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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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 彼女の登場で空気が一変したのか、将又それを強いられたのか、その実定かではないが、確定的に言える事は、彼女の登場で随分と空気が軽くなった事が上げられる。ウォウルを交え、一同は何とか足りないパイプ椅子を集めて座り、または壁に凭れ掛かり、例えばパートナーに座ってみたりする面々は、楽しく雑談などを楽しんでいた。ある一人を除いては――。

「なぁウォウル」

 それはそれは小さな声で、彼はそう切り出した。

「なんですか?静華さん」
「敢えてツッコまんぞ? てか寧ろそれにツッコんだら負けだろ。って、そうじゃなくて」
「あぁ、ごめんなさいね」
 静麻は、決してその場の誰にも聞かれぬ様に声を絞って、ウォウルへと言葉を掛けた。
「あれ、まだ終わってねぇんだろ。俺は勝手にそう考えているんだが」
「どうでしょうね。ただ、その可能性は極めて高い。ラナの暴走、なんだか昨夜から消えない違和感。どれをとっても偶然ではないと思います」
「それで? あんたはどこまでを知ってんだ?」
「どこまで、ですか……」
「具体的には、あの暴走の原因、もしくは多重人格の様になっている原因。またその対処法などだな」
 いつの間にやら、ダリルとルカルカもその話に混ざっていた。
「暴走の原因については、今は何とも。多重人格の様になっている原因については、僕の口からは言えません。対処法は簡単ですよ。ラナロック、その人を、前回の様に完全に戦闘不能に持ち込む事、それのみです」
「そんな事はありえんだろ。もっと医療等でだな……」
「恐らくは無理ですよ。誰しも、生得的な物は変える事などできない。事実は事実でしかありえないんですよ。欠損部分補えるかもしれない、遅滞部位については成長を促せるかもしれない。技術が進めば恐らく、それは可能ですよね。でも、これは、こればかりは変えられない。僕も、皆さんも……全ての存在は――そこに『IF』はないんですよ。僕は生まれた時から僕と言う存在であり、貴方は生まれながらに貴方だ。人生において転換期があったとしても、人生において価値観の変異があったとしても、そればかりは決して歪められない。彼女のそれは、こういう類の話になってしまいますから」
「……個人におけるパーソナル。変異や改竄、変更の利かない規定、と?」
「まさしく」
 真剣なダリルに、ウォウルは何のこともないと言った風に返事を返す。
「なんだか寂しいよね、それって」
「全く話が読めんが、様は俺たちがどうこう出来る話ではない、と?」
 ルカルカは心の底から寂しそうな表情を浮かべ、静麻は努めて平常心のままに尋ねる。
「いえ。皆さんが彼女と接していってもらう事。それが彼女の救いになるんですよ。救いようのない存在の、唯一の救いになるんでしょうね」
 静麻はふぅん、と返事を返した。自分たちにやる事があるのだとすれば、それは全身全霊でも持って、この話を解決した後に見えてくるのだろう。三人はそう理解する。ウォウルの言葉の裏の裏。その意味を探りながら――

素直に返事を返さない、眼鏡の君をみやりながらに。



     ◆

 彼等のいる病院の近くには、何とも自然豊かな公園がある。入院患者は勿論の事、周辺住民が憩いの場として利用するこの公園に、二人の青年の姿があった。ベンチに腰を降ろし、真剣な顔をしている二人の青年。高峰 雫澄(たかみね・なすみ)と、永井 託(ながい・たく)。二人は別段、何かに夢中になって話しているわけではない。互いに肩を並べ、何を述べるでもなくただただ公園を、人々を眺めていた。と、そこで声がする。

