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誰がために百合は咲く 後編

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誰がために百合は咲く 後編

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 時間は遡り、夕方。
 昼食が終わり、シャンパンが供されて船が港を静かに滑り出したころ。午後のお茶が始まるまでの間、賓客と生徒達には休憩時間が与えられた。
 交渉で疲れた彼らはそれぞれの個室にいったん戻り、身支度を整え或いは寛ぎ、また書類の整理をした。
 生徒会選挙に参加する面々も、ただお茶会をサポートしに参加したスタッフも、それぞれ休憩を取ったり、アフタヌーンティに向けて会場のセッティングを静かに始めていた。
 交易の交渉も大まかなところでまとまっており、彼女たちの間にはほっとした空気が流れていた。
 しかし、選挙管理委員会の面々は、これから始まる投票に向けてが本番だ。
 ラズィーヤの執務室では、ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)と現会長の伊藤 春佳、副会長井上 桃子に加え、生徒会選挙の立候補者が集められていた。
 勿論、会長に立候補した革新派のアナスタシア・ヤグディン、守旧派の日高 桜子の姿もある。
 ラズィーヤ達の前に立ち、候補者たちに資料を配り説明しているのは、選挙管理委員会のマリカ・ヘーシンク(まりか・へーしんく)テレサ・カーライル(てれさ・かーらいる)だった。
「百合園女学院での投票日は明日になっていますが、このお茶会参加者については、今夜の下船時点で投票してもらうことになっています。投票所は右隣の部屋を使用します。
 候補者名の印刷された投票用紙があるので、各役職に一名ずつ、これと思う方にマルを付けて投票箱に入れてください。
 自分に入れていただいても勿論構いませんけど……、ここの注意事項にもありますが、他の候補者さん達に自分に入れるように、とか過度なアピールはしないでくださいね」
 隣の部屋には既に、テレサの発案で作られた投票の箱、投票用紙の置かれた机、そして机の間に仕切りが用意されて、きっちり扉に鍵がかけられている。
 選挙の手順を一通り説明し終えて解散になると、マリカたちと数人の候補者はラズィーヤに誘われ、ここで休憩を取ることにした。
「……うん、今のところ問題も起こってないし、候補者さんたちも、スポーツマンシップ……じゃないけど、ルールに則ってるね。やっぱり誰にも恥じない選挙を実現したいもんね」
 マリカは満足そうに頷いた。
 色々と巡らせていた配慮はどうやらいい方向に進んでいるようだ。
 たとえば、実際日本で行われる選挙と違い、投票を時間を船を降りるときと区切ったのは、皆がお茶会のスタッフであること、管理をしやすくすること。それに、お茶会をマリカ達も見て回りたいためだった。不正が起こらないためのパトロール、と言えばいいだろうか。
「勿論、投票そのものに不正不備が起こってはいけませんけれど、それまでの活動にも注意が必要ですものね。それと、スポーツではありませんわ。貴族の嗜みの一環ですわよ、マリカさん?」
 テレサはマリカに同意しつつも、訂正する。
「そうかな? 柔道部的にも、ズルしない無理しない、後輩に強要しない、暴力反対……って、似てると思うけど」
 幼少期から柔道三昧の日々を送っていたマリカにとって、スポーツマンシップは大事な価値観だった。
「お茶会から入るスタイル、ですもの。特に分かりやすい、しごき……なんて、ありませんわ。後で、注意して見て回りましょう」
「そうだね」
 立場的に中立を貫くマリカとテレサは、選挙に置いて誰かを贔屓したりすることはないけれど、誰か……例えば、バックの勢力もあって強気のアナスタシア派閥の人が、財力や言葉や態度で、自分に投票してくれなんて言うこともあるかもしれない。実際に守旧派が気後れしているという事実もあることだし。
