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【ザナドゥ魔戦記】アガデ会談(第1回/全2回)

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【ザナドゥ魔戦記】アガデ会談(第1回/全2回)
【ザナドゥ魔戦記】アガデ会談(第1回/全2回) 【ザナドゥ魔戦記】アガデ会談(第1回/全2回)

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第3章 アガデの都〜領主の居城

 居城には、朝からすでに2000を超える都の人々が避難してきていた。
 もちろん魔神を都に招いて会談を行うことは数日前から通達が出ている。それにより、他の町や村にいる親戚の元へ一時的に避難した者たちも多いが、都生まれの都育ちの者たちも多く、何があろうと都を離れるわけにはいかないと決めている者たちも少なくない。
 都に店を構え、商売をしている者たちはそれが顕著だった。
「店をほっぽり出して、逃げ出すわけにゃいかないよ」
「ああ。それに、領主様や騎士様たちだっているんだし。何も起こるわけないさ」
 なにしろ、先のネルガルの反乱のときでも、アガデの都は焼かれることも、ましてや荒廃の影響をさほど受けることもなかった。彼らがかなり楽観的な考えになるのも仕方ないのかもしれない。
 だが、全員が全員、事態を軽く見ているのかといえばそれは違う。特に女性は、不安と心配から体調を崩す者が続出していた。そして母親や祖母たちがそうなれば、それはそばにいる子どもにも伝染する。
「大丈夫よ……大丈夫だから……」
 いくらあやしても泣きやまない赤ちゃん、ヒステリーを起こして叫ぶ小さな子どもたち。
 避難所として彼らに開放された前庭や中庭は、早くもそういった喧噪であふれていた。
「大丈夫ですか? 何か、冷たいお飲物でもお持ちしましょうか」
 ここに来て以来、膝を抱えたままぐったりとしている女性の脇にしゃがんで、シャーリー・アーミテージ(しゃーりー・あーみてーじ)はそっと声をかけた。
「ああ……すみません。ちょっと頭がぼーっとして……」
「仕方ありませんわ、こういう状況ですから。横になれるよう、毛布もお持ちしますね」
 いたわるように笑んで、シャーリーはその場を離れる。そして、少し先で飲み物をトレイに乗せて給仕しているクローディア・アッシュワース(くろーでぃあ・あっしゅわーす)に声をかけた。
「そこが終わったら、あちらの女性にも渡してもらえるかしら」
「うん、分かった!」
 クローディアは元気よく答える。
 普段から明るく活発な少女だが、今回は特に意識して、それを振り撒いているように見えた。彼女にも感じ取れているのかもしれない。この騒がしさは見かけだけで、何かのきっかけでさながら葬式のような重苦しさに変わったとしても全くおかしくないのだということに。
(何か明るい話題でもあったらいいのだけれど……ひとを勇気づけたりするのって難しいわね)
 シャーリーはほうっと息をつきつつも、とにかく毛布を取ってこようと中庭に設営されたテントへと向かう。だが途中、厨房の裏口付近のちょっとした隙間的な場所でなにやら人の動く気配を感じて、足を止めた。
「そこ持って……そうそう……ちょっと動かさないでキープね」
 そんな声もしている。
 少し警戒しつつ声のする方へ向かうと、そこでは天王寺 沙耶(てんのうじ・さや)が、城の下働きの少年、少女たちと一緒にレンガを積み上げて何かを作っていた。
「あ、シャーリー」
「どうしたんですか? そんな所で。厨房に行かれていたのではないですか?」
「うん。でも全然向こうだけじゃ追いつかなくて。それで、ここの隅を借りて簡単な石窯を作ることにしたんだ」
 沙耶は休みとなれば、夏は海に、冬は山にと飛び回る活発なアウトドア派。こういった物の設置は慣れている。
 脇には、使い慣れたダッチオーブンが2つ置かれていた。
「みんなね、おなか空いてると思うんだ。特に子どもたちとか。おいしい物をおなかに入れれば、体もあったまって、少しは気持ちも落ち着くと思う。……単純かな?」
「いいえ。そんなことありませんわ」
 照れ笑う沙耶に、シャーリーは胸がほっこりする思いで笑みを返す。
「沙耶さん、これ、いつまで持ってればいいんですか?」
 耐火レンガをドーム型に積み上げていた少年が、たまらず声をかけた。
「ああ、ごめん。もういいよ」
 沙耶が内側から固まり具合を見て応じる。
「それで、アルマは? 彼女の姿を見かけないようですが」
「ああ。アルマなら――」
「お待たせーっ」
 うわさをすれば影。沙耶が返事をし終わる前に、アルマ・オルソン(あるま・おるそん)がシャーリーの後ろから駈け込んできた。両手には重そうなバケツが下げられている。中に入っているのはカチカチの炭だった。
「うわーっ、すごい! ほとんど完成してるよね、これ! もうピザ焼ける? ねっ?」
 なにしろまだまだ花より団子のお年頃。早くも待ちかねてか、ぱたぱたと背中の羽がせわしなくはばたいている。
「はいはい、落ち着いて。ピザならすぐ焼けるから。窯の用意しとくから、アルマは中で生地とか材料の用意しておいでよ」
「うんっ!」
 アルマは元気よく頷き、裏口から厨房の中へ飛び込んでいった。
「きみたちもね。手伝ってくれてありがとう」
 沙耶の言葉に、少年たちはぺこりと頭を下げると厨房へ戻って行く。彼らを見ているうち、シャーリーも自分の用事を思い出した。
「いけない。私、毛布を取りに行く途中だったんでした」
「ははっ。早く持って行ってあげなよ」
「はい。では失礼します」
 軽く会釈してその場を去ったところで、今度はシャーリーの携帯が鳴った。
「ああ、ミーナさん。……え? メクトさんのお宅にある物ですか? ……はい。ええ。捜して、訊いてみますわ。折り返しかけ直しますね。……」

