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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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 部屋の外、扉の前でリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)は部屋の中の様子をひたすらに伺っている。
「狐樹廊……あんたの所為で兎に角出辛いんですけど」
「おや、手前は何もしていませんよ」
 どうやらリカイン、ウォウルの身を案じてきたらしいが、どうにも出るタイミングを失ったらし。隣にいる狐樹廊は別段面白そうでも、申し訳なさそうでもなくただただ佇んでいるだけだった。
「それに手前としては、あの男にさほどの興もありませんよ。あの男がどうなるとも、事実物事が太平となるのであればそれもまた選ぶべき物、ですから」
「……はぁ、そんな事だと友達増えないわよ」
「結構で」
「あぁそう」
 頭を抱えるリカインに対し、しらっとしている狐樹廊は、しかし何かを感じるらしくちらちらと天井を仰いでいた。
「どうすんのよ。あぁ、でもまさか此処まで来て何もせずに帰る、なんてのも違う気がするし……あぁ、どうしよ」
「なら入ればよろしかろう。手前の事など気にせずに」
「私はあなたのパートナーなんだから、そうも言ってらんないの。あぁ、なんかおでん食べてるしー。私も混ざりたいなぁ……」
 ため息の種は尽きず、彼女は何度もため息をつく。それには狐樹廊自身もほとほと困り果てたのか、隣の彼女にため息をついた。
「なんだって人間は、そこまで面倒な生き物なのでしょうね。手前にはわかり兼ねます」
「おーう、何をそんなとこぉでへたれよるんじゃあーい」
 二人に声をかけてきたのは、剣崎 士狼(けんざき・しろう)。その後ろには彼のパートナーであるアザレア・パルテノン(あざれあ・ぱるてのん)郭嘉 奉考(かくか・ほうこう)の姿もある。
「あんたらぁもウォウルの見舞いに来たんじゃろ? じゃったら中に入れば良いろ」
「士狼さん、なんだかわけありみたいだからそんなに簡単に済んでないんだと思いますよ?」
「全くだ。何も皆がお前の様に振る舞える訳ではない」
「そうかぁ……何じゃあ、めんどいのぉ。そうじゃ、なら俺等と一緒に入ればいいじゃろ!」
 二人に近付いてきた士狼は、そのまま二人の肩をがっちり組むと、部屋の扉を開けて中に入って行った。
「おーう、見舞いにきたんじゃがぁ……っと、そういやあんたらぁ、なんて名前じゃったけ?」
「おや? いらっしゃい。大丈夫ですよ、名前は存じ上げてますから」
「士狼、そんな乱暴な部屋の入り方があるかっ!」
「うるっさいのぉ……別に誰がどう部屋に入ろうが構わんじゃろー……」
「こんにちは、皆さん。うわぁ、美味しそうな匂い! おでんですかぁ」
「そそ、おでん。さみーじゃん、最近。だからおでん!」
「おでん!」
 皐月が鍋の中のおでんを箸で拾い上げながらそう言うと、隣で紙の皿を持っているプレシアも彼に倣ってそう声を上げた。
「プレシアちゃん、あんまり大声出したら駄目よ、一応此処病院だしね……」
「一応、って今言い切ったわね。一応じゃなくて此処病院なんだけど……」
「あ、あはは………」
 そのままがつがつとリカインと狐樹廊の肩を抱えたままに士狼がウォウルの横までやってくると、二人の肩を離した。
「ほれ、部屋の前で困っちょったのがいたから、連れてきた」
「や、やぁ。ウォウルさん。お体の具合はその……どうかなぁ、って。あは、あははは……」
 不自然な笑みを浮かべる彼女は、そう笑顔を引き攣らせながらに尋ねる。
「えぇ、随分と良くなり……ましたよ?」
「ウォウル様。何故今私の方を見ながら仰ったんですの?」
 にっこりと笑みを浮かべる綾瀬に肩を落とすウォウル。
「今度はどんな災厄をまき散らすつもりですか。貴方は」
「……そうですねぇ、何にしましょうかね」
 狐樹廊にしてみれば、それは嫌味の類でもなく、ただただ本心を述べたまでである。無論、ウォウル自身もそれをなんとなく知っているからこそ、別段顔色を変えるでも、声色が変わるでもなく返事を返す。
「ただ、まぁ何かしらは感じて、いるんでしょう?」
「うん、私も感じます。こう……なんていうか、嫌な感じ、としか言えませんけど」
「それでも充分ですよ」
「んでな、気になるからそれを見に行こうと思うとるんじゃ。あぁ、お前は気に掛けんでえぇし、無理したあわんよ?」
「えぇ、動けそうも、ないですしね」
 ウォウルが目配せをした数人がにんまりと笑う。おそらく彼が無理をしようとすれば、それこそ彼の身に不幸が訪れても仕方がない、と言う状況。
「あはは……なんだか一緒、この部屋その物が結界みたいになってますよね。普通偉い人でもなかなかこれだけの数のコントラクターさん達が護衛に着く事、ありませんよね?」
