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炭鉱のビッグベア

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炭鉱のビッグベア

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第2章 行く者と待つ者 1


「うおりゃああああぁぁ!」
 炭鉱内でビッグベアと向き合っていた謎の若者は跳躍し、気合いを込めた雄叫びを発してその体躯を蹴りつけた。しかし、ビッグベアの皮膚は強固な鎧である。叩きこんだ蹴りはまるで鋼に弾かれたようで、まるでビクともしなかった。
「かってぇ……やっぱし、一発で倒すのは無理か」
 地に降り立った若者――風森 巽(かぜもり・たつみ)は悔しげにつぶやいた。
 その姿はまるで日本の古き良きヒーローそのままである。鱗のように連なる装飾の服、闇に輝く紅き瞳、風になびくは瞳と同じく赤のマフラー。これで夕日でもバックにあったならば特撮ドラマの1シーンになることは間違いない、孤高のヒーロー像だ。よく見ればその服装はところどころにほつれのあるため、コスプレなのだが、少なくとも目の前の巨熊がそれを理解することはない。
 むろん、巽本人も、自分を単なるコスプレ男だと思ったことは微塵もなかった。
 そう。彼はヒーローだ。趣味は釣り、読書、将棋に自転車、他校の友人に片思い中――だったとしても、彼はやはりヒーローだった。
(どうする……? イナヅマキックで倒すのは不可能だ……)
 そんなヒーローの胸中にあるのは長年の必殺技イナヅマキックの弱点である。
 イナヅマキックは必要なレベルでのジャンプがないと十分な威力を発揮できない。これまではそれでもなんとか戦えていたが、ここにきて彼はその必殺技の弱点に気づいて、この坑道へと修行を積みにきたのだった。その弱点とはすなわち、密室や狭い場所では必殺技となり得ないということ。必要レベルのジャンプをこなせない場所では、不完全なイナヅマキックにしかならないのだ。
「ならば! 同じ場所へ通るまで何度でも撃込むまで! いまこそ出す! あの新たな必殺技を!」
 が、しかし――叫んだのは良いものの、別に彼は新しい必殺技を持っているわけではなかった!
 だが、彼は知っていた。ヒーローとは、土壇場で力を発揮するもの。すなわち、やってみりゃあ、なんとかなる! その場のひらめきで!
「うおおおおぉ!」
 格好良さげなポーズをとって、ビッグベアに向けて疾駆した巽は――懐に潜り込んだそのときになんかスゲー技を決める自分が脳裏に浮かび上がった。
「青心蒼空拳! 七雷一天掌!!」
 刹那、無数の雷撃がビッグベアの身に撃ち込まれた。
 それは雷光の鬼気を錬気で練り込んだ究極の雷。拳に集中されたそれは、七曜拳の連打突きを利用してビッグベアの体内に爆発したのだ。
 焼け焦げた臭いを発すビッグベアがばたりと倒れ込んで、巽は静かに背を向けた。その背中は男の哀愁を漂わせる孤高のヒーローのもの。そしてその胸中は――
(やっべぇ〜…………危なかったぁ……なんとか必殺技思いついたからよかったけど、あんなこと二度とやるもんじゃないな)
 ガクガクブルブルと膝を男子学生の後悔だった。