*       *       *

 東カナン領主の居城には、表と奥が存在する。
 表は通常の政務が行われる場所であり、奥は領主一族の居室などがある、いわばプライベートな空間だ。ここに入ることができるのは、領主と12騎士のほかは厳選されたごく一部の者のみ。
 表の騒ぎもほとんど聞こえない、奥の宮の回廊。ここはここで、ちょっとしたことが起きていた。

「しかしバァル、それでは自衛にならない」
 バァル・ハダド(ばぁる・はだど)からの拒絶に、ルオシン・アルカナロード(るおしん・あるかなろーど)はわずかに苛立ちのにじんだ声で反論した。
「駄目だ。アガデに一般カメラマンの立ち入りは許可できない」
「だが彼らによる報道があれば――」
「今回彼らはわたしの招きに応じてこの都を訪れている。その滞在を不快なものとしないようにする義務がわたしにはある。きみはそのカメラマンたちの所作が問題を引き起こした場合、責任がとれるのか?」
「それは……」
 言いよどんだルオシンに、バァルはさらに厳しく続けた。
「また、会談でのことだが、隠しカメラも認められない。記録を残すための機材の設置は認めるが、あくまで可視だ。魔神側の許可が得られない場合は、それも撤収してもらう。当然、ライブ放送も駄目だ」
「生中継は平和的自衛手段だ。相手は魔族なのだ。何かを仕掛けてくる可能性は十分考えられる。中継していれば、放送を見るパラミタ中の者が何か起きた場合の証人となる。魔神たちをけん制することにもなる」
 その言葉に、バァルの目が不快げに細められる。
「彼らを招く以上、われわれは誠実な対応をしなければいけない。「相手は魔族だから」「魔族は何をするか分からない」そんなふうに最初から偏見を持って相手を見ているようでは、会談は始める前から失敗だと思わないか? 何もかも疑ってかかれば、相手はますます態度を硬化させてしまうだろう」
「だが……!」
「このことに関しては、いくらわたしの気を変えさせようとしても無駄だ。たとえ相手が魔神でなかろうと、不特定の一般市民の目に東カナンの重要会談の様子をリアル配信するなどということは絶対に許可できない。もしもわたしに隠れてそのようなことを行おうとした者は、重犯罪者として厳罰に処することとなる。シャンバラの所属校へ抗議文を送ることにもなるだろう。
 きみの会談への出席許可は取り消す」
 これで話は終わりだと、バァルは身をひるがえした。
「バァル! 待ってくれ!」
 彼を呼び止めようとルオシンは声を張り上げる。しかしバァルは振り返ることも、足を止めることもなかった。



