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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

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過去という名の鎖を断って ―愚ヵ歌―

リアクション

     ◆

 ウォウルの病室では、何気ない話が繰り広げられていた。例えばそれはそう――こんな感じ。
「ねぇ、ウォウル君。君さぁ、入院中って結構手持無沙汰、だよねぇ」
「え? えぇ、まぁそうですね。でもまぁ、本がまとめて読めるので退屈はしてないですよ。皆さんもこうやって来てくれますしね」
「おい、章。何考えてんだ?」
「ふっふっふ、樹ちゃんには関係ないよ。どうせ言ったってわかりゃあしないんだから。それよりどうだろうウォウル君。君に僕のこの愛読書、『楽しく学ぼう! 保健体育(改訂版)』を是非読んでもらいたいんだけどね? どうだろう」
「ちょ、ちょっと真人!」
「イタタっ! 痛い! 痛いですって! 何で俺をぶつんですかセルファ……」
「ね、ねぇルイ……保健体育って、何?」
「ちょ!? その質問来ますか!? まさかのっ!?」
「何それ! 面白いの!?」
「こらレキぃ! 駄目ですって、駄目ですからぁ!」
「ちょっとカムイ、服伸びちゃうから引っ張んないでよー!」
「うっ……! おうるしゃん、これ、いんごれすか!?」
「うん? あぁ、林檎だねぇ。ルイさんが持ってきてくれたみたいだけど……食べたいのかい?」
「……う?」
「ルイさん、林檎、コタローさんに食べさせてあげてもよろしいですか?」
「大丈夫ですよ、それはウォウルさん、貴方に持ってきたものですから、私に聞かなくても大丈夫ですよぉ! 律儀ですねぇ! はっはっは!」
 と、まぁ、こんな感じである。
「ねぇ、さっきのあの『すいません、ちょっとシリアスなんで空気呼んでくださいオーラ』は結局なんだったのよ」
 そんな事を尋ねる明子に、静麻と唯斗が説明を始める。
「うわぁ、重たい……良かったわぁ、そんなとこいなくて」
「ま、まぁ……そうですね」
「全力でその空気を壊してたけどな」
「まぁね。そのくらい私に掛かれば朝飯前よ。さすがに最初からその場にいたら、ちょっと不味かったかもしれないけど」
 それぞれがそれぞれの会話をしている病室内に、新たな来客が来たのはその時だった。
「お邪魔しまーす」
 聖と璃央が扉を開け、元気よく病室内に入ってくる。
「うわぁ……人がいっぱい。ってか、地味に病室が広いわね」
「ほんとだなぁ……普通個室ってだけで金かかんだろ? 良いなぁ、先輩金持ちで。なんなら俺にも儲け話の一つや二つ分けてくれても良いんじゃないの?」
 言いながら入ってくる二人は、一同に挨拶を交わしながらウォウルの近くへとやってくる。その後ろから、にこにこと笑顔を浮かべる綾瀬と、どうにも気分が重そうな託、それを不安そうに見守る雫澄と、何やら天井を見上げている真司が続いて入ってきた。
「はい、先輩。これお見舞いだよ」
「私もね、クッキー焼いてきたんです、先輩に! 良かったらこれ食べて元気になってくださいね! ちょっと時間がなくて上手く作れたかわからないんですけど……お口に合えば……」
「二人とも、ありがとうございます。賑わってますからねぇ、気楽に過ごしてください」
 ウォウルが二人から何やら受け取る。聖が持ってきたのは、綺麗に包装されているチョコレート。そして璃央が持ってきたものは――
「ほう、クッキーですか。しかし、虹色に光っているクッキーは初めてですよ。さっそく頂いてみましょうかね」
 『虹色のクッキー』。その単語を聞いて、一同の会話が停止する。
「ねぇ、クッキーって虹色になるの?」