「やっぱり、帰ろうかな」

 が、返事はない。
「駄目だよね。なんだか少し、複雑な気分のままでさ」
 やはり返事はなく
「もっとちゃんと、気持ちの整理を着けなきゃいけない気がするんだ」
 高峰 雫澄は返事をしない。
「……………」
 故に託は立ち上がった。帰ろうと、席を立った。そこで漸く、声がした。
「良いんじゃないのかな」
「…………」
「そこまで悩む必要、ないと思うんだ。確かに託君、同じ目線に居ない僕が言うのはあれかもしれないけど、そしてどんな形であれ、辛いのだろうけど、でも、良いと思うんだ」
 託の動きは止まったまま。雫澄とて、特別な動きを見せているわけではない。
「僕も嫌だよ。仲の良い人が傷つくなんて、見たくもない。大っ嫌いだよ」
「………」
「でもね、そうじゃないんじゃないかな」
「…………」
 託はそこで、力なくベンチに腰かけた。その青年の隣に座り、虚空を見つめる。隣にいる青年は、「おかえり」と、優しい笑顔を託に向け、彼と同じ方を向く。
雫澄は、託と同じ方を見て、何とか見ようと努力して、笑顔のままに言葉を紡ぐ。
「僕はその、『ウォウル』って人じゃないし、『ラナさん』って人でもないから何とも言えない。言えないけど、でもね。僕にわかる事があるんだ」
「……わかる事」
「託君、月並みな事言うかもしれないけど、でも、本当にそう思うから聞いて。僕はね、託君だから出来たんじゃないかなって、そう思う。事実はわからないけど」
「…………」
「皆持ってるんだよね、きっと。それぞれ皆、自分にしかできない事って言うの」
「……うん、それは――わかるよ」
「傷つけたくないならきっと、それは……全体で見れば正解だけど――」
「僕で見れば、不正解……」
「うん。そうだと思う。誰もが頷く正解は、世の中にはないんじゃなかな。誰かが首を傾げても、それが正解になる事もある。託君はそれを知っているから、傷つけたくないんじゃないの?」
 それはある種、出口のない迷路だ。それはどこまでも、光の見えないトンネルだ。そしてそれは――人類の最大の叡智にして、最大の愚問なのだろう。
「うーん、なんだかうまく伝えられないんだけど……兎に角さ、まずは本人の言葉をきいてみない? って事。託君が不正解である以上、妥協しなきゃとは思わない。寧ろ貫くべき事だと思うんだ。その上で、ならば本位を聞いてみたい、そうじゃないかな」
「ウォウルさんの……?」
 首を傾げ、雫澄の方へと漸く目を向けた彼の目に、更に人影が姿を現した。
瀬道 聖(せどう・ひじり)幾嶋 璃央(いくしま・りお)と共に歩く、柊 真司(ひいらぎ・しんじ)
「あれ、何やってんだい? こんなとこで。二人とも、先輩のお見舞いじゃあないのか?」
「ね、ねぇ聖……! ちょっとは声掛ける空気とか考えた方が……」
「よう、その……あれだな、お互いなんというか、その」
 雫澄、託の前までやってきた三人は、そう言いながらそこで足を止める。
「真司君はその……気まずいとかって、思ってるのかな? ウォウルさんと顔を合わせるの」
 託が恐る恐る尋ねたのに対し、真司は困った様な表情を浮かべてから、少しの間を持たせて返事を返す。どうやら言葉を懸命に組み立てていた様で、探り探りに口を開いた。
「なんだろうな、……俺はさ、特に親しかったって訳でもなくて、まぁその、巻き込まれた形ではあったんだけどな? それでも、俺が出来る事をやった、ってそれだけだ」
 意外にも簡素な、案外に完全な答えを前に、託は言葉を失った。
「良くさ、小さい頃に近所の連中と喧嘩とかさ、そう言うのって案外『ごめん』とかって言えば仲直りできんだろ? でもそれって、気が知れてるから出来る事なんだと思うぞ? 相手傷つける言葉とか、実際怪我させたりするけど、ごめんって言って、それで笑えば自然と仲直り、出来ると思ってる」
 仲が良いから許される事。仲が良くなければできない事。それは必ず存在する。
「あぁ、わかるねぇ。実際こっち来てからも案外『昨日の敵は今日の友』みたいな雰囲気あるしなぁ……」
「あるかなぁ……」
 聖の言葉に璃央が首を傾げるが、それはそれで、三人にしてみればどこかしら、心当たりはあるらしい。
「悪ぃ、って一言で済む事、案外にも多いもんだよなぁ。俺は最近、それをすっごい感じるんだよねぇ。ま、中には無理な事も当然ある訳、だけどさ」
 笑いながらそう続ける聖の言葉に、託は沈黙したまま考える。と、そこで更に声がした。
「あら? 皆様お揃いで如何しましたの?」
 晴れ渡る公園内。全力でそれを嫌悪している様な出で立ちで、漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)を纏った中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)が日傘を差しながらに歩み寄ってくる。
「………いや」
「これから先輩のところにお見舞いに、ねぇ。そちらさんも?」
「えぇ、向かっていた所ですわ」
「ってか、凄いね……。完全武装、紫外線完全カット! みたいな恰好」
「やはりどうも日光は、ねぇ」
 上品に笑いながら、しかし彼女は託、真司の方へと顔を向ける。閉ざされた両の眼を向けるかの様に。
「成る程、そう言う事でしたのね」
 合点が言ったのか、彼女はそう呟いた。
「あぁ、そうだ。思い出した。あんた俺たちに伝言しただろ? あの時。って事は知ってるんじゃないのか? どういう理由で俺たちだったのか。何故俺たちが選ばれたのか」
 ふと、そんな事を思い出した真司が綾瀬に尋ねる。無論、その場を見ていた三人や、託から粗方の話を聞いていた雫澄は彼女の答えを待った。
「さぁ、どうでしてでしたかしら」
「……人が真剣に悩んでるんだぞ? そんな事隠す必要が――」
「ならば」
 どうやらその返答が気に食わなかったのか、真司が食って掛かる。が、彼の言葉を綾瀬は遮り、言葉を続ける。涼しげなままに。
「本人にお聴きくださいませ。私はその言葉を持ちませんのよ。確かに伺いましたが、それは彼の言葉ですわ。私の言葉ではありません」
「……何が言いたいんだい? お姉さん」
「真意を聞くのであれば本人に聞くのが筋、と言う事ですわ。誰かが勝手に介入していい問題ではないでしょうし、誰かに勝手に話を飛躍させられる事を、恐らく彼は良しとしませんもの」
 含みを持たせ、彼女は笑う。と、託は突然ベンチを立った。
「……やっぱり、そうなるよね」
「託君」
 心配そうに見上げる雫澄も、彼と同じく席を立つ。
「しっかり話して貰えば良いんじゃねぇのか? 俺も正直、気にならないと言えば嘘になるしな」
 真司もそう言うと、一同は病院へと向かった。その心中は、様々なままに。