 二人は少しばかりのお茶を楽しむと、早速会場の見回りや、選挙管理委員の他のメンバーとの連絡を取りに、ラズィーヤの執務室を出て行った。

 マリカらと入れ違いのように、ラズィーヤとフランセットの前に進み出た人物がいる。
 警備の任を希望したセフィー・グローリィア(せふぃー・ぐろーりぃあ)だった。
「鋼鉄の白狼騎士団総長セフィー・グローリィアです。狼と百合の盟約により、我ら鋼鉄の白狼騎士団がお茶会の警護を務めさせて戴きます」
「狼と百合の盟約……? そのような約束はしたことがありませんけれど、どのような盟約かしら……?」
 聞きなれぬ言葉にラズィーヤが首をかしげた。
「はい。都市国家連合・ヴュルテンベルク連邦共和帝国とヴァイシャリーの防衛契約です」
 セフィーは力強く頷いた。そしてちらり、とアナスタシアと桜子ら、残っている数人の役員候補者たちを見て、心中で呟いた。
(選挙ねぇ。清く、正しく、美しくがもっとうで、苦労を知らず、理想が現実だと思っている様なお高く留まった世間知らずのお嬢様達の誰が会長に成ろうと世界もこの学院も状況は変わらないわよ。
 だから投票はあたし達を少しでも対等に扱ってくれそうな人にするわね。ま、もし俗物なら、選挙まで待たずとも、今ここで潰してやるわ)
「……都市連合国家……それは地球のお話ですの?」
「シャンバラ地方にある都市国家連合。ヒラニプラとヴァイシャリーの間の草原地帯に建国された立憲君主国家──」
「そうか。君はパラミタに来て日が浅いのだな。パートナーからは聞いていないのか?」
 フランセットはカップを置くと、頷いて彼女の説明を訂正した。
「パラミタに於いての『国家』は、国家神と世界樹の二つが揃ってはじめて認められる。世界樹の生えている地域が国家の領土として認められ、世界樹によって確保した領土を統治するのが国家神だ。
 故に、シャンバラにある国家は、シャンバラだけだ。長らく女王不在の時代が続いたため、六首長家が地方を治めているし、各地方で部族が周辺の自治というか──生活をすることはあるが」
 フランセットはセフィーに穏やかに話しかける。
「だから、君がそういうパラミタの定義ではない自分の国をつくる──この場合の“国”の定義は様々だから──のを目指すのも、ある場所に根を下ろしてそこの人々の為に尽くすのは歓迎する。
 だが、それは望んだからと言ってすぐに作れるものではない。これから君が様々な冒険や経験を経て、長期にわたり少しずつ人々の信頼や立場を得ることで、ようやく叶えられるものだ」
 彼女の訂正を聞いて、セフィーは心中で肩をすくめた。
(ま、いいわ。正規軍より活躍して、鋼鉄の白狼騎士団の強さを見せ付けてやるわ)
「では、警備に参りますが、我ら鋼鉄の白狼騎士団を無法な空賊達と一緒にして貰っては困ります。それにプライドや身分で戦いに勝てるなら楽で良いですね」
 彼女はそう言って、外に出た。扉の横では、セフィーのパートナーであるオルフィナ・ランディ(おるふぃな・らんでぃ)が待っていて、甲板で巡回をしつつ会場の警備を行っている。というのは表向きで、ナンパして安心したところを朝まで楽しみ──ついでに候補者たちの内情も聞いておこうという訳だ。
 だが、結果的に二人は、後にやってきた刃魚に苦戦することになってしまう。契約者として得た力。それをどう活かし、どう戦うかは彼女たちの工夫にかかっているのだ。
 だからお嬢様を庇ってのナンパはできなかったし、そもそも交易交渉でおもてなしに腐心する彼女たちをナンパするには、この場所と状況は不向きだったろう。
 また、彼女たちの態度は──彼女たちに選挙の結果はともかく内情について──何かを話してくれそうな、お喋り好きな少女たちの口も閉ざしてしまったのだった。

「プライドや身分ね……地球では耳にタコができる、とか言うんだったか。まぁ、女が軍人をやっていると、時にもっと酷いことも耳にしてきたが」
 セフィーが部屋を出て行ってから、フランセットは苦笑いした。
「彼女は百合園女学院より、シャンバラ教導団に籍を置く方が向いていそうだな」
「そうですわねぇ……私は、百合園には百合園の作法があると思いますわ。そして、白百合会はそれを体現しますわねぇ」