「……不服そうだな」
 十分遠ざかったところで、一歩後ろを歩いていた緋桜 遙遠(ひざくら・ようえん)に言葉をかけた。
「何も。遙遠も、まったくその通りだと思いました。
 ただ、遙遠がそう思っているように感じたのは、バァルさん自身が不服に感じるところがあるからじゃないですか?」
「不服か」
 そうかもしれない。
 バァルは先の強硬な態度を少し反省する思いで遙遠と視線を合わせた。
「彼らが何を心配しているか、わたしが知らないと思うか? そのことについて考えなかったと?
 わたしだって、彼らの懸念していることは一度ならず考えた。いきなり侵略してきた魔族と話し合おうとする自分が間違っているのではないかと。こんな会談を開いて何になる? むしろ彼らを招くことは……。
 だが、やはり納得できないんだ。彼らについて何も知らないまま、ただ戦うことがはたして正しいのか。
 自分が納得できていないのに、剣をとって戦えと兵たちに言うことはできない。彼らがわたしの指示に従い、戦うのは、わたしが正しい決定をすると信頼しているからだ」
 東カナンに徴兵制度はない。女神の加護により、豊かな土地であるため、生きるか死ぬかの選択で兵役を選ぶような者はまずいない。
「戦いを選択すれば、彼らに命を賭ける命令をわたしは下すことになる。この手には、それができる力がある。「突撃」と、この手を振り下ろせば、大勢の兵が命を落とすことになるだろう。
 共同墓地に石碑があるのを知っているか? 戦いで亡くなった兵士たちの名が記されている物だ。ごく一部だが、それでも相当な数にのぼる。
 あの名前1つ1つを、わたしは生涯背負っていく。その覚悟で領主の地位についた」
「だからこそ、納得のいかない戦いはしたくない」
「そうだ。おかしいか?」
「いえ、べつに……」
 どこか言葉を濁したような遙遠に、バァルは眉を寄せる。
 その顔を見て、遙遠はプッと吹き出すと両手のひらを挙げて見せた。
「本当になんでもないですよ。ただ、いろいろと考えていただけです。バァルさんにとってこの会は講和が主目的ではなくて、互いを知る場にしたいんだなぁ、って」
 彼らがどんなことを考え、なぜ人間にあれほどの敵意を燃やし、攻撃を仕掛けてきたか。それを知る場であると同時に、自分たち人間について彼らにも知ってもらい、話し合いによってそれを変えさせることはできないか、その可能性を探る場なのだ。
 互いを理解し合うことで戦いが回避されるのであれば、講和という形にこだわる必要はない。
「本当は、調印なんてどうでもいいんでしょう? 締結できればいいな、程度で」
「……どうでもよくはない。東カナンの復興はまだ道半ばだ。財政だって先の戦いから立ち直りきれていないんだ。なにしろ2年近く税収が滞っていたんだからな。これ以上疲弊させれば深刻な事態に陥るかもしれない」
 図星をさされ、どこか拗ねているようにも聞こえる声。バァルはごくたまに、自分たち限られた一部の者にだけ、こういう姿を見せることに遙遠は気付いていた。
 くすくす笑いが口をついて出そうになり、うずうずする。
「それに自分の結婚も、でしょう? ナハルさんとの期限がもうじき迫っているんじゃないですか?」
「いや、それは――」
「遙遠」
 そのとき、聞きに徹していた紫桜 遥遠(しざくら・ようえん)が、いち早くこちらに近づく者の気配を察して袖を引っ張った。そちらへ視線を走らせる。
 それと察したバァルが言葉を止めた直後、角を曲がって同じ回廊に2人のコントラクターが入ってきた。
 彼ら――ヨーゼフ・ケラー(よーぜふ・けらー)とそのパートナーエリス・メリベート(えりす・めりべーと)は、自分たちを警戒するように見る遙遠たちになんら臆することなく、まっすぐバァルの前へと進み出た。
(背中に針金でも入れていそうな男だな)
 名と所属を名乗り、ひと通りのあいさつを終えるヨーゼフ。いかにも軍人然とした彼を見たバァルの第一印象はそれだった。
 そしてやはり、その第一印象通りに、ヨーゼフの発言は硬く厳しいものだった。
「バァル閣下。失礼ながら、此度の会談はイナンナ様をはじめ、マルドゥーク殿やシャムス殿を無視して行えることではないかと思います。彼らははたしてご存じなのでしょうか」
