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炭鉱のビッグベア

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炭鉱のビッグベア

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第1章 吠える狼と予感の音 1

 その振るわれる爪は竜族の鱗すらも砕くと言われているが、それが決して噂に過ぎるものではないということを若者は知った。
 大地すら震わせるような雄叫びをあげて、ビッグベア――巨体の猛熊は人間の身の丈ほどもある腕を振るう。若者は掲げていた槍の穂先をとっさにその腕に突き立てたが、敵の勢いは止まらず、激しく壁に叩きつけられた。
「司ッ! 大丈夫!?」
 赤髪の獣人娘がうわずった声をあげたのを聞き取って、若者――白砂 司(しらすな・つかさ)は親指を立てて無事を知らせた。
 幸いにも、とっさに突き立てた槍を引っこ抜いていたから良かったが、これが自分の腕から消えていたと思ったらゾッとする。
 さて……敵は重く、そして強い。だがそこに勝機がないわけではない。槍というのはそうした勝機を掴むのに最適な武器だ。要は戦い方次第。敵の一撃の重みはいまの攻撃で十分に悟った。
 あとは――
「サクラコ!」
「はいっ!」
 粉塵を振り払って、立ち上がった司に答えたのは金髪の少女だった。名はサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)。司のパートナーにして、赤髪の少女と同じく獣人の娘である。その証拠に、頭部からは猫科の耳が生えており、きゅっと締まったお尻の後ろでは尻尾がふりふりと揺れていた。
 司は槍をぐるんと回すと再び構えを取った。しかし今度は敵の出方をうかがう守備の構えではない。牽制と妨害。その二種に重きを置いた重心を下に向ける体勢の低い構えだった。
「一気にたたみかけるぞ!」
「了解――です!」
 瞬間、二人は同時に地を蹴っていた。
 まず飛びかかったのは司。だが、相手の正面から立ち向かうほど無謀な戦いはしない。あの強靭な爪を受けられるほど、人間は固くないのだ。
 横合いから槍を突き込みにかかる。だがむろん、ビッグベアもそれに気づいていた。驚異的なパワーを持った腕が司を叩きつぶそうとする。しかし、司はその腕が我が身に降り注ぐ一歩手前で穂先の方向を変えた。
 地に突き立った槍を使い、棒高跳びの要領でスピードに乗ってその場から飛び退く。
「ポチ! いけるぞ!」
 ビッグベアの頭上から、牙をきらめからせた影が落下してきたのはそのときだった。
 “ポチ”――司が飼っているペット兼戦闘メンバーの大型騎狼は、獰猛なうなり声を発しながら前足の爪でビッグベアの皮膚を切り裂いた。大地を震わす――だが今度は痛みに対する悲痛な叫び。
 怒りに我を忘れてポチへと突進してくるビッグベア。
「これで……終わりです!」
 その横合いから放たれたのは少女の声と、そして一輪の太陽のごとき光。
 サクラコの腕に嵌められた日輪天虎爪――尊敬せし友人が鍛えた業物のレプリカは、模造なれど日輪の光を放つことが出来る。普段から夜目になれているビッグベアは、突然の陽光に思わず顔を覆っておののいた。
 刹那、太陽の向こうに見たのは猫の影。
「はあああああぁぁ!」
 気合いの一声とともに突き込まれた爪がビッグベアの意識を奪ったのは、その直後のことだった。


