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地獄の門

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【第六圏・ディーテの市】


「ザッハトルテとミルクレープとモンブラン、紅茶シフォンケーキにアップルパイにストロベリータルトそれからシュークリームみっつお願いします!」
「え……えと――」
 小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の注文の量に、口を半開きにしたまま止まってしまったウェイターの肩を叩いて、キアラは注文を復唱し始めた。
「繰り返します。
 ザッハトルテ、ミルクレープ、モンブラン、紅茶シフォンケーキ、アップルパイ、ストロベリータルトが一つずつ、シュークリームが三つ。以上で宜しいですか?」
 今日知ったばかりのメニューをこんな風に空で言えるのは彼女の特技なのだが、注文の確認を終え得意顔で立ち去ろうとしたキアラは大事な事を忘れていたのに気がついた。
 このテーブルには、ジゼルが居たのである。
 何時もと違う薄化粧とは言え、特徴的な赤い髪とライトグリーンの目の色にここまで近付いて彼女が気づかない訳が無い。
「あれ、キアラ?」
「……ジ、ジゼルちゃん」
『誤摩化せ』と、通信が耳に飛んでくる。キアラは引きつった笑顔で何とか取り繕った。
「そうっスよ」
「そういえばさっきトーヴァもお席に居たよ。
 ねえ。ここ百合園から遠いのに何時も通ってるの? 大変ね」
「単発のバイトなんスよ。
 それに箒ならひとっ飛びっスから。あはははは」
「そっかー。いいなー、私も箒で飛んでみたい」
「ジゼルちゃんは羽根があるじゃないスか」
「そうだった。今度一緒に散歩しようねー」
「ねー」
 何とかその場をやり過ごして、キアラは裏へ駆け込むと大量の汗を拭った。
「ジゼルちゃんがお馬鹿さんで助かったっス」
『ああ、あいつ馬――頭弱いからな』



「ねーねー、ジゼルはどの男の子がいいの?」
 ストローの袋を手で弄びながら、美羽は何かを待っている大きな瞳でジゼルを見た。
「なんで?」
「なんでって……合コンってそういうイベントじゃない。
 女の子と男の子が仲良くなって、あわよくばカップルになっちゃえというかー……。
 私とコハクはジゼル達と遊べればいいなーとか思っただけだけど、フツーは彼氏彼女の居ないフリーの子が参加するよ?」
 美羽は喋りながら向こうのテーブルで他の男性陣とドーナツを食べているコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)に手を振った。
 コハクもそれに気がついたらしく、こちらへ手を振ってくる。
 この微妙な距離感は、彼が「今ジゼルに近付いたら死ぬ」と悟った為だ。
 それを知らないご機嫌の美羽は思っていた
「(何でだろうなー? でもコハクも男の子と一緒に居たいのかな?
 だったら私もジゼルとガールズトークしちゃお!)」
 話しの続きをしようと思って横へ向くと、ジゼルが急に立ち上がって叫ぶ様に言った。
「そ……そうなのッッ!?」
「うん。合コンってそういうものだけど。
 知らなかった?」
「……知らなかった――。
 だから今朝お兄ちゃん『このバカ何も知らないでそんな所に行くな』って言ったんだ……!!」
 ヨロヨロとソファに倒れ込むと、それきり動かなくなったジゼルの口に、美羽はテーブルに並べられたケーキの上からイチゴを取って放り込んでみる。
 餌付け。否、こういう元気が無い時は甘いものを食べるに限るのだ。
「折角だからジゼルも彼氏――とは言わないけどボーイフレンドくらい作ってみたら?
 きっといい経験になるよ。その世間知らずも治せるかもね」
「彼氏って――」目の前のンガイと同じ様に伸びをするジゼルの上に覆い被さって、美羽は耳打ちした。
「例えばどの男の子がカッコイイと思う?」
「うーん……」うつ伏せのまま横を向いて店内を見渡していたジゼルは小さい声で言った。
「大地の眼鏡」
「眼鏡!? 本人じゃなくて!?」
「うん。眼鏡。
 だってあれ無くなると、大地もっと意地悪になるんだもん」
「――あとは?」
「よくわかんなーい。
 とりあえずそれは置いといてー、キロスは人気みたいね?」
 示す先で、キロスが舞香と話している。
「ああ、キロスはね、多分今回超気合い入ってるから。
 これに賭けてるんだと思うよ。耀助も一緒ね。あの服、女の子ウケ狙ってるもん」
「へー」
「二人に興味持った?」
「うーん……無い。耀助の事、好きな子いるし。うん、最初からお友達にしか見えてないけど」
「じゃあ他の男の子は?
 目が合って、ドキドキきゅんきゅんしたりしない?」
「ドキドキきゅんきゅん――。
 ねえ美羽。軍服ってドキドキする。美味しいよね」
「美味しい!?」
「見下ろされるときゅんきゅんするわ」
「ちょっ……この子変なものに目覚めてる!!」
 跳び退いた美羽の下で、うつ伏せのままのジゼルはバッグから端末を取り出して表示された画面を開いたまま美羽に渡した。
 画面に映っているのは眼鏡をして軍服を着たアレクがうたた寝している写真だった。状況からして明らかに盗撮だろう。
 そして極めつけは落書きで付け加えられた猫耳の存在だった。
「てゆーかまさかの待ち受け兄!?」
「軍服眼鏡美味しいです。
 画像フォルダを見てみなさい」
 ジゼルの指示通りフォルダを開いた美羽は驚愕する。
 猫猫猫軍服眼鏡兄猫猫猫猫軍服眼鏡兄猫猫猫軍服眼鏡兄猫猫猫軍服眼鏡兄猫。
「うぇへへ。身内に美味しいものがあるってすてきよねぇうぇへへへへへへへ」
 怪しい笑いを続けているジゼルの肩をガクガク揺さぶって、美羽は叫んだ。
「ジゼル、帰ってこーい!!」



