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春をはじめよう。

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●桜並木に春が降る(3)

 そよ風が吹くと、さわさわと桜の花が舞い落ちた。
 毎年のこととはいえ、やはりこの光景は嬉しい。心が洗われるようだ。
「わぁー、今年も桜綺麗!」
 弾む声で鏡 氷雨(かがみ・ひさめ)は言った。
「最高の日だよね? 良い天気だし、桜綺麗だし、お団子美味しいし!」
 花より団子のたとえではないが、氷雨の手には花見団子がある。串に刺さった赤白緑、俗説によればこの三色は、それぞれ四季をあらわしているのだという。つまり、赤(実際は桃色)の団子が春で白が冬、緑は夏だというのである。秋がないのはこれすなわち、『飽き(秋)がない』との洒落で要するにこの団子が、食べ飽きぬスタンダードな味だという意味だそうだ。氷雨もそれ絶対ウソだという思う反面、だとしたら粋だなと、感じるのもまた事実。
「で、スピカは何でいるの? っていうかいつからいたの?」
 最後の団子を口に放り込むと、一息で食べて氷雨は振り返った。
「何で、って探し物だよ」
 涼やかな目をしたスピカ・デローン(すぴか・でろーん)は、春物のジャケットの襟を直しながら答えた。
「探し物? あぁ、あの、レジェンドオブデローンとかいう奴?」
「そう、それ」
 こんな春の日に探すにしてはいささか重すぎるきらいもあるが、それがスピカの宿命ゆえ仕方がないとも言えようか。
「何か手がかりでも見つかったの?」
「残念ながら手がかりなしだよ」
 ごく平然とスピカは答えた。そういうものだと理解しているようだ。理解しているのは氷雨も同じで、
「なーんだ、見つけたら見せてもらおうと思ったのに当分無理そうだね」
 軽く肩をすくめるにとどめた。悩んでいても仕方ないし、悩みなど忘れたくなるくらいの好天だ。
「……ねぇ、氷雨」と言いながら、スピカは歩みを早め氷雨と並んだ。「俺が付いてきた本当の理由しりたい?」
「本当の理由? ボクと一緒……」すぐに思い至って、氷雨はふるふると首を振った。「ボクは手伝わないよ! だって、絶対危険そうな匂いがするもん」
 ところがスピカはこれを聞いて、むしろ笑った。
「いや、それじゃないから」
「違うの?」
 するとスピカは、これまでの軽妙な口調をわずかに、本当にわずかだが確かに、正して彼女に告げた。
「俺が氷雨を好きだからだよ」
 まず氷雨がしたことは、鞄からゴミ袋を出して団子の串を入れ、袋をしまうとまた別の袋から新たな団子を取り出すことだった。
「うん、知ってる」
 軽く微笑んで氷雨は続けた。
「ボクがスピカの理想の相手の条件にぴったりなんでしょ。でも、理想と現実は違うよー」
 しかしスピカはめげたりしない。
「そうだね、最初は理想だったから惹かれた。でも、今は『氷雨』だから好き。理想じゃなくて、氷雨だから一緒にいたいんだよ」
 くしっ、と団子を串からかじり取り、頬を片側膨らませながら氷雨は答える。
「……まぁ、好きにすればー」
 それから、とでもいうように言い加えた。
「あ、でもボクは手ごわいよ? やめるなら今のうちだよ?」
 氷雨は大股に歩んだ。
 これでスピカはまた、氷雨の背を追う格好になってしまう。しかし、
「うん、好きにする。手ごわくても、やめる理由がないよ。俺は氷雨が好きだし、ココで氷雨を諦めるのは氷雨に負けるってだからね。負けたくないし」
 ごくごく当たり前のことのように言うあたりがスピカらしい。
「へぇ、随分と面白い事言うねー。ボク、こう見えても負けず嫌いなんだよねー。ふーん……ねぇ、スピカ」
 ――このとき、氷雨は足を止め振り返った。満面の笑顔だった。
「いいよ、その勝負受けてあげる。コレは勝負だよ」
 いささか挑発的に、けれどもあくまで友好的に、氷雨はゆっくりと宣言した。
「ボクがキミに惚れたらキミの勝ち。惚れなかったらボクの勝ち。
 自分が負けるのが嫌だからって自分の気持ちを誤魔化したりしない、真剣勝負。
 ……これから、楽しみだね。スピカ」
 そしてまた彼女は、団子を食べながら歩き出したのである。
「そうだね、これから楽しみだね」
 氷雨の背中を眩しいような目をして、スピカは見つめた。
 足早に歩み、どんどん小さくなっていく背中を。
「絶対に、手に入れて見せるよ。『理想』でも『夢』でもなく、今手が届くところに居る『キミ』を……ね」
 すべて楽しげに笑顔で言い切ると、スピカは小走りに氷雨の背中を追いかけたのである。
 ほら、いつだって追いつくのは簡単だ。