「あぁ、そうだな。ウォウルはそう考えると、どれだけ大事にされているかがわかる」
 アザレアと奉考は頷きながら部屋を見回す。
「ま、兎に角そんなんじゃから。俺等ぁはこの辺で一旦失礼するき。はよう養生せー」
「また暫くしたら顔出しに来ますんで」
 踵を返し、部屋を後にする士狼と彼に続いて部屋を去って行くアザレアと奉考。その姿を、ただただ全員が沈黙のままに見送った。



     ◆

 時刻は戻って朝。微睡の中にいたハツネは、目を擦りながら体を起こす。
「……朝なの」
「うふふふぅ……そんなの一人でなんて、無理ッスよぉ……困っちゃうなぁ……」
 彼女の隣に眠いっている春華が、寝返りを打ちながら涎を拭いていた。その様子を見た初音は一度、大きく伸びをして立ち上がると、自分の目線と同じ程度に上り始めている太陽に目をやる。
「…………」
「おう、起きたか。うし、んじゃあ春華も起こしてやれ。そろそろ動くぞ」
「………わかったの」
 ただもう少しだけ、と、ハツネは目の前の太陽をまぶしそうに見やっている。彼女は一体、何を考えているのだろう。彼女は一体、何を思っているのだろう。その答えは、彼女以外に知る由はない。暫くそんな光景が続き、しかし彼女はふと太陽に背を向けると、今まで自分の隣で眠いっていた春華を起こし始めた。
「春華、起きるの。もう朝なの」
「くひひひ………まぁまぁ、そこまで言われたらしょうがないッスねぇ……」
「しょうがないじゃないの。涎も拭くの……一体なんの夢を見てるか、わかったもんじゃないの」
 『しょうがない』。それは、ハツネに向けられたものではない。あくまでもそれは寝言であり、そして二人の、一見すると会話に聞こえるそのやり取りは、しかして会話になっていなかった。
「ほら、いい加減起きないと、もうそのままずっと眠って貰うことになるの」
 にんまりと真っ黒な笑みをこぼしながら、彼女は手にダガーを握り、春華の頬をダガーの腹でぺちぺちと叩き始めた。
「っ……? つ、冷たっ! てか痛い!? 何? えぇ!? ちょ、えぇ!? チュイン、朝っぱらから何してんスか!? いきなり? いきなりのそれなんスか!?」
「やっと起きたの。なかなか起きてくれないから、そのまま起きれなくしちゃおうかと思ったの」
「思ったの、じゃないッスよ! 冗談じゃないッス! ただでさえキョンシーなんスから、これ以上起きれないとか、もう体バラバラ以外思いつかないじゃないッスか!」
 慌てて体を起こした春華はハツネから少し距離を置くと、肩で息を整える。
「あなたたちはよくも飽きずに遊べますね。朝だっていうのに元気ですよ……元気すぎます」
「ハツネは別に元気じゃないの。ただ春華があんまりに起きないものだから、ちょっと悪戯したくなっちゃっただけなの」
「悪戯の範囲を大きく逸れてますよ」
 二人が騒いでいるのに気付いた葛葉が呆れ顔でやってくると、二人はそう反応をする。
「兎に角、俺たちはここにある陣を守りさえすれば勝ち。報酬を得るってわけだ。それに、昨日の夜からここで様子見てたが、誰もきやしねぇ。もしかしたら、もうすでに誰もいない、なんてこともあるかもしれねぇが、しかしそれは俺たちの仕事にゃ含まれていない。とは言え、俺たちは陣の防衛に備える必要があんだ。だからハツネ、春華、飯食ってそれなりに準備できたらもう一回陽動で動いてくれ」
「でも、だったらここで一気に食い止めたほうが良いんじゃないですか? 敵が残っているのならば此処で全員で攻撃し、此処で退ければそれで済むはずですよ?」
「確かにそりゃあ一理あるが、だけど言い換えればそうなりゃ俺たちゃ背水の陣ってこった。余裕がなくなりゃあ確かに奮起はするかもしれねぇがよ、これは死合いの類じゃあねぇ。あくまで仕事、ビジネスだ。依頼人あっての俺たちだろ? 失敗しちまったら元も子もねぇんだよ」
 鍬次郎ははっきりと『仕事』、そう呟いた。
「(仕事、に依頼人、ですか。朝っぱらから全く穏やかじゃあない)……でも、この陣を守るのと、陽動行動を遂行するのと何の関係があるんです? それこそ、誰も近寄ってこなければそれはそれで好都合。わざわざここですよって、位置を知らせる事になっちゃいそうですけど」
 彼の言葉に何か引っかかる部分を感じたのか、来栖はそう言って目深に被っていたフードを更に押し下げる。
「いや、そうだな。まぁでも、此処に何かがあるのは、どうやらもうバレちまってるらしくな、だったらこっちから先手を打たせて貰うのよ」
 恐らくは結構な人数がこの屋上に上がってくるだろう。と、付け加えて鍬次郎が来栖に返事を返す。
「そうですか。まぁ、細かな方針はお任せしますよ(後は貴方達の出方次第、ってところでしょうかね)」
 彼の言葉に従って、のんびりと朝食を取るハツネ、何やら頬を膨らませながらに彼女の隣で体育座りをしている春華。陣の近くで葛葉と何やら相談をしている鍬次郎。四人を見ながらにひとりで思考を巡らせる来栖は、ただただ口を閉ざす事にした。