「と。まー冗談は置いといて」 
「冗談っていうかこれ以上無いってくらい確実な証拠を見せてくれた気がするんだけど――」
「逆にね、聞いて良い? 美羽はどの人がいいの?」
「んー……
 やっぱりコハクかな?」
 今更聞くまでも無い質問の答えに安心して、ジゼルは美羽の肩に頭を預ける。
「いいなー美羽は。でも……」
 レースの手袋がむにっと掴んだのは、美羽のTシャツで、お腹だった。
「そんなにシュークリーム食べたら、太ってコハクに嫌われちゃうよ?」
 瞬間足の先から耳まで真っ赤になった美羽は、テーブルに並んだ大量のケーキの前に両手でそっとフォークを置く。
 予想よりも可愛かった友達の反応に、ジゼルはコロコロと笑い出していた。
「あははうそだよー。ごめんごめん!」
「もー!!」
 
 楽しそうな二人を見て、コハクは微笑んでいた。
 出来れば二人と一緒に過ごしたいと思っていたが、こういう風に見守るのもいいものだな、と思いながら。

***

 その頃、自分の画像が妹の待ち受けになっていて、しかも猫耳が描き足されているとも知らない兄は、一人の少女と対峙していた。
「迷子――、では無さそうだな」
 睨み上げてくるリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)の目力に、
例え見た目の年齢が変わっていようともアレクはそれが誰なのか直ぐに気がついた。

 リカインは合コンには興味が無い。
 実は彼氏も居る。
 では何故ここにいるのか。
 それはアレクのジゼルに対する偏愛っぷりをみて、自分にも義理の兄が居た事を思い出したからだ。
 契約者になる前、幼少の頃から既に大人ですら(物理的に)手がつけられなかった口より体が先に動く、トラブルメーカーのリカイン。
 彼女が唯一歯が立たなかった相手、それが義兄であった。
 そう、すっかり忘れていたけどあの義兄にはかなり悔しい思いをさせられてきたのだ。忘れていたけど。
「(ジゼル君はあんな態度だけど、やっぱりアレ君の事を迷惑がっている部分もあるんじゃないかな)」
 リカインはそんな独断と偏見でこの場へやってきたのである。
「(ジゼル君のいるところ、アレ君の影有り)」
 彼女の予想通り、裏の廊下で「おにいちゃーん!」と叫んでみたら、ランプの精の如くアレクは登場してくれた。
 便利で分かり易い奴だ。
 という訳で、目の前にアレクが立った途端、リカインはアッパーカットを繰り出した。

「(だって兄は、乗り越える壁以外の何者でもないのだから)」

 ただ彼女が失敗していたのは、アレクよりも年上の自分が、如何にして妹になりきるかという部分に力を注ぎ過ぎてしまったことだろう。
 ちぎのたくらみで見た目を幼くし、タイムコントロールまで駆使して、彼女は実際に兄がいた頃の14歳のリカイン・フェルマータに戻っていたのだ。
 ここまで読めばお察し頂けたと思うが、平均身長156cmの14歳のアッパーカットは、187cmのアレクの顎に上手い事届かなかったのである。
 空かした拳を掴んで、アレクは小さなリカインを見下ろしながら言った。

「何か分からんが帰れ」

***

 ところで実は、今日この店に貸し切りの表示はされていないのだ。
 しかしこの天気。そしてハデスがやり過ぎてしまった道を通りやってくる人間など常人にはまず居ない。
 常人で無ければ別だが。