「……知らん。何故俺にそれを聞く」
 ルカルカの質問に対し、やや困った様に返事を返すダリル。が、つっけんどんな態度とは裏腹に、どうやら彼としても、虹色のクッキーが多少なりとも気になっている様子だ。
無論、その場にいる全員が固唾を呑んでウォウルを見やる。
「では、おひとついただいて……うん! これはまた、何とも不思議な味がしますが美味しいですねぇ!」
「わぁ、良かったぁ!」
「えぇぇぇぇぇぇっ!? うっそだぁ! 先輩、無理はしない方がいいぜぇ……見るからにその……」
「聖“君”? 『見るからにその……』何かしら?」
 思わず叫び声にも似た驚嘆を上げる聖に、璃央が笑顔でにじり寄る。笑顔ではいるが、眉がぴくぴくと動いているのはご愛嬌。
「ね、ねぇ。ウォウルさん。それ一個貰っても……」
「良いですよ?」
 レキが恐る恐るそれを受け取ると、まじまじとクッキーの表面を見つめる。
「ほ、本当だ。虹色のクッキーだ……」
 感想も程ほどに、彼女はそれを口の中に頬張る。よく噛んで――
「っひぃ!?」
 徐々に顔が青くなっていくレキ。隣にいたエヴァルト、カムイがおろおろしながらレキの様子を伺っている。
「ど、どうしたんですかレキ!?」
「大丈夫かっ!?」
「寒いっ! 寒いよっ! え、なにこれ!?」
「ひ、酷いですよ! 私が作ったクッキー、そんなにいう事……」
 レキのリアクションを見て頬を膨らませる璃央も、ウォウルからクッキーを貰って口の中に放り込んだ。よく噛み始める彼女はしかし。
「ぅあああああああっ!? 誰!? 私のクッキーに毒を盛ったのは誰なのっ!?」
 焦点が合っていない瞳で、突然に病室内を見回す璃央。どうやら彼女にしか見えない者が見え始めたらし。
「いや、自分がそうなる物を人に食べさせるのってどうかと思いますけど……」
 真人が苦笑しながら、徐にウォウルから距離を取る。セルファもそれには驚いたらしく、たじろぎながら璃央から離れた。
「落ち着いて下さい! まずはお・か・し・もっ! ですよ、皆さん!」
 その光景を見ていたルイは、あたふたしながら頭を抱え、体制を低く取って叫ぶ。
「んー? そんなにおいしくないですかねぇ、僕は美味しいと思うんですけど」
「ウォウル先輩、恐らくあんたがおかしいんだよねぇ、わかる?」
「いいえ? 全く」
 にこやかにぱくぱくと手にする袋から璃央の作った虹色クッキーを頬張るウォウル。と、託が突然彼に近付いてくる。その顔は神妙なもの、それのみ。
「ウォウルさん、その、ちょっと聞かせて欲しい事があるんだよ」
「おや、どうしました?」
「何で俺たちに、あんたのパートナーを止めさせた?」
 託と共にやってきていた真司が彼の言葉に続けて尋ねた。
「あぁ……その事ですか」
 申し訳なさそうに顔を曇らせ、ウォウルは暫くの沈黙の後に口を開く。
「そうですね。言い訳になる事は、仕方がないですよね」
「それを言い訳としてきくか否かは、僕の判断に任せてくれると嬉しいな。兎に角正直に、それだけは聞いておきたいし、寧ろ聞く権利があるんだと思う」
 その言葉は強い。重い覚悟があって、そしてそれを誰もが気付いていた。
「樹ちゃん、彼、少し警戒しておいた方が良いかな」
「いや、あいつはそんなに悪い奴じゃない。だから良いよ、警戒なんかしなくて」
 章の申し出に異論を唱え、樹はそう言って託を見やる。
「たくにーに、きょうちょっろ、こわいろ」
「うん、あいつはあいつで、きっと何かあったんだろうさ。コタロー、そこらへんは少し、あいつの気持ちも汲んでやろうじゃないか」
「あ……あい」
 やや託たちの雰囲気に驚きながら、コタローが樹の頭に隠れて託を見ていた。