「やりますね、司さん」
「感心してる場合じゃないわよ! こっちも来る!」
 猫の獣人パートナーと大型騎狼の三対で見事な連係プレーを決めていた司を賞賛する契約者の娘――宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、狼獣人の娘が叫んだ声に反応してとっさに飛び退いた。
 最前まで彼女がいた地面を破砕するビッグベアの一撃。
「ほう……これはなかなか楽しめそうな獲物だな」
 祥子の耳に、言葉の端々に笑みを匂わせる声が聞こえたのはそのときだった。
「大佐……どこ行ってたのよ!」
「なあに、ビッグベアの生態を観察してただけだ。それよりもリーズ、ビッグベア一体毎に報酬をつり上げるというのは嘘ではないだろうな?」
 毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)はじろりと細めた目でリーズを見やった。獣人の娘は致し方なさそうにうなずく。
「まあね。そりゃ成果を出してくれればそれなりに比率はあげるわよ。でも、ちゃんと成果を出してくれれば……ね!」
「その答えだけで十分だ。いまの言葉、忘れるなよ」
 愛用の長剣でビッグベアに斬り込むリーズに、ニヤリという不敵な笑みを浮かべた大佐は軽く指を突きつけた。次いで、正面からビッグベアに切り込む。
(敵状捕捉――まあ、後片付けが面倒にならんようにやるか)
 ダークビジョンと超感覚に野生の勘――獣じみた感覚が身体を包み込み、まるで自分の世界が肉食動物のそれとなったような錯覚を覚える。まだ洞窟は照明のある領域とはいえ、薄闇に目が利くようになったことは動きを俊敏にさせるに十分だ。
 超感覚によって生えた虎の耳と尻尾がぴこっと動くと同時に、ビッグベアが彼女の姿を捉える。
 その刹那――
「リーズ……とどめは任せるぞ!」
「勝手なことばっかり……もう!」
 俊足でビッグベアの懐に潜り込んだ大佐の両手は、闇から現れたかのようにいつの間にか握られていた二つの刀を敵の急所に叩き込んだ。
 首、内臓、動脈、腱――血飛沫が咲いたとき、跳躍して頭上から落下してきたリーズがそのとどめを刺す。断罪のような長剣の一撃がビッグベアたちを斬り倒していった。
「ったく……そうだ、祥子さんは――」
 大佐のしんがりを終えてすぐに振り返ったリーズの目に映ったのは、嵐のような驚異的な威圧感を放つ祥子の姿だった。
 獣にとっては危機本能を震わせる修羅の闘気が、祥子の背中越しに放出されているのだ。闘気の影響を受けてか、はたまた彼女自身がうちに秘めたる殺気のせいなのか――ビッグベアたちのその多くは祥子の姿が化け物のそれに見えて目を逸らした。
 それでも獣の誇りにかけて勇気を奮い立たせ、立ち向かってくる獣もいたが――
「3回目の熊退治……コツもつかめるというものよ!」
 不吉な不協和音の声が響いたと思った直後には、その勇気が無謀だったと知る。金剛力とチャージブレイクによるエネルギーの塊が祥子の剣を包み込み、刹那――アナイアレーションの一撃は立ち向かってきたビッグベアたちを一刀両断に斬り屠った。
 真っ二つに分かれた肉体もまた、エネルギーの余波を受けて散り散りに血肉と化す。その中で散歩でもするようにゆらりと立つ祥子の姿は、獣たちには悪鬼に見えたことだろう。
「あら?」
 次なる敵を待とうとした祥子の目の前で、残されたビッグベアたちは炭鉱の奥に逃げ去っていった。


 残されたビッグベアたちを追いかけることはせず、リーズたちはひとまず体勢を立て直して現在の状況を計ることにしていた。
「それにしても大きな炭鉱よね」
「これだけ広いと、ビッグベアたちのリーダーを探すのも一苦労だな」
 炭鉱の天井を見上げるようにして感嘆の言葉をこぼすリーズに、司が槍の穂先をぬぐいながら応じる。同じように同意の表情を浮かべていた祥子が、それに付け加えた。
「向こうのチームは大変でしょうね」
「……そーね」
 彼女たちは二手に分かれてチームを組み、別々に行動をしていた。
 リーズのチームは主に炭鉱夫が仕事の際に利用する正規のルートから侵入しているが、もう一方のチームはビッグベアの群れのリーダーを探すために非常用に作られた別のルートを使用している。炭鉱の全貌はわからないが、たった一匹のビッグベアを探すのは骨が折れそうな話だった。
「静麻、現在位置はどこになるの?」
「情報が得られている地図上では17%付近といったところか。とはいえ、坑道の半分はまだ足を踏み入れたことのないビッグベアたちの巣窟だ。全体で考えると1割にも満たないな」
 籠手型HCのモニターに映し出されたマップ情報に目を落としながらそう答えて、閃崎 静麻(せんざき・しずま)は情報更新を始めた。ついでに片手で壁に描くのは、後方の安全確保と緊急時の脱出経路を示すためのマーキングである。赤いマーカーでピンをつけておいて、彼は情報更新が終わるとHCのモニターを閉じた。
 と、彼はそこに一言付け加える。
「どうやら俺たち以外にも、別ルートから炭鉱に入ってるやつがいるらしいな」
「わたしたち以外にも?」
 いぶかしげに静麻を見たリーズは耳を澄ませる。獣人ゆえの聴覚器官の発達もあり、その耳に届いたのはかすかな剣戟や爆発音を含む戦いの音だった。
「同じ依頼でも受けた人たちかな?」
「多分な」
 自分には音が聞こえてこないため、リーズが思っていたよりもあっさり気味に応じる静麻。
「いまは気にしてもしょうがないだろう。それに同じ依頼なら気にかけるのは協力か、あるいは報酬の分配ぐらいだ。そのときがきたら判断すればいいさ……とにかく、先に進もう」
「了解。それじゃあ、そうしましょう」
 静麻に促されて、獣人の娘はそれぞれに休んでいた仲間を呼んで炭鉱の奥へ向かった。
 しかし、別の冒険者というのはいったい誰なのだろう……? リーズは頭の中で無性にそのことが気にかかったままだった。