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リアクション
●桜並木に春が降る(4)
桜の花びらを見つけて、ピカピカ。
揺れるタンポポを見ても、ピカピカ。
それ以外でも興味がある事象、とりわけ植物関係の面白いものを見つけるたび、マーキー・ロシェット(まーきー・ろしぇっと)の両眼はピカピカ光るのである。これ、比喩ではなく文字通りに。
マーキーが外に出ることはこれまであまりなかった。だから、季節がもたらす自然の変化も、暑い寒いというもの以上に知ることは希(まれ)だった。
したがってこの、花盛りではあるものの一般的には何の変哲もない並木道を歩くだけのことも、マーキーにとっては驚きと発見の連続だ。なのでしきりとマーキーは、
「面白いね。華音さん、春というのは面白いね」
と言っては、赤と青のオッドアイをピカピカと転倒させているのだ。
「そう言ってもらえると私も嬉しいな」
この日、「桜がきれいだから見に行こう!」と呼びかけたのは本宇治 華音(もとうじ・かおん)だった。工場に籠もって研究するばかりのマーキーには、いい刺激になるのではないかと考えてはいたものの、ここまで喜んでもらえるとは思わなかった。
まとは・オーリエンダー(まとは・おーりえんだー)にしても、悪い気はしていないようだ。
「ちょっと、調子がいい……」
と、上機嫌そうな様子である。といってもまとはは機嫌が良かろうとも、その表情は例外なくむーっとしたままなのだが。
「ね? まとはちゃん、やっぱり日光を浴びたほうがよかったよね?」
マーキーが振り返って華音の肩を見る。身長二十センチ少々のまとはは、そこにちょんと座っているのだ。
「……別に、行くのが嫌とは言ってない」
マーキーを誘ったのは華音だが、「そうしよう」とまとはをひょいと持ちあげ、華音の肩に置いたのはマーキーなのである。最初は「虫が寄ってきてうっとうしい」とまとはは楽しまなかったが、やはり花妖精、しばらく行くうち、春の花々に心を和ませている……のだと思われる。真実のほどはわからないのだ。いつも通りの無愛想っぷりなので(まとは自身に悪意はないのだけれど)。
かくて三人が歩むうち、秋月葵とエレンディラ・ノイマンなど、桜の下で食事している人々がちらほらと散見された。
「ピクニックなのかな? 今日は、外でご飯を食べている人が多いんだね?」
と言うマーキーに華音は「ああ、あれはお花見です」と説明した。この時期、日本ではお花見という文化が花開くものだと。日本文化が流入して久しいシャンバラでも、各所で同様の行事が行われていることも教えた。
「座るためのシートで陣取り合戦が起こったり、宴会をやるとものすごく盛り上がったり、というのも恒例となっています。一種の風物詩ですね」
「やはり外だから解放感があるのかな?」
僕もその気持ち、判る気がするよと言って、マーキーはまた目を輝かせた。
途上、三人は車椅子の少女を追い抜かした。
(「……?」)
マーキーが一瞬、怪訝な顔をしたので、
「どうかした?」
華音が問うたが、マーキーはすぐに「何でもないよ」と首を振った。
なぜだろう、そのときマーキーは疑問に思ったのだ。
車椅子に座っていた彼女は、きっと自分と同じ機晶姫だ。自分も機工士だから判る。彼女の脚は、歩けないような損傷をしていない。今すぐだって走れる状態のはずだ。
(「歩けないふりをしているんじゃないよね……? だったらなぜ、あの子は歩けないんだろう?」)
だがこの考えはすぐに霧消した。
飛んで来たミツバチが新たな好奇心の対象となり、マーキーはピカピカと目を光らせたからである。
「ねえ、あれは?」
「……虫」
むすっとした顔でまとはが答えた。
「ごめんね、今、追い払うからね」
華音が手を振ると、その周囲をくるくると数度めぐって、ミツバチは青い空へと消えていった。
心なしか、ミツバチの飛ぶ軌跡も楽しそうなラインに見える。
これが春というものなのだろう。
マーキーは思った。
夏に秋、冬も、こんな風にその様を鑑賞できたらいいな。
自転車から下りると、上着を無造作に脱いでハンドルのあたりに引っかけた。
折良くバスケのコートは無人だ。念入りに柔軟体操を済ませると、持参のボールでドリブルを開始する。
頭のなかに対戦相手を想定し、ディフェンスをかわすシミュレート、そして遠距離からのシュート。
いわゆる3点シュートだ。高円寺 海(こうえんじ・かい)の手を離れたバスケットボールは、鳶のような放物線を描いて飛び、リングに当たって一度、垂直に上昇したもののそこからすっぽりとゴールに収まった。
「よし、いい感じ!」
海の口元に笑みが浮かんだ。
それがきっかけになったか、海の動きはさらに良くなる。遠距離からのシュートも調子よく決まりドリブルも滑らか、結局、1ピリオド(10分)きっちりと一人バスケをすることになった。
「うん?」
そんな海に、タオルを差し出す手があった。
「海さん……これ、使って!」
シュクレ・コンフィズリー(しゅくれ・こんふぃずりー)だった。いくらか顔を上気させて、清潔そうな白いタオルを両手で捧げ持っている。
「おう、サンキュ」
海はためらわずそれを取ってから、えっ、と目を丸くした。
「って、シュクレじゃないか? いたのか!?」
「うんっ! ずっと海さんがバスケしてる様子を見てたよ!」
「どうした今日? たまたま通りかかったにしては用意がいいけど?」
「偶然、海さんが自転車を走らせているところを目にして……それで、多分、ここかな、って」
シュクレの勘は的中したというわけだ。
シュクレが海のために用意したのはタオルだけではない。
「あとこれ……食べてくれたら嬉しいなっ」
と、やや頬をそめつつうつむき加減に言って、シュクレは瓶に入った鮮やかな黄色い菓子を差しだした。
「レモンの砂糖漬けじゃないか? シュクレが作ったのか」
運動するとほしくなるんだよなぁ、こういうの、といいながら海はひとつを指先でつまんだ。
「これは先生の手を借りず、一人で作ったんだよ!」
「そうか、うん。よくやった」
海は微妙に頬にシワを寄せつつ無理に笑顔を作った。つまり、味が……(お察し下さい)ということだ。
けれど海の努力は通じた。シュクレは海の苦しげな演技に気づかず、ただ純粋に、彼に褒められたことを喜んだのだから。
(「お兄ちゃんに喜んでもらえて……幸せだよう!」)
胸がときめく。内心、海を『お兄ちゃん』と呼んでいるシュクレである。いつかもっと距離が近づいて、堂々とそう呼べる日が来てほしいと思う。けれど今日は、海がためらわずタオルと、砂糖漬けを受け取ってくれただけでも満足だった。この幸運に思わず、春の訪れを感じてしまう。
けれど幸運はこれにとどまらなかった。
「バスケやらないか、一緒に?」
ほら、と海がシュクレにボールを投げ渡してくれたのだ。
「一人でやるよりやっぱ、相手がいたほうがいいもんな」
「で、でも僕……」
「なあに、ルールなんか適当でいいぜ。楽しめばいいんだ。楽しめば」
まさか憧れの海と、二人きりでバスケできるなんて。
恥ずかしいけれど、楽しもう。
「ほら、シュートシュート」
海にうながされ、シュクレは半ば目をつぶって、
「え〜い!」
高く高く、ボールを放り投げたのだった。