「まず着目したのは、託君、君に出来るか出来ないか。でした。正直、貴方の性格からすればとてもではないけどあの状況を断っていたでしょう。でも、貴方は引き受けた。引き受けざるを得なかった。もしもあなたの思いが完全に届いたのであれば、それは代わりの人がやるのではなく、ラナロックを誰かが殺さなくてはならなかった、と言う事です」
 淡々と、物騒な発言をするウォウル。が、表情は別段かわる事もない。
「へぇ、パートナーの生き死に、パートナーロストを平然と容認する、ですか」
 彼のその様子に、唯斗はただ黙ったまま、恐らく独り言の類の事を口にした。
「貴方はと真司君。貴方たちであるなら、きっと、恐らくはラナを殺す事無く捕まえる事が出来るのではないか。まずはそう思いました」
「それはみんなにも出来る事、でしょ?」
「えぇ、確かに出来るでしょう。出来るでしょうが、ならば貴方ほどに知り合いが死ぬことに嫌悪を抱く人もいない。それから真司君。貴方の持っていた武器は彼女を的確に、なおかつ外傷を最低限度に抑えた状態で鎮圧することが可能な武器でした。ナイフと言う形状に、放電機構が備わっているんですよね?」
「あぁ、そうだが」
「雷術やら大きな負荷を掛ける物では、彼女の部位の多くの電子系とが破損する危険性がある、それだけは避けたかったんですよ」
「でも、だったらただ、『知り合いが死ぬを嫌がっている』ってだけで、託君にそれを?」
 雫澄はやや不機嫌そうに尋ねる。
「いえ。それだけならば、恐らくあの場にいた殆どの方たちがそうお思いでしょう。彼を一番に選らんだのは、真司君の武器との相性です。確かに高威力の攻撃や範囲の大きい攻撃で彼女を攻撃し、無力化するのが望ましい。ですが、それはあくまでも彼女を殲滅する為の手段になってしまう。その上、周りの人たちを巻き込む可能性が高い」
「あぁ、なるほど。確かにあの時、結構な人数が一か所に密集していた気がします」
 ルイが腕を組み、ウォウルの言葉に続ける。何かを思い出しているかの様に天井を仰ぎながら。
「ラナロックに近かった真司ちゃんが一番危なく、なっちゃうしね」
「えぇ、なので彼と共に攻撃をするのは、物理的で且つ、攻撃範囲が適度に小さい攻撃。小さく、重く、しかし程よく切断面が調節できる武器である必要がある。銃も考えましたが、恐らくあの時の彼女を止めるのであればそれこそ、大口径の物で部位を吹き飛ばす以外手段はありませんでした。やはりこれも、近くにいる真司君に危険が及ぶ」
「でもさ――」
 セルファがふと、口を開いた。
「だったら剣持ってる人、とかで良かったんじゃない?」
「確かにそうです。でも、セルファさん。貴女も剣を使う身とすればおわかりでしょう? 小さな刃物で人体と同程度以上の堅さの物を切断するのは、なかなかに骨がいる作業だ。簡単に切れているのは指や末端の部位。それに皮膚や肉が関の山でしょう」
「まぁな。フレームやらその他の物、ってなると、やっぱ刀とかでかい剣で斬んねぇと無理か」
「しかし、ならば大きい武器による攻撃の、更にその針の穴を通すようなコンビネーションを、付け焼刃でやってもらう程に僕は無責任にはなれなかった。ただ、それだけですよ」
 言い終ると、再び病室内が静かになる。話がいまいちわからないと言った顔もちらほら見受けられる。託は、話を聞いたまま、しかし下を俯いたままに口を開く。
「でも、さ。良いんだよ? 良いけど、それでもやっぱり、知り合いをあんな目に合わせるのは……違う気がするんだ」
 託の言葉は静かでいて、どこか力の籠ったもの。
「それは僕も同感だよ。だってそうじゃない。もっと別の方法を探してみて、やれる最善を尽くした後の、手段だと思う」
 雫澄もその意見には賛同らしい。
「ならば――最善を尽くし切り、打つ手なしの状況ならば、それは良い、と?」
 静かに様子を伺っていた綾瀬が、そこで初めて会話に入る。静かに、笑顔に、呟いた。
「……それは」