「その通りだ。これは東カナンの独断で行えるものではない。ゆえにこの会談を開くに際し、女神様の了承は得ている。南や西の領主にも書状は出しているが、それはあくまで会談を開くことを伝えるものだ。女神様が了承なさった以上、あの2人に反対する権利はない」
 第一、2人はすでにザナドゥに降りている。書状を読むのは戻ってからになるだろう。
 バァルの返答に、ヨーゼフは頷いた。
「そうでしたか。しかし閣下は東カナン領主として東カナンを代表する立場にはあっても、カナン全土を代表する立場には無いのではございませんか? 魔族と和睦するか否かはカナン全体にとって極めて重大な問題、閣下の一存で判断を下して良い案件では無い、と愚考いたします」
「それもまた、正論だ。だがひとつ忘れていることがある。もしくは、カナンについてきみはあまり知らないのか。
 カナンは女神様が統治をされているが、各領主はかなりの範囲で自治権を認められている。つまりこの会談は、カナンとザナドゥではなく、東カナンとザナドゥの会談なのだ。ここで調印される内容について、西南北は一切関与しない。あくまで東カナンのみに限られた講和となる」
 イナンナが直接統治している北カナンが結ぶとなれば、それはまた違ってくるが。
「なんと!」
 ヨーゼフは目を瞠った。
「いや、しかし、それでは――」
「もちろんだからといってわたしが独断で調印をするわけではない。女神様へのご報告は会が開催される期間中、欠かさず行うこととしている。
 第一、会談はこの1度で終わるわけではない。今回会期として4日を予定しているが、この4日で調印までこぎつけられるかも現段階では不明だ。
 今日はあくまで互いの条件を出したり質問をするだけで終わると思う。本格的な話し合いは2日後、今日出てきた条件について検討してからだ。東カナンはカナンの一部。カナンに波及する条件が出てくるのは間違いないだろう。そうなれば女神様に裁可をゆだねなければならない。それに、向こうも許可を得るべき魔王がいる。
 まさか、相手の出す条件を丸のみできるとはきみも思ってはいないだろう?」
 バァルの問いかけに、ヨーゼフは不承不承といった様子で頷く。
「……分かりました。率直なご返答をありがとうございます」
 一礼し、一歩退いて去ろうとしたとき。
「あのー」
 脇についていたエリスが声を発した。
「今夜の会談についてなのですが、記録用としてビデオカメラを持ち込んでもよろしいでしょうか」
 またか。
 内心バァルは嘆息をつく。
「機材が自分で用意できれば。そして可視であり、魔神の許可を得られなかった場合は撤去するという条件でよければ、かまわない」
 エリスは少し考えるそぶりを見せた。
「では、速記者と似顔絵描きを同席させるのはどうでしょう?」
「一般人の同席は一切認められない。先だっての南カナンでの戦いで、きみたちもこの戦争の当事者となった。また、カナンの窮地を救ってくれたこともあり、その意味からきみたちコントラクターを招き、特別待遇として同席を許可しているが、これは本来東カナンの機密にあたる会議だ。その重要性を思えば、当然のことと理解してもらえると思うが」
「……はい。申し訳ありません」
 エリスは素直に頭を下げた。
 実をいうと、彼女は詳細な議事録を作成する以外にも、会談の様子を知りたいと希望する者がいればすみやかに情報を入手できるように、新聞形式で印刷してカナン各地に配布するつもりだったのだ。
 こうなれば自分でメモをして、あとで記事にするしかないか、そう思ったときだった。
 表情、視線の流れから彼女の心の動きを読んだように、バァルの眼光が険しさを増した。
「言うまでもないこととは思うが、会談出席者には、当然守秘義務が発生する。記録をとるのはかまわないが、映像、音声、メモに至るまで全てはわれわれ東カナンのチェックを受けたあとでなければ迎賓館より外部へ持ち出すことは許されない。そしてそれぞれにこちらで記録をとらせてもらう。もし会談の内容が外部へ漏洩した場合、だれによるものか即座に突き止めるために」