 ブン――
 風を薙いで振り被られた巨熊の腕が叩いたのは、一人の少女。しかし、巨熊の腕は少女に撃ち込まれたものの、その身を引きちぎることは出来なかった。まるで鋼鉄とぶつかり合ったかのように、燃える赤髪をなびかす少女の不敵な笑みがそこにあるのみ。
 少女は――緋柱 透乃(ひばしら・とうの)は、ビッグベアの渾身の一撃を受けてなおそこに立っていた。
「まずは上等……! 今度は……私の番ね!」
 ぐわんと身が踊った直後には、ビッグベアの腕は透乃の手の中だ。
 刹那、金剛力と疾風突きを併用した爆発的な一撃がビッグベアの腹に叩きこまれる。もんどりうって倒れ込むビッグベアは、苦しげなうなり声を発した。それでも、殺意はまだ燃え尽きていないのだから見事な怪物である。
「とと……やるじゃない! 芽美ちゃん! 陽子ちゃん! そっちは任せたから、お願いね!」
「分かりました。透乃ちゃんも、気をつけてください!」
 ビッグベアは一匹ではない。
 三匹ほどの巨熊を相手に坑道を踊る透乃の背後では、緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)月美 芽美(つきみ・めいみ)の二人が連携プレーで5匹ほどのビッグベアを相手に立ち向かっていた。
「芽美ちゃん!」
 ビッグベアの注意を引きつける陽子の呼びかけに、妖艶な笑みを浮かべた芽美は視線だけでそれに応じた。
 それはタイミングを計るためだ。陽子に視線を流した次の瞬間に、芽美は風に舞う木の葉のごとく巨熊たちを飛び越えて後ろに回っている。雷光を宿した拳は薄闇の坑道の中でも眩く光り、戦闘領域を照らしていた。
「芽美ちゃん! いまです!」
「ええ、分かったわ――さあ、気持ちよく鳴いてね!」
 先端に三日月形の鋭い刃のついた鎖――陽子愛用の特別製〈凶刃の鎖〉が意思を持った蛇のごとく宙を飛び交ったとき、鎖を通して発せられるアボミネーションと陰府の毒杯はビッグベアたちを瘴気で包み込んで激しく苛ませた。ペットとして飼っているレイスの朧、それに蛇霊までもがビッグベアに襲いかかり、その動きを封じる。
 その刹那、芽美は雷光を存分にため込んだ一撃をビッグベアたちに叩きこんだ。
 激しい稲光とともに、鳴き声とも悲鳴ともつかぬ声を発する巨熊たち。稲光の影が芽美の加虐的な笑みを照らし、まるで死神が死霊たちを看取る姿のようにも思えた。
「さてと……透乃ちゃんは……」
 黒焦げになったビッグベアを処理――喰らうのは陽子の従えるグーラの美凜に任せておいて、芽美は振り返る。
 そこでは、ビッグベアと拳を撃ち合う透乃の姿があった。相手を掴みあげて壁に叩きつけたり、素手喧嘩のごとき左ストレートをお見舞いしたりと、問答無用のたたき合いも演じているが、そのどれもに共通するのは“悦楽”である。顔や腕や体を滅多打ちにされてなお、傷ついた体を労ることもなく透乃は笑みを浮かべている。心底痛みと闘いを楽しむその姿に芽美がぞくっとしたその刹那――勝負はさすがに終わりを告げた。
「……しゅう……りょう♪」
 ぐわっとビッグベアの顔面に迫った透乃の拳は、その頭部を消滅させる勢いで貫かれた。
 悲鳴をあげる口すらも失って、ピクピクと痙攣するビッグベアの死体の上に降り立つ。血飛沫を浴びながらも、赤髪の少女はアンバランスなほど気持ちのよい笑みで言ったのだった。
「あとどれぐらい狩れるかなー……」



 光精の指輪で照らされる薄闇の坑道で、銀髪の若者はひと振りの剣を振るっていた。
 無闇に振るいはしない。無情に、残酷に、冷徹に……目の前の襲いかかる巨熊たちの凶器たる爪を華麗に避けて、血飛沫が花のように散る中で敵へ斬り込んでいくのだ。右手のワイヤークローが敵の脚を掴んで動きを封じ、左手の白の剣は地に染め上げられる。アイアンフィストで鋼鉄化した拳さえも、敵を叩き潰す武器となっていた。
 まるで悪鬼のそれだ。闇に浮かび上がる血のような紅き双眸とあいまって、若者の戦闘は残忍に敵を潰していく悪鬼のものに見えた。
「…………」
 それを後ろで見守っていたのは、白虎の背に乗っている哀しげな瞳の少女だった。
 若者――樹月 刀真(きづき・とうま)のパートナーである守護天使、封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)だ。古より大いなる災いを封印してきた神子は、いまは刀真の身を案じる大切な人のひとりだった。
 だが、なぜだろう? その瞳はやはり哀しげだ。ビッグベアのことを思ってではない。むしろ、目の前で血の雨を降らす若者のことを見つめて、言いがたい哀しみに暮れているようだった。
「…………ッ」
 左手の白の剣がビッグベアの撃ち込んだ爪を受け流したその後、反射的に射出されたワイヤークローは敵の動きを封じた。
 瞬間――武器を手放した手刀がビッグベアの胸を貫き、その心臓を握りつぶす!
 不気味な音を立てて潰れた心臓は、最後の巨熊の心臓でもあった。悲鳴をあげることもなく動かなくなったその一匹を見下ろしていた刀真は、うねりをあげる心臓の鼓動に背中を押されるように、次なる獲物を求めてゆらりと動き始めた。
「刀真さん……」
 その視線が、白花と合ったのはそのときだった。
 彼女の瞳があまりにも哀しげで、刀真は思わず視線を逸らした。ふいに視界に入った自分の血みどろの拳が、いやに心を揺さぶった。
「そんな顔を……するな」
「気持ちが収らないのでしたら私を好きにして良いですから……」
 白虎からおりた少女は、ゆっくりと刀真に近づくとその腕を取った。
 そして――
「お願いです……いつもの刀真さんに、戻って下さい」
 その腕を包み込もうとしてそのまま、彼の体をぎゅっと抱きしめた。あまりにも暖かいその温もりに、心臓さえも支配していた若者の熱は一気に冷めていくようだった。
「悪かった、俺が悪かった……落ち着くからそういう事言うな。好きにして良いって……そんなこと言ったら、本気で手を出すぞ」
 一息ついて武器を納めながら、刀真は軽く冗談めいてそう口にした。むろん、本気でそう思っているわけではなかったが、意外にも白花は頬をボッと真っ赤に染めて、モジモジと両腕を絡めた。
「へ……? え、えっと……やっ、優しくしてくれるなら」
「い……!?」
 なにやら乙女の覚悟をしたようにチラチラと刀真を見る白花。
 それまで鮮烈な戦いを続けていた若者は、色んな意味で別の敵との葛藤にさいなまれることになった。