「少しだけ、本当に少しだけのお付き合いですが、ウォウル様たちと色々な経験をしてきました。でもその殆どは、打つ手がない、救いようのない物が多かった。そうではありませんか?」
 その中の数人、綾瀬たちと共にウォウルの厄介事に巻き込まれた面々は顔を見合わせる。
「全ては防衛。後手に回り、不利になる。それがこの方、ウォウルと言う殿方の持ってくるお話です。どれほど能動的になったところで、必ず後手に回る。後手に回り、守りを固める事で出来る策が一つ、また一つと減っていき、最終的には単一の手段しか残されない。皆様もそれをご存知でしょう?」
 何かを守る事に対する、難易度の高さ。難しさ。
「真司様や託様をはじめ、皆様があのような事件に巻き込まれたすべてを予定調和とは言いませんわ。言いませんが、しかしそれも、後手に回る事になりました。故に選択肢は極めて少なく、限りなく薄いは明確。あれが続けば恐らくは、更に後手に回り、もう我々の範囲を大幅に超えてしまいます。あれが、あの時の私たちに出来た最大限の先手であるなば――或いは」
「でも、それでも! わかってはいるけど、それでもいい気分、しないじゃじゃないか!」
「託さん……」
 彼の隣に寄ってきた真人は、託の肩を抱いた。怒りと憤りと、その他の感情がごった返す彼の肩は僅かばかりか震えている。
「僕は、ただ誰も傷つく姿を見たくない、だけなのに……!」
「あ、託君!」
「たくにーに! ろこいく、れすか?」
 病室の外へと飛び出す託の後、雫澄とコタローが彼の後を追う。
「ウォウル。あんたがどれだけの事考えてるかは知らない。知らないが、人間には尤も重きを置く部分が、多かれ少なかれその人の数だけある。俺はまだ、割り切れた。俺がやれることをしただけだし、端から何としても止める気でいた。だけどみんながみんな、そうとは限らねぇんだぞ」
「……………」
 静かにそう呟いた真司は、ウォウルにそう言うと踵を返し、病室を後にする。
「コタロー……大丈夫か?」
「大丈夫だとは思うけど、一応後、追ってみようか? 彼等の事もあるんだ。様子だけでも見に行ってみよう」
 託たちの後ろ姿を見送っていた樹と章は、そう会話を交えると彼等を追う為に病室を後にした。
「……なんだろ、この空気。重たいんだよなぁ、いちいち」
 などとため息をつく明子は、しかし何かを思いついたらしい。はっと顔を上げ、ウォウルの方を向く。
「ニヤケ眼鏡、ちょっとデリカシーないんでない?」
「そう、でしたか?」
「うん。みんながみんな、そんな効率主義じゃないって話。ったく、様子見て来てやるわよ」
「すみませんね、ではお言葉に甘えて」
 ウォウルの言葉に小さく頷き、彼女は部屋を後にした。
「(託君、とやら。申し訳ないけど、私も少し効率主義よ。あんたの名前借りて、こっちはこっちの動きさせて貰うわ)………」
 部屋を出る間際、真剣な表情のままに口を閉ざす彼女を、静麻と唯斗は横目で眺めて彼女を見送った。
「………不穏な空気は流れていましたが、どうやらそれも本命の様ですね」
「だな。あの姉ちゃん、恐らくは違う目的でこっから出たみたいだ」
 ウォウルと扉に視線が集まっている為、明子の表情を捉えていない一同の中、二人はそう小さい声で会話を交える。
「さて、それが事実なら、俺は少し動いてみるかな」
「……俺も行きましょうか?」
「いや、あんたはウォウルの近くを見張ってやってくれ。もしもの事があった時は頼むぜ。俺はもっと、別の事さ。戦う事は任せたからよ、俺は別だ」
 「よろしくな」とだけ唯斗に言い残し、静麻も病室を後にする。
「えぇ、何とかしますよ。何とかね」
 うすぼんやりと、再び彼は姿をくらます。魔法でも異常現象でもなく、ゆっくりとその気配を消し、再び病室内に紛れ込むのだ。
誰にも気付かれない様に人知れず、人に知られない様に泡沫よろしく。唯斗の姿はそこにあり、彼の姿を捉える事は出来なくなった。