「――ここまで言わなければならないとは」
 去って行く彼らに、バァルは少しあきれ気味に息をついた。
 こういうことは、彼らであれば当然知っているべきことだとばかり思っていたのだが……。
「まさか、おまえは考えていなかっただろうな?」
 いきなり話を振られ、遙遠は首を振って見せる。
「まさか。記録をとろうなんてこと自体、思いつきもしませんでしたよ」
「そうか。ならいい」
 再び居室へ続く回廊に向かって歩き出そうとし――ふと思いあたって動きを止める。
「ああそうだ。街へ行くときついでに迎賓館へ寄って、さっきのことを徹底してもらうよう、向こうの者たちにも言っておいてくれないか? 念のため、隠しカメラがないか確認してもらっておいてくれ」
「……どうして遙遠が街へ行くんです?」
 よもやそんなことを聞くとは思わなかったと、あきらかに声が驚きをふくんでいた。
「うん? おまえのことだから、てっきりセテカたちと合流して街の警備にあたると思っていたんだが……違うのか?」
 言うにつれ、だんだんと遙遠の目が細く締まり、見るからに不機嫌な表情になっていくことに内心あわてて、最後つけ足す。
「分かりました。迎賓館に伝言ですね。承りましょう。……だけど、遙遠は戻ってきますよ」
 回廊から奥庭に出た遙遠は、氷翼アイシクルエッジを広げて飛び去って行った。
 そのあまりの唐突さに、バァルはあっけにとられてしまう。
「一体どうしたんだ?」
 本気で分からない様子のバァルに、遥遠はやれやれと首を振った。
「遙遠は、会談ではあなたの背後に立つつもりなんです。もしものとき、あなたを守れるように……あなたの盾になりたいと思っているんですよ」
「え? だがそんなことは――」
 当惑するバァル。遥遠の面にやわらかな笑みが浮かぶ。
「ひとがひとを心配する気持ちは、止めようがないんです。バァルさんもそうでしょう?
 それに遙遠は……あなたにもっと頼ってもらいたいんだと思います」
「………」
「ええ。あなたが頼ってはいけないと思っていることも知っています。遙遠はシャンバラ人で、あなたはカナン人。他国の彼を頼りにするのは間違っていると」
「――違う。そんなことは関係ない」
「いいえ。関係あるんです。それは事実ですから。
 いつでもあなたのそばにいて、あなたの力になってあげることはできない。それでも彼は頼りにしてほしいと思う気持ちを捨てられないでしょう。
 あなたは頼りすぎてはいけないと戒め、彼は頼ってほしいと願い……ひとの気持ちって、そういうものじゃないですか。だからこういうときくらい、彼の思うようにさせてやってください」
 ちなみに、今話したことは、彼にはナイショです。でないと、拗ねちゃいますから。
 小さな子どもとする約束のように人差し指を口元に立てて、遥遠は笑った。