 ラズィーヤと席を共にした神倶鎚 エレン(かぐづち・えれん)は、巡らせていた考えをまとめたようだ。
 エレンは、去ろうとしたところを、お茶一杯をいただくだけの時間を引き止めることに成功した相手──アナスタシアと桜子に目を向けた。
「前へと進む強い意志と行動力のあるアナスタシアさん、内向きながらもしっかりと弱い人のことを思い行動し始めた桜子さん。二人がしっかりと意見をぶつけ合いながらおやりになれば、とても面白い白百合会になるんじゃないかしら」
 にこりと微笑む。
「他に白百合会になぜこうも大きな権限、力が与えられているのか、それがわかるようになりそうな方はおられませんわねぇ」
 年齢も、百合園としてもシャンバラの住民としても。二人より先輩のエレンから見て、二人はまだまだ未熟に思えもする。
 けれど、彼女たちはこの半日で多くの生徒からの助言を受けて変わろうとしていた。
 この台詞で、最後にもうひと押しして、少し頑張って貰おう……というつもりだ。何も二人とも生徒会長に並び立てなくとも。
 意外にも先輩に鼓舞され、続きを聞こうと神妙な顔を見せるアナスタシアと桜子に、エレンの秘書を務めるフィーリア・ウィンクルム(ふぃーりあ・うぃんくるむ)が、言葉を補足した。
「さて。白百合会を頂点とする百合園女学院という構造は、いうなれば社会・国家の縮図じゃのぅ。そこからなにを学び取れるか。そもそもそのことに気づけるかがまず重要かのぅ」
 確かに学校は小さくいつか巣立つ通過点じゃが、と、フィーリアは言った。
 いや、普通の地球の学校というものが、ドラゴニュートの彼女には実体験としてないが、本で読んだところ生徒会としてもあまり活動しないで済むような学校もあるらしいのだ。
「学校というのはいうなれば社会というもののシュミレーターでもあるからのぅ。学校の中でのことならば、失敗をしてもまだ本当の意味では取り返しのつかぬということはない。
 もっともこの百合園は社会の中での存在が大きいからのぅ。それを左右する力というのは、それなりに大きな結果につながるゆえ、そのことは認識し覚悟せねばならぬのぅ」
「勿論ですわ。白百合会は一般の教師よりも多大な権限を与えられているのですもの、それだけの責任に自覚が必要ですわね」
「何を学び取るかという点は、役員だけでなく、学生の一人一人にとっても大切なこと問題ですね」
 アナスタシアと桜子が、それぞれの考えを口にする。
「ところで〜、今回〜お集まりになられた〜お客様がたには〜百合園女学院に〜お嬢さまがたを〜おあずけになられることを〜ご希望になられる方は〜おられるのかしら〜」
 エレンそっくりの顔立ちの魔鎧エレア・エイリアス(えれあ・えいりあす)が、のんびりと口を挟んだ。
「そういったお話は伺っていませんわ」
 ラズィーヤが答える。
 帝国商人アダモフの娘はもう学校に通う年齢ではないし、ハーララの一人娘ヤーナも、部族のことで精一杯で、今は考えていないだろう。
「そうですの〜。いろんな方が〜百合園でお学びになられたことを〜もっとたくさんの方に〜お伝えになっていかれれば〜素敵なことだと〜思いますわ〜。
 それに〜、百合園で〜様々な出会いや〜つながりをもたれれば〜、そのつながりが〜何かお困りになったときや〜お話しをなさりたいときなどに〜きっとお役に立つことでしょうねぇ〜」
 百合園に集っている人物の多くは良家のお嬢様である。各方面に影響力のある人物も少なくない。現生徒会役員の実家も何れ劣らぬ名家であり、日本の政界や経済界に対して少なからず関わりがあった。
 百合園に入るということは、たとえ一般家庭の娘であっても彼女たちに関わる機会ができるということだ。
「いうなれば〜、ひとつの〜、社交界と〜いえますわね〜」
 アトラ・テュランヌス(あとら・てゅらんぬす)が、社会勉強のおさらいをするように真面目にフィーリアの言葉をまとめた。
「百合園で学ばれたことは卒業した方がお国や実家に帰られたら、そしてどこかの家に入られたら、そこで学ばれた思想や考え方というものがまわりの方に語られたり広げられていくわけですね」
 ラズィーヤはアトラに微笑して、それから意味ありげにアナスタシアを見た。彼女が帝国出身だったからだろう。
