなりの評価を得ることに成功し、このときもバァルの横に立って同じように少し離れたアジ・ダハーカの檻を見ていた。
「あれはたしかに手強そうだけど、ワイたちコントラクターも結構な力を持つからねぇ」
 とはいえ、切1人であのモンスターをどうこうできるほどの力はない。
「あれを連れてるって話は、もう反乱軍の耳にも入ってるだろうし。絶対攻略に動いてくるから、任せればいいよ」
「であればいいが…」
 バァルの険しさは晴れない。
 もうすっかりおなじみの、眉間に縦じわが浮いている。
「うーん…。
 バァルさんはさ、反乱軍の人たちが食べられるのもいやなんだよねぇ」
 彼らだって東カナンの人たちだし。
「なら、どうしてあんなの連れてくることになったわけ?」
 人の力じゃ手に負えないのは分かりきっていただろうに。
「それは――」
 切からの質問に、バァルが答えようとしたとき。
 不意に何者かがアジ・ダハーカの檻の前に出た。
 双頭蛇のモンスター・エンディムを従えたメニエス・レイン(めにえす・れいん)だ。
 檻の隅に転がったままの獣の死骸と、アジ・ダハーカが喰い散らかした人の断片を見て、メニエスは不敵に嗤った。
「あなたを餌付けようだなんて、愚かなことね。獲物は、この手で狩ったものにしか価値はないというのに」
 さらに二言三言、彼女はアジ・ダハーカに話しかけた。
 檻の奥、赤黒いまぶたが持ち上がり、黄色い巨大な瞳がメニエスを見る。自分に話しかけているメニエスと、その横のエンディムを認識し、そして再び目は閉じられた。
 彼女の言葉はバァルや切の元までは届かない。しかし2人の注目に気付いた彼女が肩越しに向けた赤い瞳から、それがろくでもないことだというのは察することができた。
「うわ。おっかないねぇ」
 そう口にしながらも切におびえた様子はなく、飄々と頭の後ろで両手を組んでいる。
 バァルは視線を傍らのエンディムに向けた。
 エンディムもまた、人を喰っているはずだ。朝方、歩兵が1人消えたという報告が入っている。その兵は、昨夜自分の天幕に戻ったことが確認されており、点呼にも応えていたという。
 将軍が問いつめたが、おおかた戦いが怖くなって脱走したのだろうとしらをきり通されてしまったらしい。
 エンディムの腹が膨らんでいたことから、餌として与えたか、あるいは狩りを黙認しているのは間違いない、という報告だった。
 アバドンの配下でなくば、あのような者、ただちに処分してくれたものを…。
「――アバドンめ……ネルガル巡察といい、厄介事ばかり持ち込む」
 苦いつぶやきが漏れた。
 しかしアバドンがいたからこそ、今も東カナンには砂が降っていないのだ。
 エリヤのことも…。

『これ、兄さんにあげる』
 初めて下町に遊びに行った日。戻ったエリヤの小さな手から差し出されたのは、黄色い石の付いたペンダントだった。
『トパーズって賢者を意味するんだって。お店のおじさんが言ってた。いつも難しい本読んでる兄さんに、ピッタリだね』
 付き添った乳母からあとで聞いた話では、露商から買った物なので出所はかなり怪しく、本当にトパーズなのかも分からないということだったが、そんなことはバァルにとってどうでもいいことだった。
『あとね、幸福とか祝福って意味もあるらしいよ。だから、兄さんにあげようって思ったの』
『なんだ? それは、わたしは幸せそうに見えないという意味か?』
『違うよ。兄さんが幸せになりますように、っていう意味』
『やっぱりわたしが今幸せじゃないと思っているな!』
『違うってばっ』
 バァルに後ろから抱き締められ、持ち上げられて、エリヤはきゃーっと笑い声を上げた。

 幸福の記憶。
 あのころ、エリヤの笑い声が城内で聞こえない日はなく、途絶える日が来るとは想像もしていなかった…。

 エリヤから贈られて以来、1日たりとはずしたことのない胸のペンダントを握り込んだ。そうすると、これを手渡してきたときの、はにかんだ愛らしい笑顔が胸に浮かぶ。どんなに遠く離れても、触れ合うことができなくても、エリヤは常に彼の中の善なる光であり続けた。
 ――そう、このことにだけは、感謝しないわけにはいかない。
「そのアバドンっていう人が、あれを連れて行けってあなたに言ったわけ?」
「そうだ。アバドンには借りがある。少なくとも、あのモンスターたちを従軍するだけの借りは」
 だがそこまでだ。
 最後までやつの思い通りに動いてやるほどの義理はない。
 とはいえ、連れて行くと請け負った以上はこちらから手出しはできなかった。そうなると、やはり切の言うように反乱軍側についた東西シャンバラ人の働きに期待するしかないか…。
(東西シャンバラ人か…)
 後方、夜営のために張られ始めた天幕群へと流した視線の先には、三道 六黒(みどう・むくろ)九段 沙酉(くだん・さとり)羽皇 冴王(うおう・さおう)両ノ面 悪路(りょうのめん・あくろ)の姿があった。彼らもまた、やはり前方をふさぐようにして現れ、強引に同行を申し出てきた東西シャンバラ人だ。
「わしらを使え。契約者の強さは先の戦いで分かっておろう? 反乱軍など根絶やしにしてくれよう」
 その言葉がどれほどバァルを激怒させたか、彼らは気付いているのだろうか? 反乱軍もまた、東カナンの民だというのに。
 平然とそんなことを言う彼らも、バァルにはモンスターと同じくらい東カナンに不要な存在と映った。
 メラムをあそこまで破壊したのも、東西シャンバラ人だ。
 そんなに戦いたいなら好きに戦えばいい。そこに東カナンの者さえ巻き込まなければ、一向に構わない。
 東西シャンバラ人同士で勝手に殺しあっていればいいのだ。
 人は、個々人で判断すべきもの、とはバァルとて思うが、彼らの介入によってメラムの民を焼き殺され、同胞である東西シャンバラ人たちを裏切ってネルガルに仕官したいというメニエスや、反乱軍を根絶やしにしてやると言う六黒、そしてアバドンに接触した――自分の城で行われていたことをバァルが知らないでいるはずがなく――あの3人のことしか知らないバァルが、このとき、東西シャンバラ人に対してあまりいい印象を抱けないのも無理からぬ話だった。
 切は多少違うかもしれないが、彼とて今度の戦いで、彼の言う「仲間」と敵対することに対する葛藤のなさという点では同じにも見える。
 そこに友はいないのか? 友と敵対することへの迷いはないのか?
(友か…。自分も、その点ではあまりひとのことは言えないか)
 バァルはセテカを思った。戦略家たる彼の知性と実行力を。
 モンスターとあの裏切り者たちへの対処は、彼に任せるしかないだろう。
 敵側に立つ彼に期待しなければならないとは皮肉なことだと、そう思いながら…。