*       *       *

 さんさんと陽のあたるバルコニー。その手すりに両肘を預けるようにもたれて、風祭 隼人(かざまつり・はやと)は携帯で話し込んでいた。
 携帯の向こう側にいるのはパートナーの1人、ホウ統 士元(ほうとう・しげん)である。彼は今、北カナンの光の神殿にいた。
「……そうか。イナンナ様は会談のことをすでにご存じだったか」
『ああ。領主から話は聞いているそうだ。東カナンの自治は領主バァルに一任している。報告さえきちんとしてもらえれば、彼の決断に口を挟む気は一切ないとのことだ』
「相手がザナドゥの魔神でもか」
『そうだ。ああ、そういえば、魔神がそっちに入ったことも感知しておられたぞ。だがかなり気配は希薄だそうだ。魔神が入ったようにはとても思えないと。おそらく、なんらかの対策をしているのだろうとおっしゃっていた』
 それは隼人も想定していた。
 魔神たちがイナンナにより守護されている場――自分たちにとって不利な場――での会談に応じたという事は、何らかの手段でイナンナの守護の力を回避する法を用いているということだ。それが何かまでは分からないが、おそらくイナンナの守護結界の中でも普通に力をふるえるはずだ。でなければ最初から応じるはずがない。
「それで、援軍の件だが」
『それもできないそうだ。領主が要請したわけでもなく、実際にアガデが攻められているわけでもない状態で派兵することはできない。北カナンはイナンナ様の守護が第一だからな。ジャタの森にクリフォトが顕現している以上、こちらを手薄にするわけにもいかないだろう。
 それに、地理的にも無理だ。北カナンの神官軍が東カナン首都まで行くには8日近くかかる。ワイバーン隊だけで強行軍を行ったとしても3〜4日。とても即戦力とはならないな』
「そうか……」
 3日。
 外壁の向こう側から攻められるならともかく、内側に入られた状態で3日も交戦すれば、この都は焼け野原だ。
 結界は破られる。隼人は確信めいた思いでそう考えていた。
 魔神がどういう方法を用いるかまでは分からない。分からない以上、防ぐのは無理だ。人手も時間も足りない。
 とすれば、今ある結界は破られることを前提とし、策を立てなければならない。破られたあと、すぐに新たな結界を構築あるいは復旧できるようにしなければ、魔族の襲撃を防ぎきることは不可能だろう。
「アガデの結界を強化することについてはどうだ?」
『提案はしてみた。だがそこまでする余裕はなさそうだ。ただ「もしそういった大事があの地で起きたのであれば、即座に私には感知できます。そのときは、私の力を送りましょう」という言葉はいただけた』
「それはなによりだ。……しかし士元、おまえ女言葉使うと気持ち悪いぞ」
 さっと携帯を耳から離す。案の定、何を言っているかまでは分からないが、向こう側で士元が怒鳴っているのが聞こえてきた。
「ははは。まぁおまえは、戻るなりそこにいるなり好きにしろ。片道4日じゃ、おまえもあてにならないからな」
 ぱちん、と携帯を閉じた隼人は、それでコツコツと額を叩いた。
 彼の目の前には東カナン一と言われる空中庭園が広がっていたが、それが心に届いている様子はない。
 今、彼の心の中は完全に、それ以外のことで占められていた。
「結局、確約がとれたのは再結界のみか」
 状況によっては直接イナンナの指示を仰ぎ、防衛にあたれるかと思ったのだが。まさかここまでカナンの領主自治権が強いとは思ってもみなかった。こうなると、ほぼ全権委任と変わりない。
「まぁ、先のネルガルの反乱での功績も少なからず関係しているんだろうが……」
 愚痴ったところで仕方ない。
 魔神が内側から結界を破り、魔族が侵入したとして、これを撃退するにはほかにどんな策が立てられるか。
 隼人は、もっと建設的なことに意識を集中することにしたのだった。

*       *       *

「それで、ザナドゥの現情勢についてなんだけど。やはり魔王パイモンと四魔将によって全土が統治されているというので間違いはない?」
 空中庭園の一角で、高月 玄秀(たかつき・げんしゅう)は召喚した悪魔式神 広目天王(しきがみ・こうもくてんおう)に問うた。
「はい。それぞれが管轄域を持って、そこに住む魔族を統率しているのです」
 主と定めた玄秀には絶対服従を誓っている広目天王は、彼の足下に片膝・片手をついて恭しく頭を下げている。
「敵対はしていないの? 個と個であれば、相性が合う・合わないというのはあるだろう? 国境付近とか。結構いざこざがありそうな気がするけれど」
「それはザナドゥにはありません。あるのは協力的か非協力的かというだけです。魔族は同族を「敵」とみなす認識が昔からありません。ただし、人間によって、ここにも揺らぎが出てきてしまってはいますが」
「揺らぎ?」
「コントラクターと契約して地上世界を知ることで、そこに住む者たちの認識や価値観に染まった魔族の出現です。別世界に感化されたというべきでしょうか。
 まだ数は少なく、さほど全体に影響は与えてはおりませんが、それにより自分以外の者に不満を持ち、軋轢を生むケースが出始めています」
「なるほど」
 ふむ、と考え込む。
「分かった。ありがとう、広目天王」
 ザナドゥ世界に広がり始めた揺らぎ。これを利用する手はないだろうか。玄秀は思考を巡らせた。