「あら、私はまだ国に帰るつもりはありませんわよ。きっと会長になりますわ」
「ヴァイシャリーで素敵な殿方でも見付けて、ずっといらしていただいても構いませんのよ」
 ラズィーヤは彼女がシャンバラ寄りになるにせよ、帝国の思想を持ち続けながら生徒会長として百合園を導きかつ裏切る立場になるにせよ、おそらく、掌で転がす自信はあるのだろう。それは、何となれば染める自信もあるということだった。
「最近はパラミタで結婚される地球の学生も多いですからね」
 春佳が言うと、桜子は憧れの先輩の言葉に、余計に感慨深そうだった。
「そうですね、そうやって少しずつ少しずつ、交流が実を結んでいくのですね。……あ、そろそろ戻らないと。皆さんをお待たせしていますので……」
 先程まで休憩用のカフェにいた二人は、選挙の説明を受けるために一旦戻ってきたのだ。まだあちらには、自分たちと話したいと言ってくれた人たちが待っている。
「あら、そうでしたわね。──それでは皆様、ごきげんよう」
「失礼いたします」
 二人は丁寧にそれぞれお辞儀をして、部屋を出て行った。

 そして最後に。
「ラズィーヤ様」
 あくまでも静かに──けれど、ばん、と効果音でも付きそうな意気込みで、ラズィーヤに尋ねてきたのは高務 野々(たかつかさ・のの)だった。
「私、お茶会で小耳に挟みました──ヴァイシャリーのメイドが、対外的に評価されているって」
「ええ、そうですけど……どうなさったの?」
「ですので、メイドを売り込んでみます。というか、売り込むための方案を考えてみました!」
「……高務さん?」
 ラズィーヤは普段とは違う野々の様子に、若干たじろいだ。
「技術が対外的に評価されているということは、中途半端なものではヴァイシャリーの名を汚すことになります。そこで輸出するための方案として免許制と養成校の設立を進言します」
 まるで水を得た魚のように、野々は話し始めた。いや、普段でもメイドのことならいくらでも語れるのだが、黙っているのだ。仕事中無暗にお喋りをしないのが、メイドだから。
「まず免許があれば地位と職の安定も図れます。ワインのラベルみたいなもので使用人としての『品質』を示すことができます。
 ただ、これまで使用人をしてきた方には若干窮屈な制度になりますので、最初期は『外に広める時の証』としての制度とします。浸透するまではヴァイシャリー内ならば免許なしにしても問題はありません。本来必要ないものですし。単に紛い物によって価値を落とされるのを防ぐ措置です」
「ええ」
「また、技術を持つものを放出していくことになるので、絶対数がたりなくなります。外部から人材を取り込む必要も出てくるでしょう。
 なので使用人としての技術を学ぶための専門機関、養成校が必要となると思われます。百合園に設立するのもありですが、執事を目指す男性の方も受け入れられるように」
 言うだけ言ってすっきりしたような顔で、野々は頭を下げた。
「コストは考えていないので絵に描いた餅ですが、ご一考頂ければ幸いです。……メイドが評価されてると聞いてつい暴走してしまいました。申し訳ありません」
 ラズィーヤは彼女の後ろ頭を見ていたが、彼女が顔をあげた時、残念そうに微笑んだ。
「……そうですわねぇ。将来的には考えないでもないですけど……現状は考えていませんわ」
「そ、そうですか……がくり」
「お気持ちはよく分かりますわ。でも、評価されている、と言っても、人的な輸出をするのはまだまだ先だと思いますのよ。それに品質保証でしたら、よくあるように、その家の主人が紹介状を書けばいいことですもの」
 春佳がラズィーヤの言葉をフォローした。
「百合園の皆さんについては、この学校出身であることが、その証明になるかと思います。お望みのような専門的な学校ではないですけれど」
「いえ、……売り込みは別の方法を考えてみます」
「そうしていただけると嬉しいですわ。わたくしは、このお茶会のような機会に、お客様に上手に接していただければ、それだけでも十分に売り込みになると思ってますのよ」
「はい」
 野々は今度こそ真顔に戻って、メイドらしく頭を下げ──そしてメイドの顔で、会場へと戻っていった。