「スイーツバイキングなんて久しぶりですわー!」白銀 風花(しろがね・ふうか)は笑顔で扉を開けた。
 後ろに続くのはソラン・ジーバルス(そらん・じーばるす)だ。
 近頃彼女はハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)との間に生まれた双子の世話に追われていた。
 今日も夜泣きの所為で寝不足の目を擦りながら、懸命に家事をこなしていたところ、「行ってこい、双子ちゃんの面倒は私達が見るから」と母らに言われて半ば無理矢理外に出されたのだ。
「(私ってそこまで疲れてるように見える?)」
 そう思いながらも、ソランは自分でも知らないうちに背中をさすっていた。抱っこというのは、意外と腰にくるものなのだ。
「それにしても……空気が気に入りませんわね。殺気立っていると言うか――」
 風花の呟きに、ソランは周囲を見回してジゼルの姿に目を留めた。その周りには男達が居て、女達に必死にアプローチしているのも見える。
 成る程、これは多分合コンというヤツだろう。
「ぬー……あの子がその会場に居るってことは……殺気の原因は全員あのデカブツ関係か。目的はジゼルのガードってとこかしら」
「デカブツ!? そ、そう言えば見た顔が――」
 ぼんやりと言ったソランの言葉に反応して、風花はあるテーブルを指さした。

 プラヴダ副隊長、トーヴァ・スヴェンソンが客に紛れてそこに居た。
 というかケーキを食べているだけだった。
 長い足を組んでテーブルに肘を付いている。均整の取れたそのプロポーションはさながら高級下着モデルのようで有り、顔を見れば彫りの深い顔立ちは名画の女優のようだった。
 黙っていれば、絵になるほど美しい女なのだ。黙っていればだが。
 今日はセミロングのブロンドヘアをポニーテールに結んでいるから、うなじが露になっている。
 その白くきめ細やかな肌に、ソランの唇からは知らぬ間に涎が出ていた。
「――スゲー好み……」



「ふぃえッ!?」
 妙な声を上げて身震いしたトーヴァに、神崎 輝(かんざき・ひかる)椅子の上で身体を跳ねさせた。
「ど、どうかしたんですか?」
「いや……ううん。何か悪寒がしたのよね。風邪でもひいたかな? 変だな。おねーさん病気とかした事無いんだけど」
 両腕をさすりながら、トーヴァは悪寒を抑えている。男相手は慣れている。むしろ慣れ過ぎている。
 だが長い時を生きる経験豊富なヴァルキリーである彼女にも、女相手の経験はほぼ無かったのだ。
 悪寒の原因はソランから送られた熱視線の所為だろう。
「ま、いいや。ケーキ食べて、『身体動かせば』元気になるっしょ。
 ね。ヒカル君」
「そうですね。『トーヴァおねーさんは何時も元気』なんですからね」
「そうそう」笑い合いながら、二人は白いクリームの中へフォークを入れた。
「そうだ、この間の戦いの時はグランジュエルを助けてくれてありがとうございます」
「いやいやいいのよ別にそんな畏まらないで。私達もう仲間でしょ。仲間同士でサポートするのは当たり前と言いますか……
 余り好きな言葉じゃないけど『DUTY(義務)』ね。本物の軍隊なんてとうの昔に辞めたんだけどね、
 ――ニンゲン根っこは変わらないもんだなぁ。

 てゆーかさ。グランジュエルも来てるのね」
「そうなんです。何故か合体パーツ持ち込んでるんですけど――、合コンにそんなもの持ってきて何する気なのかな……」
 輝は冷や汗を拭いながら一瀬 瑞樹(いちのせ・みずき)と真鈴を見ていた。
『私は彼氏いるからパス』と言っていた瑞樹は兎も角、「素敵な人探せたらいいなぁ……」と期待を口にしていた真鈴があれでいいのだろうか。
「あれは見ない顔ね。あの子もユニット?」
 トーヴァが聞いているのは、瑞樹たちと共に居る紅葉の事だ。
 二人の視線に気づいたらしく、大好物のアップルパイを沢山のせた皿を片手に、こちらへ振り向いて手を振っている姿がとても可愛らしい。
「はい。紅葉って言って機動ユニットになれるんです」
「ありゃぁヒカル君と同じ男の娘だ」
「相変わらず凄い目利きですね」
「――そうね……あと10年。いや、素材がいいから7、8年でイケルか?」
「な、何がですか――?」
「やだなぁ。分かってる癖に!」
「ですよねえ!」
 二人は笑い合って、今度はチョコレートのクリームへフォークを入れていた。